2007年03月02日

オンドラ君のこと

04.1.4記
   
 03年12月11日の朝、ズームインで、チェコからプロ棋士を目指して日本に来た少年、オンドラ・シルト君17歳の一年が放送された。わたしは録画しておいて、2日後にようやく見ることができた。
 千寿会で初めて会ったときは15歳。千寿さんは「まだ義務教育さえ終えたのかどうかという年齢なので…」とかなり気を遣っていた。間もなく、わたしは6子で打ったが、まるで歯が立たない。まだ指導碁の打ち方なぞ覚えることはないので、当然であった。
 王銘エン九段・釼持丈七段が主宰する研究会に参加し、小林覚先生の内弟子にもなった。二年あまりの修行をしたが、今年も最終予選に残ることができず、結局帰国することになった。初めは一時帰国のように聞いたが、再び来日することがあるのだろうか。
 チェコで碁を打つ人は300人ほど。その中からプロを目指す少年が出現する。夢のようだが、始めたのは十歳のころであり、遅すぎたのかも知れない。
 今年の初め、兄のように慕っていたハンス・ピーチさんが殺され、しばらく心の整理がつかなくて、千寿先生に「ハンスさんまだ帰って来ない」と呟いたという。
 テレビでは覚先生が言っていた。
「自信をなくして、悪循環に陥っている。出直した方が良い」
 ただ、どこでも勉強はできるとはいうものの、環境も大切で、故国に帰ってしまっては、ますますプロは遠くなる。決断の時を迎えたのだ。
 千寿先生は、ようやく育てたハンスさんを亡くし、オンドラ君が帰国し、精神的痛手は大きいようで、次の留学生(弟子)を預かる気が湧かないらしい。

09年:その後、オンドラ君は欧州大会で優勝したという。欧州のトップレベルに育った。現在は中国や韓国のプロ棋士が、欧州のアマの大会に出て優勝してしまい、問題になっている。
 日本ではプロはアマの大会には出場できない。「ヒカルの碁」でも言っていたが、日本では院生になるとアマの大会には出場できなくなる。院生をやめれば一応問題なくなる。昔は院生をやめても数年は出場できなかった。
posted by たくせん(謫仙) at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 千寿会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鎮神頭

04.1.4記
   
 きのうは千寿会に出た。
 「奥田あや」ちゃんという女子中学生がプロ試験に合格した。わたしは知らないのだが、小学生のころ、千寿会に来て碁を打っていたという。
 さて。亜Qさんに二子で教えを請うた。二ヶ月ぶりに碁石を手にしたせいでもあるまいが、必勝の碁を、単純な見落としで、必敗の碁にしてしまった。志の高い亜Qさんはこの碁は勝ってはいけないと思ったようで、勝ちをゆずってくれた。さすが「高志の士」は碁格が高い。
 後半の講義のとき、大盤解説でO君(中学生)の碁を並べた。激しい攻防の後、ある形になった。そこで健二先生の声があり、
 「ノビるとどうなるか」
 千寿先生はすぐにノビた後を続けて並べて、
 「ここでどうしますか」
 二つの大石がシチョウにかかるではないか。それを防ぐ手段は?と問うのである。
 もっとも、わたしが問の意味が判ったのは解答の示された後であり、問われたときはシチョウを読むのがせいいっぱい。そして示された答えは「鎮神頭」

 その昔、遣唐使に伴われた19歳の伴小勝雄(とものおかつお)が、長安の都で、唐第一の高手顧師言との天覧試合で、顧師言にこの手を打たれて投了したという。なお、その碁は四隅の星にたすきに白黒二つずつ石を置いてから対局を始めた。
(田村竜騎兵 物語り囲碁史)
posted by たくせん(謫仙) at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 千寿会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする