2017年07月18日

流れ行く者

流れ行く者 −守り人短編集−
上橋菜穂子   偕成社   2008.4
守り人シリーズの番外編である。
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 タンダとバルサの子どものころの話である。
 「浮き籾」は幼いタンダとバルサの気持ちがつながる話。その他、成長過程の一場面。
 表題作の「流れ行く者」は、13歳のバルサが、戦いに強いところを見せ、雇い主を納得させて、ジグロと共に護衛の役に就く。そして戦いの場で、初めて相手を殺すことになる。その苦悩。それがバルサが一生負うことになる宿命の始まりだ。残酷だがそれが職業。そのような経験を得て、大人の世界に踏み出し、成長していく物語だ。
 ラフラ(賭事師)という職業の老女がいる。バルサの精神に影響を与える。このような脇役が生き生きと書かれているのだ。
 まだまだ生産性は低く、多くの過酷な労働で成り立っている時代なので、毎日が緊張をはらんでいる。そんな時代の生き方の例だ。決して残酷の一言で片付けられる話ではない。

 上橋菜穂子の小説の結末は、言葉は短く切り捨て、余韻は読者に任せるようなところがある。でも言葉足らずではない。
 本編のラストで、いきなり「つれあいです」と登場するなども同じ。
 一応、児童書となっているが、内容はとても児童書ではない。漢字のルビを取ってしまえば、そのまま大人の小説である。
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2017年07月13日

炎路を行く者

炎路を行く者
上橋菜穂子   偕成社   2014.11

 守人シリーズの外伝と言うべきか、ヒョウゴの青年期を描いた中編「炎路の旅人」と、15歳のバルサを描いた短編「十五の我には」からなる。

 ヨゴ皇国はタルシュ帝国に征服され、「帝の盾」の息子だったヒョウゴは、殺されるはずだったのを、なんとか逃げて市中で生き延びた。
 ある時のヒョウゴの言葉、
「タルシュの枝国になっちまったこの国で、そんなふうに根をおろすってことは、タルシュに征服されたことを納得したってことじゃねぇか! 土足で踏み込んできた強盗に、のうのうと自分の家に居座られて、そいつらを食わせるために身を粉にして働くなんて冗談じゃねぇと、なんでだれも思わないんだ?なんで、そんなに簡単に納得しちまうんだ?」
 それに対し「わたしらは、ここで生きてきたし、ここで生きていくんだもの」という声をヒョウゴは理解出来ない。
 庶民にとっては、タルシュ帝国に収奪されるのも、ヨゴ皇国に収奪されるのも同じだが、ヨゴ皇国の収奪する側にあったヒューゴには、タルシュ帝国が強盗に思える。
 ヒョウゴという器は市中には収まらない。結局はタルシュ帝国の武人になるが、その心は消えたわけではなく、本編に続いている。

「十五の我には」は15歳では見えないものが、20歳になると見えることがある。
 多感でいて、大切なことに気づけない焦りやもどかしさ。そんな思春期時代のバルサのお話。
 荒事を一人で始末しようとし、結局自分一人では始末できなくて、ジグロに助けてもらう。
 まだ独立出来ないのに、必死になって独立しようとする15歳だった。

……十五の我には、見えざりし、弓のゆがみと 矢のゆがみ
二十の我の この目には、なんなく見える ふしぎさよ……
 
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2017年07月09日

世直し小町りんりん

世直し小町りんりん
西條奈加   講談社   2015.5
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 江戸時代の爛熟期、同時に幕藩体制の崩壊の芽も出る頃。
 南町奉行所の同心をつとめる榊家の当主安之には溺愛する妹がいた。亡くなった父が芸者に生ませた娘で、高砂町で長唄の師匠をつとめるお蝶、高砂弁天といわれる美人。
 そして、安之の妻沙十(さと)も美人で、方向音痴で薙刀の名手。
 この二人の美人が小さな事件をいくつか解決していくが、その事件が、榊家の先代が亡くなった謎と関連して、陰で大きな陰謀が進行していた。
 この大事件を解決するために、お蝶を守る男たちや、おっとりしていた安之とその上司の南町奉行などが、別人のような働きをする。
 幕府の屋台骨を揺るがすような大事件も、なんとか表沙汰にならずに済んだ。
 幕藩体制に光と影かあるように、旗本たちにも市井の人たちも光と影がある。
 登場人物に個性があって魅力的で、一気に読んでしまった。

 時代劇作家に一人の名手が加わったといえよう。わたしはよく“校閲ガール”のようなことを書くが、この小説は校閲ガールもほとんど手を加えるとはないだろう。だから安心して楽しめる。
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2017年06月29日

虹のジプシー

虹のジプシー
式 貴士   CBSソニー出版    1980.11
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 ある日、地球の周辺に、月のように地球が出現した。
 それが毎日増えていって、数百の地球となった。大きさも地理も地球と同じ。人々はその状態に慣れていった。
 主人公の流水五道(つるみごどう)は恋をして、心中しようとして、不思議な宇宙生命体に助けられる。宇宙生命体は猿の姿をしていて、孫悟空と名乗った。そして流水はいわゆる超能力者にされて、憧れの貴美子の幻影を追うように、空に浮かぶ地球のいくつかを遍歴する。

 先に紹介した「もしも月がなかったら」に似たプロットである。「もしもこんな地球があったら」という小説である。
 いきなり人の消えてしまった地球。ソ連に支配されている日本。誰もがコスプレをしているような世界。国境のない戦争のない、10歳のとき三分の二は生殖不能にされて人口調節をしている世界。その他。
 十年ほどかけて、地球TからYまでをえて、最後に行った地球で自分の居場所を見つけたとき、空の地球は消えていた。
 さて、ここでいくつかの地球が元の地球と同じように重力があるとなると、すべての地球は他地球の重力の影響で、メチャクチャになっているはずだ。「もしも月がなかったら」を読んだばかりなので、この本を読んでいる間、頭の中で重力問題が離れなかった。
 ファンタシィと同じような、科学性を無視した小説として読むことになる。
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2017年06月20日

もしも月がなかったら

もしも月がなかったら ― ありえたかもしれない地球への10の旅
ニール・F・カミンズ   東京書籍   1999.7
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 SF的科学書とでもいうのか。イフ・ワールドの世界である。
 もし月がなかったら、地球はどうなっていただろうか、という科学的考察をしている。
 この内容を用いて小説にすればSFになる。小松左京の小説は科学的説明が、このレベルになっていたと思う。
 普通の小説はここまで厳密ではない。

1章 もしも月がなかったら?
2章 もしも月が地球にもっと近かったら?
3章 もしも地球の質量がもっと小さかったら?
4章 もしも地軸が天王星のように傾いていたら?
5章 もしも太陽の質量がもっと大きかったら?
6章 もしも地球の近くで恒星が爆発したら?
7章 もしも恒星が太陽系のそばを通過したら?
8章 もしもブラックホールが地球を通り抜けたら?
9章 もしも可視光線以外の電磁波が見えたら?
10章 もしもオゾン層が破壊されたら?

 たとえば月がなければ、1日は8時間になっている。潮汐はほとんど無い。風が強く、会話も聴力より視力が用いられる。
 そうなると…と、いろいろと影響を及ぼす。あることが変わると、それが原因となって、思いもよらない結果となるのだ。生物の進化の様子もだいぶ異なり、もし人が発生したとしても、人の生き方は現代とは全く違った生き方となる。
 現在の地球が、奇跡のような偶然のバランスを保っていることを知ることになる。

 若い頃はこんな話に夢中になったものだが、今では少し敬遠気味。もし人が百メートルを9秒で走れたら、8秒で走れたら、7秒で走れたらと、いくらでも仮定は設定できる。
 おもしろい話だが切りがない。だから、それらが小説と結びついて、おもしろい小説になった時は読む。今回は小説ではないが一応全部読んだ。最後の、
10章 もしもオゾン層が破壊されたら?
また、この本にはないが、地球の温度が2度高くなると?
 など、現実的な問題となってマスコミを賑わしている。

 この「もしも……だったら」という問いは、あまり意識しないが、常に考えていることでもある。
 もしも大金持ちになったら、もしも失職したら、もしも断水したら、もしも停電になったら、もしも電車が止まったら、もしも……、というように。
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2017年06月12日

宗教なんかこわくない!

宗教なんかこわくない!
橋本 治   マドラ出版   1995.7
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 少し古い本である。1995年といえば、地下鉄サリン事件のあった年である。サリン事件の余波の中で書かれている。
 この題名は、「宗教は怖い」と言う人がいたことを前提にしている。宗教とは怖いものだろうか。

  宗教とは、この現代に生き残っている過去である。

 わたしは、「神仏は尊し、神仏を頼まず」で一貫している。
 悟りとは「修行などしても無意味であることを知ること」と思っている。無意味ではあるが、修行することを馬鹿にすることはない(神仏は尊し)。ただ、わたし自身はすでに悟っているので、宗教の修行はしない(神仏を頼まず)。
 インドでは輪廻転生の思想があった。それは永遠の苦しみであった。解脱とはその苦しみから逃れること。つまり“転生しない人”になることである。
 日本人には転生の思想はない。だから日本人は“転生しない人”になっている。すでに解脱している。だから解脱のために修行する必要はない。
 こう考えるわたしの心に響く本であった。

 むかし、宗教は怖いものだった。神罰は恐ろしい、仏罰も恐ろしい。だから、宗教は国家権力より上にあるのが普通だったのだ。
 しかし、日本では織田信長の比叡山焼き討ちにより、宗教は怖いものではなくなった。江戸時代に、仏教は檀家制度で為政者の下に組み込まれた。役所仕事の下請けになった。もはや仏教は宗教としての力はなく、国を動かす力はもちろんない。
 明治維新後は国家神道が強制された。
 現在、憲法では、信教の自由・強制されない自由がうたわれている。
 宗教には2種類ある。社会を維持する宗教と、個人の内面に語りかける宗教だ。
 社会を維持する宗教とは、たとえば五穀豊穣を願うような宗教である。
 個人の内面に語りかける宗教とは、(たとえば)仏教とキリスト教である。出家者が多くなれば国が滅びる。消費するだけだからだ。滅びないためにはそれなりの生産力が要求された。

 この本は「生き方は自分で考えよ」というのが主題だが、自分で考えられない人は他人の考えたことに従うようになる。たとえば釈迦やキリストの考えに従う。釈迦やキリストの言葉を疑問に思わない人は多いだろう。あるいは社会や会社のリーダーに従う。
 信用できる優れた人を選び従う事も一つの方法だ。
 現代は現代なりの、日本なりの問題がある。そんなとき新たに解釈して「こう生きよ」と言い出したのが新興宗教だ。自分で考えられない人はその言葉に従ってしまう。
 わたしは解脱していると言ったが、能力に限界があり、劣悪な選択をしているかもしれない。
 日本人は織田信長以来、宗教が怖くなくなったはず。それでオウム真理教を考えてみると、矛盾だらけに気がつく。
 この本は宗教の本ではなく、オウム真理教の矛盾をあぶり出す本である。だから仏教やキリスト教には深入りはしていない。

   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 たとえば、仏教に仏罰という概念はない。仏罰を説くのは間違いである。しかし、日本の仏教は有りもしない仏罰を説く。そんな仏教を対象にして語っている。
 仏罰はない。では破戒者はどうなるのか。ただ破戒者は立派な仏教者になれないのだ。
 学校に行っても、怠けていては学問が身につかないのと同じ。
 仏教僧侶は葬式を職業としているようだが、実は釈迦は「葬式は在家の方だけでして、出家者は関わるな」と言っている。そもそも職業をもっていては、出家者ではない。
 わたしの友人には、各種の○○教徒がいる。その人たちの態度はわたしよりよほど規律正しく、人として優れている。だから、尊敬こそすれ怖いことはない。
 あらためて宗教とはなにかを考えさせられた。

   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 かなり前だが、この本の題名と同じ論理で、「国を思うて何が悪い」という本があった。
 これは「国を思うのは悪い」と言った人がいたことを前提にしているはずだ。しかし、そんな人がいるのかねえ。
 その「思いかたが悪い」と言った人が大勢いることは知っている。しかし、「思うのが悪い」と言うのは想像できない。キリストやローマ法王なら言ったかなあ。お釈迦様は言わないだろうな。
(実際は、“思う”かどうかではなく“思いかた”を論じている本である。だから題名が間違っているというべきか)
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2017年06月06日

囲碁AI新時代

囲碁AI新時代
王 銘琬   マイナビ出版   2017.3
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 AI囲碁の典型的な打ち方の紹介とその解説の書だ。
 昨年囲碁ソフト AlphaGo (アルファ碁)がイセドル九段に対し4勝1敗で話題となった。
 さらに昨年末にはMaster(マスター、AlphaGoの改訂版)が登場し、一流棋士に30戦全勝。
 国内でもデープゼンが登場し趙治勲九段と五分(1勝2敗)に渡り合っている。
 この一二年で、一気に10年と予測された時間を縮めてしまった。
 王銘琬九段も囲碁ソフトの開発には協力していたので、この方面に詳しい。
 各ソフトは個性的で、ソフトごとに特徴があるという。その比較。
 ミニマックス法やモンテカルロ法やディープラーニング(深層学習)などの説明もあるる。
 全体的には囲碁界はこのソフトのレベルアップを歓迎している。多くの棋士が積極的に研究しその打ち方を取り入れている。もう人間と比べてどっちが強いという時季を脱している。
 王九段のこの事態に対する現在の見識を示し、解説をしている。そして、この後も見識が変わるかもしれないという予想もしている。この柔軟性があるのだ。

 驚くのはこの日本語の文章力。HPに書いていた頃から文章力には感心していたが、あらためて脱帽する。
 銘琬はメイエンと読む。わたしはメイワンとしか読めなかったが、辞書にはエンという読み方があった。さらにご本人に訊ねたところ、子どものとき、親御さんに「『日本語ではメイエンと読む』と言われましたよ」とおっしゃっていた。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 いま世界ナンバーワンの柯潔(か けつ、柯洁)九段が、5月23日25日27日にAlphaGoと三局打ち、三連敗した。もはや人では勝てない。一説では二子でも勝てないという。
 これをもってAlphaGoは引退つまり碁をやめるという。DeepMind社とって碁は本来の仕事の一過程であったわけだ。
 普通の会社では、もちろん個人でも、何百億円もの金を碁の対局につぎ込むことはなかなか出来ないので、当分これだけのソフトは出て来ないだろう。ただ準ずる程度なら出来そうな気がする。
 碁神の人に対するいたずらだったのか。
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2017年05月04日

話せばわかる!

話せばわかる!
養老孟司対談集 身体がものをいう
養老孟司   清流出版   2003.9
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 20年近く前の各界の著名人との対談集である。
 それぞれが、一家言のあるひとばかり、蘊蓄に富む話をしている。
 次に記すのは、ほんのわずかの例であるが、対談の中に出てくる。本人が言ったというわけではない。
★山本容子 肖像画は似ていないからいい。似ていてはつまらない。
★竹宮惠子 ひとを描くとき、はじめは骨から描く。絵や文は最初は観察して書く。後のひとはそれを写すが、繰り返している内に内容が異なってしまう。
★岩城宏之 モーツァルトでも日本人が演奏すると、日本語になる。チャイコフスキーの曲を演歌のように歌えるのは日本人だけ。
★米原万里 同時通訳は本当なら透明人間であるべき。
 ひとつの言葉でくくれるいろいろな現象が、民族によって微妙にズレている。(ヨーロッパ系言語と)日本のように歴史や文化が異なる言語ともなると、そこら中にある。
★天野祐吉 昔は本を読むとき、声を出して読んでいた。それを黙読するようになった。日本語は視覚でも意味がとれるので黙読しやすい。
 天野さんは、黙読を発見した人に「考えたらスゴイ人ですね。耳を通さないで意味がわかるようになった。でもね、僕は黙読するとわりあい意味がとりにくい人間なんですよ。無意識のうちに声に出してみたり、頭の中で音読している」
 養老「僕は英語の本を読むとき音読になっちゃうんです」

 この本が発行された頃、著者は バカの壁 という本を出している。
 バカの壁では「話してもわからない理解できない壁がある」ということが主題だ。
 この題名と矛盾している。
 さらに 老人の壁 でも「薬は飲むな、害があるだけ」と非常識なことをいっている。(常識については「バカの壁」参照)。それでわたしは著者の見識を疑っているが、相手の話を導き、内容を理解できる能力はさすがと思う。
 双方の言いたいことの急所は十分に伝わってくる。判りやすく話している。
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2017年04月24日

薀蓄好きのための格闘噺

夢枕 漠   毎日新聞社   2007.9
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 格闘技好きの著者による格闘技の蘊蓄である。
 たとえば、当麻蹶速と野見宿禰の戦いは相撲の始まりといわれているが、戦いの様子を見ると、日本の総合格闘技の始まりではないか。
 古代オリンピックの格闘技は現代格闘技と同じではないか。柔術対柔道、グレイシー柔術、あるいは力道山対木村戦の徹底解説、プロレス、K‐1、PRIDE、さらにはルパン対シャーロック・ホームズの柔道対決など分析している。
「プロレスには八百長なし」こう言われて多くの人は「えっ」と思うのではないか。つまりプロレスは事前にどうするのか話し合われていて、そのストーリーによって動く(フェイクという)。つまり試合ではないので八百長は有り得ない。
 八百長とは建前は真剣勝負である試合にのみ存在する。だから、格闘技でフェイクをしたら、八百長である。
 力道山対木村の試合は、プロレスのはずが(つまりフェイクのはずが)、途中で力道山が格闘技を放ったので、木村が戸惑っているうちに、あのような結末になったとか。
 あるいは格闘技全盛時代の様子など。
 今では格闘技の地上波放送がほとんどない。無くなったのかな。わたしは見るのが好きだったので、残念ではあるが、試合を見に行くほどのファンではない。
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2017年03月27日

三舟、奔る!

三舟、奔る!
仁木秀之   実業の日本社   2016.7
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 幕末の三舟といわれた、山岡鉄舟・勝海舟・高橋泥舟の三人の、若き姿を描く時代小説である。
 山岡鉄舟が、明治21年に、勝海舟に向かって、若き日の生き方を語るという形をとる。まだ出世前だ。
 後に山岡鉄舟は、西郷隆盛と江戸城の無血開城の談判をするが、その前の話である。
 小説とはいえ、どこまで史実か気になるところ。
 父が飛騨高山の郡代になったので、高山で育ち剣や禅などを学んだ。17歳にして父の死後、幼い弟5人を連れて三千両を守りながら江戸に出る。途中で賊に襲われたりするのだが、それがきっかけで若き勝海舟や高橋泥舟と出会う。時は幕末に近く、今までの秩序が壊れそうな時代で、いくつかの事件をえて、何とか生き延びる。
 幕末の活躍の苦労話がないと何となく物足りない。これからこの小説のクライマックスを迎えるぞ、というところで話が終わってしまうのだ。
 だから「三舟、奔る!」というより、「鉄舟の助走」と言いたい。
 著者らしく、暗い面もしっかり見つめているので、話に厚みを持った。
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2017年03月18日

落日の譜

落日の譜   雁金準一物語
団 鬼六   筑摩書房   2012.12
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 雁金準一といえば、碁好きにとっては、伝説的な人物であった。
 この本で、具体的な人物像を知ることができた。
 明治・大正・昭和初期の囲碁界は混乱の時代である。明治維新によって幕府の庇護がなくなり、自分の力で生きる道を探さねばならなかった。
 囲碁界の重鎮である本因坊家も明治のはじめには断絶の瀬戸際まで追い詰められながら、なんとか命脈を保った。
 雁金準一は伊藤博文に才能を認められ、庇護を受けながら専門棋士として成長していった。本因坊秀英を尊敬しながらも、対立的団体である方円社に所属し、同時代の棋士の信望を集めていた。
 本因坊秀英の希望と秀英没後は秀英未亡人の要請もあり、次の本因坊の声が高かったが、アクの弱さが災いし、田村保寿(21世本因坊秀哉)にとられてしまう。結局、実力的にも棋界の頂点を極める前にプロ棋界を去ることになる。
 本因坊家以外では、方円社・裨聖会・棋正社・瓊韻社などが設立されては潰れていき、それに関わる人たちを、良くも悪くもいきいきと書いている。
 高田民子の囲碁界への援助には驚く。それによって明治の碁会が保たれたようなものである。
 棋士の品格も、人間としての品格と同じで、決して別な世界の話ではないことを示している。

 この本は著者の死去により未完である。高木祥一九段が「その後の雁金準一」を書き加え完成させた。
 著者は高木祥一九段の紹介で、瓊韻社(けいいんしゃ)の富田忠夫八段に面会し、話を聞き資料を集めている。

参考
雁金準一 1879〜1959、1941年に瓊韻社を創設。
本因坊秀栄1852〜1907
本因坊秀哉1874〜1940 本名は田村保寿(やすひさ)。
富田忠夫 1910〜2002 雁金準一門下。学習院大学卒。1941年飛付三段、1997年名誉九段。門下に王銘エン、鄭銘瑝、鄭銘g、郭求真、渋沢真知子など。1994年大倉喜七郎賞受賞。
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2017年02月19日

銀河乞食軍団 つづき

銀河乞食軍団 つづき
 消滅!? 隠元岩礁実験空域
野田昌宏  早川書房   2009.11

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 まえに紹介した 銀河乞食軍団 の続きである。
 これで「発動!タンポポ村救出作戦」が完了する。
 もう一度言うが、A4三段組み5冊合本というのは無理があるなあ。図書館では他の作家の本だが、束が5センチ以上ある本がある。見ただけで読む気がなくなる。

 わたしは金庸小説のような、女の子や老人が活躍する話が好きだ。この本も女の子が活躍する。
 “銀河乞食軍団”つまり星海企業の宇宙船整備工は、下の“おネジッ子”はなんと12〜13歳、初級の学校を卒業すると、すぐに整備工としては働かねばならない。それを引っ張る班長のお七と副班長のネンネは17〜18歳。こんな子どもたちが、宇宙船を整備し操縦する。免許証はとれたのだろうか。免許制度は無いかもしれない。
 人類が宇宙に進出して、この銀河の辺境に来て千年以上(?)もたっていて、軍事的専制国家。新兵器を開発して、中央に進出し制圧しようという、軍産複合体が支配する。庶民の人権はなきがごとし。
 星海企業はその軍産複合体の裏をかく。

 金持ちの娘が偽善でやっている慈善事業で歌われる男声合唱は「月光とピエロ」で、歌の様子を細かく説明している。

   月の光の照る辻に…
   ピエロ…ピエロ…
   ピエロ淋しく立ちにけり…
   ピエロの姿、白ければ
   月の光に濡れにけり
     ‥‥‥‥

 検索してみたら、今でも歌われている。こんな所は現実的。

 前に書いた、「ん」を「ン」と書くやり方は、一冊目の半ばから復活している。
 全体的には、江戸時代のような社会で、名前や運用体制は明治時代。機械類は昭和時代と宇宙時代の混合。登場する人物は冒険心にあふれている。
 敵役の軍産複合体も内部事情は複雑で、星海企業を一気に押しつぶすようなことはしない、できない。
 
 終わり方が唐突だった。まだ作戦途中なのに、あちこちの伏線が回収し終わっていないようなのに、タンポポ村が帰ってきたので、つまり目的が達成されたので、切ってしまったような終わり方。予定変更もあったらしい。第二部があるので、そちらで回収するか。
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2017年02月18日

銀河乞食軍団

銀河乞食軍団 合本版
野田昌宏   早川書房   2009.6  (1982初版)

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 銀河乞食軍団(全十七巻)は、日本SF(スペースオペラ)では一二を争う傑作だと思っている。

 文庫版はもう手に入らないが、なんと合本版が有ったではないか。
 早速注文した。2冊で十一巻まで、第一部「発動!タンポポ村救出作戦」完結である。
 A4三段組み。重い。気軽に持ち歩くことはできない。
 残念だが、イラストは変わってしまった。

 さて、著者の特徴である、独特な仮名づかいがある。
 なんてかかられたら、あたい、死ンじゃうわ。
 わかったもンじゃないわ。
 もろにつンのめる形になって、
 おねえさン。

 「ん」を「ン」と書くのだ。はじめの十ページくらいまでは何度か出てくるのに、その後は全然使わなくなってしまっている(まだ読み終わっていないので後に出てくるか)。新しく組み直したので、校閲で訂正してしまったのか。初版もそうだったのかな。
 この方法は便利なので、わたしもまねして使っている。
   この小説はなんておもしろいンでしょう。というように。
 電話するのにダイヤルを回すのも懐かしい。あの頃はケータイなんてなかった。

 著者は、古いアメリカSFのコレクターで有名である。それらをクズと喝破した。
 たとえば西部劇の馬を宇宙艇に変えただけだったり。
 最近の映画でも、エイリアンは野蛮な侵略者だったりする。何十万光年の彼方から来ることのできた宇宙人は、地球人よりよほど進歩した文明の生物だと思うのだが。
 本書では、著者は逆手にとって、宇宙時代に江戸時代を再現する遊びをしている。いろいろ矛盾もあると思うが、承知の上である。
 たとえば、舞台は星涯(ほしのはて)星系の第四惑星である白沙(しろきすな)とか。 軍団のリーダーのひとり、お富さんの登場シーンは、
 事務所の長火鉢で煙管(キセル)の刻みを詰め替えながら
 という具合。これでもお富さんは核融合炉のスペシャリスト。番頭さんや奉行もいる。
 宇宙空間で日本語が普通に通じるのも、設定を工夫しているからだ。
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2017年01月31日

失われてゆく、我々の内なる細菌

失われてゆく、我々の内なる細菌
マーティン・J・ブレイザー   みすず書房   2015.7
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 ヒトの体を構成する細胞の70〜90%がヒトに由来しない。逆に言えば体の中にそれだけの細菌が住んでいる。その数は100兆個にもなる。(3万種類、1000兆個という説もある。また70〜90%というのは数量で、重量ではなさそう)
 P28には細菌だけなら3ポンドほどという。
 テレビ“ためしてガツテン”で、腸内細菌は2キロほどいると言っていた。
 わたしは紹介していないが90%が細菌という本もあった「あなたの体は9割が細菌」。
 これらの数字はかなり矛盾しているようで、どう解釈したものか。
 驚いてしまうが、それらのほとんどの細菌は害をなすことはない。それどころか体を守ってくれているのだ。

 腸内細菌は、人間の食べた食物を消化し、腸が吸収できるようにしている。人には消化の能力がほとんどなく、消化を腸内細菌にさせている。腸内細菌は必要な栄養素も作り出す。だから腸内細菌は消化の下請け作業を請け負っていることになる。
 (糞便の95%はこの腸内細菌やその死骸である。という説もある)
 腸内細菌のバランスが崩れるとどうなるか。いろいろな病は、このバランスの変化と死滅によって引き起こされると思われる。
 これらの細菌は、人類誕生以来、人類と共に進化してきた。人類と細菌は運命共同体なのだった。これは他の動物でもそうで、独特の細菌群を持っている。
 こんな話を、細かく例を挙げて説明している。

 1例を挙げると、胃の中にピロリ菌がいる。胃潰瘍などの原因になることが知られているが、健康のために必要(特に子ども)な細菌であった。
注:もちろんわたしに確認できることではない。他の専門家が追試で確認するとか、否定するとかをして、正しいかどうかはっきりする。
 参考: NATROMの日記 http://d.hatena.ne.jp/NATROM/ 2017.01.16「ピロリ菌は胃がんの原因の何%か?」にピロリ菌の別な観点からの記述がある。

 さて、問題は害をなす細菌が入ってきたときだ。昔はしばしば死の病があった。最近になって抗生物質ができて、外来細菌を殺し、死の病を治すことができるようになった。しかし、この抗生物質は外来細菌ばかりでなく、下請け作業をしている細菌まで殺してしまう。そうなると、バランスが崩れ新しい病を引き起こすことになる。
 さらに抗生物質は畜産でも使われている。早く体重を増加させるためだ。これが食物連鎖で人体に蓄積していく。また病院でも過剰に抗生物質を処方する。そうなると人体も太りやすくなる。
 現代は世界的に“肥満”が異常に多くなっている。それがここ二十年間に起こっていることなのだ。その他アレルギーや喘息など、「害」の深刻さに我々はようやく気がついてきた。
 なんと、金持ちは死滅した腸内細菌を求めて、原始社会の抗生物質を使ったことのないヒトの腸内細菌(つまり糞便)を求めているという。
 そんな警告、特に抗生物質の使いすぎ(特に幼児)に対する警告の書である。

参考: 肥満に関しては、こんな本もある あなたは、なぜ太ってしまうのか? 肥満の原因は一つではない。
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2017年01月24日

天と地の守り人

天と地の守り人
上橋菜穂子   新潮社   2011.6
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 これはロタ王国編・カンバル王国編・新ヨゴ皇国編の三部作となっている。シリーズ通算8〜10冊目になる、完結編である。
 どこの国もどの人も、それぞれ立場があり、生きる理由があり、外からは見えない苦悩がある。それらが納得できる物語だ。

 故国新ヨゴ皇国が南の海の向こうのタルシュ帝国に飲み込まれようとしている。それを救うためには、となりのロタ王国と北のカンバル王国と同盟を結び、タルシュ帝国の侵略軍と対抗するしかない。
 新ヨゴ皇国の皇太子チャグムはタルシュ帝国に囚われの身になったが、海に飛び込んで脱出し、ロタ王国に向かう。ロタ王国では南北問題(南の反乱の兆し)を抱えていて、単独では同盟できない。チャグムはさらに北に向かいカンバル王国を説得する。そしてロタ王国と同盟を結び、同盟軍を率いて新ヨゴ皇国に向かう。その間もバルサに助けられている。
 すべての人がその立場ならではの事情を抱えている。チャグムやバルサも例外ではない。
 ロタの内紛もカンバル王の迷いも、それぞれに苦悩の事情があるのだ。新ヨゴ皇国も帝と皇太子チャグムは、国が滅びようとしている時でも対立関係にある。
 タルシュ帝国でさえ、内部では対立していて、統治方法に異論がある。今まではタルシュ帝国に支配されれば、過酷な目にあうと考えられていたが、実情は少数民のタルシュ帝国と、多数民の被支配国の関係は、協力関係にあり、過酷ではない。過酷では反乱が予想されるのだ。国の中枢は被支配地の異民族出身者もいる。
 こうしてあちこちで異論があり、対立しているが、それでも何とか協力の道を探している。
 さらに新ヨゴ皇国の都は、タルシュ帝国にも勝る圧倒的な自然の力によって、滅びようとしていた。ナユグ(異世界)に春が来たのだ。何百年に一度の春だ。
 ふたつの国難をどうやって防ぐのか。16歳のチャグムは成長した。
 バルサは、緒戦の犠牲になったタンダを探しに行く。そして瀕死のタンダを見つけ看病する。
 タンダを世話していた村人に「つれあいです」と宣言する。

 なお、この最終巻の発行のため、荻原規子・佐藤多佳子・上橋菜穂子の3人の対談が巻末にある。平成23年3月22日。なんとあの東日本大地震直後の余震の中での対談だった。小説と重なるではないか。
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2017年01月23日

神の守人

2016.12.20 記

神の守人
上橋菜穂子   新潮社   2009.8

ロタ王国では富の南北問題があった。豊かな南と貧しい北と。
それは民族問題でもあった。
過去に王国を築きながら、今では抑圧される北の貧しいタルの民には、過去の出来事に対する、ロタ王国建国の伝説とは異なる伝説があった。
そして、伝説の恐ろしき神<タルハマヤ>を呼び寄せる力を持つタルの少女アスラが現れた。巨大な力ゆえに大事件を起こし、追われる身となる。
 その恐ろしき神<タルハマヤ>の力を使ってよいものか、その選択をする少女アスラの背負うものが大きすぎるのだ。

   いずれ災いの種になるから、殺したほうがいい。

 一見まともな主張のようだが、民族差別はそんな主張から生まれる。可能性があるからと殺して良いのか。
 立場の違いによって、解釈は異なる。自らを守るすべを持たない少女が危険になったとき、バルサは少女の背景を知らずに、少女を守るという選択をする。
 だんだん背景が判ってきたが、少女を守るという選択は変わらない。それは少女の恐ろしき神<タルハマヤ>に対する解釈にも影響を与えている。

 南北・民族・宗教・教育などの問題、かなり重いテーマの本だった。この本が書かれた頃、イラク問題があったという。
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2017年01月22日

虚空の旅人

2016.7.2 記

虚空(そら)の旅人
上橋菜穂子   新潮社   2008.8

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 「精霊の守り人」の冒険から3年後、14歳になった「新ヨゴ皇国」の皇太子チャグムと、星読(ほしよみ)博士のシュガが、サンガル王国の新王の即位式に招かれて危難に遭遇。バルサは思い出に出るのみ。
 チャグムが成長している。皇太子としての覚悟が出来ている。これが頼もしい。しかも権力欲に汚されていない。
 海洋国家サンガル王国の国土や政治、民族特に漁民の風俗生活ぶりが生き生きとかかれている。
 現王が元気だが新王を即位させるのも、この国の特徴。そして女たちが意外に権力があって活躍する。
 新ヨゴ皇国の南に海に突き出た半島のサンガル王国は海の諸島も支配している。しかしその支配は緩やか。主な島守の妻は王女。
 南の大陸のタルシュ帝国がサンガル王国を狙っていて、今までの作品に出てきた国々も脅威を感じることになる。
 まず海域から侵略と、島民たちを利用しようとする。それに乗せられるものもいる。
 島守のリーダー格のアドルは、次のように考える。
(賢いカリーナ。おまえは、サンガル王家が消えたときどうする? 俺がやったことは裏切りではなくて、おれたちの暮らしを守るためのもっともよい選択だったのだとわかってくれるかな)
 夫の態度に疑問にもつ王子に、妻のカリーナ(王女)は言う。
「ヤドカリが、それまでの殻を捨てて、大きな殻の下に入ろうとしているようなものでしょう。タルシュ帝国は自分たちの血を流さないでサンガルを手に入れようと…」
 夫のアドルが利用されていることを見抜いている。

 シュガがチャグムに協力する関係になっている。
「わたしは、殿下に誓いましたから。―陰謀を知りながら、だれかを見殺しにするようなことは、決して、させぬと」
「清い、輝く魂を身に秘めたままで、政をおこなえる方がいることを、わたしは信じます」

 未来を暗示する言葉だ。
 タルシュ帝国の最初の接触はくじいたが、そこまでで、続きがあることを感じさせる。
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2017年01月21日

精霊の守り人

2017.4.27 記

精霊の守り人
上橋菜穂子   新潮社   2007.4
     2016.4.7-1.jpg
 今年、NHKでドラマ化された。その第1回を見た。調べてみて原作小説があることを知り、直ちに本屋に行った。
 ドラマは4回で第一話が完結だが、第2回を見る前に読み終えた。
 わたしはファンタジーが好きである。ハリポタは全巻そろえて持っている。十二国記はすべて読んだ。彩雲国物語は図書館から借りた。グインサーガも全巻持っていたが、今は大部分手放した。
 金庸小説も武侠ファンタジーであり、全巻そろっていて、もう三回以上読んだ。
 解説によれば、「精霊の守り人」が書かれたのは1996年である。なんとわたしが金庸小説にはまった年である。それなのにこんなにおもしろい小説を知らなかった。
 もっとも、文庫化にあたり、漢字を増やしたりして大人に読みやすくしたというので、これでよかったかもしれない。それでも文庫化は2007年、すでに9年たつ。
 ファンタジーは現実ではない。だから舞台設定をきちんと行わなければならない。つまりその世界を設計することだ。話の都合で適当に能力を付加したり世界を変えたりしてはいけない。
 この小説はその世界がきちんと出来ている。それで引き込まれる。小説もドラマも続きが楽しみだ。
 ドラマと小説では差異がある。主人公バルサが二ノ妃に皇子チャグムの護衛を頼まれるあたり、かなり異なる。そうなるとその後の展開もそれに沿わなければならない。それがきちんと出来ているかどうか、それがドラマの世界が出来ているかどうかということだ。矛盾はなかった。
 現在は第一話は完結している。期待通りだった。第二話は来年の一月という。
 ドラマのバルサ役は「綾瀬はるか」だ。なんと迫力のあることよ。
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2017年01月01日

周 理想化された古代王朝

周 理想化された古代王朝
佐藤信弥   中央公論新社   2016.9
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 理想化された周の実像に迫る学術書(のよう)である。
 一般的には取っつきにくいといえよう。周に対して興味のない人には手がでないだろう。
 だが、 封神演義 や宮城谷昌光の小説「太公望」などを読んだ人は、本当はどうなんだろうと思うだろう。その答えである。周の歴史、特に西周に焦点を当てている。

 わたしは誤解していた。本の題名から、なぜ理想化されたのか、という本だと思っていたのだ。
 至聖林(孔林) に書いたが、 商人の子貢が、全国を回って商売をし、行った先々で、うちの先生(孔子)は偉いと宣伝した。それで孔子が偉いということになってしまった。 という考え方をしている。
 その孔子が周を理想化したので、後に各王朝が利用した、その理由を研究したのか。と思っていたのだ。

 著者は西周時代の青銅器銘文などの研究家である。従来日本にはほとんど紹介されなかった時代である。新しい資料(青銅器銘文など)が次々に見つかり、全体像が構築できた。
 孔子は周を理想化したが、現実は、恒常的に戦争を続けていた国家であったのだ。
 後世、儒を理想としても現実には無理で、まねをしたら政治が破綻してしまうのも当然である。
 西周が滅び(前770)東周として再興する(前722)までけっこう時間がかかっている。
 あと、外部勢力に言及していないので、この時代の東アジアの様子が判らないのが残念。

 現代では目にすることのない特殊な文字は、初出時だけでなく何度も仮名を振って欲しい。読めなくて意味も通じなくなりやすい。
西周(BC11世紀−BC771年)
東周(BC770年−BC256年)(春秋期+戦国期)
 この間に、政治軍事の中心は王から地方の諸侯に移っていった。結局小国に分離独立し、周は消滅して始皇帝の時代になる。
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2016年12月27日

子どもを守るために知っておきたいこと

子どもを守るために知っておきたいこと
メタモル出版   2016.7

 13人の専門家による共著である。
 子どもを守ることだけでなく、大人も自分を守るために知っておきたいことばかり。
 いま世間では、どのようなデマ情報が流れているのか、そしてどのような問題が起きているのか。
 インターネット上では、根拠のない適当な記事を量産しているところもあり、親たちを混乱させている。それどころか学校や公的機関や医師でさえ、間違った情報を発信したりする。
 極めつけはホメオパシー、薬は大量に摂れば毒になるが、適度に薄めて、薬として役立てている。これを極度に薄めあめ玉にしたもの。本来の成分などないに等しい。根拠はイギリスでは認められているというのだが、逆にイギリス以外は認められていない。イギリスでも効かないことは判っているが、希望者がいるから禁止していない、だけのもの。
 本来の成分がなくとも水が記憶しているそうだ。まさか。
 食べ物でも、あれを勧めたりこれを勧めたりと混乱するが、偏食で良いはずがなく、マイナス面も検討せねばならない。
 あるいは「江戸しぐさ」。なんと学校で取り上げたという。わたしも騙されてしまったが、芝三光なる人物の捏造と判っている。なかなかいいことも言うが、基本が捏造である以上、検討せずに信じてはならない。
 放射線の話もある。薬と同じように程度問題なのだ。津波による原子炉爆発があったが、今では福島でも他と同じ程度になっている。もともと自然界には放射線は一般的にあるので、福島が特に危険ということはない。もちろん危険地域は存在する。これははっきりさせねばならない。

 よく自然食品を推薦する人がいる。自然の意味は曖昧だ。
 わたしは登山の友人と話したことがあるが、自然の植物は毒を含むものが多く、山菜より八百屋やスーバーに並ぶ野菜の方が、遙かに旨くて安くて安全である。
 そんな常識の本である。
 これで完璧ということはなく、不備な点もあるだろう。詳しい人なら間違いを見つけるかもしれない。
「ニセ医学」に騙されないために と同じく、冷静な状態なら誰でも正しく判断できることなので、いざとなる前に読んでおきたい。
posted by たくせん(謫仙) at 13:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする