2018年02月25日

金春屋ゴメス

金春屋ゴメス
西條奈加   新潮社   2005.11
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 近未来の日本の北関東から東北にかけて、一万平方キロの鎖国状態の「江戸国」が出現。競争率三百倍の難関を潜り抜け、入国を許可された大学二年生の辰次郎。身請け先は、身の丈六尺六寸、目方四十六貫、極悪非道、無慈悲で鳴らした「金春屋ゴメス」こと長崎奉行馬込播磨守だった! ゴメスに致死率100%の流行病「鬼赤痢」の正体を突き止めることを命じられた辰次郎は――。

 というのが宣伝文句だが、内容はむちゃくちゃで面白い。このゴメスの登場のときの様子と、やることなすことがマッチしなくていつまでも疑問がつきまとう。
 登場したときは話の通じない、極悪非道の暴力団の親分並み。それなのに、腕っぷしといい、博識といい、推理力といい、常識といい、全くもって天下一品なのだ。こんな人がなぜあんなむちゃくちゃな登場の仕方をするのか、という疑問だ。

 今更文明国の民がそこへ行きたがるか疑問だが、江戸時代は、懐かしいような、生活は苦しいけれども不幸でもないような、不思議な魅力がある。これはあまたの小説で、いいところを掬い上げたのを、読んでいるからだ。
 江戸時代へのタイムスリップというやり方もあるが、この小説では同時代の鎖国地という設定である。
 著者は、このような、江戸時代ではあるが、ある一点を異世界にするという仮定を好むようだ。わたしの好きなSFである。
 解決策は外国(例えば日本)にあるのだが、それを取り入れない。嫌なら外国に行けばいい、江戸には江戸のやり方がある。この言葉に尽きるようだ。
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2018年01月27日

アイスマン。ゆれる

アイスマン。ゆれる
梶尾真治   光文社   2008.3
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「アイスマン」とは月下氷人のこと、縁結びの神、転じて仲人に使われる。主人公の愛称である。
 祖母からの形見分けで貰い受けた文箱があった。その中には《傀儡秘儀 清祓へ》の古文書が入っていた。その他、おまじないの小道具も入っている。そのおまじないは男女の仲を取り持つ。
 主人公がそのおまじないをすると、男女が相思相愛の関係になるが、思わぬ事態となる。
 それから15年。30歳を過ぎた。
 仕事と恋と友情の悩みで揺れる3人の女性。そして主人公には、病弱な母親の世話の悩み。さらにあのおまじないの後遺症の問題があった。三回目には死を迎える可能性が高いのに、親友におまじないを依頼される。
 悩みは誰もが抱えるような悩みだ。しかし、主人公は人情味はあるが、なかなか思い切れない性格。それだけの事情があれば主人公でも断れそうなもの。でも断り切れず心が揺れる。それを陰から見守る母親と大叔母がいる。
 ラストは意外性があり、著者らしい、切なさほろ苦さのあるハッピーエンド。

 この本を読む前に、翻訳物の超長編を読もうとした。ところが100ページも読むと読むのが嫌になってきてやめた。やたらに長いのに意味不明。このエピソードは伏線なのか、そんなにいろいろと伏線を張られても覚えられない。必要なのか。そんな疑問が続くのだ。
 その点この本は無駄がなく、必要な話ばかり。だから読みやすい。
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2018年01月16日

怨讐星域

怨讐星域
梶尾真治   早川書房   2015.5
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 地球が太陽フレアに飲み込まれてしまいそう。
 それに気づいた某国の大統領は家族や有力者たち三万人で、密かに地球を脱出し、172光年の彼方にある、地球によく似た星まで行こうとする。
 残された人たちの中に天才がいて、ジャンプ(ワープ)する機械を発明し、ジャンプして先回りする。これは危険が伴って、無事に着いた人は数えるほど。
 ここで疑問がいくつか浮かぶ。
 
 172光年を旅行するのに宇宙船は1Gで加速を続け、中間点で逆に1Gの減速をして、常に1Gの圧力がかかるようにしている。これでエネルギーは足りるのか。
 わたしには計算できないが、1年間1G加速し、その後は加速はやめて自転で1Gにして、最後に1年かけて1Gで減速すれば200年ほどで到達できるようだ。
 問題はそのエネルギーだ。宇宙船全てをエネルギーに変えても無理と試算した人がいる。化石燃料ではない。宇宙船内の物質をエネルギーに変換してである。わたしには検証できない。
 船内は人は数代にわたる。その生活物資は船内でリサイクル生産するが、船の燃料は尽きているようだ。
 その巨大な宇宙船が、よく一財団で秘密裏に製造できたもの。
 172光年も彼方に、地球によく似た星がよくも見つかったもの。
 ジャンプ装置が短期間でよく製造されたもの。
 これらの疑問はできたと仮定して、SF世界が展開する。

 ジャンプした人たちが、裏切られた怨みを飲んで、復讐を合い言葉に一から文化文明を築く。しかし、代が進むとその意識は観念的になっていき、心の中で怨みはなくなる。
宇宙船内でも世代交代し、それなりの生活をしている。捨ててきた人たちのことなど、ほとんどの人は気にかけていない、知らないだろう。
 この両者の生活ぶりを交代での連作短編集である。わたしの知っている伝統的なSFである。
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2018年01月10日

猫の傀儡

猫の傀儡
西條奈加   光文社   2017.5
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 江戸時代の「我が輩は猫である」だ。
 猫が多くて、通称猫町に暮らす野良猫のミスジは、憧れていた順松の後を継いで傀儡師となった。町内の猫の相談相手となる。
 人間相手の事件だと、猫だけではどうにもならない。人間の傀儡を操って解決することになる。
 暇で、勘がよくて、数寄心の持ち主で、猫好き。こんな人物を傀儡にして使う。
 猫の世界でも、人の世界のような組織があるのが可笑しい。猫情もあれば知識もある。
 小さな事件を解決していくうちに、それを通した大きな事件を解決してしまう。
 話は主人公ミスジの視点で進んでいく。話があちこちに飛ぶ猫の話を、上手く誘導したりして、探偵よろしく事件を推理したり。
 傀儡に選定された阿次郎は、頼りない男のようだが、江戸っ子らしく、やるときはやる人物。

 これは続きが読みたくなる話だ。
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2017年12月30日

杏奈は春待岬に

杏奈は春待岬に
梶尾真治   新潮社   2016.3
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 健志と他3人の、少女杏奈に対する純愛の話といえるのかな。ある意味残酷な現実でもある。人は誰でも思った通りにはいかない。
 前半のプロットは「思い出のマーニー」に似ている。
 主人公の健志は春休みに祖父母の住む海辺の町に行った。10歳のときである。
 その町から見える春待岬の先端に洋館があった。そこで桜の時季しか現れない不思議な少女に会う。少女は17歳。その少女を世話し洋館を維持する老人がいる。
 健志はその少女に恋をし、毎年春休みには会いに来る。ところが少女は時間軸が異なり、桜の時季が過ぎるといなくなり、次の春に現れたときは、いなくなったときの次の日の感覚である。タイムマシンクロノスの故障の結果であった。
 健志は少女を救いたいと思う。老人は亡くなり、健志はその洋館を任され、春には少女の世話をし、そのまま世間とは没交渉で老人となってしまう。少女は17歳のまま。
 健志は少女杏奈のために一生を費やすが、それが自分のために生きていくことでもあろう。
 これは中軸で、もちろんこれ以外にもいろいろな話があるがそれは省略。

 さて、タイムマシンものは、いくつかの問題が生じるが、それは問わない。問題は世間とは没交渉で生活できるのかという現実の問題である。費用の問題は解決している。しかし、洋館の維持管理で一年を費やし、春には少女杏奈の世話をする。その生活のための物資は、どうしているのか。買ってくるはずなのに、その様子はない。町の人が運ぶわけでもない。このナゾは最後まで解けない。
 わたしはそんなくだらないことで躓いてしまう。ただし、おもしろい小説であるとは言っておこう。
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2017年12月13日

囲碁を始めたい人のために

囲碁を始めたい人のために
入門から中級までの打ち方が1冊でわかる!
石田芳夫   成美堂出版   2009.10
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 副題が示すように入門の時の打ち方の詳しい解説書である。
 碁で大切なことは、
1.交代で交点に打つこと。
2.駄目のない石は盤上から取る。
3.地+取った石の多い方が勝ち。
 この三点である。1.は打ち方以前の問題で、1秒で判る。
 本書では、目的である「地+取った石の多い方が勝ち」ということを最初に説明している。
 次は「2.駄目のない石は盤上から取る」
 そして終局や、はじめの打ち方つまり初歩の布石だ。
 よく、アタリ・ゲタ・シチョウ・ウッテガエシ・ナカテなど、技術的なことばかり説明する人がいるが、そんなことは上のことを理解した、その次の話である。
 特に目的である「地の多い方が勝ち」は、何が何でも最初に説明しなければならない。
 わたしが最初に手にした本はこの本と似たような題名の本だった。
「碁は難しいものである。だからやさしく憶えることはできない。そのつもりで取り組んで欲しい。」というような意味の文が最初にあって、技術的なことばかり説明していた。結局、それでは打ち方は判らなかった。
次に初歩の打ち方を書いた本を読んで、ようやくイメージが理解できたのである。
 まあ、それ以前に上の三点は判っていたので、二ヶ月で打てるようになったが、今では「あのときこんな本を読んでいたらなあ」と思った。
 わたしの世代では、素人が碁を教えるといったとき、いきなり井目置かせた実戦である。それでは嫌になってやめてしまうかもしれない。
 なお、九路盤では碁は憶えられないと思う。九路盤はルールを理解させるためで、理解出来たら直ちに九路盤は卒業させるべきである。初歩の打ち方も、十九路盤であるが故に成り立つ場合が多い。
 本書では、まず最初に十九路盤の隅・辺・中央を説明している。次のページが「地の多い方が勝ち」の説明。この2ページで最初の関門をクリアーさせてしまう。
 昔は周りで打つている人がいて、はじめの三点は何となく知っている。だからいきなり実戦でもなんとかなった。しかし今では、はじめの三点を知らないので、目的も教えず実戦では無理だ。これだけ教え方と教わる環境が変化している。
 誰もがたどる一番最初の疑問に答えることが肝心なのだ。

 あえていえば、「ルールはシンプルである」といいながらルールの説明がない。いや説明はしているが、ルールとして説明していない。
 これを最初のページに欲しかった。具体的にシンプルであることを示すのだ。これは盲点かもしれない。
「駄目のない石は盤上から取る。説明は○ページ」こんな調子で数行で済むはずなのだ。
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2017年12月07日

冥府神の産声

冥府神(アヌビス)の産声
北森 鴻   2000.5   光文社

 脳死臨調のリーダーである帝都大学医学部教授が刺殺された。元医師で現在はルポライターとなった相馬がこの謎を探ると、新宿のホームレス街に、優秀だった元同僚を見いだす。予言をする不思議な少女トウトと一緒にいる。
 人間の死とはなにか。何をもって死と断定してよいのか。これは脳死をどうするかという問題でもあった。
 臓器移植という問題がある。本人や家族の意思は別にして、移植するには死体が必要である。それも新鮮な死体が必要だ。つまり身体がいたんでしまっては移植できない。
 どの時点で死と判定するか。つまり脳死で死と断定するにしても、新鮮な死体を求めるあまり、まだ生きているうちに脳死と判定してしまう可能性はないか。
 その判断基準を巡る争いの医療ミステリーである。

 不思議な少女トウトの謎が解明しない。そのために読後感が悪く落ち着かない。
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2017年12月02日

残業税

小前 亮   光文社   2015.8
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 残業は犯罪である。
 このことをわたしは当然だと思うのだが、多くの人は「そんな馬鹿な…」と思うのではあるまいか。
 三六協定という、使用者と従業員の契約があった場合、使用者は罰を免れる。従業員に残業をさせる企業(使用者)は、その協定を監督署に届け出ているのだが、ほとんどの従業員はその協定を知らず、協定書に署名捺印した従業員の代表でさえ、その内容を詳しくは知らないのが普通である。
 この小説は、労働者を守るためにその残業に税金を賦課する。残業すると労使共に税金を払う必要がある法律が施行され、働き方が変わって行く。もちろんサービス残業は犯罪である。
 税を免れようと企業(使用者)はあの手この手で脱税を企む。脱税を防ごうとする残業税調査官と企業の戦いである。
 主人公の残業税調査官の相棒は、機密的な内容でも人前で大声で話す無神経な人物。読んでいてやりきれなかった。

 この中で、ある女性は形だけの管理者になるが、税金逃れのためであり、実質は毎月200時間もの残業に苦しめられ、ついに他殺に近い自殺をしてしまう。
 毎月200時間残業。わたしはこのような企業を知っている。賞与もかなり出ていた。実体は残業代を一部しか支払わず、残りをまとめて賞与として出していたに過ぎない。
 この小説ではさらに悪質で、税理士の指導のもと、労働者に夢を与えて、そのためならサービス残業も仕方ない、と思うように教育する経営者。公的には残業時間が判らないようにしてあるのだ。
 経営者(容疑者でもある)の世論操作で世論に叩かれながらも、働く人を守るべく奔走する調査官。ついに真相が明かされると、世論は一斉に経営者を叩く。
 労働者の教育と、権利意識を高めなければ、この戦いは永遠に続きそうだ。

 いま国会で働き方改革の議論をしているが、それを先取りしたような話だった。
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2017年11月27日

ここから先は何もない

ここから先は何もない
山田正紀   河出書房   2017.6

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 まず天才ハッカーが登場する。組織に属するのが嫌で逃げ回っている。
 日本が探査機ノリス2で小惑星に達し破片を持ち帰る。しかしアメリカに横取りされてしまう。それを取り返そうと、天才ハッカーを含めたチームができる。一癖も二癖もある者ばかり。
 そして沖縄の米軍施設のあった無人島に行き、小惑星から持ち帰った破片を取り戻すのだが、それはなんと2千年前の大臼歯と4万年前の美しい人骨だった。はたしてホモサピエンスなのか。その謎の解明が中心だ。
 探査機ノリス2の動きが密室ミステリーのようだ。その謎解きと、取り返すための冒険的行動が電子時代らしい。校正ミスらしきところがあちこちにあるが、けっこうおもしろく読んだ。
 わたしが興味を引かれたのは地球生物の進化である。
 38億年前に生命体が誕生した。バクテリアというべき生命体である。
 それは20億年前までほとんど変わらず、20億年前に急に多細胞生物へと進化を始めた。それがついに現人類にまで進化した。ここまでは生命体としての進化である。そして5万年前に現人類は大躍進といわれる変化を遂げた。
 弓矢槍などの武器とか舟などを作り、絵も描く、という文明化である。それはなぜ起こったか。進化の歴史にはこの三つの謎があるという。
 そして今、AIが花開いた。人工知能である。それはASI(超人工知能)となっていた。ここまで来れば、ASIは人の手を借りず進歩し増殖する。しかも情報の集合体なので、クラウド化して物体の介入をほとんど必要としない。必要なら自分で作れる。そう人類は要らなくなったのだ。これが四回目の生命の大進化なのだ。
 人類は要らない、人類にとって「ここから先は何もない」のだ。

 そもそもこの地球生命の歴史は正しいのか疑問に思うし、いくつかの謎が残っている。完成度は低いと思ったが、おもしろいし、わたしの好きな話だ。
 なお、日本がいまだアメリカの属国で、独立できていない悲哀が底に流れている。
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2017年10月07日

賢帝と逆臣と

賢帝と逆臣と  小説・三藩の乱
小前 亮   講談社   2014.9
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 康煕帝が八歳で即位し十五歳にして親政し、三藩の乱を押さえて三藩を取りつぶす話と、雲南の呉三桂が反乱せざるを得なくなる過程が、この小説の二つの軸である。
 それを李基信という架空の人物の視点で描く。
 わたしは鹿鼎記などで、この小説の舞台(時代)を知っているので、結論が先に見えてしまう。

 本書では康煕帝を中国史上最高の名君と評価する。康煕帝が権力を計画的に取り戻す話と、三藩を取りつぶす決断。それに税金を上げないことは評価できるが、それで史上最高の名君といえるかどうか。
 清朝は建国の荒事はその前のドルゴンの時代にほとんど済ましているので、それに乗った面もあるのだ。残ったのが三藩だった。
 明朝最大の実力者でありながら、雲南で滅ぶことになる呉三桂。この呉三桂を、明から清に寝返った将軍と見ている。だがその視線は冷たくはない。
 この呉三桂は決して明から清に寝返ったわけではない。
 李自成が明を滅ぼし、清と対峙している呉三桂を後ろから攻撃した。呉三桂は明を滅ぼした李自成に下るわけにはいかず、やむを得ず清に投降した。今回の反乱も、康煕帝の三藩取りつぶしの意思を知って、仕方なく反乱している。
 この中で、庶民は異民族支配を受け入れているのが興味深い。決して漢民族王朝でなければ、などとは思っていないのだ。そう思うようになるのは、異民族支配が非道になった時。
 そのことを理解している呉三桂は、長江から北上出来ない。漢民族というだけでは庶民はついてこない事を知っていた。
 呉三桂は異民族支配に反対しても、一般の人たちは、異民族支配を助けたのが他ならぬ呉三桂、ということを知っている。異民族支配に反対なら李自成に投降すべきだったのだ。

 呉三桂が先に三藩の協力をと思っているうちに、勝機を逃してしまう。
 結局滅ぶことになる。
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2017年10月02日

月に捧ぐは清き酒

月に捧ぐは清き酒 鴻池流事始(こうのいけりゅうことはじめ)
小前 亮   文藝春秋   2014.3
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 山中新右衛門幸元。鴻池といえば大坂(大阪)の財閥だが、その始まりが、この人物である。なんと尼子一族の再興に生涯を捧げた山中鹿之助の息子とか。
 戦国の世に、山中新右衛門が武士をやめ、商人として生きていく感動の物語である。
 はじめ上質の木炭の販売を手がけ、それを横取りされると、酒の製造を始める。
 落語で、こんな話がある。
 不満を持った従業員が酒樽に灰を投入して逃げていった。それがなんと濁りが下にかたまり、清酒となっていた。これが清酒の始まりだ。
 この小説でも、途中で似た話が噂となった。だが山中新右衛門は放っておく。競争相手がそんな話を信じているようではうまくいかないと。

 徳川家が江戸を開発している。そこで、大坂で造った酒を江戸に運ぶ。ところが普通に運んでは痛んでしまう。その輸送にも苦心を重ねる。
 大坂では他の蔵と五分の味でも、江戸に持っていくと圧倒的な人気を得る。
 清酒造りの改革に成功し、物流の工夫も成功し、息子たちを分家したりして、大坂の財閥となる。
 特に幼なじみである妻のはなと、仲睦まじく協力していく様子は心が温まる。
 物を運ぶことは幸せを運ぶことだ。商人のこころである。
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2017年09月25日

漱石先生大いに悩む

清水義範   小学館   2004.12
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「我輩は猫である」を書くことで、現代的な文体を完成し、後世の手本となった夏目漱石の、猫を書くまでの悩みを戯画的に書いた小説である。
 ある人が古い手紙を持ち込んだ。なんとか読んでみると差出人は夏目金之助(漱石)らしい。
 受取人は誰か。若い女性らしい。この「手紙」の謎に迫るうちに、当時の漱石の心情が理解でき、作家「夏目漱石」の偉業が頭に入ってくる。
 明治時代は文語の時代であった。そこに言文一致体の文を試作する人がいたが、どうもしっくりしない。それを漱石が、若い女性の意見を参考に「我輩は猫である」で完成させた。
 読んでいるときは、とても小説とは思えないほど。その若い女性は自殺した。その原因は漱石か。
 そのミステリー小説といえよう。
 漱石の意外な上機嫌さ。お金に対して細かい人という一面もあり、その理由も納得できる。
 どこまで本当なのか創作なのか気になってくる。最初の手紙にしても、読んでいるときは、その手紙があって、いろいろ考えたように思えたが、どうやら手紙も創作らしい。
 一気に読んでしまった。
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2017年08月11日

鹿の王

鹿の王
上橋菜穂子   角川書店   2014.9
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 征服者の帝国東乎留(ツオル)の人の名前は、漢字を使って難しい読み方をする。万葉仮名的な使い方もする。被征服者の名前はカタカナ。この書き方は必要があったんだろうか。
 東乎留(ツオル)とあればこの国は漢字を使う国である。国名は「ツオル」でもなく「tuoru」でもなく「東乎留」と漢字でなければならない。この場合の漢字とは、いわゆる「漢字」である必要はなく、表意文字を使っていると言う意味である。ツオルと読めても、他の文字ではいけない。それにしても小説として、何でこんな難しい読み方をせねばならないのか。人の名も同様である。しかも他国から来た人は、カタカナ名のままである。
 たとえば「山犬」という字にオッサムとかなをふる。このような例が多い。自国語の文字ならこのような無理矢理の読み方はしない。もしかしたら、文字のない国が漢字の国を征服して、自国語に漢字を無理矢理あてたとか。
 他の国は文字がないか、あっても表音文字ということになる。
 しかし、「山犬」という漢字が必要なら読み方は「やまいぬ」に、「オッサム」と読ませたいならカタカナにすべき。一二の例外はあっても良い。

 戦士ヴァンが囚われていた岩塩鉱を犬が襲い、囚人も奴隷監督も謎の病死をするが、戦士ヴァンだけ助かる。ここから物語が始まる。そして逃亡生活。そういう少数民族や動物の、帝国東乎留(ツオル)との戦い(戦争とは限らない)。
 東乎留では天才医師ホッサルが、岩塩鉱の謎の死の原因解明と、その後の治療に当たる。
 細菌とウイルスの差が判りかけ、その対策を研究している。注射や顕微鏡などが発明されている。そのなかでの医師と病原体との戦い。
 この二つの戦いと共生がこの物語のテーマである。

 ファンタシィではあるが、推理小説のように謎が絡む。それがかなり複雑でありながら、メインではない。読者を迷わすための意味のない複雑さに思える。
あとがきに、
「生物の身体は、細菌やらウイルスやらが、日々共生したり葛藤したりしている場である」
「それって、社会にも似ているなぁ」
 この事実を小説化したともいえるのだ。
 ちょっと複雑すぎて、カタカナ的な創作名詞が多くて読みにくい。これをクリアできれば、小説としてはおもしろいらしいのだが、わたしはクリアしたとはいえない。
 ネタバレだが、事前にウィキなどであらすじや登場人物の説明を読んでおくとよいだろう。

参考 失われてゆく、我々の内なる細菌 には、 ヒトの体を構成する細胞の70〜90%がヒトに由来しない。逆に言えば体の中にそれだけの細菌が住んでいる。その数は100兆個にもなる。 という。
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2017年08月06日

幻庵

幻庵(げんなん)
百田尚樹   文藝春秋   2016.12
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 古来、中国では琴棋書画が君子の教養であった。棋とは碁のこと。
 この碁を爛熟させたのが、江戸時代の日本であった。それは幕府の家元制度によった。
 碁の家元制度は実力主義である。本因坊・安井・井上・林の四家があり、それを取り締まる名人碁所(ごどころ)が頂点にいる。碁所の権力は強大である。碁所になるには名人にならねばならない。
 この名人を目指して技を磨き、同時に碁所の地位を争う。江戸時代の二百六十年間に誕生した名人はわずか8人。
 幻庵とは、十一世井上因碩(1798−1859)のこと。隠居後、幻庵を号とした。
 本来十世であるが、幻庵の時代に一世井上因碩の前の中村道碩を一世としたため、十一世と伝わるようになった。今から見ると児戯に等しい。
 井上家では代々因碩を名乗ったので区別するため、引退後の号をつけて、幻庵因碩と言われる。八段(準名人)になった。名人は原則1人であるため、一応最高段位に登ったといえよう。

 幻庵因碩の時代を中心とした、戦国から昭和までの囲碁界の様子を俯瞰した小説だ。さらにAI囲碁まで言及している。
 主人公は幻庵を中心とした同時代の棋士たち。ライバルの本因坊丈和も幻庵なみに生き生きと書かれている。
 特に対局シーンは迫力がある。これは著者の文章力のたまものだ。ただ、棋譜のない観戦記のような文は、読んでいてもどかしさを感じることがある。しかもかなり大げさに感じる。
 “恐ろしい手”だとか、“凄まじい妙手”とか、言葉を並べられても、ホントかなと思ってしまうのだ。
 江戸時代の碁は失着が少ない。それは時間に縛られないことと、公式な対局が少ないことにあった。高段者のみが年1局である。それに準ずるような対局も、多くはなかった。少ない機会を生かさねばならない。ゆえにその1局に集中する。現代碁とは異なり、原則、時間は無制限。1日では終わらないことが多かった。失着が少ない理由である。
 現代は年50局でも珍しくない。時間の制限があり、秒読みはいつものこと。
 小説中で、ときどき碁の解説を加えるが、この解説では、碁を知らない人にはたぶん意味は判らないであろう。といって省いていいものか。
 碁は勝負を争う。しかし家元制度は芸術の域に高めた。たとえば、このままでは2目の負けとなる。そんなとき、投了するか、あるいは最後まで最善手を打ち、1目でも差を少なくしようとする。これが芸であり美学である。
 しかし、勝負手として逆転を狙う手を打つこともある。勝負を争うなら当然であるが、場合によっては、手のないところに打った、棋譜を汚したとして、その人の評価を落とす。
 あるべき姿はどちらか。登場人物も悩むところ。

 幻庵は、吉之助→橋本因徹→服部立徹→井上安節→井上因碩→幻庵(引退後の号)と名を変える。
 家元制度は実力主義、我が子でも実力がなければ篩い落とす。弟子の中から最強者を選んで跡を継がせる。適当な人がいなければ、他の家から貰い受ける。そのとき養子縁組をする。
 子は父の名を継ぎ、養子縁組後は新しい名となり、さらに義父の名を継ぐ。それで姓名共に変わっていく。同じ名の別人が登場する。当代か先代か先々代か。区別は前後の文ですることになる。
 事情は判っていても、人物を知らないと判りにくい。この人誰だっけ、という状態になりやすい。
 全体的に、歴史書を読んでいるようで、かなり冗長に感じる。この冗長部分を削り、幻庵に集中した方がよいと思う。
 持碁を芇と書き「じご」とかなをふる。芇に「じご」と仮名を振るくらいなら「持碁」でよいはず。芇(べつ)の字にこだわる必要性がないと思う。
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2017年08月02日

爛柯堂棋話

爛柯堂棋話(らんかどうきわ)
林 元美(はやし げんび)  林裕校注   平凡社   1978.6

 林元美(1778−1861)は江戸時代の囲碁四家の林家の十一世当主。本来坊門(本因坊家の弟子)であったが、十世林(鐵元)門入の死去に伴い、坊門から移り林家の当主となる。旧姓は舟橋。
 林家では代々門入を名乗る例が多いが、林元美はこのままで通した。
 引退(1849)後に(1852)八段を許された。
 この本は、1849年に発行された。そして林家分家の林佐野から、その養女の喜多文子に伝えられた。
 1914年、林佐野の三女の女流棋士林きくがまとめて、大野万歳館より出版された本がこの本のもとである。1849年の原本は失われてしまった。写本が国会図書館にあるという。

 囲碁の史話、説話、随筆、記録類を集め、注と評論を加えたもの。囲碁界にあっては貴重な資料である。
 だだし、市井の噂のような根拠の薄い話もあって、注意が必要である。たとえば、日蓮と弟子の日朗の対局、武田信玄と高坂弾正の対局、真田昌幸・信幸親子の対局などが、棋譜とともに紹介されている。すべて疑わしいのだ。偽作らしい。
 本能寺の変における三劫の話など、あちこちに引用されていて、歴史的事実であるかのように扱われているが、確認できていない。
 第一世本因坊算砂が、秀吉によって碁所に任命された話は明らかな間違い。当時は碁所の制度はない。
 その他の話も、引用するときは注意が必要だ。
 当時のエンタメとして書いたのかもしれない。それでも貴重な情報が多い。
 多くの棋譜は特に貴重である。残念ながらわたしには鑑賞するだけの力がない。

 本文は江戸時代の文体である。写真はその一例である。こんな調子で書かれているので、かなり読みにくい。下巻P122。
 碁では引き分けを持碁という。写真の文はそのことに触れている。わたしはこの部分を読みたくて、この本を手にした。
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 囲碁贏輸(勝ち負け)なきを持碁と云うは、正字にあらず。歌合わせに勝負左右にこれ無きを持と云うに倣えるなるべし。しかれども、「囲碁三十二字釈義」(『玄々碁経』)を見れば、持は「せき」の事をいうなり。持碁の正字は芇なり。……
 次のように解釈した。
 引き分けを日本では持碁(じご)という。しかし正しくは芇(べん)である。ゆえに芇の字に「じご」の訓を与えた。
 現代中国語では和局という。書物上ではなく口語では、芇(べん)はいつ頃まで使われたのだろう。


 音読み:ベン、 メン、 バン、 マン
 訓読み:あたる、 じご
 
 写真中に“路”とあるが、助数詞で一路は一目。唐代あるいはそれ以前に中国で用いられた。
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2017年07月28日

宇宙にとって人間とはなにか

宇宙にとって人間とはなにか 小松左京箴言集
小松左京   PHP研究所   2011.1

 著者は小松左京となっているが、小松左京事務所が、著書のあちこちから、テーマ別に選んで編集したものである。
 小松左京の思考のダイジェストなので、魅力ある文章が多い。
 言葉が難しく、わたしには理解できない文が多い。ただ小説などを読んでいたときはそのようには感じなかったので、おそらくその言葉の背景や状況が判っていれば、理解できるのではないか思う。思考過程が重要なのだ。
 名言ではないので、かなり長い文もあるし、その文単独では賛同できない文もある。特に小説の場合は、その小説の特殊状況が文の意味を左右する。SFの世界が多いので、仮説だったり仮定だったりする。そのためここで紹介するかどうか迷ったほど。
 SFを書くには総合的な知と常識にとらわれない思考力が必要である。間違いなく、小松左京には備わっていることを実感する。
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2017年07月23日

たゆたいエマノン

たゆたいエマノン
梶尾真治   徳間書店   2017.4

「……名前なんて記号よ」
「なんでもいいわ。エマノンでいいじゃない。うん、それでいいわ」
「ノー・ネームの逆さ綴りよ」
 この不思議な少女エマノンのシリーズ6冊目。
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 今回は短編5編のうち3編に親友ヒカリが登場。時を跳び越えるヒカリと永遠の記憶を持つエマノンが、何度も出会う。とくに、エマノンの嬰児時代の話が象徴的。エマノンに恋した少年が、約束の日に、エマノンを抱いたヒカリに出会う。
 母から娘へ記憶が受け継がれ、同時に母は記憶を失い、普通の人になる。だからエマノンは短命ともいえる。恋をし子どもが生まれるまでの、つかの間のエマノンとしての命。そして嬰児の時にすでに30億年の記憶を持つ老成した心の持ち主。
 今回は成人したエマノンが次の世代のために配偶者を選ぶ話が多い。
 時代は行ったり来たり。なぜならヒカリは過去にも未来にも跳べるから、一定方向に流れる「時」に縛られていない。しかし、時間の経過はある。エマノンがヒカリの最期を看取ることになる。

 初出が1979年なので、37年以上かかって短編25話。
 美少女ということになっているが表紙の絵は、美少女には見えないな。
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2017年07月18日

流れ行く者

流れ行く者 −守り人短編集−
上橋菜穂子   偕成社   2008.4
守り人シリーズの番外編である。
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 タンダとバルサの子どものころの話である。
 「浮き籾」は幼いタンダとバルサの気持ちがつながる話。その他、成長過程の一場面。
 表題作の「流れ行く者」は、13歳のバルサが、戦いに強いところを見せ、雇い主を納得させて、ジグロと共に護衛の役に就く。そして戦いの場で、初めて相手を殺すことになる。その苦悩。それがバルサが一生負うことになる宿命の始まりだ。残酷だがそれが職業。そのような経験を得て、大人の世界に踏み出し、成長していく物語だ。
 ラフラ(賭事師)という職業の老女がいる。バルサの精神に影響を与える。このような脇役が生き生きと書かれているのだ。
 まだまだ生産性は低く、多くの過酷な労働で成り立っている時代なので、毎日が緊張をはらんでいる。そんな時代の生き方の例だ。決して残酷の一言で片付けられる話ではない。

 上橋菜穂子の小説の結末は、言葉は短く切り捨て、余韻は読者に任せるようなところがある。でも言葉足らずではない。
 本編のラストで、いきなり「つれあいです」と登場するなども同じ。
 一応、児童書となっているが、内容はとても児童書ではない。漢字のルビを取ってしまえば、そのまま大人の小説である。
posted by たくせん(謫仙) at 12:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月13日

炎路を行く者

炎路を行く者
上橋菜穂子   偕成社   2014.11

 守人シリーズの外伝と言うべきか、ヒョウゴの青年期を描いた中編「炎路の旅人」と、15歳のバルサを描いた短編「十五の我には」からなる。

 ヨゴ皇国はタルシュ帝国に征服され、「帝の盾」の息子だったヒョウゴは、殺されるはずだったのを、なんとか逃げて市中で生き延びた。
 ある時のヒョウゴの言葉、
「タルシュの枝国になっちまったこの国で、そんなふうに根をおろすってことは、タルシュに征服されたことを納得したってことじゃねぇか! 土足で踏み込んできた強盗に、のうのうと自分の家に居座られて、そいつらを食わせるために身を粉にして働くなんて冗談じゃねぇと、なんでだれも思わないんだ?なんで、そんなに簡単に納得しちまうんだ?」
 それに対し「わたしらは、ここで生きてきたし、ここで生きていくんだもの」という声をヒョウゴは理解出来ない。
 庶民にとっては、タルシュ帝国に収奪されるのも、ヨゴ皇国に収奪されるのも同じだが、ヨゴ皇国の収奪する側にあったヒューゴには、タルシュ帝国が強盗に思える。
 ヒョウゴという器は市中には収まらない。結局はタルシュ帝国の武人になるが、その心は消えたわけではなく、本編に続いている。

「十五の我には」は15歳では見えないものが、20歳になると見えることがある。
 多感でいて、大切なことに気づけない焦りやもどかしさ。そんな思春期時代のバルサのお話。
 荒事を一人で始末しようとし、結局自分一人では始末できなくて、ジグロに助けてもらう。
 まだ独立出来ないのに、必死になって独立しようとする15歳だった。

……十五の我には、見えざりし、弓のゆがみと 矢のゆがみ
二十の我の この目には、なんなく見える ふしぎさよ……
 
posted by たくせん(謫仙) at 12:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月09日

世直し小町りんりん

世直し小町りんりん
西條奈加   講談社   2015.5
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 江戸時代の爛熟期、同時に幕藩体制の崩壊の芽も出る頃。
 南町奉行所の同心をつとめる榊家の当主安之には溺愛する妹がいた。亡くなった父が芸者に生ませた娘で、高砂町で長唄の師匠をつとめるお蝶、高砂弁天といわれる美人。
 そして、安之の妻沙十(さと)も美人で、方向音痴で薙刀の名手。
 この二人の美人が小さな事件をいくつか解決していくが、その事件が、榊家の先代が亡くなった謎と関連して、陰で大きな陰謀が進行していた。
 この大事件を解決するために、お蝶を守る男たちや、おっとりしていた安之とその上司の南町奉行などが、別人のような働きをする。
 幕府の屋台骨を揺るがすような大事件も、なんとか表沙汰にならずに済んだ。
 幕藩体制に光と影かあるように、旗本たちにも市井の人たちも光と影がある。
 登場人物に個性があって魅力的で、一気に読んでしまった。

 時代劇作家に一人の名手が加わったといえよう。わたしはよく“校閲ガール”のようなことを書くが、この小説は校閲ガールもほとんど手を加えるとはないだろう。だから安心して楽しめる。
posted by たくせん(謫仙) at 13:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする