2021年09月14日

みをつくし料理帖

みをつくし料理帖  天の梯(そらのかけはし)
田 郁(かおる)  ハルキ文庫   2014.8

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 みをつくし料理帖はこの第10巻をもって完結した。
 澪(みを)は享和2年の大阪の大水害で、幼くして親を亡くし、料理屋「天満一兆庵」の女将である芳(よし)に奉公人として引き取られる。
 ある洪水の後、汁物の味が変わって、料理人たちが原因が判らず困っていたとき、澪は水の味が変わったことを指摘する。それで主人の嘉兵衛に見込まれ、女ながら料理人の修行をすることになる。
 あるとき店は火事になり、大阪の店は再建せず、嘉兵衛とその妻芳と澪は江戸の支店に来るが、嘉兵衛の息子佐兵衛は店をつぶして、行方不明であった。心労で嘉兵衛は亡くなる。
 澪(みを)は小さな店「つる家」で料理人として働き、芳と一緒に生活を続けた。
 医師源斉の言葉「食は人の天なり」を励みに、人々が健やかに生きることを目指して、料理を作る。
 こうして6年、幼なじみの野江が吉原にいることを知り、四千両を工面して救いだし、佐兵衛を料理人に戻して、江戸に天満一兆庵を再興させ、自分も医師源斉に嫁ぎ、ともに大阪に行き、新しい人生をはじめる。
 その後、料理屋「みをつくし」を開店することになるはず。付録にある11年後の料理番付が暗示している。

 超あらすじはこんなところだが、江戸の人の暮らしぶりや人情などかなり細かく描写されている。澪の料理の工夫ぶりも細かい。しかも架空の料理ではなく、小説の話をまとめたレシピまでついている。
 最終話になり、ページが残り少ないのに問題解決の先が見えず心配したが、違和感なくまとまっている。話は始まりから終わりまで一貫して練られているので、読後は爽やかで後味が良い。

 あちこちで涙が止まらなくなった。
 たとえば、つる家には下足番となった十三歳の“ふき”がいる。ふきは七歳の弟健坊が奉公先の登龍楼に戻るのをいやがったとき、心を鬼にして「登龍楼に戻れ」と叱るあたり。
 住む家もなく、二人で生きるすべもなく、幼い二人が生きてゆくために、ふきは苦渋の決断をしなければならなかったのだ。
 その前に、健坊の初めての藪入りの時は、ふきは健坊をふきの奉公先つる家に連れてこず、登龍楼ちかくをふたりでうろうろして白玉を食べただけ。
 つる家の皆は、ふきが健坊を連れてくると思っていたので残念がったが、ある人が、「そりゃあ、連れてくることはできないだろう」と、ふきの心情を喝破するところとか。
 わたしはどうも、無力であるが故に選択肢がなく、無理を強いられる話に弱い。

 心残りは、二人の少年(太一と健坊)が将来どうなるのかが、はっきりしないこと。サブキャラとはいえ、感情移入してしまった。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 後にドラマ化されたが、澪の料理に特化して、味が薄くなった。まさに料理帖だ。多くの登場人物が問題をかかえたままで終わってしまい、物足りなかった。
 また映画化もしたが、この長い物語を一本の映画にまとめることは無理で、かなり省略して、設定も変えて、表面だけをさらったような感じで、見るのが辛いほど。原作を読んでいた故であろう。だから原作を知らなければ、それで良しとしかもしれない。
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2021年05月10日

サピエンス全史  ホモ・デウス

 初めて読み終えてない本の紹介をする。
 間違いがあるかもしれない。非難する人がいるかもしれない。

 わたしは宗教を信じない。しかし、バカにはしない。
 漱石の草枕。
 人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
 そう、この世を作ったのは神ではない。これは十代の頃から思っていたが、わたしの考えをはっきりさせたのは、宮本武蔵の五輪書である。
 神仏を尊びて、神仏を頼らず
 そうだった。宗教には頼らない。しかし他人の信仰心は尊重する。静かに、宗教規律を守って生活している人に対しては、尊敬心もある。ただ他人を攻撃したり、しつこく勧誘する人には怒りを覚える。だから、宗教による戦いは理解出来ない。

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 先日、ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史−文明の構造と人類の幸福」と、その続編とも言える「ホモ・デウス−テクノロジーとサピエンスの未来」を途中まで読んだ。そして投げ出した。
 まわりくどく、何を言っているかさっぱり判らないのだ。整理して、この十分の一くらいにまとめたら、つまり全部で四冊を百ページほどにしたら、少しは判るかもしれない。
 「サピエンス全史」が人類の過去、「ホモ・デウス」が人類の未来を語る。
 ネットで、その要約や、書評などを読んで、ようやく大意をつかんだ。

 現人類が、架空の話を作ることができることが、他の人類を滅ぼし勝ち残った理由だという。
 他の人類が架空の話を作ることができないと、どうして知ったのかは判らないが、架空の話、たとえば神を偽造したり、言語だけでも意味を伝え、噂話を確かめもせず信じる。貨幣制度など、虚構に類する実態のない概念を理解できる。
 その架空の力で大人数をまとめた。そして国家を作った。
 確かに国家を作ったのは現人類だけだ。他の生き物で、言語を持つと言われる生物も国家は作れない。
 生物は、階層化される。
   神
   支配者層
   一般の人
   家畜(一部の人も含まれる)
   他の生命

 そして、将来は、次のように分類されると予想する。
   アルゴリズムと、アルゴリズムを操る神となる支配者層
   家畜(ほとんどの人はここに分類される)
   他の生命

 支配者層以外のほとんどの人は家畜に分類されるのだ。
 現在でもAIに支配されている人が多い。さらに進むと、衣食住からさらには恋人や結婚相手までAIに支配されるだろう。インターネットがないと何もできない。アルゴリズムの奴隷になるのだ。
 神とは、AIやAIなどの情報を支配する人たちだ。

 もはや、この状態は宗教ではないか。ここで最初の述懐か出てくることになる。

参考 https://note.com/nogacchi/n/n0a09f10fa38e
ホモデウス図解 神になろうとするサルたち

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
以下ほとんど不要の駄文

 翻訳物は、回りくどくて意味が判りにくいという話。わたしの頭が足りないだけではないだろう。

ひとりの男が…
 前後の文を見て、あれ、この文脈だと、一人でなくでも、女性でも当てはまる話ではなかろうか。と考え込んでしまう。
 
「…誰だか知りませんが、一人、または複数の人間と連絡していたのを見つけたんです!」ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団p504
一人、または複数の人間、これ以外の状況はあるのか。

 この本では、
 1943年にドイツのある男の子が父親にきいた。
 1943年でないといけないのか、女の子や母親では該当しないのか。
 男の子に限定した意味は何か。
 これが伏線だと思って気をつけていると、何の関係もない。だったらなぜ男の子と限定したのか。

 このような本は、結論ばかりでなく、結論にいたる道筋も大切だが、それでも十分の一にしてほしいと思う。
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2021年03月25日

ヤマンタカ

ヤマンタカ 大菩薩峠血風録
夢枕 獏   KADOKAWA   2016.12

    2021.3.25.jpg   
 あの有名な中里介山の「大菩薩峠」の改作版とでも言うのだろうか。
 大菩薩峠は、初めの部分を読んだが、その後は読んでいない。あまりおもしろいとは思わなかった。名作と言われるのに、読み終えた人はほとんどいないのではないか。
 何度も映画化されている。
 大菩薩峠のストーリーは支離滅裂。その理由が原作のうち三分の一をカットして、カットしたためのつじつま合わせをしないで、単行本にしたためという。しかも未完。
 この大菩薩峠のはじめの部分の、御岳神社の奉納試合とその前後を、夢枕獏流に改作した。
 名作(?)をいじるな、という声があるかもしれないが、わたしには名前のみの名作に息を吹き込んだと思える。
 音なしの構えに形をあたえた。そして真剣の恐ろしさを巧みに表現している。道場の木刀でも死ぬ場合があるが、真剣は次元の違う恐ろしさがあって、真剣勝負の強さは道場での強さとは違う。
 人を切った経験のある人の強さ。沖田総司はその真剣に淫している。
 机竜之助は普通(?)の剣豪のように扱われている。これはちょっと不満。もっと神秘性を持たせて良い。

 題のヤマンタカであるが、「夜摩天を降す者」で、正しくはヤマーンタカ。
 梵名のヤマーンタカとは『死神ヤマをも降す者』の意味で、降閻魔尊ともよばれる。日本では「大威徳明王」。六面六臂六脚で、神の使いである水牛にまたがっている姿で表現されるのが一般的である。本体は文殊菩薩であるという。
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2021年02月11日

李清照

2006-5-20記
2021-2-10改訂(「たくせんの中国世界」から「雲外の峰」に移す)

李清照 −詞后の哀しみ−
李清照の悲しさ 李清照と宋詞 詞について 武陵春 文学 家庭環境 生涯

参考: 李清照 その人と文学  中国の女詩人  新譯漱玉詞  李清照後主詞欣賞
★李清照 年表

 絵には見えないが 賛 があり、その賛を書いた人は夫である趙明誠。
  政和甲午新秋徳父題於帰来堂 と記す。
     image3.gif
       易安居士三十一歳之照
 政和甲午  政和4年(1114)
 易安居士  李清照の号
 徳父    趙明誠の号
 帰来堂   趙家の図書館
 この絵は後世の模写である。菊の花を持っているが、原画は蘭の花を持っている。
   …………………………
   李清照の悲しさ
 詞人李清照は北宋の官の娘として生まれ、その官としての特権に疑問を抱かず一生を終えたようだ。
 18歳のとき太学生の趙明誠に嫁いだ。後年そのときを振り返り、李家も趙家も貧しかったと言っている。しかし、宋代は史上もっとも官吏の給料が高かったことで有名であり、義父はそのときすでに大臣で翌年には宰相となっている。
 夫の趙明誠はエリートの学校である太学で学んでおり、すでに金石学で名をあげていた。父の李格非は高官ではないが、名文家として高名であった。いずれにしても貧しいはずがない。
 北宋の滅びるときに、李清照は百万冊といわれる書物を失っている。買い集めた書画骨董のうち、良い物だけを選びに選んで、舟十数艘で建康(南京)まで運んだが、結局それも失ってしまった。これらを得るにはどれほどのお金が必要であろうか。
 余談ではあるが、本の溢れかえる現代でも、司馬遼太郎氏が持っていた本は三十万冊といわれている。
 李清照についての疑問はまだある。李清照が嫁いだ翌年、父の李格非は元祐姦党として弾劾される。この時、李清照はときの宰相に人の心をふるわせる手紙を書いて父を救ったという。
 北宋は王安石の新党と司馬光の旧党の争いによって自滅を早めることになるが、李格非は旧党であり、義父の趙挺之は新党であった。
 そして元祐姦党を弾劾したのは宰相となった趙挺之であった。ときの宰相とは義父なのだ。もう一度いうと嫁入りの翌年である。敵対する家に嫁に行ったわけだ。
 趙明誠が子供の時「詞女之夫」という謎の夢をみて、長じて詞女の夫となる話が伝わっているが、前後の複雑な事情を覆う作り話であろうと思われる。
 李清照はそれぞれに悲しんでいるが、特権を当然と考えて、それが不十分であると嘆く姿に同情心はわかない。特権を「自分は恵まれている」と思うことができれば、決して悲しみの人生ではなかったはずだ。それに気がつかないのが、李清照の最大の悲しさであろうか。
 多くの詞を填した(詞を作った)が、漱玉詞一冊のみが伝わっている。評価は詞后。詞帝李後主に対す。
 李清照は再婚している。王安石も寡婦の再婚を勧めているように、当時では非難されることではない。井上祐美子の小説に、この李清照の再婚を扱った短編小説がある。創作部分がほとんどのようだが、一読を勧める。

   如夢令 李清照


  昨夜雨疎風驟  昨夜、雨は疎にして風驟く 
  濃睡不消残酒  濃い睡りにも残酒は消えず
  試問捲簾人   簾を捲く人に問うてみれば
  却道海棠依舊  却って海棠は舊に依ると道う
  知否      知るや否や
  知否      知るや否や
  應是緑肥紅痩  應に是れ緑肥え紅痩せるべし

   …………………………
   李清照と宋詞
 わたしが李清照の名を知ったのは1983年のことであった。
 ある日、台湾のかわいいガールフレンドから手紙が届いた。その手紙の中に李清照を紹介してあった。
 そのガールフレンドは間もなく高校受験の準備に入り、音信不通になってしまったが、わたしは李清照に興味を持った。それまでは、人並みな漢詩の知識しかなかったわたしは、宋詞の世界に強烈な印象を受けた。
 唐詩は、恋をうたっても、政治演説のように建前を描写してしまうようだが、詞は和歌のような心を打ち明ける恋の歌なのだった。
 恋愛の歌も当然多いが、国を恋し、故郷を恋し、芸術を恋し、酒に恋し、花鳥風月に恋する、そんな印象がした。
 当時はめぼしい資料もなく、やっと見つけた本は、当時としてはありがたかったが、原文と意訳文のみで解説も読み下し文もなく、とても味わうところまではいたらない。しかもわたしにも判る間違いがあり、物足りなかった。
 その本のまえがきの一部を紹介する。

 新譯漱玉詞 昭和三十三年 花崎采琰(さいえん)
 詞は晩唐五代の頃からさかんになりはじめるが、このころの作品は多くは宴席の楽しみのために‥‥、こさめのふるたそがれ、‥‥、ゆく春をおしみつつものおもいにしずんだり、あかつきの鶯、ありあけの月にきぬぎぬのわかれをおしんで、‥‥などという情景がもっとも多く‥‥。
 ‥‥南唐の天子、李後主は、このような宴席のたのしみのうたにとらわれることなく、その滅びゆく國家への愛惜と身世のかなしみを、そのままことばにうつして詞をつくった。‥‥ほんとうの意味の文學作品であった。‥‥
 ‥‥北宋のおわり南宋のはじめにかけて一人の天才的な閨秀詞人があらわれた。それが李易安居士清照である。詞というものは男性がうたってもわざわざ女性の身におきかえて作られるように、本来は女性の立場にたっているものである。‥‥
 詞はわが國の和歌ににて、やさしくうつくしいものであるが、‥‥‥‥
 中田勇次郎しるす

 なお花崎氏は昭和六十年(1985)三月に「中国の女詩人」を発行している。この中でも十頁にわたり李清照を紹介している。新譯漱玉詞より正確である。
 その後、わたしは台湾旅行のおりに、中国語の「李清照李後主詞析賞」を買い求めた。この本と前述の本を較べることによって、少しは理解できたが、どうしても判らない部分があり、長い間そのままになっていた。
 ところが新世紀に入って、インターネット上で李清照に関する優れたサイトを見つけることができた。
 碇 豊長 「詩詞世界」http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/
 碇氏にメールで問い合わせたりして、いくつかの長年の疑問が氷解した。
 そこで、屋下に屋を架すようだが、ここに李清照についてのいくつかを書くことにした。

   …………………………
  詞について
 次の詞を「武陵春」と書いてあるが、正しくは詞牌といい、その下に小さく書き加えた「春晩」が題である。ただし、ほとんどは詞牌のみで題名は書かない。
 そもそも詞は替え歌のようなもので、詞牌はその曲である。それに各人がいろいろな詞をつけて歌った。それゆえ詞牌のイメージと詞のイメージが合わないので、知らずに読むと疑問に思う。
 中には本来のイメージによって作られた詞があるが、それを本意などという。
 詩は士大夫のもの、詞は庶民のものといわれ、詞は庶民に親しまれたが、芸術作品とはみなされなかった。それを五代に南唐後主李U(いく) が格調の高い詞を作って芸術作品とした。そして宋代に花開いたのが宋詞である。
 唐代の李白が作った詞が伝わっているが、その真贋は疑わしい。
 李清照は多作したが、現在伝わっているのは五十数首だけである。テキストによって多少の差がある。
     buryoushun.gif
塵は香りて    花が散って地上の塵と交じり
物は是人は非ず  物はそうでも人はそうではない。
         物は昔のままでも人は変わりゆくの意味。
事事く休し    万事休す
双渓       浙江省金華県にある川。清照は夫の死後、金華県にいる弟を頼った。
さくもう舟    足の速い小船という。
擬        計画する。

   …………………………
   文学
 李清照は自ら易安居士と号し、また易安室とも署名した。北宋の歴城(現在の山東省済南市)の人である。歴城の西南「柳絮泉」に家があったことが判っている。
 歴城は古くから絵のような景色で知られ、文人才子の集まるところであつた。有名な千仏山と大明湖があり、名勝古跡も特に多い所である。
 清照は北宋の元豊七年(1084) の生まれで、南宋の紹興21年(1151)以降六十歳ないし七十歳で亡くなった。
 その文才は並はずれており、著作もかなり豊富である。ただほとんど伝わっておらず、残っているのは少ない。
 南宋「楽府雅詞」の「李易安詞」23首
 明末「漱玉集」の17首
 晩清「漱玉詞」の50首
 趙万里編集「漱玉集」の60首
 中華人民共和国時代「李清照集」78首
、そのうち35首は疑問があるらしい
 人民文学出版社の「李清照集校注」は、比較的完備された全集で、李清照が遺した詞・詩・文のほとんどを網羅している。もちろん著作の全貌には遠く及ばないが、多才多芸な作家であることを知るには十分であるという。

 評価をあげてみよう。
 同時代の王灼
 …本朝の婦人ならば、まさに文采第一と推すべし
 朱熹は(朱子学の朱子ですね)
 本朝の婦人の能文はただ李易安と魏婦人あるのみ
 明の楊慎は
 衣冠のうちに在らしむれば、当に秦七、黄九と雄を争う

   …………………………
   家庭環境
 父は李格非、字(あざな)は文叔という。進士に合格し、官は礼部員外郎となる。
 文章で蘇軾に知遇を得ている。「後四学士」といわれた。
 贈賄全盛の時代に贈賄を拒否し、実力で官になろうとする人だった。また栄利は求めなかった。
 元祐年間(1086〜1093)に旧派が王安石の新法を覆したことがある。
 崇寧元年に蔡京は、新法を覆した人たちを元祐奸党として弾圧した。
 その時李格非は罷免されている。
 深い学問のある学者であったが、著作はほとんど失われ、「洛陽名園記」のみが伝わっている。
 当時の有力者たち(皇帝・蔡京・司馬光など)が民家を壊して庭園を造ることに対して、「洛陽の盛衰は、天下治乱のきざしなり」と批判している。間もなく金との戦争でこれらの庭園は消失した。
 散文が出色だったが、詩詞にもすぐれていた。それらの才能は李清照に伝わったといわれる。
 母は漢国公王準の孫という。文化的素養は深かった。当然、李清照にも影響は及んだであろう。
 このように李清照は文学的雰囲気が濃厚な家庭で育ち、豊富な歴史と文学資料の中から栄養を吸収した。
 なお、何人かの姉妹と弟がいた。

   …………………………
生涯
 中国では一般に女性を教育することは少ない。その中で李清照は子供のときから文藝に親しみ当時の詞も険韻を好んだという。険韻とは韻が限定されて相当する文字が少ないもの。当然難しい。これで腕を磨いた。

 数え18歳の時、趙明誠に嫁ぐ。趙明誠は子供のとき、謎の夢を見たという。
 あるとき、本の夢を見て目を覚ましたとき、「言と司が会う、安の上すでに脱す、芝芙の草を抜く」という言葉だけを憶えていた。
 父はこう解釈した。
   言と司が合えば  詞
   安の上を脱せば  女
   芝芙の草を抜けば 之夫
   故に「詞女之夫」 となる
 後に夢のお告げのとおり詞女李清照の夫となった。
 こんな伝説が作られるほどの夫婦であったということであろう。

 新婚時代の苦しい生活の話もあるが、それはお金があると金石書画を買い込んだため。金石書画を買うお金はあったのだ。決して貧しいわけではない。
 間もなく趙明誠は出仕し、家を空けることが多くなる。その出張先に詞「酔花陰」を送った。感激した趙明誠は三日かけて、五十数編の詞を作ったが、その中に李清照の詞の一部を使った。友人の陸徳夫に見せると、「この三句がすばらしい」と褒めたが、それが李清照の詞を使った部分だった。

 このころ政界は新派と旧派のあらそいがあり、その争いに巻き込まれる。実父は旧派である。夫の父は新派で、旧派の弾圧に力を注いだ。
 李清照が21歳の時、義父の趙挺之が亡くなり、趙一族は追放され青州に帰ることになる。それからの10年が最も幸せだったのではないか。夫婦揃って金石書画の収集研究に没頭した。
 その後、趙明誠は莱州と青州の郡守となった。このころが水滸伝の時代である。43歳の時、靖康の変があり北宋が滅んだ。
 北方は金となり、宋は南に逃れ南宋となるも定まらず、皇帝さえ流浪の生活を送る。李清照も流浪の生活となる。

 46歳の時、夫趙明誠は亡くなり、玉壺事件が起こった。趙明誠の生前に張飛卿がa(みん=玉に似た石)の壺を持ってきた。そして没後に趙明誠が「金」に玉壺を贈ったとデマが流された。趙明誠は建康(南京)の知(長官)として金と交渉し、そのときaを贈ったらしい。玉なら問題だがaなら問題は小さい。李清照はaであると主張しているところを見ると、贈ったことは事実のようだ。
 このころ金は江南まで来ており、建康は最前線である。間もなく李清照は残っていた蔵書二万巻も全て失うことになる。
 このころの流浪の様子は、拙文の年表を見て頂きたい。

 49歳の時、ようやく南宋の都が杭州に定まった。それまでは皇帝も転々としていた。
 李清照は再婚することになった。結婚相手は張汝舟である。張汝舟の目的は李清照の財産であった。
 再婚と同時に李清照の財が張汝舟に取りあげられ、あっという間に婚姻は破綻した。約百日間であった。
 李清照から離婚を申し出たが、当時は夫に責任があっても、女が離婚を申し出れば二年の徒刑となった。幸い親戚の高官の計らいで、九日間に減らすことができた。

 紹興四年(はっきりしない)ころ「金石録後序」を書いている。それによって、李清照の半生が判る。これ以外には「打馬図序」などがあり、江南の生活の様子が書かれている。このころ鋭い評論も書いている。
 晩年ははっきりしない。亡くなった年さえ判っていない。68歳ごろと思われる。
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2021年02月10日

李清照 その人と文学

2010-03-20記
2021-02-10改訂

李清照 その人と文学
徐培均   訳 山田侑平   日中出版   1997.6
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 原書は1981年、約40年前だ。解説文ともかく、詞の翻訳は大変な労力であったと思う。
 原文は簡体字だ。それを繁体字にもどし、解説文は日本の字にする。また詞の仮名遣いは歴史的仮名遣いとし、解説は新かなづかいだ。
 はじめに凡例として、参考にした中国における李清照ものの一覧を上げている。26冊、 それ以外にも多く出ているという。
 その中に、わたしの紹介した、「李清照後主詞欣賞」も上がっている。ところが著者が余雪曼になっている。余ではなく佘(ジャ)であることは前に書いた。
    
 この本は最近手にしたのだが、わたしが李清照に対して知りたいことは網羅していると思う。この本と前記3冊を合わせて、「李清照 −詞后の哀しみ−」を書き改めた。
 目次

 凡例
第一章 傑出した女流詞人
第二章 家庭と環境
第三章 南渡の前
第四章 南渡の後
第五章 「詞は別に是れ一家」
第六章 詩、散文その他
結語
 後記

 靖康の変で北宋が滅ぶまでが、南渡の前であり、南宋に変わり、江南などを流浪したのが、南渡の後である。
 こうして、詞ばかりでなく、生活や環境や歴史まで書かれていて、いままであいまいに理解していたことがはっきりした。特に再婚の事情がはっきりした。やはりわたしには日本語にかぎる。再婚説は誹謗中傷で実際は再婚していない、という説も強かったのだ。

 訳者はあとがきで、「…李清照の詞は所謂読み下し文にするには不向きだといえる。比較的自由な口語訳をしたいという誘惑にも駆られたが、…独りよがりの訳では原詞の境地を打ち壊すだけであることは目にみえているため、やはり読み下し文に止めた。…」と書いている。
 わたしも賛同する。原文中国読みでは、中国語をしらない日本人には無理だし、口語意訳文では、本当のよさは伝わりにくいと思う。こんなとき、西洋の詩を訳した先人の苦労を思う。その点、中国詩は漢字という助けがあるだけ、日本人にも伝わりやすい。

 なお、前に誕生その他の年月のことを書いたが、この本では、元豊七年誕生としている。そして60ないし70歳で亡くなった。紹興4年に金石録後序を書き終えていた。
 元豊七年誕生説は、わたしの年表と同じであった。
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中国の女詩人

2010-3-10記
2021-2-10改訂

花崎采琰(さいえん)   西田書房   1985(昭和60年)
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 翻訳のレベルは「新譯 漱玉詞」より高い。何よりも、ほとんど日本人に知られていない、中国の女流詩人を紹介したところに価値がある。
 古くは周の詩経から、漢の蔡文姫・王昭君・虞美人・卓文君、唐の武則天・楊貴妃・魚玄機、宋の李清照、近くは秋瑾。全部で180人弱の女詩人を紹介している。
   
 当時わたしは李清照の名や「詞」を知ったばかりだった。しかし、近くの図書館にも資料はなく、調べようがなかった。そんな時この本の広告を見てすぐに注文した。
 紹介文は李清照を中心にしていたので、その李清照の名に飛びついたのだ。
 B5版452頁、自費出版。
 その中に10頁にわたり、李清照とその詞「一翦梅」「酔花陰」「如夢令」を紹介している。その中の一場面。
 夫の趙明誠と本の整理をしていたとき、李清照が暗記しているある文を言う。趙明誠が、その文がどの本の何頁の何行目に書かれているかを当てる、というもの。そのようにして、どちらが先にお茶を飲むのか賭けたという。いかにも学者夫婦らしい話がある。
 この本に過去の出版として新譯漱玉詞の名があった。そこで新譯漱玉詞を欲しいと、著者の花崎さんに問い合わせをした。
 すでに著者の手元にも2冊しかないので…、と丁寧な毛筆の返事を頂いた。それで国会図書館に出かけた。
 だから新譯漱玉詞よりこの「中国の女詩人」の方を先に読んだ。

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 この本は詩人を紹介している文があるが、詞詩は原文と訳文のみ。新譯漱玉詞と同じやり方だ。ただし訳文は全部かな書きである。できる限り和語にして、漢語はカタカナ書き。紹介文の漢字はルビが多く読みやすいと思う。

      以下は、本の話。
 この本の印刷は東京だが、組版を札幌で行っている。当時、すでに活版はほとんどなく、タイプレスタイプ全盛の時であった。
 進んでいる会社は、更にコンピュータ処理に変えており、写植やタイプはまもなく姿を消す。しかし、中国の詩となれば、難しい漢字が多く、写植やタイプでは対応できない。地方に僅かに残っている活版の会社に頼まねばならない。そんな時代背景が思われる。いまならばパソコンで簡単にできる。
 花崎さんは、大学生のころから漢詩に親しみ、この原稿を書き始め、途中戦争にあったりして中断したり、推敲を重ねたりして、五十年以上たってようやく脱稿したという。この本の発行時は八十歳を越えていた。
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新譯漱玉詞

2010-3-6記
2021-2-10改訂

新譯漱玉詞
花崎采琰(さいえん)  新樹社   昭和33年(1958)
李清照 −詞后の哀しみ−で紹介した「新譯漱玉詞」である。
        liseisho3.1.1.jpg
 この出版社はすでに存在せず、おそらく二度と手に入らない本である。訳者は東洋大学倫理文学科卒業後、漢文検定に合格し中学校の教諭となっている。中国語は話せなかったのではないかと思われる。
 この本は当時(1987ごろ)としてはありがたかった。しかし、原文と意訳文のみで解説も読み下し文もなく、とても味わうところまでは至らない。翻訳のレベルは高くはないと思う。それゆえ復刻の可能性はない。
   liseisho3.1.2.jpg
  中身はこんな具合

 国会図書館にあるので、もし読みたければ、国会図書館でコピーを頼むのがよい。わたしは国会図書館で半分、もう半分は日比谷の都立図書館から借りてコピーした。
 末尾に論詞・金石録後序・打馬図経序の読み下し文と、易安居士年譜がある。
 李清照の伝記は「金石録後序」に頼るしかないが、これは李清照本人が書いたもので、客観性に多少の疑問があると思う。
 わたしは「金石録後序」の読み下し文をちょっと読んだが、意味が判りにくい。後に原文を手にして比べて見ると、漢文の解釈に間違いがあり、読むのをやめた。
 二カ所だけ紹介する。
   
   …………………………
 訳者読み下し文
余建中辛巳始めて趙氏に歸ぐ時。先君禮部員外郎丞相と作る。時に吏部侍郎と作る侯年二十一。太学に在りて学生と作る。

 拙の解釈。
余建中辛巳始めて趙氏に歸(とつ)ぐ。時に先君は禮部員外郎と作(な)る。丞相は時に吏部侍郎と作る。侯は年二十一、太学に在りて学生と作る。
 余は私。
 歸(とつ)ぐ。嫁入りは仮の家から実の家に帰るという考え方をした。
 侯とは夫の趙明誠を指す。二十一歳で太学生であった。
 先君とは、清照の実の父親を指す。
 丞相とは明誠の父親である趙挺之。後に宰相となった。
 意訳すれば、「わたしは、建中靖国元年に趙氏に嫁いだ。そのとき父は礼部員外郎であった。夫の父は吏部侍郎であった。‥‥」
 この文によって、建中靖国元年に趙氏に嫁いだことが決定できる。
 最後の易安居士年譜では「建中靖国元年辛巳、十八歳趙氏に嫁ぐ」としている。これは正しい。ところが序文では、元符二年としている。二年ずれているのだ。

 鳴呼、余自少陸機作賦之二年、至過キョエン知非之両歳三十四年之間、……紹興二年
という文が元文にある。
   陸機作賦    二十歳
   キョエン知非  五十歳
 ああ、わたしは、陸機が作賦した二十歳より二年若いときから、キョエンが非を知った五十歳より二歳過ぎるまで三十四年の間、‥‥‥紹興二年
 「18歳から52歳まで34年間‥‥‥」の意味である。
 序文にこれを、陸機作賦を十五歳とし、十三歳から四十九歳としている。
 紹興二年は数え49歳であり、ここらあたりから錯覚したようだ。
 興味のある人は、拙文 李清照年表 と比較してみて下さい。

 こんなわけで、レベルは低く他人に勧められる本ではないが、わたしにとって宝物の一冊である。
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李清照後主詞欣賞

2010-3-17記
2021-2-10改訂

李清照後主詞欣賞
佘雪曼   台湾大同書局   1982年
        sisekishou.jpg
 この書名は李清照と李後主、二人の詞の欣賞ということ。
 李清照の項で書いたように、わたしは台湾を旅行したおり、この「李清照後主詞欣賞」を買い求めた。三分の二は李清照の解説、三分の一は李後主の解説である。
  
 李後主とは南唐の三代目の李U。後主とは二代または三代で終わった王朝の亡国の王のことで不名誉な称号である。
 著者の名の「佘」はジャ又はシャと読む。名前にしか使わない文字だ。このことは去年の雲南旅行のおりに岡崎由美さんに教わったばかり。
 繁体字で金石録後序の解説もある。読めないとはいえ、先の「新譯漱玉詞」と比べてある程度推測できるところもある。
 金石録後序には本来はなかったであろう句読点があるため、文の区切りを間違えずに済む。また解説もあるため、「新譯漱玉詞」での疑問を考えることができた。

 わたしの「李清照年表」は数え年で、「政和甲午新秋三十一歳」なら元豊7年生まれ、建中靖国元年18歳結婚としたが、この本は同じく「政和甲午新秋三十一歳」から計算し、元豊6年生まれとしている。満年齢だ。宋の時代には満年齢で数えただろうか。
 年表の紹興5年のところに、「……紹興二年」の文があるが、その紹興二年を紹興4年の間違いとしている。そしてその時満52歳であると。
 しかし、元豊6年生まれでは、紹興4年は満50歳または51歳である。
 そのあと、
 紹興13年には存命、享年は六十以上だが、死去は不明。とある。
 なお附録に、張壽林が諸説を紹介しているが、読み切れない。いまでは、日本語訳された李清照も存在するので、これは無視していいだろう。

 李後主については、いろいろ資料があり、世に知られているため、わたしのようなの門外漢には疑問の余地はない。
 日本にも優れた李U詞の解説書があり、歴史にも登場するので、日本語以外すべて苦手なわたしはこの本は参考程度。
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2020年12月27日

千両かざり

千両かざり 女細工師お凜  (2009恋細工 改題)

西條奈加   新潮文庫   2020.10

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 江戸の時代、女性では職人になりにくく、才があっても難しい。そんな不自由な時代に、女の身で錺師(かざりし)をめざすお凜が、若くして錺職人の椋屋の責任者になる。
 四代目を継いだ義理の兄が、若くしてこの世を去り、遺言により三年後に五代目を決めるという責任を背負う。
 最初にしたことは、これも四代目の言いつけで、時蔵という錺細工の天才を迎えることだった。
 時蔵は自分独特の平戸という線細工の技能で、作りたいものだけを作り、周囲の職人には溶けこまない。職人ではなく、芸術家といえるかもしれない。
 天保の改革で金銀を使う細工が禁止になる。職人たちも熱がなくなってしまう。
 お凜には、お千賀という幼馴染がいた。ここから千両かざりの注文が来る。複雑な事情があるのだが、それはともかく。
 天才細工職人時蔵と、天才鑑賞者お千賀たちに囲まれて、お凜が技を習得し天才ぶりを発揮するが、最後は切ない。
時蔵とお凜という、方向性が違う二人の天才が共鳴して、千両かざりを作る様子がすばらしい。それを評価できるお千賀という三人目の天才がいる。しかも錺細工しかできない時蔵は、自分を天才だとは思っていない。

 いろいろな錺細工の蘊蓄があちこちにある。これだけでも興味を持って読んでしまう。
 天保の改革で贅沢品は禁止され、江戸の経済が疲弊してしまい、椋屋も倒産寸前になる。今のコロナウイルス下の日本経済を思わせた。
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2020年08月14日

2050年世界人口大減少

ダリル・ブリッカー  ジョン・イビットソン (共著)   文藝春秋   2020.2.25
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2050年、人類史上初めて、世界人口が減少する。
いったん減少に転ずると、二度と増えることはない。


 名門調査会社イプソスのグローバルCEOらが、世界各国にてフィールドワークを敢行。統計に加えた貴重な証言をもとに警告する。

 国連の予測では今世紀末、地球の人口は110億に膨れ上がるとしているが、多くの人口統計学者が人口を多く見積もりすぎだと指摘している。
 国連の人口予測は誤っている。その原因は都市化であり、女性の教育である。そして、結論は2050年に世界人口が90億人近くなり、減少に転ずる。
 目次を見よう、この本の言わんとするところが見える。

序章 2050年、人類史上はじめて人口が減少する
1章 人類の歴史を人口で振り返る
2章 人口は爆発しない--マルサスとその後継者たちの誤り
3章 老いゆくヨーロッパ
4章 日本とアジア、少子高齢化への解決策はある
5章 出産の経済学
6章 アフリカの人口爆発は止まる
7章 ブラジル、出生率急減の謎
8章 移民を奪い合う日
9章 象(インド)は台頭し、ドラゴン(中国)は凋落する
10章 アメリカの世界一は、今も昔も移民のおかげだ
11章 少数民族が滅びる日
12章 カナダ、繁栄する“モザイク社会”の秘訣
13章 人口減少した2050年、世界はどうなっているか

 30年後には、世界中が今の日本のような少子高齢化社会を迎えることになる。
 農村などでは、こどもは労働力の一部であり、育てる負担が小さい。しかも家族や縁者からこどもを要求される。
 都市では、こどもは負債であり、生活を圧迫する。しかもこどもを要請されることはほとんどない。宗教的束縛も緩くなる。そして女性の教育が進めば、こどもを産む以外の道を見つけ、少子化となる。一度こうなったら、後戻りはできない。

 わたしは紹介していないが「未来の年表」という日本の未来予測の本がある。その国際版みたいな本である。
 著者は次のように社会の変化を考えている。
人工置換モデル
第1ステージ 出生率も死亡率も高い
第2ステージ 出生率は高く死亡率は低い
第3ステージ 出生率も死亡率も低い
第4ステージ 出生率は人口置換率に等しく、死亡率は低い
第5ステージ 出生率は人口置換率を下回り、平均寿命は延び続ける

 人口置換率とは、人口を維持する、出生率である。社会を維持するには2.0と考えるが、少年時の事故も含めて2.1が最低。
 各国各民族を調べて、急速に第5ステージにむかっているという。
 若者であふれかえるバンコクが、出生率1.5で人口崩壊途中である。第5ステージだ。
 ステージの変化の原因は、都市化と、女性の教育や社会進出である。女性の地位向上である。

 日本経済についても、三度の失われた10年で30年停滞しているが、その理由は生産人口の減少と同時に消費人口の減少にある。停滞は当然なのだ。それなのに経済成長をしようと躍起になっている。日本が混乱しないのは、高齢化が始まるまでに豊かになっていたこと。
 ブラジルのスラム街の現況は読んでいて驚くほど。それでもテレビドラマの女性像が見本となってこどもの数は減っている。
 著者はカナダ人で、カナダが移民受け入れで成功しているのを体感しているので、移民こそが人口減に対する最良の対策であると言うが、それも今のうち。まもなく移民を送り出す国はなくなるだろう。さらに日本は移民先としては魅力がないので、それも難しい。
 マルサスの「人口論」やローマクラブの「成長の限界」は、このままでは…という限定の理論だった。出生率の低下を読み間違えたことにある。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 人口減少の流れが止められないのであれば、その現実を素直に受け入れ、人類の知恵で乗り越えたい。
 わたしは、たとえば数百年後に世界人口が数億になるころには、人々の意識が変わってくると思うのだが甘いか。日本でいえば、国産の食料で全国民を養える程度の人数になれば、落ち着くと思う。そうなって日本国民の意識が変わることを願う。
 それまで、国が保つだろうか。
 日本は豊かというのは錯覚ではないか。多くのこどもが貧しさに苦しんでいるように思える。世界最大の借金国家でもある。
 たとえば景気がよくなると、株価は上がる。ところが安倍首相は、膨大な金をつぎ込んで、株価だけをつり上げて、景気がよくなったように見せかけている。そのための借金による、予想される未来の生活苦からも出生率の低下を招いているだろう。
 気候問題や公害問題や貧富問題も加わっている。これらが解決しないと、人口問題の解決は難しいか。
 概ね、わたしなどが普段思っている考えていることを、具体例を示して書いているようだ。
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2020年07月14日

大江戸妖美伝

2010.12.6記
2020.7.14加筆

石川英輔   講談社   09.3

 大江戸神仙伝シリーズの七作目になる。単行本は06年2月に出ている。4年も知らなかったことになる。
        ooedoyoubiden.jpg
 速見洋介はいつもの如く現代から文政年間の江戸時代にタイムスリップ。粋な芸者いな吉との、春から初夏にかけての大江戸見聞録だ。
 今回の特徴は江戸の貧しい豊かさだ。矛盾するようだが、つまり江戸時代は、とくに文政年間は江戸時代の最も豊かな時代であった。それでも現代から見れば貧しい。しかし、誰もそれを苦にしていない。当然で、みんな等しく貧しいからだ。
 特に武士の貧しさは特筆される。決まった収入が米しかないのだから、増やしようがなく、内職で生計を立てていた。
 徳川270年間、反乱らしい反乱は初期の由井正雪の乱と天草の乱くらいなもの。文政年間になれば、実戦の経験のある武士は一人もいない。江戸の警察官で司政官にあたる与力同心も二十数名。信じられないくらい小さい政府(江戸奉行所)。御家人の貧しさも相当なもの。外泊もできない生活の息苦しさで、庶民は誰も支配者階級に憧れはしない。故に270年も政府が保てたのだ。
 当時の諸外国では反乱や革命がよくあった。支配者階級の豊かさは目が眩むほどで、比べて庶民の貧しさは信じられないほど。それでは反乱や革命が起こるのは当然だ。江戸では誰も、貧しい武士階級に憧れないので、反乱が起きようがない。一部には富んでいる武士もいたにしても。
 特に江戸の生活はリサイクルが完全で、いつまでも続けられる生活であった。
 現在、一億を超える人数なのに、まだ政府は人数が増え続けることを前提に政治をしている。増え続ければいつかは崩壊することが判りきっているのに。むしろ人口減少の兆しのある今は、人口が増えないことを当然として政策を立てるべきだろう。
 わたしなど今の生活に慣れて、いまさら江戸時代の生活に戻ることはできないが、初めからそのような生活であったら、それなりに幸せであったのではないか。世界中が江戸のような生活をしていたら、多くの動乱は発生しなかったであろう。
 歴史書に書かれたことは、その時代のとんでもない出来事ばかり。「人々が何事もなく平和に幸せに暮らした」、などということはほとんど書かれない。それゆえ、江戸時代を誤解する人も多いだろう。
 ただし、今から考えれば、異常で不幸なことも、常在すれば、それは滅多に記録されないだろう。だから幸せであったとは言い切れない。主人公は、生活に心配のない当時のエリートなので、それが見えていないと思える。
 そんなことを考えさせる江戸の生活事情を、小説の形で解説した江戸の案内書だ。
 そして、大事なことを見落としはならない。決して天国ではなかったことだ。
 過密地に行けば過密を褒め、過疎地に行けば過疎を褒めるような書き方が、引っかかる。
 地方から続々と若者を引き寄せながら、多くは若くして死んでいる。平均余命も短かった。健康に活きていた訳ではない。
 参照 本当はブラックな江戸時代
 そのようなマイナス面も承知で読んで欲しい。
 杉浦日向子さんは、 うつくしく、やさしく、おろかなり−私の惚れた「江戸」 と表現している。そう、愚かなところも見つめて、その上でよいところを見たい。
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2020年06月06日

須弥山と極楽

2007.4.2 記
2020.6.6 加筆

      定方晟   講談社   昭和48年
「倶舎論」の須弥山(シュミセン)世界を解説している。宗教書ではないので、わたしのような素人にも判りやすい。
      shumisentogokuraku.jpg 

1 人間は宇宙をどうとらえたか
 古代社会では様々な世界観が考え出された。
 下の図はわたし(謫仙)がこの本を元にして書いてみた図である。
 まずこの地上世界の形だ。図の比率は不正確だが、イメージだけ。
 風輪の上に水輪が乗り、同じ太さの金輪がその上に乗る。その金輪上の表面に須弥山をはじめとする地上がある。
 金輪の一番下が金輪際である。落語などで、「金輪際いたしません」などと謝るあの金輪際である。
   (以下数字の単位はすべて由旬)



 さて、問題は円周の10の59乗である。原典は無数。これは無限大の意味ではなく、具体的な大きさを現す。
1光年が約10の13乗キロ(10兆キロ)であることを思えば、宇宙の中に入りきれないことが判る。実にバランスが悪い。おそらく考えた人は、具体的な形をイメージせず、やたらに大きい数字を並べたに違いない。
 金輪の上の表面は、たらいのような形をしている。
 中心に須弥山(しゅみせん)があり、その周りを七重の山が塀のように囲み、外側の海は塩水で、円形の鉄囲山(てっちせん)がその縁である。断面図で見ると、水面上はどの山も正方形である。



 図は大きさのバランスを無視している。
 南の贍部洲(せんぶしゅう、閻浮提(えんぶだい)ともいう)が、我々の住む世界である。
 中心付近に雪山(ヒマラヤ山脈)がある。言うまでもなく、インドの形がモデルであることが判る。三角形に近い。
 大きさは三つの長辺がそれぞれ2千由旬である。これによって諸説ある由旬の長さが推定できる。

2 仏教の地獄と天界
 地獄は「ナラカ」あるいは「奈落」といわれている。
 まず八熱地獄が贍部洲の下にある。あるというが、これは贍部洲よりはるかに大きい。
 一番下の無間地獄は特に大きく、二万由旬の立方体である。
 矛盾もあるようだが、ともかく地獄の説明はバカバカしいほどに詳しい。これは仏教ばかりではない。あとは略して、天界の話にしよう。
 上の図から判るように、須弥山は8万由旬の立方体を二つ重ねた形をしている。そして、下半分は水面下にある。水面上の部分を詳しく見る。



 仏教では、世界はこのように考えられていた。今から考えるとお笑いだが、インドではすべてこのように、数字的に整然と考える習慣があった。たとえば苦しみは四苦八苦と言うように。口伝によって伝えるときに、伝えやすいという利点がある。
 次は天界である。天は魔法の絨毯のように、須弥山の真上に浮かんでいる。そしてそこに住む有情も天という。◯◯天と言ったとき、場所か有情(神)か判断できなければ、意味を取り違えることがある。



 須弥山の頂上も天である。そこには帝釈天などが住んでいる。
 夜摩天は、つまり閻魔である。ここは死者の国であった。だが、後に閻魔は地下の国に行く(左遷かな)。死者の国が地下に移ったと考えるのか。
 有頂天まで行かなければ有頂天にはなれない。地上にいながら有頂天になる人がいるがめでたい事だ。(^_^)。
 こんな知識は、「へエー」で終わってしまうが、本を読んでいるときに必要になることがある。たとえば「百億の昼と千億の夜」など。参考にしていただければ幸いである。
 もう一つ大事な話がある。他化自在天から三層上に、大梵天があり、風輪から大梵天までを、小世界という。
小世界が千個集まって小千世界になる。(別名千世界)
小千世界が千個で中千世界(別名二千世界)
中千世界が千個集まって大千世界となる。(別名三千世界)
有頂天の広さは大千世界と同じである。
 俗謡に
   ♪三千世界の烏を殺し ぬしと朝寝がしてみたい
という、あの三千世界である。
 風輪が1000×1000×1000個集まるのは、どのくらいの広さであろうか。想像もつかぬ。
 まるでパソコンの説明の数字を見るように二進法の世界であった。なお、数字の「0」を発見したのもインドであるといわれている。
 これでもかなり説明を端折っているのだ。説明の大きさの中に入るのかどうか、考えるのも面倒になってきた。

3 極大の世界と極微の世界
4 仏教宇宙観の底を流れるもの
5 西方浄土の思想
6 地獄はどう伝えられたか
7 仏教の宇宙観と現代
など省略するが、解脱について一言触れておく。

 輪廻という思想がインドにはある。人は死んでも生まれ変わって、生きていく。それは人に生まれるとは限らない。虫けらに産まれ、踏み潰され、他の虫や鳥に食われたりする。そうして様々な生を無限に繰り返すことを意味する。この世界も消滅生成を繰り返している。それは恐ろしいことであった。そこから逃れるのが解脱である。
 輪廻の思想を持たない日本人は、すでに解脱している。
 最近キリスト教が、人を救うと称しているが、その前に、人は罪があって罰を受けるという考え方のない日本人には、救われる必要性がない(^。^))。そこへ無理矢理キリスト教徒のやった罪を、人類全体に押しつけて、そこから救うという。
 輪廻の外にいる人を輪廻から解脱させる。罪のない人を罪から救う。日本に宗教は根付かないわけだ。だから他人の宗教心を理解できない、ともいえる。そうではなく、日本には、自分でも気づかないそれなりの宗教心がある、と言う説もある。
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2020年05月22日

宇宙叙事詩(上・下)

2007.7.24 記
2020.5.23加筆

光瀬龍 文  萩尾望都 画  早川書房   1995

 光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」を萩尾望都が劇画化し、そのあとにこの作品が出た。これは二人の幻想的共作である。
 劇画というより絵本というべきであろうか。
 今までの劇画とは異なり、幼児の絵本のように、見開きの画の中に文をいれて、絵物語となっている。
  jou.jpg  ge.jpg

 この本は1995年発行の文庫版であるが、わたしは文庫になる前の本を見ている。
 もう一度読もうと思ったが、題名を思い出せない。北千住の中央図書館の係りの方に調べていただいた。
 話の内容からどうもこれらしいとなったが、庫内に見あたらない。そこで梅田の図書館に文庫本があることを調べてくれた。
 そして借り出したのが本書である。
 記憶とはかなり異なり、疑問を持ちながら読んでいたが、読み終わって間違いないと判った。記憶とはいかに曖昧なものか。
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     上
  宇宙船乗りの歌が聞こえる
  ルシアナ
  テラリアは遠く
  星と粘土板
  たそがれの楼蘭
  廃墟の旅人
  遠い決別
  ある記録

     下
  惑星アルマナ
  アヨドーヤ物語

 最後のアヨドーヤ物語が中編、それ以外は短編といってよかろう。

 青春の夢を追い求め翡翠座イオへの探検に旅立った夫を追いかけて異国の星に赴いた妻。

 凍土の平原に広がる惑星ルシアナの廃墟で探検隊員の前に夜毎に現れる謎の美少女。

 火星の東キャナル市に惑星探検の宇宙船建造を命じる地球政府。繰り返し、ついに火星の物資は底をつく。それでも作らねばならぬ火星人の苦しみ。その宇宙船が飛び立つ日、愛する男を奪われた女たちの決断は。

 心ない地球人の干渉が引き起こした、異星の悲劇。

 アトランティス王国滅亡の陰に隠されたヴァーラタ国の悲劇的終末。
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 特に「廃墟の旅人」を取りあげよう。

   天山山脈の北に不死の都があるという。
   遠いむかし、
   天から光り物が飛んできて砂漠へ落ちた。
   一人の神人があらわれ、
   近くの町に入った。
   それからその町はしあわせに満ちたという。


 その豊かな町では城門を閉じる必要もなく門の鎖は緑青をふいていた。
 王宮では王女の結婚式が行われていた。
 そこに白馬に乗って入ってきた美しい異国の娘がいた。サテンの帯に黄金の太刀をつり、五弦の月琴を背負っていた。
 式を主催する神官に言う。

……、不死の国があると聞いてやってきた。わたしは阿修羅王だ」
 神官の言葉を制して言う。
「帰って天帝につたえるがよい。生も、死の一つの象(かたち)。死もまた生のひとつの相(すがた)に過ぎない。人の情も夢も、限りある生命なればこそ。その生命が永遠ときそい合って何を得んとはするか」
 悲しみと怒りが広場を閉じた。
「この町を時の流れから切り離し、終わることのないくりかえしの中に封じこめるとは。こは永遠に似て永遠にあらず。ただ色褪せた昨日があるのみではないか」


阿修羅王は黄金の太刀をふりおろす。
一瞬にして城邑は消えた。
さえぎるもののない砂漠に……
白馬に身をゆだねた流離の娘がひとり、闇に消えていった。
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2020年05月18日

百億の昼と千億の夜

     光瀬龍   ハヤカワ文庫   1973.4

2007.4.7 記
2020.5.18 加筆
 
 わたしはこの本によって、SFに目覚めた。
 それまでも古典的な「冒険科学小説」は読んでいたが、この本はその壁を打ち破った。
       hyakuokunohiru.jpg
 日本のSFは発足当時からこれだけレベルの高い小説を提供していたのだ。
 野田昌宏さんはアメリカの初期SFを収集しているが、「ほとんどは屑だ!」と喝破した。それがレベルが高くなって読むのに耐えるようになった頃、日本のSFが始まった。そのため、助走なしにいきなりハイレベルの小説が書かれた。
 この本はその象徴と思っている。
 いま再読してみると、時代を映しているところがいくつかある。
 なお、著者は学校の理科の教師であり、科学的知識は素人ではない。
 漢語を仮名書きにしているところがある。当時、漢字制限が強く、その範囲外の漢字は使いにくかったのか。また、できる限り和語はひらがなにしている。
 コンピューターが登場するが、この記録はロッカーにパンチカードで収納されている。また、カタカナ書きである。当時は平仮名や漢字は表現できなかった。その影響か、漫画や小説では、コンピューターの言葉はカタカナで表現されることが多かった。
 ちなみにわたしが初めてコンピューターに触れたときは、入力はパンチカードであった。紙テープなども使われていた。記憶はオープンリールの磁気テープが多かった。これらは業務用である。
☆「兜卒天は夜摩天より16万由旬の上層に位置する。千六百億光年とでも言おうか。」
 1由旬が100万光年と説明している。これは誇張しすぎ。
 現在では由旬がある程度判っていて、約7キロメートルである。人の住む世界がインド亜大陸の形をしていて、その大きさが記されていることから推測した(須弥山と極楽)。そして須弥山の高さが8万由旬である。

 さて、物語は天地創造から始まる。
 寄せてはかえし
 寄せてはかえし
 かえしては寄せる波の下で、生命は誕生し育っていった。
 そして人が誕生し、文明が発生する。
 プラトンがアトランティス王国の記録を見る。
 その都はオリハルコンで飾られていた。そして、
 大西洋に没したといわれるその王国の最後の司政官オリオナエこそプラトンであった。
 その王アトラス7世は惑星開発委員会の計画に沿って、王国の引っ越しを命ずる。だがそれは不可能であり、王国は滅亡する。

 釈迦族の王子シッダルタは4人のバラモン僧(目犍連・須菩提・摩訶迦葉・富楼那)に導かれ出家した。
富楼那(フルナ)が出家に反対する老ウッダカに説明する。
「梵天はこの長大無辺な宇宙をその手に観照する。万物流転の形相はすべて天なるものの意志、すなわち梵天王の意志である」
 そして、兜卒天に住む梵天に会いに行く。ここでは弥勒菩薩が五十六億七千万年後に衆生を救うために修行をしているはずであった。
 だがそこは荒れていてとても浄土といえるところではなかった。原因は阿修羅との戦いであった。
 シッダルタは阿修羅王との会見を望み、会見することになる。
 シッダルタと阿修羅王を逢わせたのは、世界を滅ぼそうとする四人の波羅門僧の失策であった。

 わたしはこの会見シーンをもう一度読みたくて、この本を買ったといえよう。

「悉達多(しっだるた)太子か」
 はためく極光を背景に一人の少女が立っていた。
「阿修羅(あしゅら)王か」
 少女は濃い小麦色の肌に、やや紫色をおびた褐色の髪を、頭のいただきに束ね、小さな髪飾りでほつれ毛をおさえていた。
「そうだ」
 少年と呼んだほうがむしろふさわしい引きしまった精悍な肉づきと、それに似つかわしい澄んだ、黒いややきついまなざしが、太子の心をとらえた。
「阿修羅王に問いたい」
 少女は、ふとかすかに眉をひそめた。その、あどけない面だちに、浮かんだものは、ひどくひたむきな心の働きと、それにふれたすべての人々を亡ぼしてしまうかと思われるようなくらい情熱だった。
「波羅門(ばらもん)の説くところ阿修羅王は宿業によって、この兜卒(とそつ)天浄土に攻め入り、帝釈天の軍勢とすでに四億年の永きにわたって戦っていると聞いた」
「そのとおりだ」少女は唄うようにいった。
「阿修羅王よ」
 少女はふたたびかすかに眉をひそめた。見入るときにわずかに眉をひそめるのが、この美しい少女のくせらしかった。少女はだまって首にかけた瓔珞(ようらく)をもてあそんだ。それは何かの骨片を銀の糸でつなぎ結んだものだった。小さな乾いた音が、木鈴の鳴るように太子の耳にとどいた。
「なに故に梵天(ぼんてん)王のしろしめすこの天上界に攻め入ったのか。そののぞむところは何か。そして阿修羅王よ。王はどこからやってきたのだ。王の棲む世界はいずこにあるのだ」
 太子は砂の上に腰をおろし、上体を真っすぐにのばして少女をにらみつけた。
 少女は少し困ったように片方のくちびるの端に微笑を浮かべた。小さなくちびるから真白な糸切歯がのぞいた。
「阿修羅王よ」
「悉達多太子!」
 とつぜん、少女の声は天地の声になった。
 どっと吹きつけてくるはげしい風の中で、少女の髪がほのほのようになびいた。少女の怒りと悲しみが目のくらむようなすさまじい火花となって散った。
「太子! 弥勒に会え! 五十六億七千万年ののちに、お前たちを救うであろうといわれるその弥勒に会え!」
 太子は思わず砂の上に身を投げた。合掌する手が自分でもぶざまなほどふるえた。


この場面は、興福寺の阿修羅像を彷彿させる。
対話はまだ続く。
この世界の荒廃は戦争が原因ではない。戦争は、この世界はなぜ荒廃するのかという、危機に対する梵天の無策に対する攻撃であった。

「梵天王は今こそ転輪王の意図を知ることだ」
・・・
「梵天王があなたの言葉を聞こうとしなかったわけは?」
「わからぬ。これだけは言えると思う」
「思考コントロールを受けている、と」
「そうだ。初めてあなたと意見が一致したようだ」
・・・


 そして弥勒に会いに行くのたが、それは単なる像であった。
 ここに救いがあると勝手に信じた人が弥勒の救いを人に語ったのであろう、という。

 エレサレムではイエスが処刑されようとしていた。イエスのうさんくささを見抜いたユダの告発によるのだったが、処刑後、暗闇となりイエスの遺体は行方不明になる。
 そして…
 3905年
 砂漠と化したトーキョーに、シッタータの記憶を持つ者・オリオナエの記憶を持つ者・アシュラの記憶を持つ者、三者が集まった。
 そこでイエスなどの地球文明を破滅させた者たちの襲撃をうける。
 この後、三人は、ナザレのイエスを追い惑星開発委員会のあるはずのアスタータ50へ行くが、そこはすでに滅んでいた。そこで弥勒=大天使ミカエル=アトラスと戦うことになる。
 そこを抜け、転輪聖王のいるアンドロメダ星雲に行く。復元できたのはアシュラ王だけであった。
 ここから世界を支配していた転輪聖王の組織はすでに崩壊していた。
 二千億光年の宇宙全体が崩壊しようとしていた。
 アシュラ王はたった一人で残される。

さて、前に書いたこと。
「兜卒天は夜摩天より16万由旬の上層に位置する。千六百億光年とでも言おうか。」
について。
 この広大な世界を(外から)管理する転輪聖王がいるところが、230万光年の距離にあるアンドロメダ星雲というのは近すぎ。そして仮に千六百億光年としても、下に書いたような、はるかに大きな世界が二千億光年の宇宙に入ることはできない。
 というわけで、1由旬が100万光年とするのは無理がある。1由旬約7キロメートルでよかった。
 ただし、当時は由旬の定説は見たことがない。またビッグバンの思想はなかったので、宇宙の大きさが二千億光年ということは問題ない。
 なお、結論が判りにくいが、仏教の宇宙論ではこの宇宙そのものが、滅んでは再生を繰り返している。その一回分(1大劫)の物語と考えたい。

参考
地上〜須弥山頂上        8万由旬
地上〜兜卒天         32万由旬
地上〜色究竟天 1677億7216万由旬


 天とは場所のことと同時にそこに住む者も表します。
 色究竟天は有頂天ともいいます。なかなか有頂天にはなれませんハイ。
 最後の数字はパソコンのプリンターの説明で見たことがあるような……。いま、インドのソフト技術が力を得ているが、こんな昔から二進法の数字の考え方を操っていたんだな、と妙に感心する。続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 08:30| Comment(47) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月26日

楽園の真下

楽園の真下
荻原 浩   文藝春秋   2019.9

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 どんな生物も繁栄しようとしている。遺伝子を世界中に広げようと格闘している。
 考えるまでもなく、人類だって増えようと一所懸命だ。食料の安定供給ばかりでなく、病原菌やウイルスなども役に立つのは利用し、害する者は駆除しようとする。生態系を壊してまで、独占しようとする。そしてついには戦争という共食いをしてまで、子孫を増やそうとする。
 この本はそんな生物の姿を象徴するような話である。わたしにはホラーのように思えた。初期のSFにこのような話がなかったか。
 ちょうど今、コロナウイルスの蔓延で、世界中が大騒ぎしている。感染地域の拡大。感染者が爆発的に増え、死者も多い。それが原因で一定地域を封じ込め、あちこちの国で鎖国状態になっている。
 コロナウイルスにとっては、遺伝子の拡大に大成功したといえよう。しかし、このやり方は人類を敵にし、いずれ滅びることになろう。

「日本で一番天国に近い島」と言われた亜熱帯の孤島である志手島。人口は約二千八百人。昔は流人の島であり、今は海洋観光を中心とする島である。
 ここで奇妙な現象が起こっていた。入水自殺者の増加である。そして17pもある巨大なカマキリが見つかった。
 その記事を書こうとして、志手島へ渡ったフリーライター藤間は、島で野生生物を研究している女性准教授の秋村と調査を始めた。

 秋村は生物の不思議な話をする。寄生して宿主の脳まで乗っ取ってしまう例のいくつか。乗っ取られた宿主は、寄生した生物のために、嫌いな水場に近づいて水の中に入って死ぬ例など。
 生物の絶滅を危惧し保護するのも、増えすぎたといって駆除するのも人間のエゴ。

 調査が進むと、驚愕の事実が判明するのだが、単なるフィクションとは思えないリアルな恐ろしさがある。こういうプロットのSFは好みだが、このストーリーは敬遠してしまう。
 人ほどもある巨大なカマキリが登場する。食物の乏しいこの島では、巨大カマキリの餌は少ない。結局共食いで成長することになる。
 ラスト近くで巨大カマキリとの格闘が延々と続く。しかし真の敵は巨大カマキリではなかった。
 結局この島は封鎖され、精密検査を受けて安全が確認された人だけが、島を出ることを許された。
 コロナウイルスの感染者と同じように。
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2020年03月09日

「ニセ医学」に騙されないために

「ニセ医学」に騙されないために 新装版

名取宏   内外出版社   2018.11
    科学的根拠をもとに解説

同じ本の新装版である。
著者名をハンドルネームNATOROMU からペンネーム名取宏に変更した。
出版社も変えている。
 前に紹介した、 医師が教える最善の健康法 でも、次の考え方で一貫している。
 現代の標準医療が絶対に正しい保証はない。何十年か経ったとき、間違いを指摘されるかもしれない。しかし、現段階では、「世界が認めた 論文に基づく 科学的根拠あり」が最善と考えられるのだ。

 前回読んで、書き残したことを追加する。
 がんの痛みに対してモルヒネを使って、痛みを和らげるが、ある医者は、モルヒネを使うと「リンパ球がすべて破壊される」と主張して、モルヒネ使用に反対している。しかし、医学的な根拠は一切示していない。リンパ球がすべて破壊された例はない。
 さらにがんの痛みは治癒反応だと主張し、死ぬ気で一週間痛みを我慢すればガンは消えると主張している。
(要約している)
 これだけで、わたしでもニセと判る。むかしモルヒネなどがなかった時、みんな痛みを我慢していたのだ。しかし、がんは消えない。治っていないのだ。

 あるがん患者の話、がんと診断されたが、気功師が「医者なんかに任せていたら殺される」といわれ、信じてしまった。気功でがんが治るといわれた。ところがだんだん痛くなる。我慢できなくなって、気功師に連絡したところ、「病院に行け」と言われた。
 こんなニセ医学が結構流行っているのだ。
 著者とて全てに通暁しているわけではない。ニセ医学に対する、姿勢・考え方の解説だ。

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「ニセ医学」に騙されないために
メタモル出版   NATROM   2014.6
    危険な反医療論や治療法、健康法から身を守る!

「ニセ医学」とは、医学に見せかけておきながら、実は医学的な根拠がまったくない医学のことをいう。
 ちまたに氾濫する「ナントカ健康法」、わたしでも一目で偽物と判るのがほとんどで、読む気がしない。わたしのブログでは、半信半疑というか、ほとんど信じがたいがどうだろうか、という本を何冊か紹介してある。
 そんなふうにおかしいと疑問を持ったら、確認するために調べるが、頭から信じてしまったら、いかに反論しても受け付けなくなる。
 また健康なときなら冷静に判断できても、苦しいときには藁をもすがる思いで試してみたりする。
 そんな人に対するアドバイスやニセ医学に対する反論をあげている。

 臨床の現場では、医療制度や医療機関の事情、製薬会社の思惑、個々の医師の能力不足により、必ずしも医学的に正しい診療が行われないこともある。
 ときどき、論文の誤りが報じられることがある。だからといって医療を頭から信用しないのはもっと問題なのだ。
 医療者に認められていない治療方法は疑え、というのが中心で、偶然うまくいった治療法を勧める例に用心しろといっている。
 標準治療を否定して「これだけで治る」と謳ってるものは、冷静な時なら疑える。
 何でも効く薬はあり得ないので注意したい。一部にしか効かない、では市場が狭く儲からないので何でも効くようにいう。
 ガンは治療するな? 病院の出産は不自然? 気功でガンが消える? こんな一度は聞いたことがあるような内容から、わたしのような素人では聞いたこともないような話まで、けっこう判りやすくなぜニセなのか説明している。
 
 そんなこんなのニセ医療を見分けるトレーニングになるだろう。健康なうちに読んでおきたい。
 健康なら「ニセ医学」への懐疑心を持てるし、科学的なものの見方ができる。
posted by たくせん(謫仙) at 08:59| Comment(1) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月07日

未来職安

未来職安
柞刈湯葉(いすかりゆば)   双葉社   2018.7

 毛色の変わった近未来小説だ。
 間違っても、未来をこんなに楽観できないが、それができたと仮定したSFだ。
 平成より少し先の未来。といっても、主人公の女性はこの社会で生まれて、26年かたっているので、……いつなんだ。

 日本国民の99%が働かない消費者、1%がエリートの生産者という不思議な世界。
つまり、生産などが無人自動化され、ほとんどの人が働かなくてよい社会だ。
 生活基本金が支給され、ギリギリの生活ならできる。1%の人は働いて収入があるが、基本的に労働の必要はない。しかし、豊かな生活ができるので、希望者は生産者になる。
 主人公は、ひとりの人がいるだけの私設職安に就職するが、ほとんど仕事らしい仕事はない。
 紹介する仕事と言えば、一例をあげると「監視カメラに映るだけの仕事」、これがなぜ仕事かと言えば、監視カメラに写ると、プライバシー保護のためにその映像を使うことができなくなるため。などと、仕事といえるかどうか微妙な仕事ばかり。
 未来の仕事コメディと言うべき小説である。世界観や小ネタを楽しむ。小ネタがけっこうリアルなんだ。(^_^)
 鋭い推理や緊張感などを期待してはいけない。

 わたし的には、舞台設定の近未来が引っかかった。世界が全てが順調にいったとしても、そんな世界が近未来にできるはずがない。
 たまたま、同時に「未来の年表」を読んでいた。このまま無策でいった結果の、近未来の日本の悲惨な様子を克明に描いている。ちょうどその時代なので、あまりに能天気な話に思えた。
 遠未来のおとぎ話にすればよかったかな。それにしては社会や生活にリアル感がある。
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2020年01月30日

不便で素敵な江戸の町

不便で素敵な江戸の町

永井義男   柏書房   2018.5

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 まえに 本当はブラックな江戸時代  を紹介したが、著者はそれでも、素敵な江戸の町として、江戸を紹介している。
 現代人が江戸時代にタイムスリップすると、どういうことになるかという、実験的な小説である。元大学教授と若い編集者が見聞する江戸の暮らしぶりには、戸惑いや感激が多くある。数日の江戸行きにそれなりの準備をして行く。
 少し都合がよすぎると思うが、それを現実的に書くと一冊に収まらなくなりそう。
 石川英輔氏の大江戸神仙伝シリーズはよいところを中心に紹介しているが、こちらは即物的リアリズム、直面する悪いところが目立つ。
 江戸の塵芥・し尿処理にかんする小汚さや臭さの描写などは、石川氏の本にはほとんどない。
 この辺りは著者の年齢が原因かな。石川氏は江戸的な戦前を体験しているのだ。抵抗感が比較すると少ない。
 各所に江戸の絵が出てくるが、小さくてわかりにくい。しかし、絵の説明とその蘊蓄はいい。その蘊蓄がこの本の中心で、登場人物は狂言回しのようなものであるから。
 いままで江戸時代はそれなりに理想化されていたが、現代人がいきなり江戸時代に行ったら、とても生きていけないだろう。
 それでも昔、つまり平安時代などと比べたら、かなりよくなっているはず。そんなことも思わせる。だから準備をして不便なりに工夫すれば、なんとか暮らせる「素敵な江戸の町」なのだ。
 現代が医学が発達し、江戸以前とは比べものにならない。ドラッグストアの薬があれば、それだけで名医になれる。
 自然の中のキャンプのようなものであろう。数日なら楽しいが、一生ではわたしなどとても耐えられない。
posted by たくせん(謫仙) at 15:36| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月23日

医師が教える最善の健康法

医師が教える最善の健康法
世界が認めた 論文に基づく 科学的根拠あり

名取宏   内外出版社   2019.6

 医療の世界は、素人にはわかりにくい。それでニセ医療が流行る。
 著者は、そのような事例を取り上げ、「真実はこうと思える」医療を取り上げている。
 「真実はこうと思える」とは、「世界が認めた 論文に基づく 科学的根拠あり」ということである。これとて、絶対に正しい保証はない。何十年か経ったとき、間違いを指摘されるかもしれない。しかし、現段階では、「世界が認めた 論文に基づく 科学的根拠あり」が最善と考えられるのだ。

 テレビや雑誌で紹介される健康法の多くは、世界が認めていなくて、信用できる論文がなく、従って科学的根拠がない。健康本でも、そのようなものが多い。
 この本はきちんと根拠を示して、健康法を説いている。
 エビデンスという言葉がある。科学的根拠の意味であるが、エビデンスといわれて、すくに意味が判る人は少数ではないか。これからは増えてくるだろう。

 さて、全体的にはそうなのだが、個々の事例では必ずしも正しいとは限らない例がある。そのような例があることを認めた上で、それを一般例にすることを否定している。それはあくまでも例外なのだ。
 投薬するのも、副作用を承知の上で、利があると考える。絶対に安全とは思っていない。

「昔は食べ物もロクになかったし、ワクチンや抗菌薬もなかった。でも健康に活きていた」という人もいる。
 だが昔は大勢のこどもが死んでいる。平均余命も短かった。健康に活きていた訳ではない。
 糖質制限食にはリスクがある。「糖質制限食が様々な病気を予防する」という主張に臨床的な証拠はほとんどない。という。

 当ブログ主食をやめると健康になる
 その本で、わたしが疑問に思ったこと
 なぜ糖質制限なのかについては、農耕以前は肉食系であったろうという。
 チンパンジー・ゴリラ・オランウータンなど、類人猿が草食系であることを考えると、説得力に乏しいが、人類だけが例外ということもあるし、数百万年のうちに変わったとも考えられる。
 糖質食は農耕が始まってからで、まだ一万年ほど。人類の身体はまだ糖質食に合っていない、というのは説得力があるが、一万年では絶対変わらないともいえない。
 昔は肉食なので寿命が短かった。現代は糖質食なったので寿命が延びた。ともいえるではないか。


 糖質制限食に対して、本書の名取宏氏は
現代は、歴史上で最も平均寿命が長い時代です。現代の食事が最適とは限りませんが、そこからあまりにも外れた食事はリスクが高いと私は考えます
 わたしなど、この意見に賛同する。

 たまたま成功した一例をもって、標準治療を否定してはならない。たまたま成功した一例も本当にそうなのか、ここでも科学的根拠が必要なのだ。

 この本では、これが絶対だというような強い主張はない。これこれで根拠がありません。と言う話が多い。
 確実なことだけに限定すると、このくらいのことしかいえない。しかし、無駄な健康法をやらないですむだろう。
posted by たくせん(謫仙) at 10:00| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月19日

白魔のクリスマス

薬師寺涼子の怪奇事件簿
田中芳樹   祥伝社   2018.12

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 相変わらずの毒舌が健在だ。
 新潟の水沢市に、国家戦略特区があり、大金が投入され、できたのはなんとカジノだった。
クリスマスに開所式典を開く予定なのに、大地震が起こり、雪崩も起こり、施設が破壊する。吹雪になり、一万五千人が雪に閉ざされる。吹雪の合間に、土部首相は各国の大使を置き去りにして、ヘリでアメリカ大使と逃げ出す。もちろん停電である。外へ出ることは論外。
 そこへ熊形の雪の怪物が現れ、強盗も現れ、パニックになる。
 いつものごとく、お涼と泉田のコンビは、お由紀たちと一緒に解決する。
 お涼パワーが炸裂し、お由紀は対立しているようでいて、大人の対応で協力する。
 土部首相が、アメリカのカジノ資本のために大金を投じて、オトモダチと一緒にそのおこぼれを貰おうとして、国費を損耗している。しかし、地元の警察などの活動など読んでいると、まだまだ日本の底力はそれほど落ちていないと思える。

 ただ解決編があっけない。この程度のことで、あの大騒動が起きたのかという、物足りなさがある。
posted by たくせん(謫仙) at 07:05| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする