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2007年07月02日
2007年03月07日
棋友
06.4.22記
4月15日は千寿会。その話題を。
小林千寿先生は、週間碁(新聞)に毎回エッセイを寄稿している。最新号では、欧州に集まった素粒子理論の学者の集まりの話。欧州に巨大な加速器があり、素粒子の研究には欠かせない。この中に千寿会会員の小林教授(東大)がいて、小林教授に加速器の話を聞いたとか。
昨日はその小林教授と対戦。前回まで三子置かせて一勝一敗であるが、今回は二子で白がコミ出しにした。それが勝利が決まったと思った瞬間に大失着をして稲葉ウアー。打った瞬間に失着に気がついた。
そのあと、Aさんに三子置かせて大勝利。A教授も原子力の大御所なのだが、もちろん碁を打っているときは、そんなムードはない。
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4月15日は千寿会。その話題を。
小林千寿先生は、週間碁(新聞)に毎回エッセイを寄稿している。最新号では、欧州に集まった素粒子理論の学者の集まりの話。欧州に巨大な加速器があり、素粒子の研究には欠かせない。この中に千寿会会員の小林教授(東大)がいて、小林教授に加速器の話を聞いたとか。
昨日はその小林教授と対戦。前回まで三子置かせて一勝一敗であるが、今回は二子で白がコミ出しにした。それが勝利が決まったと思った瞬間に大失着をして稲葉ウアー。打った瞬間に失着に気がついた。
そのあと、Aさんに三子置かせて大勝利。A教授も原子力の大御所なのだが、もちろん碁を打っているときは、そんなムードはない。
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2007年03月06日
訃報・愚戦・名人戦
06年記、月日不明
Cさんの訃報が届いた。
Cさんはわたしより十歳ほど上であった。わたしが千寿会に入ったころ、Cさんも千寿会に入った。棋力はほとんど同じ、棋風もよく似ていた。そのため千寿先生も指導碁の解説をするとき、勘違いしたことがある。棋風が似ているので、そのままわたしにも当てはまるのだ。
安倍吉輝九段がスイス青年のD君を巣鴨の本妙寺に案内してくれたとき、わたしと亜QさんとCさんも、一緒に行った。
(本妙寺 本因坊家の墓)
いまは冥福を祈るのみ。合掌。
さて指導碁のあとMパパと対局。二子を置く。パパといっても大学を卒業したばかりの青年。
黒4は当然ハネだが、なぜか急に図の黒4がいい手に思えた。悪魔の誘惑だ。あとは地獄へ一直線。2目とられ、後手をひき、ここですでに二子の有利さが消えている。これからの勝負とはいえ、もともと三子の棋力差があるのだ。ここで勝負がついてしまった。
この後は打ってみたにすぎない。m(__)m。
水間さんと小林健二さんが名人戦の解説。
右の数字のない黒石、69手目を打ったところ。
その前の白68で、これでは一団の白が生きていないから、苦労したので、1路右に打ったらどうか。という質問が出た。
水間さんは「それは立派な手です。普通はそう打ちますが、実戦では打ちにくい。こう白68と打ちたくなります」と言い、健二さんも賛同した。
これが半目を争うプロの感覚らしい。すんなり生きたら1目得。この時点で明らかに1目損な手は打ちにくい。
白38がこの碁の岐路になるらしく、いろいろ意見が出たが、この説明はわたしの手に余る。
Cさんの訃報が届いた。
Cさんはわたしより十歳ほど上であった。わたしが千寿会に入ったころ、Cさんも千寿会に入った。棋力はほとんど同じ、棋風もよく似ていた。そのため千寿先生も指導碁の解説をするとき、勘違いしたことがある。棋風が似ているので、そのままわたしにも当てはまるのだ。
安倍吉輝九段がスイス青年のD君を巣鴨の本妙寺に案内してくれたとき、わたしと亜QさんとCさんも、一緒に行った。
(本妙寺 本因坊家の墓)
いまは冥福を祈るのみ。合掌。
さて指導碁のあとMパパと対局。二子を置く。パパといっても大学を卒業したばかりの青年。
黒4は当然ハネだが、なぜか急に図の黒4がいい手に思えた。悪魔の誘惑だ。あとは地獄へ一直線。2目とられ、後手をひき、ここですでに二子の有利さが消えている。これからの勝負とはいえ、もともと三子の棋力差があるのだ。ここで勝負がついてしまった。
この後は打ってみたにすぎない。m(__)m。
水間さんと小林健二さんが名人戦の解説。
右の数字のない黒石、69手目を打ったところ。
その前の白68で、これでは一団の白が生きていないから、苦労したので、1路右に打ったらどうか。という質問が出た。
水間さんは「それは立派な手です。普通はそう打ちますが、実戦では打ちにくい。こう白68と打ちたくなります」と言い、健二さんも賛同した。
これが半目を争うプロの感覚らしい。すんなり生きたら1目得。この時点で明らかに1目損な手は打ちにくい。
白38がこの碁の岐路になるらしく、いろいろ意見が出たが、この説明はわたしの手に余る。
囲碁界の宝
06.8.8記
8/5の千寿会は、新しい人の出席が多く、半分は名前をまだ覚えていない人だった。なにしろわたしは耳で覚えることができないのだm(__)m。
先生は千寿さんと王唯任四段。
王唯任四段は台湾出身で1977年生れ、1997年入段、2000年四段。そして日本の大学院に学ぶ。大学院での研究論文は「情報社会と囲碁の多様性」という棋士ならではの論文。抜粋文は千寿会のHPにある。高校どころか義務教育さえ充分に受ける時間がないという院生修行の話を聞くが、その中で大学院とは貴重な存在だ。
千寿さんは「こういう論文は棋院の宝ではないか。棋院で発表して欲しい」
王唯任さんは、最近の台湾の情報を伝えてくれた。いままで韓国の異常なまでの囲碁熱は知っていたが、現在の台湾はそれ以上の囲碁熱であるという。
それから、ゲストにある囲碁ライター。碁界同様将棋界にも詳しく、いろいろ面白い話を聞けた。そして幽玄の間の紹介。その時千寿会の会員の中にわたし以外に有料会員が何人かいることを知った。
さて、わたしはAさんと初対局、二子でお願いしたが、とても無理「三子どころか四子置かないと」と言われてしまった。
おなじみのかささぎさんや亜QさんやO女史は二子しか置かせてくれない。四子と口にするあたり、かなり素直なお方と思える。うれしいではありませんか(^。^))。
8/5の千寿会は、新しい人の出席が多く、半分は名前をまだ覚えていない人だった。なにしろわたしは耳で覚えることができないのだm(__)m。
先生は千寿さんと王唯任四段。
王唯任四段は台湾出身で1977年生れ、1997年入段、2000年四段。そして日本の大学院に学ぶ。大学院での研究論文は「情報社会と囲碁の多様性」という棋士ならではの論文。抜粋文は千寿会のHPにある。高校どころか義務教育さえ充分に受ける時間がないという院生修行の話を聞くが、その中で大学院とは貴重な存在だ。
千寿さんは「こういう論文は棋院の宝ではないか。棋院で発表して欲しい」
王唯任さんは、最近の台湾の情報を伝えてくれた。いままで韓国の異常なまでの囲碁熱は知っていたが、現在の台湾はそれ以上の囲碁熱であるという。
それから、ゲストにある囲碁ライター。碁界同様将棋界にも詳しく、いろいろ面白い話を聞けた。そして幽玄の間の紹介。その時千寿会の会員の中にわたし以外に有料会員が何人かいることを知った。
さて、わたしはAさんと初対局、二子でお願いしたが、とても無理「三子どころか四子置かないと」と言われてしまった。
おなじみのかささぎさんや亜QさんやO女史は二子しか置かせてくれない。四子と口にするあたり、かなり素直なお方と思える。うれしいではありませんか(^。^))。
ヒカルの碁英語版
06.6.26記
24日は千寿会。千寿さんが出席にもかかわらず、会員の出席者は少なかった。
そこにアメリカからのゲストが一人。前に来た人の紹介で来たという。
棋力は10級というがアメリカでの話、日本では2ないし3級程度。ここでも日本のインフレが目立つ。
そのアメリカ人は最近刊行されたという「ヒカルの碁」の英語版を持参した。6巻まで。
フランス語版やドイツ語版は先行して、欧州でもブームとなっていて、もう終わるころ。英語版はかなり遅れた。
棋院の一階には中国語版があったし、韓国語でも発行されている。
この本は日本をPRする大ヒットであった。
わたしも日本語版を持っている。
英語版と日本語版を並べて読んだら英語の勉強になるかも知れないという話から、わたしが中国語版の「名人」を持っていると言ったら、千寿さんは見たいという。
買って以来、積ん読だけだった中国語「名人」に出番が来たではないか。
24日は千寿会。千寿さんが出席にもかかわらず、会員の出席者は少なかった。
そこにアメリカからのゲストが一人。前に来た人の紹介で来たという。
棋力は10級というがアメリカでの話、日本では2ないし3級程度。ここでも日本のインフレが目立つ。
そのアメリカ人は最近刊行されたという「ヒカルの碁」の英語版を持参した。6巻まで。
フランス語版やドイツ語版は先行して、欧州でもブームとなっていて、もう終わるころ。英語版はかなり遅れた。
棋院の一階には中国語版があったし、韓国語でも発行されている。
この本は日本をPRする大ヒットであった。
わたしも日本語版を持っている。
英語版と日本語版を並べて読んだら英語の勉強になるかも知れないという話から、わたしが中国語版の「名人」を持っていると言ったら、千寿さんは見たいという。
買って以来、積ん読だけだった中国語「名人」に出番が来たではないか。
駄洒落
06.5.18記
先日、千寿会の掲示板に亜Qさんが駄洒落を大披露した、それに対する拙文である。
駄のつくものでいいものは駄菓子と駄目。駄洒落は一つか二つで収めるのが奥ゆかしい。三つ以上続くと読者が嫌がりますぞ。止めさせるために前に書いたことがある拙の四文字語で千寿会の話題を。四文字語といえば聖人秀行先生の独擅場であるが、許されよ。
「千寿洋行」小林千寿師父
師父が、思わぬところで明後日の方に打ったら、「そこは小さいところなので、もっと盤上世界全体をみて、大きなところ大切なところを探しなさい」の意味である。それを文にしたのが、週間碁に連載されている師父のエッセイ、洋行の話が載っている。
「大鵲啄虫」かささぎ二哥
いつも大所高所を打つかささぎさんが、二三目のかす石を啄んだら、「勝ちました」。投了致しませう。わたしは鵲の食性を知らないので投了しませんが。
「亜及入玄」亜Q三哥
カーレースで平行して走っていると思えるのだが、いつの間にかわたしが一週遅れになっていることに気がついて愕然とする、亜Qさんはそんな碁を打つ。それは入玄と称するにふさわしい。うまいのは駄洒落ばかりではない。
「好久強酒」yosihisa四哥
酒が入っている時のyosihisaさんは、一段と強くなり手がつけられない。黒を持ったらいつもより置き石を一つ増やしませう。
「謫仙游頂」謫仙
悟りすまして、断崖の頂上で遊んでいたら、足元の階段を取り払えば勝てるとか。仙術は使えなくなっているはず。本人は自覚していないという説もある。なお、お世辞定石を覚えたようだ。
「風子泰然」風太郎少弟
形勢が悪くなっても泰然としているので、こちらが錯覚しないように気を付けるべし。最近仕事が忙しくて千寿会に出てこないが、みんなが待っている。
人を知らないと、誰も意味が判らないような文だ(^_^)。
F大哥には、おそれおおくて適当な言葉が浮かびません。
先日、千寿会の掲示板に亜Qさんが駄洒落を大披露した、それに対する拙文である。
駄のつくものでいいものは駄菓子と駄目。駄洒落は一つか二つで収めるのが奥ゆかしい。三つ以上続くと読者が嫌がりますぞ。止めさせるために前に書いたことがある拙の四文字語で千寿会の話題を。四文字語といえば聖人秀行先生の独擅場であるが、許されよ。
「千寿洋行」小林千寿師父
師父が、思わぬところで明後日の方に打ったら、「そこは小さいところなので、もっと盤上世界全体をみて、大きなところ大切なところを探しなさい」の意味である。それを文にしたのが、週間碁に連載されている師父のエッセイ、洋行の話が載っている。
「大鵲啄虫」かささぎ二哥
いつも大所高所を打つかささぎさんが、二三目のかす石を啄んだら、「勝ちました」。投了致しませう。わたしは鵲の食性を知らないので投了しませんが。
「亜及入玄」亜Q三哥
カーレースで平行して走っていると思えるのだが、いつの間にかわたしが一週遅れになっていることに気がついて愕然とする、亜Qさんはそんな碁を打つ。それは入玄と称するにふさわしい。うまいのは駄洒落ばかりではない。
「好久強酒」yosihisa四哥
酒が入っている時のyosihisaさんは、一段と強くなり手がつけられない。黒を持ったらいつもより置き石を一つ増やしませう。
「謫仙游頂」謫仙
悟りすまして、断崖の頂上で遊んでいたら、足元の階段を取り払えば勝てるとか。仙術は使えなくなっているはず。本人は自覚していないという説もある。なお、お世辞定石を覚えたようだ。
「風子泰然」風太郎少弟
形勢が悪くなっても泰然としているので、こちらが錯覚しないように気を付けるべし。最近仕事が忙しくて千寿会に出てこないが、みんなが待っている。
人を知らないと、誰も意味が判らないような文だ(^_^)。
F大哥には、おそれおおくて適当な言葉が浮かびません。
指導碁?
06.3.1記
昨日碁の本をひもといていた。布石の10手くらいは名人戦でもわたしの凡人戦でも変わらない。つまりそれだけでは名人戦か凡人戦かわたしには判らない。
2月25日の千寿会。参加者が少なく時間が来ても数人しかいない。まずかささぎさんと打ったが散々なでき。“打狗棒”は“打猫棒”にされてしまい、“降龍十八掌”は“降蛇十八掌”となるありさま。こう打てば勝てたという場面が一度もないまま終わってしまった。
そのあと、小学一年生のKちゃんと対局。
「わたしと打ちません?」と誘ったが、恥ずかしいのか返事をしない。「待っていないで、誰でもいいから、『お願いします』と言ってみなさい。言えば打ってくれるから(^_^)。」と言って、碁盤の方に戻っていたら、しばらくして、向こう側に座った。お母さんに「打ってきなさい」と言われたらしい。
三子局。Kちゃんはけっこう鋭い手を放つことを知っていたので、強さを勘違いしてしまった。特に序盤ではわたしとあまり変わらない。そこでつい強い手を打った。はっと気がついたら、黒の大石2カ所が活きていない。両方活かすことができず、小さい方を取って、大きい方を活かした。続いて四子局。ここでは余裕ができて、全部の黒石を活かすことができた。
ネット碁でもあるのだが、十級以上違う相手が、互い先の碁を申し込んでくる。序盤は堂々と打つので、わたしは棋力詐称かと思い、慎重に打っていくと、中盤で相手の石が横を向いてしまい、特にヨセは信じられないくらい拙い。だから十級以上違うのだが、序盤にそれが見抜けないため、必要以上に強い手を打ってしまう。それと同じことが、Kちゃんとの対局であったわけだ。
このあと、亜QさんとKちゃんの対局を見たら、亜Qさんが手を抜くと、Kちゃんは確実にそこをついてくる。そういうところはけっこう手が見えるらしい。この先どこまで伸びるか。
この日のゲストはルーマニアのバリー君・ハンガリーのチャバ君・囲碁ライターの本間さん。
このあと、千寿先生の案内で、日本棋院の近くの中華料理店で夕食。話が弾みました。
昨日碁の本をひもといていた。布石の10手くらいは名人戦でもわたしの凡人戦でも変わらない。つまりそれだけでは名人戦か凡人戦かわたしには判らない。
2月25日の千寿会。参加者が少なく時間が来ても数人しかいない。まずかささぎさんと打ったが散々なでき。“打狗棒”は“打猫棒”にされてしまい、“降龍十八掌”は“降蛇十八掌”となるありさま。こう打てば勝てたという場面が一度もないまま終わってしまった。
そのあと、小学一年生のKちゃんと対局。
「わたしと打ちません?」と誘ったが、恥ずかしいのか返事をしない。「待っていないで、誰でもいいから、『お願いします』と言ってみなさい。言えば打ってくれるから(^_^)。」と言って、碁盤の方に戻っていたら、しばらくして、向こう側に座った。お母さんに「打ってきなさい」と言われたらしい。
三子局。Kちゃんはけっこう鋭い手を放つことを知っていたので、強さを勘違いしてしまった。特に序盤ではわたしとあまり変わらない。そこでつい強い手を打った。はっと気がついたら、黒の大石2カ所が活きていない。両方活かすことができず、小さい方を取って、大きい方を活かした。続いて四子局。ここでは余裕ができて、全部の黒石を活かすことができた。
ネット碁でもあるのだが、十級以上違う相手が、互い先の碁を申し込んでくる。序盤は堂々と打つので、わたしは棋力詐称かと思い、慎重に打っていくと、中盤で相手の石が横を向いてしまい、特にヨセは信じられないくらい拙い。だから十級以上違うのだが、序盤にそれが見抜けないため、必要以上に強い手を打ってしまう。それと同じことが、Kちゃんとの対局であったわけだ。
このあと、亜QさんとKちゃんの対局を見たら、亜Qさんが手を抜くと、Kちゃんは確実にそこをついてくる。そういうところはけっこう手が見えるらしい。この先どこまで伸びるか。
この日のゲストはルーマニアのバリー君・ハンガリーのチャバ君・囲碁ライターの本間さん。
このあと、千寿先生の案内で、日本棋院の近くの中華料理店で夕食。話が弾みました。
恩返し
06.2.11記
今年二回目の千寿会である。指導棋士は釼持丈七段と千寿先生。
わたしは千寿先生に小目4子局の指導碁をお願いした。考えて見ると去年の「週刊誌の碁」以来であり、その時できなかった小目の碁を打ってみたのだ。これはうまく打てたようで勝たせて頂いた。
その後、会員と2局打って休んでいたら、かささぎさんが手空きだった。
「一手ご指南願いたい」
かささぎさんにはわたしが二子置くのである。しかし何度も打ったが勝ったことがない。
あるときは眼を潰され、あるときは手足をもぎ取られ、こちらがようやくしっぽを取っているうちに首を取られたり、さんざん煮え湯を飲まされ浴びせられているという大恩がある。何とかして恩を返したい。
「貴殿にはさる年に瀕死の重傷を負わせられた恩がある。今日は是非恩返しをしたい」
江湖の仁義を切って、二子局を始めたのであるが、中盤で大石を取られてしまった。ところがこれで白は読みが甘くなったらしい。またもや黒の急所の石を取られそうになったとき、“打狗棒”で足をはらうと、身軽に避けられたが、一路着地を間違えたため、黒はその石を連れ戻すことができた。そうなると白は眼形が乏しく、黒はここで必死の“降龍十八掌”を繰り出して中央に向かい、白の大石を取るか死んでいた黒石を生き返らすか、ということになった。
結局黒の大石を生き返らせて、ついに恩返しができたのだ。
今年二回目の千寿会である。指導棋士は釼持丈七段と千寿先生。
わたしは千寿先生に小目4子局の指導碁をお願いした。考えて見ると去年の「週刊誌の碁」以来であり、その時できなかった小目の碁を打ってみたのだ。これはうまく打てたようで勝たせて頂いた。
その後、会員と2局打って休んでいたら、かささぎさんが手空きだった。
「一手ご指南願いたい」
かささぎさんにはわたしが二子置くのである。しかし何度も打ったが勝ったことがない。
あるときは眼を潰され、あるときは手足をもぎ取られ、こちらがようやくしっぽを取っているうちに首を取られたり、さんざん煮え湯を飲まされ浴びせられているという大恩がある。何とかして恩を返したい。
「貴殿にはさる年に瀕死の重傷を負わせられた恩がある。今日は是非恩返しをしたい」
江湖の仁義を切って、二子局を始めたのであるが、中盤で大石を取られてしまった。ところがこれで白は読みが甘くなったらしい。またもや黒の急所の石を取られそうになったとき、“打狗棒”で足をはらうと、身軽に避けられたが、一路着地を間違えたため、黒はその石を連れ戻すことができた。そうなると白は眼形が乏しく、黒はここで必死の“降龍十八掌”を繰り出して中央に向かい、白の大石を取るか死んでいた黒石を生き返らすか、ということになった。
結局黒の大石を生き返らせて、ついに恩返しができたのだ。
打ち初め
06.1.8記
今年の正月は珍しく家にいた。例年は旅行している。去年は京都のホテルで正月を過ごしたのだ。
今年は元旦早々、近所の碁会所に出かけた。元日なので席亭は酒やビールをふるまう。わたしは飲まないが、人によっては酒を飲みながらの碁会となる。
昨日は今年初めての千寿会だ。人数は少なめであったが、新しい参加者もいた。そして最近常連となった小学一年生の女の子。
わたしはこの二つの碁会では明らかに碁(の内容)が違う。
碁会所ではその日9局打った。ここは点数制なので打ち分けるのが普通。ところが、千寿会では、同じ時間で3局。これだけでも全く碁の内容が違ってしまう。その女の子の碁は早い。盤面を見た瞬間に碁石を掴み、間髪を入れず打つ。それで碁の内容は5級程度か。もし対局したとすれば、考えながら打てば勝てるが、あの速さに付き合っていたら負けるだろう。
碁会所の碁はそれに似る。深く考えずに一つの方向を目指して打っていく。相手もそうなのでそこでバランスはとれている。子供の碁を見るとそのことをあらためて感じる。
スイスのD君が正月に帰国した。去年の最後の千寿会で、「いろいろあったが、明友会や千寿会の皆さんとの交流が一番よかった」という言葉を残した。
本人は日本に住みたいらしい。昨日の二次会は6人だったがそこでその話が出た。だが全員の意見は否定的。今までお客様扱いでいろいろいい思いをしたが、日本に住むとそれがなくなる。生活に追われることになろう。ただD君の語学の才は認める。フランス語・英語・日本語を自由に操るのはかなりのもの。それを利用する職に就いたらよいのではないかと。
もっとも仕事即ち報酬のレベルを下げればいけそうな気がするが、どうだろう。それにしても、人生のスタートから外国生活を考えられる逞しさは特筆。
わたしはこの二次会で、世界を飛び回っている人の話を聞くのが楽しみなのだ。ある人はフランスで強盗に遭ったとか。ある人はアメリカのある学会で、一時間の講演でン十万円もらったとか。ある人は台湾で生活していたことがあるが、メイド付きだったとか。思わぬ話がいろいろある。
今年の正月は珍しく家にいた。例年は旅行している。去年は京都のホテルで正月を過ごしたのだ。
今年は元旦早々、近所の碁会所に出かけた。元日なので席亭は酒やビールをふるまう。わたしは飲まないが、人によっては酒を飲みながらの碁会となる。
昨日は今年初めての千寿会だ。人数は少なめであったが、新しい参加者もいた。そして最近常連となった小学一年生の女の子。
わたしはこの二つの碁会では明らかに碁(の内容)が違う。
碁会所ではその日9局打った。ここは点数制なので打ち分けるのが普通。ところが、千寿会では、同じ時間で3局。これだけでも全く碁の内容が違ってしまう。その女の子の碁は早い。盤面を見た瞬間に碁石を掴み、間髪を入れず打つ。それで碁の内容は5級程度か。もし対局したとすれば、考えながら打てば勝てるが、あの速さに付き合っていたら負けるだろう。
碁会所の碁はそれに似る。深く考えずに一つの方向を目指して打っていく。相手もそうなのでそこでバランスはとれている。子供の碁を見るとそのことをあらためて感じる。
スイスのD君が正月に帰国した。去年の最後の千寿会で、「いろいろあったが、明友会や千寿会の皆さんとの交流が一番よかった」という言葉を残した。
本人は日本に住みたいらしい。昨日の二次会は6人だったがそこでその話が出た。だが全員の意見は否定的。今までお客様扱いでいろいろいい思いをしたが、日本に住むとそれがなくなる。生活に追われることになろう。ただD君の語学の才は認める。フランス語・英語・日本語を自由に操るのはかなりのもの。それを利用する職に就いたらよいのではないかと。
もっとも仕事即ち報酬のレベルを下げればいけそうな気がするが、どうだろう。それにしても、人生のスタートから外国生活を考えられる逞しさは特筆。
わたしはこの二次会で、世界を飛び回っている人の話を聞くのが楽しみなのだ。ある人はフランスで強盗に遭ったとか。ある人はアメリカのある学会で、一時間の講演でン十万円もらったとか。ある人は台湾で生活していたことがあるが、メイド付きだったとか。思わぬ話がいろいろある。
2007年03月03日
小学一年生
05.9.4記
昨日は久しぶりの千寿会。ゲストが多かったこと。特筆は、二人の女の子。お母さんも付き添いで来ていた。Aちゃんは9歳、碁を始めて4ヶ月、もう初段である。Bちゃんは小学一年生、1級である。紹介されたとき、並み居る高段者に感嘆の声がもれる。二人とも手つきはもうプロ並み。試みに千寿さんはある手筋の問題を示した。Bちゃんは見た瞬間に答えを出した。千寿さんはいう。
「この問題を考えていたら高段者でも時間がかかる。五段でも解けない人がいますよ。それが、子供の時にプロの碁に囲まれていると、見ただけで答えが判るんです」
二人ともプロになりたいと言っていた。
スイスの青年D君。大学で日本文学を学び、けっこう難しい言葉も知っている。スイスで5級、これが日本では二段程度。日本のインフレを改めて感じる。この青年は前に会っているが、その時は打つ機会がなく、今回改めてわたしと対局した。中押しで勝ったので、ヨセは判らないが、序盤は互角、中盤の石が込み入ってきた時に読みにミスがあるようだった。
千寿さんは「まだ5年、対局経験が少ないからでしょう」
千寿さんは、またこれから一ヶ月半、スイスのチューリッヒに滞在。時間のある人はどうぞ、というが、スイスではねえ(^_^)。実はわたしは行きたいのだが、一人ではとても行けない。行くとなればツアーだが、それでは、ゆっくり碁を打っていることはできないし…。
09年:あとから言えるが、ABともかなり水増しされている。実力は7級くらいか。碁の形ができていない。ただ、詰め碁が強いので、戦い方さえ憶えれば強くなれそうに思えた。半年後には初段程度に強くなっていた。いまでも続けているのだろうか。
昨日は久しぶりの千寿会。ゲストが多かったこと。特筆は、二人の女の子。お母さんも付き添いで来ていた。Aちゃんは9歳、碁を始めて4ヶ月、もう初段である。Bちゃんは小学一年生、1級である。紹介されたとき、並み居る高段者に感嘆の声がもれる。二人とも手つきはもうプロ並み。試みに千寿さんはある手筋の問題を示した。Bちゃんは見た瞬間に答えを出した。千寿さんはいう。
「この問題を考えていたら高段者でも時間がかかる。五段でも解けない人がいますよ。それが、子供の時にプロの碁に囲まれていると、見ただけで答えが判るんです」
二人ともプロになりたいと言っていた。
スイスの青年D君。大学で日本文学を学び、けっこう難しい言葉も知っている。スイスで5級、これが日本では二段程度。日本のインフレを改めて感じる。この青年は前に会っているが、その時は打つ機会がなく、今回改めてわたしと対局した。中押しで勝ったので、ヨセは判らないが、序盤は互角、中盤の石が込み入ってきた時に読みにミスがあるようだった。
千寿さんは「まだ5年、対局経験が少ないからでしょう」
千寿さんは、またこれから一ヶ月半、スイスのチューリッヒに滞在。時間のある人はどうぞ、というが、スイスではねえ(^_^)。実はわたしは行きたいのだが、一人ではとても行けない。行くとなればツアーだが、それでは、ゆっくり碁を打っていることはできないし…。
09年:あとから言えるが、ABともかなり水増しされている。実力は7級くらいか。碁の形ができていない。ただ、詰め碁が強いので、戦い方さえ憶えれば強くなれそうに思えた。半年後には初段程度に強くなっていた。いまでも続けているのだろうか。
地震
05.7.24記
千寿会は、受付のHちゃんが休み、代わりに風太郎君がいた。久しぶり。そしてゲストにMさん、久しぶりだ。就職が決まったという報告。更に久しぶりに、本因坊夫人Nちゃんの顔も。結婚前の両親は碁界のことを知らず、毎日日本棋院に勤めに出るのだと思っていたよし。
しかもプロの先生が千寿さんの他二人。千寿さんが多少混乱して二人依頼したらしい。プロ棋士3人も久しぶりだな。
そして強烈な地震。千葉では震度5弱。去年湯沢での千寿会で体験した地震の震度も5弱。もっとも今回の銀座の震えは、地下だったせいかさほどではなかったので、湯沢の時ほどの深刻さはない。音を消したテレビでは、電車が軒並み止まってしまったというニュース。そのニュースの中で、千寿さんは、「去年の湯沢では、二食付きで碁会の場所をかりて一泊し、宿泊代は無料になってしまった。そのお礼も兼ねて、東京の同ホテルで碁会を開こう」という。8月の最期の日曜日を予定。
「湯沢に行くより安くします」
そのうち電車も動くだろうと、いつものごとく二次会。マグロとカンパチの食べ放題というメニュー。カンパチはうまいが、量を食べると飽きますな。
今朝の新聞では、あちこちで震度5を観測したという。だがわたしの受けた感じは湯沢の震度5と比べるとかなり弱かった。土曜日の昼間という幸運もあって、被害は少なかったらしい。会場は、ビルの地下であったので、それで揺れが少なかったかもしれない。上の方のゆれとは異なる。
千寿会は、受付のHちゃんが休み、代わりに風太郎君がいた。久しぶり。そしてゲストにMさん、久しぶりだ。就職が決まったという報告。更に久しぶりに、本因坊夫人Nちゃんの顔も。結婚前の両親は碁界のことを知らず、毎日日本棋院に勤めに出るのだと思っていたよし。
しかもプロの先生が千寿さんの他二人。千寿さんが多少混乱して二人依頼したらしい。プロ棋士3人も久しぶりだな。
そして強烈な地震。千葉では震度5弱。去年湯沢での千寿会で体験した地震の震度も5弱。もっとも今回の銀座の震えは、地下だったせいかさほどではなかったので、湯沢の時ほどの深刻さはない。音を消したテレビでは、電車が軒並み止まってしまったというニュース。そのニュースの中で、千寿さんは、「去年の湯沢では、二食付きで碁会の場所をかりて一泊し、宿泊代は無料になってしまった。そのお礼も兼ねて、東京の同ホテルで碁会を開こう」という。8月の最期の日曜日を予定。
「湯沢に行くより安くします」
そのうち電車も動くだろうと、いつものごとく二次会。マグロとカンパチの食べ放題というメニュー。カンパチはうまいが、量を食べると飽きますな。
今朝の新聞では、あちこちで震度5を観測したという。だがわたしの受けた感じは湯沢の震度5と比べるとかなり弱かった。土曜日の昼間という幸運もあって、被害は少なかったらしい。会場は、ビルの地下であったので、それで揺れが少なかったかもしれない。上の方のゆれとは異なる。
週刊誌の碁
05.6.29記
某週刊誌で、女流棋士の指導碁を掲載している。今回は小林千寿先生の番なのだが、帰国早々で、相手が決まっていない。そこで、相手にわたしを指名、いや打診があった。結局、わたしが引き受けることに決まり、今日の対局となった。場所は数寄屋橋囲碁クラブ、いつもの千寿会の場所だ。例会は日本棋院のようだが、決まっているわけではない。
銀座の駅の階段を上るとき、なんとなく腰が重い。力が入らない。対局場には千寿先生と、週刊誌の担当者、間もなくカメラマンと観戦記者の松浦さんが到着。
時間になって、松浦さんのインタビューを受ける。話の中心は棋歴だが、わたしが千寿さんを初めて見た時の話、それから千寿さんを含めてホームページの話などしているうちに、緊張感が融けて、いつもの状態になった。
わたしが小目の四子局はどうでしょうと言ってみたが、担当者はNO。星の四子局で対局開始。今日は何とか形になった。ホッ。
千寿先生との四子局、もちろんまともでは勝てる相手ではない。万一、序盤でつぶれてしまっては誌面がメチャクチャだ。しかも、わたしはよくあるのだ。棋風の問題でもある。プレッシャーは大きい。つぶされなかった。二三、ほめられたのでよしとしよう(つまり負けました)。
対局後、千寿さんに解説をして頂くのだが、この時つくづく思ったのは、わたしの碁は思考の碁であって、記憶の碁ではないということ。
大役を何とか済ませたという気分です。
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某週刊誌で、女流棋士の指導碁を掲載している。今回は小林千寿先生の番なのだが、帰国早々で、相手が決まっていない。そこで、相手にわたしを指名、いや打診があった。結局、わたしが引き受けることに決まり、今日の対局となった。場所は数寄屋橋囲碁クラブ、いつもの千寿会の場所だ。例会は日本棋院のようだが、決まっているわけではない。
銀座の駅の階段を上るとき、なんとなく腰が重い。力が入らない。対局場には千寿先生と、週刊誌の担当者、間もなくカメラマンと観戦記者の松浦さんが到着。
時間になって、松浦さんのインタビューを受ける。話の中心は棋歴だが、わたしが千寿さんを初めて見た時の話、それから千寿さんを含めてホームページの話などしているうちに、緊張感が融けて、いつもの状態になった。
わたしが小目の四子局はどうでしょうと言ってみたが、担当者はNO。星の四子局で対局開始。今日は何とか形になった。ホッ。
千寿先生との四子局、もちろんまともでは勝てる相手ではない。万一、序盤でつぶれてしまっては誌面がメチャクチャだ。しかも、わたしはよくあるのだ。棋風の問題でもある。プレッシャーは大きい。つぶされなかった。二三、ほめられたのでよしとしよう(つまり負けました)。
対局後、千寿さんに解説をして頂くのだが、この時つくづく思ったのは、わたしの碁は思考の碁であって、記憶の碁ではないということ。
大役を何とか済ませたという気分です。
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学生の棋力
05.6.25記
昨日は千寿会、久しぶりに千寿先生にも会えた。三ヶ月ほど欧州に滞在したことになろう。千寿先生ばかりでなく、風太郎君も休暇をとって駆けつけ、ゲストの女子大生も6人。「女子大生を、よりどりみどり」であった(女子大生を紹介した風太郎君が言ったのであって、わたしが言ったのではないよ)。
某東大生とは、わたしの二子でわたしが大きく勝ったので、その後輩(同じ棋力という)とは黒を持って対局した。これは持碁(引き分け)。
風太郎君と初めて対局したとき、初段というので、わたしが白で打った。その碁は負けて、次には黒で対局。それも入らず。
昨年、Mさんが後輩を連れてきて、「ようやく初段になりました」と言う。碁は明らかにその初段氏の方がわたしより上。わたしの白では歯が立たなかった。
そんなわけで、学生の段は一般より三段ほど辛い。そのことが頭にあり、今回の手合いを決めたのであるが、わたしが黒か握りで、ちょうどだったのかも知れない。学生の自己申告は、判断が難しい。学生段か、世間にあわせた段なのか。ちょっと話をしてみないと判らない。もっとも、そんなことは一局打って見れば判るのだが、二局目がなかなかないので。
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昨日は千寿会、久しぶりに千寿先生にも会えた。三ヶ月ほど欧州に滞在したことになろう。千寿先生ばかりでなく、風太郎君も休暇をとって駆けつけ、ゲストの女子大生も6人。「女子大生を、よりどりみどり」であった(女子大生を紹介した風太郎君が言ったのであって、わたしが言ったのではないよ)。
某東大生とは、わたしの二子でわたしが大きく勝ったので、その後輩(同じ棋力という)とは黒を持って対局した。これは持碁(引き分け)。
風太郎君と初めて対局したとき、初段というので、わたしが白で打った。その碁は負けて、次には黒で対局。それも入らず。
昨年、Mさんが後輩を連れてきて、「ようやく初段になりました」と言う。碁は明らかにその初段氏の方がわたしより上。わたしの白では歯が立たなかった。
そんなわけで、学生の段は一般より三段ほど辛い。そのことが頭にあり、今回の手合いを決めたのであるが、わたしが黒か握りで、ちょうどだったのかも知れない。学生の自己申告は、判断が難しい。学生段か、世間にあわせた段なのか。ちょっと話をしてみないと判らない。もっとも、そんなことは一局打って見れば判るのだが、二局目がなかなかないので。
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水間師読み違う
05.6.5記
昨日、6月4日の千寿会、千寿先生はまだ帰国せず、健二先生と水間先生が指導。
最近、院生は土曜日も研修があって来ないことが多く、風太郎君が仕事の都合で来られないため、ゲストの女子大生も来なくて、おまけに千寿先生もずっとヨーロッパに滞在中で、出席者が少ない。それでも昨日は久しぶりに多かった。
このところ、対局のあとの千寿先生の講座の代わりに、二チームに分かれて連碁をしている。相変わらず、わたし一人が愚手を連発していて、負けてしまった。
そして二次会。篠つく雨の中を近くの「北の家族」へ。そこで、座興で水間先生に我々の棋力を評価してもらう。
「Aさんは、三手先をきちんと読みなさい」
Aさんはメンバーの中で一番強い人なのだ。遠慮はしない。
「Bさんは、優しすぎる。相手が手を抜いたりしたら、きちんととがめなさい」
これは棋風であろう。
「Cさんには、ここ2連敗、たいしたもの、いうことなしです」
Cさんには、わたしは二子で、勝てそうで決して勝てないのだ。
「Dさんは、打ったことありませんが、なかなかしっかり打っていますよ」
連碁の手に対する感想である。
「謫仙さんは、序盤で間違えてしまったので今日は仕方ないですよね。本当はもっと力があるんでしょうが、ムニャムシャ」
と慰めのお言葉。
いたずら心で、水間師に問う。
「わたしが、Dさんには何目ぐらい置いて打っていると思いますか」
「4目くらいでしょう」
Dさんが言った。「わたしの方が黒ですよ」
今まで、三局打ったが、握りでわたしの黒、白・白で三連勝なのだ。この時の水間先生の驚いた顔。
許されよDさん。決して棋力が劣るわけではないものを。
昨日、6月4日の千寿会、千寿先生はまだ帰国せず、健二先生と水間先生が指導。
最近、院生は土曜日も研修があって来ないことが多く、風太郎君が仕事の都合で来られないため、ゲストの女子大生も来なくて、おまけに千寿先生もずっとヨーロッパに滞在中で、出席者が少ない。それでも昨日は久しぶりに多かった。
このところ、対局のあとの千寿先生の講座の代わりに、二チームに分かれて連碁をしている。相変わらず、わたし一人が愚手を連発していて、負けてしまった。
そして二次会。篠つく雨の中を近くの「北の家族」へ。そこで、座興で水間先生に我々の棋力を評価してもらう。
「Aさんは、三手先をきちんと読みなさい」
Aさんはメンバーの中で一番強い人なのだ。遠慮はしない。
「Bさんは、優しすぎる。相手が手を抜いたりしたら、きちんととがめなさい」
これは棋風であろう。
「Cさんには、ここ2連敗、たいしたもの、いうことなしです」
Cさんには、わたしは二子で、勝てそうで決して勝てないのだ。
「Dさんは、打ったことありませんが、なかなかしっかり打っていますよ」
連碁の手に対する感想である。
「謫仙さんは、序盤で間違えてしまったので今日は仕方ないですよね。本当はもっと力があるんでしょうが、ムニャムシャ」
と慰めのお言葉。
いたずら心で、水間師に問う。
「わたしが、Dさんには何目ぐらい置いて打っていると思いますか」
「4目くらいでしょう」
Dさんが言った。「わたしの方が黒ですよ」
今まで、三局打ったが、握りでわたしの黒、白・白で三連勝なのだ。この時の水間先生の驚いた顔。
許されよDさん。決して棋力が劣るわけではないものを。
加藤先生の訃報
05.1.10記
「災」の年の最後の日、夕方朝刊を読んでいたら、加藤日本棋院理事長の死去のニュースがあった。脳梗塞と合併症という。
12/15にmichiyoさんが書き込みしてくれていたが、そんなに悪かったのか。今年の千寿会の新年会に出席してくれて、そのあと、新宿の加藤先生のなじみのお店に案内してくれた。その店はスナックなのに碁盤まで用意している。ある人は対局し、ある人は加藤先生の話を聞く。
「光ちゃん(小林光一)が対局していたときカトマンズと言った」
こんな親父ギャグをいくつか披露して、座を湧かせた。
わたしが、「高川先生の本ばかり見ていたので、棋風にその傾向がある」と言ったところ、「自分にあった棋士を見つけて、真似をするのはなかなかいい上達方法ですよ」と言っていた。
そのときの様子を亜Qさんが詳しく書いているので、興味のある方はどうぞ。
http://members8.tsukaeru.net/senjukai/Zakki/Boyaki.html
加藤先生の写真も載っています。
帰りはエレベーターまで送ってくれた。
本因坊4期、名人2期、十段7期、王座11期など、輝かしい経歴の持ち主。57歳。理事長の要職にありながら現役。
財政悪化の棋院の立て直しに尽力していた。千寿先生も、協力していたことを聞いている。無念なり。合掌。
「災」の年の最後の日、夕方朝刊を読んでいたら、加藤日本棋院理事長の死去のニュースがあった。脳梗塞と合併症という。
12/15にmichiyoさんが書き込みしてくれていたが、そんなに悪かったのか。今年の千寿会の新年会に出席してくれて、そのあと、新宿の加藤先生のなじみのお店に案内してくれた。その店はスナックなのに碁盤まで用意している。ある人は対局し、ある人は加藤先生の話を聞く。
「光ちゃん(小林光一)が対局していたときカトマンズと言った」
こんな親父ギャグをいくつか披露して、座を湧かせた。
わたしが、「高川先生の本ばかり見ていたので、棋風にその傾向がある」と言ったところ、「自分にあった棋士を見つけて、真似をするのはなかなかいい上達方法ですよ」と言っていた。
そのときの様子を亜Qさんが詳しく書いているので、興味のある方はどうぞ。
http://members8.tsukaeru.net/senjukai/Zakki/Boyaki.html
加藤先生の写真も載っています。
帰りはエレベーターまで送ってくれた。
本因坊4期、名人2期、十段7期、王座11期など、輝かしい経歴の持ち主。57歳。理事長の要職にありながら現役。
財政悪化の棋院の立て直しに尽力していた。千寿先生も、協力していたことを聞いている。無念なり。合掌。
2007年03月02日
越後湯沢の千寿会
04.11.1記
10月23日は越後湯沢で千寿会を開いた。この日、あの「新潟中越地震」があった。震源地はすぐ近くだ。地震の様子は、「山荘筆記−新潟県中越地震」に書きましたので、そちらを参照して下さい。こちらにはそれ以外の話を。
当日、午後一時に現地集合であった。わたしは七時東京発新幹線で出たので、八時半過ぎに湯沢に着いた。国境の長いトンネルを抜けると、そこは雨だった。予定はケーブルで近くの山に登って、山上を一周(約三時間)するはずだったが、雨では取りやめ。近くの「民俗資料館−雪国館」へ行く。一時間後も雨は降り止まず、予定を変えて、近くの秋葉山に登る。上下一時間半。わたしの体力ではこのあたりが適当か。
会場に行くと、すぐに碁会の部屋に案内されたが、荷物だけあって、誰もいない。盤石の用意をしていると、人が集まりだした。盤石は、かささぎさんが棋院から借りて、自動車で運んだのだった。
先生は千寿さんと健二さん。
わたしは最初は濱野さんと対局した。棋力はほぼ拮抗しているのだが、どういうわけかわたしがほとんど勝つ。相性の善し悪しってあるものですね。
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10月23日は越後湯沢で千寿会を開いた。この日、あの「新潟中越地震」があった。震源地はすぐ近くだ。地震の様子は、「山荘筆記−新潟県中越地震」に書きましたので、そちらを参照して下さい。こちらにはそれ以外の話を。
当日、午後一時に現地集合であった。わたしは七時東京発新幹線で出たので、八時半過ぎに湯沢に着いた。国境の長いトンネルを抜けると、そこは雨だった。予定はケーブルで近くの山に登って、山上を一周(約三時間)するはずだったが、雨では取りやめ。近くの「民俗資料館−雪国館」へ行く。一時間後も雨は降り止まず、予定を変えて、近くの秋葉山に登る。上下一時間半。わたしの体力ではこのあたりが適当か。
会場に行くと、すぐに碁会の部屋に案内されたが、荷物だけあって、誰もいない。盤石の用意をしていると、人が集まりだした。盤石は、かささぎさんが棋院から借りて、自動車で運んだのだった。
先生は千寿さんと健二さん。
わたしは最初は濱野さんと対局した。棋力はほぼ拮抗しているのだが、どういうわけかわたしがほとんど勝つ。相性の善し悪しってあるものですね。
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学生恐るべし
04.9.20
昨日の千寿会は、千寿先生は洋行でお休み。健二先生と王先生が指導。
R大学囲碁部キャプテンのMさんが、後輩を二人連れてきた。
Mさんは、大学二年になると女子ながら囲碁部のキャプテンになったが、そのときは部員が二人しかいなかったという。それが一年半で十数人になり、女子も四人いてそのうちの一人は初段になったと、うれしそうに語っていたのを覚えている。つれてきたのはその初段子であった。
わたしと対局することになった。初めてなので、二子を置かせた。けっこう根を詰めて考える人であった。わたしは早打ちだが、それでも相手に合わせて考える。久しぶりに一局でくたびれてしまうほど考えた。となりでは三局目に入る頃、こちらは大ヨセが近づく。そのあたりでわたしは投了した。敗勢だったので、勝負手を打ったが不発に終わったのだ。そのあと感想戦になったが、わたしが懸念していたところなど、すべて知っていて、ただ、「読み切れなかったので、取りかけに行かなかった」という。二子の碁ではなかった。互い先であろう。碁を覚えて一年半でここまで。プロ棋士も驚く成長ぶりだ。
学生の段級位は世間の常識より二三子強いことは知っていたが、それを身をもって知ったのである。
もと院生のMさんの指導力と、本人の努力のたまものと言っておこう。
昨日の千寿会は、千寿先生は洋行でお休み。健二先生と王先生が指導。
R大学囲碁部キャプテンのMさんが、後輩を二人連れてきた。
Mさんは、大学二年になると女子ながら囲碁部のキャプテンになったが、そのときは部員が二人しかいなかったという。それが一年半で十数人になり、女子も四人いてそのうちの一人は初段になったと、うれしそうに語っていたのを覚えている。つれてきたのはその初段子であった。
わたしと対局することになった。初めてなので、二子を置かせた。けっこう根を詰めて考える人であった。わたしは早打ちだが、それでも相手に合わせて考える。久しぶりに一局でくたびれてしまうほど考えた。となりでは三局目に入る頃、こちらは大ヨセが近づく。そのあたりでわたしは投了した。敗勢だったので、勝負手を打ったが不発に終わったのだ。そのあと感想戦になったが、わたしが懸念していたところなど、すべて知っていて、ただ、「読み切れなかったので、取りかけに行かなかった」という。二子の碁ではなかった。互い先であろう。碁を覚えて一年半でここまで。プロ棋士も驚く成長ぶりだ。
学生の段級位は世間の常識より二三子強いことは知っていたが、それを身をもって知ったのである。
もと院生のMさんの指導力と、本人の努力のたまものと言っておこう。
日本語と碁
04.9.7記
昨日は久しぶりに千寿会に出た。例年、千寿先生は、夏は子供の指導中心になるため、八月は一回だけだ。それも越後湯沢での合宿を計画していた。それが千寿先生がフランスで足を骨折したため中止になった。代わりにいつものように数寄屋橋での例会。
わたしは湯沢の会に合わせて休みを取っていたので、山形旅行をして、その例会は休んだ。今回一月半ぶり。
前回は濱野さんと打って打ち掛けで終わったので、今日は再戦。一勝一敗。(濱野先生は日本出版美術家連盟会長であり、無名ではないので、匿名にしません)
講義のとき、千寿先生が、日本語の良さという話をしたのでびっくり。日本語の考え方と碁の考え方が合っているのではないかと。
YES NOばかりではない、いい加減さがいい。いい加減とは本来いい意味ではないか。ちょくちょく欧米に指導に出かけている棋士ならではの発言であった。
続いて中国や韓国ではどうか、なんて話になって、いきなり「謫仙さんどうですか」と話をふる。訊かれても、わたしの中国語の理解程度では、判りませんって。
こういう話は、参考程度に聞くべきであろう。根本はそんなことではないことを皆知っているのだから。
たとえば、見返り。つまり収入だ。中国ではトップ棋士になると、長者になれる。英雄になれる。ある中国人が、日本に来て驚いたこととしてこう言った。
「オリンピックでメダルを取った人が普通の生活をしている。働いている」
これが中国人には信じられないことなのであった。
濱野さんと話をしたとき文壇碁の話が出た。江崎誠致さんの文に、「濱野は小林千寿三段に教わっていて腕を上げたという」なんて文が出てくる。それを思い出した。
その後、絵の話になり、
「絵は個性が大切だ。素人でもわたしよりうまい絵を描く人はいくらでもいる。しかし個性がなくては売れはしない」
碁でも、独りよがりにならないように気をつけての話だが、個性のある碁を打ちたいものだ。
昨日は久しぶりに千寿会に出た。例年、千寿先生は、夏は子供の指導中心になるため、八月は一回だけだ。それも越後湯沢での合宿を計画していた。それが千寿先生がフランスで足を骨折したため中止になった。代わりにいつものように数寄屋橋での例会。
わたしは湯沢の会に合わせて休みを取っていたので、山形旅行をして、その例会は休んだ。今回一月半ぶり。
前回は濱野さんと打って打ち掛けで終わったので、今日は再戦。一勝一敗。(濱野先生は日本出版美術家連盟会長であり、無名ではないので、匿名にしません)
講義のとき、千寿先生が、日本語の良さという話をしたのでびっくり。日本語の考え方と碁の考え方が合っているのではないかと。
YES NOばかりではない、いい加減さがいい。いい加減とは本来いい意味ではないか。ちょくちょく欧米に指導に出かけている棋士ならではの発言であった。
続いて中国や韓国ではどうか、なんて話になって、いきなり「謫仙さんどうですか」と話をふる。訊かれても、わたしの中国語の理解程度では、判りませんって。
こういう話は、参考程度に聞くべきであろう。根本はそんなことではないことを皆知っているのだから。
たとえば、見返り。つまり収入だ。中国ではトップ棋士になると、長者になれる。英雄になれる。ある中国人が、日本に来て驚いたこととしてこう言った。
「オリンピックでメダルを取った人が普通の生活をしている。働いている」
これが中国人には信じられないことなのであった。
濱野さんと話をしたとき文壇碁の話が出た。江崎誠致さんの文に、「濱野は小林千寿三段に教わっていて腕を上げたという」なんて文が出てくる。それを思い出した。
その後、絵の話になり、
「絵は個性が大切だ。素人でもわたしよりうまい絵を描く人はいくらでもいる。しかし個性がなくては売れはしない」
碁でも、独りよがりにならないように気をつけての話だが、個性のある碁を打ちたいものだ。
千寿先生は文学少女だった
04.10.16
今日は千寿会。健二先生に指導碁を打っていただき、そのあと亜Qさんと自由対局。優勢と思っていたのだが、こちらの心理を見透かした勝負手を打たれ惨敗。
千寿先生も指導碁を終えて、院生二人を相手に稽古碁になっていた。
そこへわたしと亜Qさんが覗き込んで、ふとしたきっかけで、本の話になった。漱石・藤村・康成・ジイド・などの名前も出たが、本の名も多かった。あのX・Y・Z(わかりますね)だとか、本因坊殺人事件。あるいはソフィーの世界。いろいろ聞いているといろんなジャンルの本を読んでいる。
○○は?
中学生のとき
△△は?
それも中学生
Oヘンリー?
高校生
まるで尋問だ。先生の読書調査。
中学・高校時代はプロ棋士になるため寸暇を惜しんでいたはず。そのときこれほど本を読んでいたとは。最近ではハリポタ。わたしが読んだ話をするとびっくりしていた。そこで翻訳の話になる。
「先生は原語で読んでいるのですか」
「小説は難しくてとても」
さすが英語自在の先生も、小説は翻訳であった。
で、先生は本の話に夢中になって、稽古碁でとんでもない錯覚をしていた。なんとか攻め合いに持ち込んだものの、結局一手負け。投了することに。
講座ではヨーロッパの指導旅行の話。
碁を知らない少年が「ヒカルの碁」を読んでいる。その本は日本の街の看板がドイツ語になっていて、なんかへんだったとか。ドイツでも学校から帰ると塾にやらされる。今回行ったところは比較的貧しいところで、子供たちは塾に行くことが少ない。そこで、現地の有志が碁を教えると、成長が早く、1年ほどで二段(日本では四段に等しい)になった子もいる。
ある子をさして、「she……」と言ったところ、「he…」と直されて、美少女だと思ったのが男の子だったとか。
相変わらず、話題の豊富な千寿先生でした。来週は、千寿先生・健二先生と越後湯沢で碁会です。
今日は千寿会。健二先生に指導碁を打っていただき、そのあと亜Qさんと自由対局。優勢と思っていたのだが、こちらの心理を見透かした勝負手を打たれ惨敗。
千寿先生も指導碁を終えて、院生二人を相手に稽古碁になっていた。
そこへわたしと亜Qさんが覗き込んで、ふとしたきっかけで、本の話になった。漱石・藤村・康成・ジイド・などの名前も出たが、本の名も多かった。あのX・Y・Z(わかりますね)だとか、本因坊殺人事件。あるいはソフィーの世界。いろいろ聞いているといろんなジャンルの本を読んでいる。
○○は?
中学生のとき
△△は?
それも中学生
Oヘンリー?
高校生
まるで尋問だ。先生の読書調査。
中学・高校時代はプロ棋士になるため寸暇を惜しんでいたはず。そのときこれほど本を読んでいたとは。最近ではハリポタ。わたしが読んだ話をするとびっくりしていた。そこで翻訳の話になる。
「先生は原語で読んでいるのですか」
「小説は難しくてとても」
さすが英語自在の先生も、小説は翻訳であった。
で、先生は本の話に夢中になって、稽古碁でとんでもない錯覚をしていた。なんとか攻め合いに持ち込んだものの、結局一手負け。投了することに。
講座ではヨーロッパの指導旅行の話。
碁を知らない少年が「ヒカルの碁」を読んでいる。その本は日本の街の看板がドイツ語になっていて、なんかへんだったとか。ドイツでも学校から帰ると塾にやらされる。今回行ったところは比較的貧しいところで、子供たちは塾に行くことが少ない。そこで、現地の有志が碁を教えると、成長が早く、1年ほどで二段(日本では四段に等しい)になった子もいる。
ある子をさして、「she……」と言ったところ、「he…」と直されて、美少女だと思ったのが男の子だったとか。
相変わらず、話題の豊富な千寿先生でした。来週は、千寿先生・健二先生と越後湯沢で碁会です。
落碁−親方うそばっかり
04.6.4記
水間師
わたし「わたしが先生に三子をおいて教わる訳ですが、本当は井目でも手も足も出ない。それなのに形になるのは、力を抜いているはずだが、どこで力を抜いているのか全く判らないんですね」
水間師「そんなことありませんよ、井目ではとても自信がありません」
親方うそばっかり〜
このとき、そばにいたわたしより遙かに強い人が言った。
「プロの方が酔ってまともに考えられないようなとき井目で打ったが、こちらが全滅してしまった。そのプロは酔って考えられないため、厳しい手ばっかり打つ。プロがその気になると桁違いに強い、井目ではとても勝てません」
稽古碁でプロが考えることは、力を抜いたのを悟られないようにすることらしい。
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水間師
わたし「わたしが先生に三子をおいて教わる訳ですが、本当は井目でも手も足も出ない。それなのに形になるのは、力を抜いているはずだが、どこで力を抜いているのか全く判らないんですね」
水間師「そんなことありませんよ、井目ではとても自信がありません」
親方うそばっかり〜
このとき、そばにいたわたしより遙かに強い人が言った。
「プロの方が酔ってまともに考えられないようなとき井目で打ったが、こちらが全滅してしまった。そのプロは酔って考えられないため、厳しい手ばっかり打つ。プロがその気になると桁違いに強い、井目ではとても勝てません」
稽古碁でプロが考えることは、力を抜いたのを悟られないようにすることらしい。
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