2016年08月12日

魔法使いは完全犯罪の夢を見るか?

魔法使いは完全犯罪の夢を見るか?
東川篤哉   文藝春秋   2012.9
     2016.07.27-1.jpg

 あえて言えば題名に偽りあり。
 八王子署の若手刑事小山田聡介は、上司の椿木綾乃警部とともに、殺人事件の捜査に当たる。
 犯人は…、読者は判っている。倒叙推理形式だから。犯人と小山田聡介の知能ゲームとなるのだが、小山田聡介は見かけは冴えなくて、犯人に名前も覚えてもらえないほど。実は鋭いところもあるのだ。
 捜査の難しさは犯人を絞り込むまでで、本来は相当の苦労をするはず。
 ところが、殺人現場にはいつも美少女家政婦マリィが現れる。これが魔法使い。魔法使いが魔法で犯人を教えてくれるのだが、そのままでは逮捕できない。裁判官を納得させる証拠がないからだ。
 そこから犯人と小山田聡介の「刑事コロンボ」を思い出す知能ゲームとなる。
 犯人が自ら証拠を提出してしまうのも「刑事コロンボ」に似ている。
 決して、魔法使いが魔法で証拠を探すなんてことは無い。そこでは魔法はあまり役に立たない。しかし、魔法で容疑者の絞り込みをすることが出来るので、そこまでの地道な捜査が省けるのだ。
 四編の連作中編集。決して魔法使いが完全犯罪をしようなどと考えているわけではない。犯人逮捕の協力をしているのだ。
 東川篤哉が書くとコメディになってしまう。それも楽しめる。

 続きがある。
 魔法使いと刑事たちの夏  2014.7
 縁あって、魔法使いマリィは小山田家の家政婦になる。
 なお、小山田聡介と椿木綾乃警部の怪しい関係が、ちょっと現実離れしている(^_^)。椿木警部は捜査の邪魔ばかりしている。それが、犯人を油断させていることになる。
 特に付け加えることはない。
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2016年08月02日

獣の奏者

獣の奏者(そうじゃ)
上橋菜穂子   講談社

「リョザ神王国」と呼ばれる異世界の地を舞台とするファンタジー。運命に翻弄されるエリンを軸に人と獣の関わりを描く。
闘蛇編・王獣編(2006年)の二巻で一応終わったものの、続編を望む人が多く、探求編・完結編(2009年)が書かれた。さらに「獣の奏者 外伝 刹那」(2010年)が刊行されている。
「決して人に馴れぬ孤高の獣と、それに向かって竪琴を奏でる少女」のイメージで書いたという。
 闘蛇(とうだ)という、鰐をイメージするような生物を武器とする大公がいる。この闘蛇の群れがある晩一緒に死んでしまう。エリンの母は獣ノ医術師であったので罪に問われ死罪となる。こどものエリンは母を助けようとして失敗し逃れる。
 エリンは蜂飼いのジョウンに助けられ、野生の王獣と出会い、獣ノ医術師になろうとする。
 王獣は空を飛ぶ獣であり、闘蛇の群れを一瞬で蹴散らすほどの力がある。
 真王の臣は、それまで家畜化した王獣を、恐怖によって支配していたが、エリンは王獣と意思の疎通を試みる。その手段が竪琴であった。簡単な会話が出来るほどになり、独自に王獣を操る術・「操者ノ技」を身につける。

 その間何年もかかるのだが、象徴的なシーンがある。教導師となったエリンは脅迫されて、「操者ノ技」を公開せざるを得なくなるのだが、他の教導師ではうまくいかない。なぜなら、その教導師が過去に恐怖で王獣を支配していたことを王獣が覚えていて、心を開かないからであった。

 政治的な事件や駆け引き、外交や内政の問題が続いて起こり、エリンは常に身の危険にさらされている。
 結局、エリンは過去の言い伝えをすこしづつ破ることになるのだが、言い伝えは重要な意味があり、それを破ることで大きな間違いを犯すことになる。

 こうして人の世は進歩していくのであろう。
 この緊張感あふれる生涯は、現代世界の幸不幸の外にある。物語世界がしっかり出来ていて、そのような世界ならそうなるだろうという共感を持てるからだ。
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2016年07月28日

沈みゆく大国アメリカ <逃げ切れ! 日本の医療>

沈みゆく大国アメリカ <逃げ切れ! 日本の医療>
堤 未果   集英社   2015.5
    2016.7.29.jpg 

 先日、紹介した「沈みゆく大国アメリカ」の続編である。
 全体的に著者の感情的な記述が目立ち、それだけ信憑性が薄くなる。特に日本の情報について、わたしでも知っていることが多く、たしかにそこは問題なのだが、もっとプラスマイナス両面から考えて、と思ってしまう。そのため矛盾を感じる箇所もある。
 ここで取り上げたのは、それでも読む価値がありますよ、と言いたいからだ。
 ジャーナリストというのは、正しく問題を提起できれば良い。その解決策は行政の考えることである。もちろん解決策が示せればなお良い。問題提起は出来ていると思う。

「沈みゆく大国アメリカ」でいった、オバマケアの欠陥の再確認的記述が多い。
 読んでいて恐ろしいほどだが、良い部分は全くないのか、疑問に思う。
 オバマケアが成立したのは、アメリカ国民が馬鹿だから(MIT教授)という記述もある。
 採決直前に出された、法案3000ページと関連規制で20000ページ、積み上げると人の背丈を超える書類の山。とても議員が読み切れるものではない。
 それはそうだが、それならなぜ採決を止めなかったのだろう。
 薬価の高騰にねを上げたアメリカ庶民や地方自治体が、同じ薬をカナダから五分の一以下で購入するという話もある。これなど、日本も研究する価値がありそうだ。

 対する日本の医療はどうか。
「国民皆保険」は保険ではない。国家による「社会保障」である。これを民間保険会社にやらせたのがアメリカだ。名前は似てもものが違う。
 国民皆保険についての無知は弱さになる。社会保障を失う基になる。
 政府支出に占める日本の医療費は国際的にみて決して高くないという。
 日本の医師の数は決して多くない。緊急病院の医師数、働く環境を見よ。これはこの本以外でも言われる。
 それから、佐久総合病院や亀田病院など、また足立区の学校給食の成功例をあげている。アメリカでも同じような動きがある。なかなかいい例だが、全国的に展開できるのか、普遍性に疑問がある。この参考例を基に行政は疑問を克服してもらいたい。

 前に、「日本の国民皆保険制度はいろいろな欠点はあるが、なんとか守らなければならないと思う。」と書いたが、つまり日本の制度にもいろいろ問題があり、常にこの改善も行わないと崩壊するだろう。
 キューバは医療の先進国で、経済は低迷していても外交に利用できるほど、というのはおもしろい。
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2016年07月26日

沈みゆく大国アメリカ

沈みゆく大国アメリカ

堤 未果 集英社   2014.11

 ここに書かれた話は本当であろうか。すさまじい医療の崩壊である。同時にマネーゲームの規模も。
 P23からP24に、2014年のアメリカの五大銀行が、四半期で279兆ドル(2京7900兆円)の利益を得る状態になっているという話がある。年間にすれば4倍、約1100兆ドルである。アメリカの総生産でさえ、2014年は17兆ドルだ。日本円の表示もあるので、円の間違いではない。

2015年
アメリカの総生産   18兆ドル
日本の総生産      4兆ドル
世界の総生産合計   73兆ドル
 この中から、1100兆ドルもの利益をどうやって引き出すのだろう。
 (続編で訂正があると思ったが、なかった)

 オバマケアといわれる、医療保険制度ができた。
 国民皆保険なのでいいことのようだが、なんとこの保険は民間の営利団体、つまり保険会社が行う。当然保険会社が儲かるように設定されている。たとえ制度では縛れても、薬価は自由なので、制度の心を無効に出来る。たとえばC型肝炎の新薬1個が10万円で12週840万円、これは保険のきかない薬だ。これは例外では無い。それでは医療費の高騰を避けることは出来ない。
 日本なら自己負担2割とか3割だが、アメリカのある保険は50万円まで免責で、それを越えた分が保険の対象で、となれば、保険の恩恵はまず無いといえよう。
 しかも、医師の66パーセントが割りの悪いオバマケアに参加していない。多くの人が保険料を払っても医療を受けられないということになる。
 それでいながら、医師も出費が多く、結果、低収入で自殺者の割合が多いという。
 労働者の三分の一が時給1000円以下。医療費が支払えず自己破産する人が年間150万人。
 前は軍産複合体と言われていたが、今では医療複合体となっている。
 これがいま、日本を狙っている。
 日本の国民皆保険制度はいろいろな欠点はあるが、なんとか守らなければならないと思う。
 この本の中心はオバマケアの欠点である。復活したウォール街の話題も少し。

続編「沈みゆく大国アメリカ <逃げ切れ! 日本の医療>」につづく。
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2016年07月21日

老人の壁

老人の壁
養老孟司・南伸坊   毎日新聞社   2016.3

 壁シリーズ(?)の最新版である。老人の持ついろいろな問題を、明るく説明している。
 養老孟司中心の対話で話が進む。漫才と思って読むとよい。
 これらの問題は答えがないことが多く、あっても一つではない。わたしも批判しながら書いているが、つまり、そのまま受け入れず、こんな風に考えながら読め、と言いたいわけだ。
 そもそも著者自身が十分に検討しておらず、思いつきで言っているように見える。
 何不自由ない金持ちの放言なのだが、いいことも言っているわけで、だから解説書というよりも、漫才ないし落語のまくらとして、疑いながら読むべし。頭から信用してあとで困らないように気をつけよう。

 特に気をつけるのは、疑問のあることを一方的に押しつけるあたり。わたしも同じようなことを考えているが、このようにはとても言えない。
 その差は、著者たちは、生活のことに何の心配も要らず、この発言がまた収入になるからだ。
 わたしは本当かどうか確認しないと、とても人には言えない。
 以下の( )内はわたしの感想

一 人はいつから老人か
 他人から老人として見られたときからという。そうなったら意地を張らず引退しなさい。
(数年後にホームレスにならなければの話。著者のように使い切れないほどの財産があるなら、安心して引退しなさい)
 自分で楽しみを見つけて、機嫌良く暮らしなさい。

二 忘却の壁
 健康診断には行かない。行っても行かなくても平均寿命は変わらないと調査結果が出ている。
(そんな統計はどこに? また著者は79歳の今までそれで生きてこられたほどの、健康な体をお持ちだから。苦しんだ経験のある人は、そうはいかない)

三 自然と老人
 清潔過ぎも問題。自然は中立で、自然食品がいいというのは人の勝手な思い込み。
(ごもっともだが、いいと言うのは人の体にとっていいのであって、自然にとっていいのではない。また不潔な環境で生活しなければならない人の苦しみが判るかな。たとえば部屋中がたばこの煙が満ちた仕事場とか。あるいは残留農薬で苦しむとか)

四 長生きだけが人生か
 医者に白衣は必要、安心感を与える儀式のようなもの。
 75歳以上になったら対症療法だけにしよう。苦しみを取り除くだけにする。
(そのようになったことのない人の戯れ言か、実践しているのならよいが)
 一億総活躍、やめたほうがいい。世のため人のためといって無駄に動き回る人がいっぱいいる。誰かが活躍したら誰かが突き飛ばされる。
 何のためにいつまで働くのだ。
(働かないと生きていけない貧しい人もいるし、働くのが生きがいの人がいる。利は少ないといえども、おおくは無駄ではない。逆に家に居場所がないので職場に縛り付けられてる人もいる。)
(世のため人のためといって無駄に動き回る人には迷惑することもあるが、やめてぼけ老人になると、周りがさらに大変な迷惑だ。適当に働いてもらった方がいい)

五 明るい老人
 遺言状など要らない。困ったらケンカして解決しろ。
(それでは残された人が困る、という心配が、実際にはあまりないんだろうな)
 葬式は要らない。墓も要らない。ただ宗教上の葬式はよく出来ていて、残された人を納得させる力がある。
(大賛成、残された人の生き方の問題で、困るようなら適当にやりなさい。わたしは無宗教だから)
(著者の遺族がそれで済ます可能性はないから、安心して言っていられる。本当に思うなら、遺言状に、葬式はするな墓は要らない、と明記せよ。遺言状は要らない、と言っているのに「明記せよ」は矛盾か)
 日本の自殺率は高い。イギリスは低い。なぜなら、イギリスでは自殺の代わりに人を殺すから、殺人率が高い(ほんとかな)。だから「自殺するな」ってうっかり言えない。
(ある統計の殺人率 10万人あたり、
アメリカ 3.82
イギリス 0.95
日本   0.28
イギリスが特に高いということはない)
 薬は飲むな、害があるだけ。抗生物質は特に悪い。自己免疫疾患、若年性の糖尿病、自閉症、肥満症などおこす。アメリカ人の異常な肥満の原因ではないか。
(ご冗談を、益のある薬も多くあります。著者はたまたま飲まずに済んだだけ。対症療法で苦しみを取り除くにも、薬は必要でしょう。また、ご指摘の疾患は抗生物質のない時代にもありました)
(わたしも基本的に薬とは毒を薄めたもの、という認識でいます。だから薬は飲み過ぎれば悪影響。食品でさえ食べ過ぎれば悪影響があります)
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2016年07月16日

主食をやめると健康になる

2013年9月21日 記
    10月26日 追記
2016年10月15日 追記
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2016年10月15日 追記 を先にします。
2016年10月15日 追記
 10月8日にNHKで、血糖値スパイクという問題を取り上げていた。糖質食を摂ると、その後一時的に血糖値が上がる。
 人によっては上がりかたが高すぎる。これを血糖値スパイクという。様々な病の原因になる。その可能性のある人は日本で1400万人ともいう。
主食をやめると健康になる可能性のある人は1400万人。
わたしが疑問に思った対象は、1億人以上。この人はこの本の対象ではない。
 これがわたしの結論になります。
詳しくは、血糖値スパイク http://takusen2.seesaa.net/article/442815806.html で。
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2013年9月21日 記
主食をやめると健康になる   糖質制限食で体質が変わる!
江部康二   ダイヤモンド社   2011.11
 この本は快書か怪書か
 この本を図書館で予約して数ヶ月になる。題名も忘れていた。あるダイエット成功者に紹介された本である。
 副題にもあるように、糖質を制限することがダイエットや糖尿病退治の基本という。カロリー制限では難しい。肉食ならいくら食べても太らないと。ここでいう主食とは、米・小麦・トウモロコシ・蕎麦・芋などのことである。
 ここでいくつかの疑問が浮かぶ。

1.わたしは、「必要とするカロリーより多く摂れば太り、足りなければ痩せる」と思っている。肉食で摂りすぎたカロリーはどうなるのか。
2.俗に肉食といわれるアメリカ人の多くが太りすぎなのは説明できるか。
3.米を主食とする日本食はヘルシーといわれているが、この定説を覆せるか。
4.米はアメリカなどでダイエット食として食べられていると聞くが、それは間違いか。
5.著者本人がこれで、糖尿病を克服しダイエットに成功したというが、個別な例を一般化していないか。因果関係は確定したか。
 などなど。

 内容をざっと言うと、
 糖質食によって血糖値が上がり、それを抑制するインスリンが大量に出る。インスリンは肥満ホルモンであり、故に糖質食によって肥満になる。
 だからダイエットには糖質食を避ければよいと説く。

1.については、「肥満の原因は糖質の摂りすぎ」と繰り返して説明しているが、p59には「摂取カロリーが消費カロリーより多ければ太る」と矛盾する記述がある。p184にはカロリー節約体質の人は、糖質制限に加えてカロリー制限で痩せる人もいる、と。
 p127には、ある焼き肉屋の主が、いろいろ試みて糖質制限にたどりつき「何だ、カロリー制限なんて気にせずに自分の店の焼き肉を食べればいいということか」で、10キロも減量し標準体重になった、という。話は本当であろうが、誰でもこうなるといえるのか。

2.については、貧しい人が糖質食に偏ったという。しかし、前に紹介した、 ルポ貧困大国アメリカ では、むしろ貧しいが故に脂質食が多くなって、肥満児が増えたという。
 どちらの説が正しいか。

 なぜ糖質制限なのかについては、農耕以前は肉食系であったろうという。
 チンパンジー・ゴリラ・オランウータンなど、類人猿が草食系であることを考えると、説得力に乏しいが、人類だけが例外ということもあるし、数百万年のうちに変わったとも考えられる。
 糖質食は農耕が始まってからで、まだ一万年ほど。人類の身体はまだ糖質食に合っていない、というのは説得力があるが、一万年では絶対変わらないともいえない。
 酒については、蒸留酒はよいが、ビールや酒(日本酒)はNG。

3.4.については、糖質が多くNGという。
 単に否定するだけでなく、誤解の原因も説明して欲しい。これでは日本食を食べていて痩せている人の説明がつかない。東南アジアは米食地帯だが、米を食べていて太っていない人は多い。説明がないとわたしなど、
3.4.については、糖質が多いから、糖質食はOK。と結論が逆になってしまう。(大前提、日本食はダイエット食である。小前提、米などは糖質である。結論、糖質食はダイエットによい。)
 わたしは、雲上世界に写真を載せているが、決して太っているわけではない。「こんなに痩せた人がどうして登山を…」と言われるほどだ。基本は糖質食であるのに。
 ざっと比べてみても、肉食系で太っている人の方が日本食で太っている人より多い。それも桁違いに多く感じられる(感じるだけで統計資料は持っていない)。本書の根本の主張に疑問を生じさせる。

5.については、病院の理事長でもあり、多くの実例があるらしい。ただし、本来糖尿病の治療として行ったことなので、ダイエット目的でもできるか、素人のわたしには因果関係がいまひとつ。つまり、糖尿病系の身体不調が直ったので、ダイエットもできたのではないかという疑い。
 この時点で1400以上の例があるらしい。しかし失敗例はどのくらいか。10例か1000例かで評価が変わる。
 とにかく多くの人に効果があったらしいことは判った。

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 読み終えて、書いている人の真摯な態度は感じるが、本当だろうかという、疑いが消えない。
 逆に、はじめに「摂取カロリーが消費カロリーより多ければ太る」と明言し、それに矛盾しないように話を展開すれば納得できるのに、p127の例もあるように、あちこちで肉食ではいくら食べても太らないと匂わせている、のが問題なのだ。
 この書き方は、愚にもつかぬ「◯◯健康法」と同じではないか。
 わたしは肉食でも食べ過ぎれば太ると思う。

 初めの印象は、例えば「◯◯定食の飯やパンは食べるな」と言っているのだと思っていた。それならカロリー制限として効果的だ。紹介してくれた人の食事内容を写真で見るとそんな感じだった。
 わたしのまわりの人も、これに似た指導を医師から受けたようだが、ここまで徹底していない。食品のバランスも考えてしまう。だから思うように治らないのか。
 六信四疑くらいの心境である。

 本論から外れるが、
 農耕以前の食べ物が本来の食べ物かどうか。本来の食物ならいいが、そうではないときはストレスを伴う。農耕によってようやく本来の食べ物を取り戻した可能性もあるのだ。
 コメントのリンクが間違っているので、ここに訂正します。
   蘭嶼11 風格ある社会

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10月26日 追記  わたしの推測的な結論

 まず類人猿のことを考えて、農耕以前は肉食であったという話は疑ってしまう。
 雑食だったが、基本は草食であったと思える。穀物は少ないので今のように糖質食を飽食することはできなかった。だから身体は少しでも栄養に余裕があれば肥満にまわして、飢餓に備えていた。
 現在は穀物食になって、飢えることなく常に余裕がある。故に太りやすい。普通の人で1日なにも食べずに過ごした人は珍しいだろう。
 ここで穀物食分を肉食に変えるとどうなるか。例えば、御飯200グラム肉50グラム食べていた人が肉250グラムは食べないだろう。
 このことから考えると、無理なくカロリー制限ができる。だからダイエットは成功しやすい。
 そしてこの本は、糖尿病系統の人の健康回復を主眼としている。それには糖質制限は納得できる。健康になればダイエットもしやすい。
 ある女性は、テレビでこのダイエットの話を聞いて、本能的に違うなと感じたと言う。
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2016年07月14日

おしゃべりな訪問者

おしゃべりな訪問者
小松左京   筑摩書房   1975.7
     2016.6.26.jpg
 小説の形を借りた、歴史や思想の解説である。
 古ぼけたタイムマシンに乗り、時間旅行をして、歴史上の人物に架空インタビューをするという趣向。
 アウストラロピテクス属・クレオパトラ・秦の始皇帝・アステカ王モテクソーマ・元寇の高麗将軍金方慶・足利義満・大内義弘・本居宣長。最後に仏の影まで出てくる。
 著者の歴史についての相当な博識ぶりを披露している。また仏教論というか仏教哲学も読むに値する。
 いま読み返してみても、内容は古くないと思う。
 アウストラロピテクスは猿人なので、一方的にしゃべるばかりで相手は態度で示すのみ。意思は通じているらしい。現人類は必要以上に攻撃性を持っているとか。
 クレオパトラには、日本では卑弥呼をはじめ、何人も女帝がたっていると教えるとか。
 クレオパトラの目算違いは、ローマがあまりにも紊乱・野蛮・無秩序であったこと。
 金方慶は、日本の外交政策の無知のため、元によって高麗は壊滅的被害を受けた話。もっとも恨むのは元であるべきで、日本を恨むのは筋違いなのだが。
 足利義満の日本発展の大構想など。
 仏教においては、仏陀の語ったことと、後の仏教のあり方が、あまりにかけ離れている話とか。
 はじめは仏陀の像はなかったとか。地獄極楽はないとか。
 釈迦は答えないとした4つの問い。
 宇宙は永遠か、宇宙は有限か、霊魂と肉体は同一か、解脱したつまり如来は死後存続するか。
 これは考えても生活実践の上に何の関係もない。だから答えない。それにもかかわらず、後に大展開してしまった。

 こんな、著者の博覧強記ぶりを示す一冊。
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2016年07月09日

虚無回廊

虚無回廊
小松左京   徳間書店   1987(2011.11)
     20160705-1.jpg
 小松左京の最後の作品であるが未完である。本来三冊であったが一冊に合本した(2011)。
 第一巻と第二巻が1987年、第三巻が2000年、以後続きは出ていない。

 地球から5.8光年の距離に突如出現した、長さ2光年、直径1.2光年という驚異的スケールの円筒形の物体「SS」。
 透けていて、その向こうにある星が見える。そして時々消えてしまい、角度などを変えて再現する。その距離を移動するには光速以上の早さが必要。
 探査に直接人間が赴くには距離的時間的に困難であるため、人工知性体をその宇宙域に送ることになる。
 選ばれたのは、若き天才人工知能開発者・遠藤秀夫がAIを越える物として開発していた「人工実存(AE)」HEUだった。遠藤秀夫の分身である。
 今話題のディープラーニングによるAIでは無理なのだ。与えられた任務だけではなく、向こうに行ってから、自分で目的や行動を考えなければならないからだ。
 しかし、出発して49年後、連絡をとる地球の遠藤秀夫が亡くなった情報が入り、HEUは連絡を止め、独自の行動をとりはじめる。なにしろ、いま情報を送っても、地球に届くのは5年9ヶ月かかる。返事が届いたとして11年半後。果たして今の星域にいるかどうか。
こうして物語は始まっていく。
 HEUは人型の分身を作るが、長い間、特定の仕事をさせているうちに個性を持つようになる。結局6人の仮装人格が得意な仕事を分担することになる。
 SSでは様々な知性体と遭遇する。対立する異星知性体もいる。あちこちの知性体がSSを調べようと、送り込んだのだった。
 安易な手法は使わない。ワープで一瞬に飛ぶとか、異なった星域の宇宙生命体がいきなり英語で会話するなんてことはない。
 言葉はディープラーニングのようにして、元素の並び方を調べて、その並び方の特徴で意味を推測し、単語の一語一語を時間をかけて探し当てていく。
 そして他星域の生命体と情報を交換して、どう調査するか話し合いがあって、さあこれからSSと接触を試みようとするところで、著者が亡くなった。
 宇宙や生命や知性あるいは愛なども説いているが、たとえば新しい宇宙論とか、量子力学の話など、あまりにも難しく、わたしには読んでいて理解することが出来ない。いつもなら易しく説明するところ。それを省略しても先を書き進めたかったと思われる。

 まず最初の疑問。仮にSSが光速なみの早さで動くとすれば、あるいは一瞬で動くとすればSSの直径が1.2光年なら、消えるときも一瞬ではなく、月が欠けていくように1.2年以上かかって、ゆっくりと欠けていくはず。出現も同じく。
円筒のあちこちまでの距離が違うからである。そして光速以上の早さで動くように思われる理由。この二つの疑問の答えは同じと思われる。
 さらに、おそらく100億年以上前に現れたと思われ、まるで宇宙の誘蛾灯のように存在し、見た生命体を集める不思議な物体SS。SSは自然物か工作物か、知能はあるか。など、解明されておらず未完である。
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2016年06月28日

グインサーガ全130巻を読み返す

栗本薫   早川書房
 約2年かけてグインサーガ全130巻を読み返した。
 1979年(昭和54年)9月の第1巻『豹頭の仮面』以来、2009年(平成21年)5月26日、著者が亡くなるまで、30年間にわたり執筆されて、いまだ未完である。
 わたしは第10巻が出た頃に知り、一気に10冊読み、以後は出版の日を待ち焦がれて本屋に通った。
 外伝も22巻あるが、今回は本伝130巻だけを通して読んだ。

 地図上の問題
 グイン読本にカラー地図がある。前に紹介した地図を再掲する。
chizuguin-2.jpg

 海や湖や川は青、海岸部や盆地など低い土地はみどり、高くなるにつれて茶色が濃くなってくる。つまり普通の地図と同じなのだ。地図を見慣れない人でも判ると思う。登山地図になれた人には当然で何の疑問もない。
 ここでは、イーラ湖を底とするパロの盆地、オロイ湖を底とするクムの盆地があり、流れ込む川はあっても、そこから流れ出す川はない。
 ダネイン大湿原も盆地より高いところにある。
 イーラ湖に接続するランズベール川がある。パロの盆地がみどり、少し東に行くと、薄い茶色、そして川はたんだん細くなり濃い茶色のアルシア連山あたりで消える。どう見ても、アルシア連山から流れ出し、イーラ湖に流れ込むように見える。
 しかし、本文の記述は、イーラ湖から流れ出し、下流のアルシア連山の山中に消えると一貫している。水の流れの方向、上流下流の記述も、一貫している。
 アルシア連山の裾野は、イーラ湖より低いところにあることになる。
 わたしは今まで間違っていると書いたが、記述が一貫しているなら、むしろカラー地図が間違っていると考えねばならない。地図作者が誤解したといえる。ただ著者も目にしたと思うので、地図作者を責めるわけにはいかない。
 読み落としていたが、ダネイン大湿原は中原では最も低い土地にある、という記述があった。そうなるとこれもカラー地図が間違っている。パロの盆地の水はランズベール川で排水され、ダネイン大湿原にも排水されていることになる。
 草原地帯は少し高いところなので、ダネイン大湿原から流れ出るアルゴ川は大峡谷になっているのかな。もっとも草原の民は自由に移動しているので、切り立った崖ではないだろう。
 それよりここもカラー地図の間違いと考えた方が早い。
 おそらくパロの盆地は地図よりかなり高く、ダネイン大湿原や草原はかなり低いと考えるところだ。

 もう一つ。
 実際には30年130巻にわたって書かれた。主人公が何巻も登場しないこともあり、5年ぶり10年ぶりに登場する人物もいる。そんなとき読者は「この人誰だっけ」「あの当時の細かいことは忘れた」という状態になる。
 小説ではさりげなくそのあたりを説明している。会話であるとか、立場の違う別な人の述懐だとか、今までのあらすじ風の説明とかで、久しぶりの登場人物やその当時のことなどを読者に思い出させる。これが実に巧みである。
 巧みではあるのだが、今回のように一気に(と言っても2年)130巻を読むと、しかも2度目なので、その人や過去のことを覚えている。そうなると、前に読んだところをもう一度読んでいるような錯覚に陥る。この巧みさは長い間の連載の時は生きるが、一気読みでは逆効果でいらいらするほど。今までのあらすじ、過去の説明ばかりで、いっこうに話が進まない、という状態になる。これは意外だった。
 考えてみれば、初読当時もけっこうだれた感じがしていた。いつまで経っても話が進まない。どこかにそんなことを書いた記憶もある。
 このことで、十年後二十年後の三度目読みはないとみて、本の処分を決意した。

 未完で作者が亡くなった。この先の梗概のようなメモなどを期待したが、なかったらしい。
 その後、グインサーガワールドとして、他の作家がグイン世界を書いている。わたしはその第一巻を読んだが、第二巻以後は読んでいない。機会があれば…と思っていたが、なぜか積極的になれないのだ。本屋でも見ないし…、などと自分で自分にいいわけをしている。
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2016年06月23日

あい

あい 永遠に在り

田 郁   角川春樹事務所   2013.1
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 幕末から明治にかけて、活躍した名医関寛斎とその妻「あい」の夫婦の物語。
 関寛斎はオランダ医学を学び、戦争時は敵の傷病者も視るという思想の持ち主だった。司馬遼太郎も小説「胡蝶の夢」に登場させた。
 だが、あいの資料はほとんどない。
 著者は、寛斎の言葉「婆はわしより偉かった」に着目して、あいの物語を構築してみたという。

 東金で極貧の農家に生まれ育ち、寛斎に嫁いでまもなく銚子に移り、ここで、ヤマサ醤油の創業者に出会う。後にいろいろと援助を受ける。
 寛斎が阿波の藩医となり、一家は阿波に移住する。寛斎は戊辰戦争のときは、官軍の軍医として参加し、みかたに理解されずとも敵の傷病者も治療し、明治政府に絶賛された。そして七十歳を過ぎて全財産を投じて夫婦で北海道の開拓に挑む。開拓は道半ばでその地で没す。
 マイナス面もあると思うが、あえてプラス面だけを選んだようだ。
 このようにひたむきに生きる人を語るのが、田郁の魅力であろうか。特に極貧の描写は胸を打つ。著者は貧しいという意味を知っているようだ。
 関寛斎は理想を持ち、それを実行しようとするが、少し上滑りしている。しっかりと現実を把握しているあいがいたからできたこと。あいの存在は重い。
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2016年06月16日

すえずえ

すえずえ
畠中 恵   新潮社   2014.7
     suezue.jpg
 いつものようにほのぼのとしていて楽しい話。
 若旦那一太郎と幼なじみの栄吉にそれぞれ縁談が持ち込まれる。少しずつだが、成長していく。大人の世界に近づいたのだ。そうなると、妖(あやかし)たちとの共同生活も終わりになるだろう。そのための独立準備編といえる。
 上方で活躍した一太郎は儲けた金で、となりに長屋を建てた。手代の仁吉と佐助は独立して、そちらに住むことになる。妖たちの多くも引っ越し。
 妖たちはきっと何年たっても変わらないんだろうな。しかし、人間の世界で妖が暮らすのは難しい。
 貧乏神の金次がその気になると怖い神様であることに、どきりとさせられる。

  栄吉の来年
  寛朝の明日
  おたえの、とこしえ
  仁吉と佐助の千年
  妖達の来月

五編の短編集。
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2016年06月12日

恋せよ魂魄

恋せよ魂魄(こんぱく) 僕僕先生
仁木英之   新潮社   2015.8
     koiseyokonpaku.jpg
 ほのぼのムードのこのシリーズ、ここへきて急旋回。
 王弁が成長してきた。薬師として、技能ばかりでなく精神的にも一人前になってきた。
 今まで僕僕の従者であった王弁が、成長して僕僕の同行者と思われるようになったのだ。王弁が人生の目的を見つけたといえるだろう。
 この後は故郷に帰って名医となるか、仙人に近づくのか。

 長安に向かう旅の途中で、不治の病の少女をどう治療するかで悩む。今までは僕僕先生中心の仕事だったのだが、王弁の仕事となる。さらに戦いに加わったりする。おそらく、そう成長したので、吐蕃から長安へとなったのであろう。
 吐蕃のデラクの存在感が大きい。王弁もかなり救われている。
 長安ではついに朝廷の影の組織胡蝶の頭目が出てきた。胡蝶から逃げた劉欣は胡蝶の頭目と戦う。
 劉欣は王弁たちと旅を続けるうちに、非情の暗殺者から、人間味が出てきて親しめるようになっていた。たが今回は本性を発揮する。それも育ての親を救うために。
 終わる頃にばたばたと、劉欣や劉欣を愛した育ての父母などが死ぬのがつらい。
 さらに驚くのは、僕僕先生が力を失ってしまうことだ。最後に王弁に言う。
「この旅は、もうキミのものになりつつある。共に行こう」
 そう言った。力強いが、どこか悲しげな表情だった。

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2016年06月01日

継ぐのは誰か?

継ぐのは誰か?
小松左京   早川書房   1972.5

 地球の歴史では有名な恐竜の時代もあった。恐竜意外にもそれぞれの時期に繁栄した生物がいる。現在は人類(ホモ・サピエンス)の時代である。ホモ・サピエンス王朝はいつまで続くのか、ホモ・サピエンス王朝が滅んだとき、あとを継ぐのは?
 小松左京らしいこんな雄大なテーマの小説である。

 人類は完全ではない、こんな議論を繰り返す大学生たちのグループに、殺人予告が入った。どう防ぐか。実行不可能な形で事件が起こる。それを追及していくと新たな謎。
 43年も前に、ネットワーク社会の脅威を予測したような話で、書いた当時より、現在読んだ方が納得できるのではなかろうか。現代は電波で成り立っている一面がある。
 結局、殺人者は南米出身で、なんと人が声や音を操るように、電気・電波を操ることが出来る。そればかりではない、発電もする。
 殺人者の出身部族の一人一人が放送局になる。受信機になる。さらにコンピューターにハッキングもする。染色体数さえホモ・サピエンスより2対多い。
 捜索隊を組織し、アマゾンの奥地にその殺人者の出身地を訪ね、出身部族ククルスクを探すことになる。みどりの地獄アマゾンの描写もいい。
 ククルスクから接触があった。部族約千五百人全体が病にかかっていた。そして捜索隊の持っている薬を要求する。
 交換に新人類ホモ・エレクトロニクスの驚く歴史を聞くことになる。中南米に栄えたインカやマヤやアステカなどの先生役となった民族。白人の暴挙からたくみに逃れてアマゾンに逃れたという。
 そこに連絡が入る。あの薬は副作用があり、新人類ホモ・エレクトロニクスの生殖力を消滅させる。しかし、その連絡が入ったときはすでに全員に投薬済みだった。

 時代は二十一世紀の中頃かな。戦争がなくなって何十年という記述がある。しかしご存じの通り、第二次世界大戦後も戦争が絶えたことがない。これにより小説上の歴史には違和感が生じる。その延長の世界観にも違和感が生じる。その源は小松左京の未来への希望であろう。
 この小説が書かれたのは1972年、アップルの創業が1977年。これだけでも驚嘆に値する。
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2016年05月28日

海から何かがやってくる

海から何かがやってくる
薬師寺涼子の怪奇事件簿
田中芳樹   祥伝社   2015.9

 事件は南のリゾート予定地で起こる。
 飛行艇が海面50メートル辺りまで上昇したとき、海中からの水鉄砲のような水流で墜落。また150トン級の巡視船が水鉄砲のような水流で破壊される。こんなことが出来る怪物が相手にしては、結末はあっけない。巨大なナメクジ程度で、その退治の仕方も少し矛盾がある。ガムテープを投げるとか、ぐるぐる巻きにするとか。それから液体水素で凍らせるのは本当に出来るのか。もちろん凍らせるのは出来るのだが、ガソリンなみに発火しやすいはず。爆発しそうだ。
 地底の洞窟なのだが、そこから怪物はどうやって海に出入りしているのか。海の中なら海水が入ってくる。
 巡視船を破壊する水鉄砲のことも解明されず終わる。

 ストーリーはいつものごとく、中編小説並みで複雑ではない。
 また、いつもながら政権批判が痛烈で面白い。これがなかったら薬師寺涼子の魅力は半減する。今回はその量が多い。しかも核心を付いていて笑うに笑えなかったりするほど。だから現在の政治状況を理解していない方はおもしろくないかもしれない。
 今回は設定に疑問が多いが、だから怪奇事件だろうな。
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2016年05月24日

ああ知らなんだこんな世界史

清水義範   毎日新聞社   2006.8

 日本の世界史は西洋史がほとんどだ。しかし、世界は西洋ばかりではない。
 著者はトルコをはじめイスラム文化ゆかりの地を旅して得た驚きや発見をもとに、あまり日本人にはなじみがないイスラム世界を中心とした、歴史の一部分を取り出して書いている。

 なぜトルコが小アジアと呼ばれるのか。なぜ、スペインにイスラムのアレハンブラ宮殿があるのか。なぜギリシャ文明のギリシャ人と現在のギリシャ人が似ていないのか。
 エデンの園はどこにあったのか。マリヤが老後を過ごした場所など、なぜイスラム圏にキリスト教の遺跡が多いのか。
 ペルシャとは。
 イランやトルコはアラブではないとか。
 クレオパトラ(七世)は古代エジプト人ではなく、ギリシャ系とか。
 あるいはインドの古代史。
 こんな、知っている人には常識的な話でも、知らない人は驚くような話ばかり。
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2016年05月22日

愛と日本語の惑乱

愛と日本語の惑乱
清水義範   KKベストセラーズ   2008.11
 日本語に対する問題の疑問の出し方や見識がおもしろい。随筆や論文ではなく、小説の形で日本語を検討している。
言葉の変化、漢数字か算用数字か、コピーライターが編み出す斬新な言葉、言葉狩り、幼児語。
 外国のたとえば韓国や中国の人名や地名の読み方。「スタバる」「マクる」などの「ナニナニる」という新語。幼児の脳にははじめから文法の知識があるという説。
 数字に対してはわたしも悩んだことがある。20年か20年か二十年か二〇年かなど。
 中国人名に対しては前に書いたことがある。
岡崎先生が、初めて翻訳した「書剣恩仇録」では、主人公陳家洛を「チンカラク」にするか「チェンジャールォ」にするか迷ったという。結局は時代劇なのでチンカラクにした。回族の霍青桐はホチントンとする。こちらは漢字の日本語読みではおかしいので妥当な読みだ。 

 そんな話を著者らしい裁き方で展開していくのだ。
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2016年05月10日

姜維伝

姜維(きょうい)伝
諸葛孔明の意思を継ぐ者

小前 亮   朝日新聞社   2010.3

 諸葛孔明死後の蜀漢の動きを書いている。
 三国志における蜀漢は一地方政権に過ぎないが、国是に漢の復興を掲げていた。そのため、力がないにもかかわらず、漢の復興の手始めとしての形だけの北伐を繰り返していた。そこは魏の辺境である。諸葛孔明が亡くなっても、姜維が後を継いで北伐を繰り返し、国力を損耗していった。結果、蜀漢の滅亡を早めることになる。
 姜維(きょうい)は降将である。諸葛孔明に心服していたが、諸葛孔明の死後は都に居場所がなかった。そのためもあって常に戦場に身を置こうとしていた。そして自ら戦いを求め、魏の二将に攻め込まれて、蜀漢は滅ぶ。
 そんな姜維の心の動きが、納得できるのだ。後の歴史を知っているわたしには共感できないが、あの時代としては、復漢を心の糧として、国をまとめたのかもしれない。
 魏は国力があり、魏の将軍は蜀軍に負ける心配がなく、蜀を倒すことより、自分たちの派閥争いが中心となっていた。それだけ力の差があったので、劉備の時代ならともかく、劉備と孔明の亡き後の世代の蜀の高官たちが北伐を止めようというのは当然である。
 それでも北伐を続けた。そんな姜維の物語。
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2016年03月31日

花の忠臣蔵

野口武彦   講談社   2015.12

     16.2.23-1.jpg

 忠臣蔵を中心にして元禄の世を丁寧に解説している。
 あとがきに
 五代将軍綱吉は、カネを使いまくることは知っていたが、−略−利殖することを知らなかった。
 浅野内匠頭は自藩の塩専売が商業資本の蓄積につながることを知らなかった。
 吉良上野介は、賄賂が社会慣行を円滑に動かしていくシステムであることは判っていたが、なぜそうなるかを理解していなかった。
 大石内蔵助以下の赤穂浪士は封建社会においてベストとされるモラルに殉じた。

−略−
 誰も自分たちを見えない手で操っているのが、貨幣経済のからくりであることを知らない。
 貨幣経済に操られる、カネがカネを生む現代社会の始まりが、この元禄の時代だったのだ。

 たとえば、浅野内匠頭が吉良上野介に意地悪をされたとか、その原因が理不尽な賄賂を払わなかったからと言われるが、それは理不尽な賄賂ではなく正当な謝礼である。
 その正当な謝礼を払う際に、インフレを考慮せずに昔の価格ですまそうとしたことが問題だったといわれる。
 正当な謝礼なるものが、賄賂のような形で払われた。江戸幕府が出費すべきことなのに、大名に押しつけた(払わせた)。この政治制度の欠陥が事件の引き金といえよう。

 前半の時代を見つめる目も、後半の討ち入りの説明も、資料に基づいて、判っていることと創作された部分とを分けて、判りやすく解説している。
 問題はそれらの資料の信憑性だが、その検証は専門家に任すしかない。
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2016年03月20日

天鬼越

天鬼越(あまぎごえ)  蓮丈那智フィールドファイルX
北森 鴻  浅野里沙子   新潮社   2014.12
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 短編集である。2010年に亡くなった北森鴻の、いまだ単行本化されていなかった鬼無里・奇偶論の2編に加え、プロットのみ残されていた表題作天鬼越を浅野里沙子が小説化し、さらに浅野里沙子が模倣した3編を加えた。もちろん蓮丈那智シリーズである。
 主人公の那智と記述役の三國が、ホームズとワトソンのようにバランスがとれていておもしろい。
 ナマハゲなどの古い祭祀や秘祭の考察と、それに絡んだ事件への考察の鋭さ。何気ない行動にも意味があって、それを元に推理する。
 銭形平次はなにゆえ神田明神下に居住しなければならなかったか。
 という学生への課題を残して鬼無里を研究に行くが、これも事件の解決のヒントになる。
 ふっと、三田村鳶魚(みたむら えんぎょ)の大衆文藝評判記を思い出す。
神田明神下には棟割り長屋はない。

 民俗学とは
 真贋など、どうでもいい。なぜ偽書が作られるのか、重要なのはそれだけだ。
 という基本姿勢は変わっていない。

 蛇足ながら、蓮丈那智は東敬大学に研究室を持つ。そして怜悧な頭脳と美貌といくら飲んでも酔わない体の持ち主。民俗学の世界では異端者として扱われている。
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2016年03月13日

邪馬台

邪馬台  蓮丈那智フィールドファイルW
北森 鴻   新潮社   2011.10
     15.1.05-1.jpg

 この本は著者の死去によって未完であったが、浅野里沙子が北森鴻の資料を基に追加執筆し完成させた。どこまで追加かは判らないが、著者は北森鴻とさせていただく。

 このシリーズ初の長編なので、いつもと趣が違う。
 明治初期に地図から消えた村があった。阿久仁村である。その村に密かに伝わったといわれる「阿久仁村遺聞」という古文書らしきものが蓮丈那智の手に入る。
 これが蓮丈那智が研究していた邪馬台と関連があるらしい。
 鉄の生産には大量の燃料が必要となる。酒の生産には食べるに余るほどの大量の米が必要になる。この鉄と酒がキーワードになって、蓮丈那智は阿久仁村遺聞の謎を解き、同時に邪馬台国の謎を推察する。
 おなじみ別シリーズの雅蘭堂越名や冬狐堂宇佐見陶子も登場する。三國もしっかり活躍する。
 話は複雑に入り組んでいて、読んでいて戸惑う。
 読み終えて、この結論でこんな大きな事件になり得るのか、つまり謎の風呂敷を広げ過ぎていないか、これで最初から最後まで筋が通っているのか心配になるほど。もっとも有り得ないほどではない。特に文書の順番の謎は、無理矢理謎にしている感じがする。
 個人的には、浅野里沙子が書いたと思われる終盤が読みやすかった。この小説を世に出すため、すなおに集結させたのではないか。
 魏志倭人伝はなぜ書かれたのか、古事記と日本書紀は同時代に書かれたのになぜ内容が異なるのか、などから、邪馬台国に対する新しい見解を展開する。
posted by たくせん(謫仙) at 06:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする