光瀬龍 ハヤカワ文庫 1973.4
2007.4.7 記
2020.5.18 加筆
わたしはこの本によって、SFに目覚めた。
それまでも古典的な「冒険科学小説」は読んでいたが、この本はその壁を打ち破った。
日本のSFは発足当時からこれだけレベルの高い小説を提供していたのだ。
野田昌宏さんはアメリカの初期SFを収集しているが、「ほとんどは屑だ!」と喝破した。それがレベルが高くなって読むのに耐えるようになった頃、日本のSFが始まった。そのため、助走なしにいきなりハイレベルの小説が書かれた。
この本はその象徴と思っている。
いま再読してみると、時代を映しているところがいくつかある。
なお、著者は学校の理科の教師であり、科学的知識は素人ではない。
漢語を仮名書きにしているところがある。当時、漢字制限が強く、その範囲外の漢字は使いにくかったのか。また、できる限り和語はひらがなにしている。
コンピューターが登場するが、この記録はロッカーにパンチカードで収納されている。また、カタカナ書きである。当時は平仮名や漢字は表現できなかった。その影響か、漫画や小説では、コンピューターの言葉はカタカナで表現されることが多かった。
ちなみにわたしが初めてコンピューターに触れたときは、入力はパンチカードであった。紙テープなども使われていた。記憶はオープンリールの磁気テープが多かった。これらは業務用である。
☆「兜卒天は夜摩天より16万由旬の上層に位置する。千六百億光年とでも言おうか。」 1由旬が100万光年と説明している。これは誇張しすぎ。
現在では由旬がある程度判っていて、約7キロメートルである。人の住む世界がインド亜大陸の形をしていて、その大きさが記されていることから推測した(須弥山と極楽)。そして須弥山の高さが8万由旬である。
さて、物語は天地創造から始まる。
寄せてはかえし
寄せてはかえし
かえしては寄せる波の下で、生命は誕生し育っていった。
そして人が誕生し、文明が発生する。
プラトンがアトランティス王国の記録を見る。
その都はオリハルコンで飾られていた。そして、
大西洋に没したといわれるその王国の最後の司政官オリオナエこそプラトンであった。
その王アトラス7世は惑星開発委員会の計画に沿って、王国の引っ越しを命ずる。だがそれは不可能であり、王国は滅亡する。
釈迦族の王子シッダルタは4人のバラモン僧(目犍連・須菩提・摩訶迦葉・富楼那)に導かれ出家した。
富楼那(フルナ)が出家に反対する老ウッダカに説明する。
「梵天はこの長大無辺な宇宙をその手に観照する。万物流転の形相はすべて天なるものの意志、すなわち梵天王の意志である」 そして、兜卒天に住む梵天に会いに行く。ここでは弥勒菩薩が五十六億七千万年後に衆生を救うために修行をしているはずであった。
だがそこは荒れていてとても浄土といえるところではなかった。原因は阿修羅との戦いであった。
シッダルタは阿修羅王との会見を望み、会見することになる。
シッダルタと阿修羅王を逢わせたのは、世界を滅ぼそうとする四人の波羅門僧の失策であった。
わたしはこの会見シーンをもう一度読みたくて、この本を買ったといえよう。
「悉達多(しっだるた)太子か」
はためく極光を背景に一人の少女が立っていた。
「阿修羅(あしゅら)王か」
少女は濃い小麦色の肌に、やや紫色をおびた褐色の髪を、頭のいただきに束ね、小さな髪飾りでほつれ毛をおさえていた。
「そうだ」
少年と呼んだほうがむしろふさわしい引きしまった精悍な肉づきと、それに似つかわしい澄んだ、黒いややきついまなざしが、太子の心をとらえた。
「阿修羅王に問いたい」
少女は、ふとかすかに眉をひそめた。その、あどけない面だちに、浮かんだものは、ひどくひたむきな心の働きと、それにふれたすべての人々を亡ぼしてしまうかと思われるようなくらい情熱だった。
「波羅門(ばらもん)の説くところ阿修羅王は宿業によって、この兜卒(とそつ)天浄土に攻め入り、帝釈天の軍勢とすでに四億年の永きにわたって戦っていると聞いた」
「そのとおりだ」少女は唄うようにいった。
「阿修羅王よ」
少女はふたたびかすかに眉をひそめた。見入るときにわずかに眉をひそめるのが、この美しい少女のくせらしかった。少女はだまって首にかけた瓔珞(ようらく)をもてあそんだ。それは何かの骨片を銀の糸でつなぎ結んだものだった。小さな乾いた音が、木鈴の鳴るように太子の耳にとどいた。
「なに故に梵天(ぼんてん)王のしろしめすこの天上界に攻め入ったのか。そののぞむところは何か。そして阿修羅王よ。王はどこからやってきたのだ。王の棲む世界はいずこにあるのだ」
太子は砂の上に腰をおろし、上体を真っすぐにのばして少女をにらみつけた。
少女は少し困ったように片方のくちびるの端に微笑を浮かべた。小さなくちびるから真白な糸切歯がのぞいた。
「阿修羅王よ」
「悉達多太子!」
とつぜん、少女の声は天地の声になった。
どっと吹きつけてくるはげしい風の中で、少女の髪がほのほのようになびいた。少女の怒りと悲しみが目のくらむようなすさまじい火花となって散った。
「太子! 弥勒に会え! 五十六億七千万年ののちに、お前たちを救うであろうといわれるその弥勒に会え!」
太子は思わず砂の上に身を投げた。合掌する手が自分でもぶざまなほどふるえた。この場面は、興福寺の阿修羅像を彷彿させる。
対話はまだ続く。
この世界の荒廃は戦争が原因ではない。戦争は、この世界はなぜ荒廃するのかという、危機に対する梵天の無策に対する攻撃であった。
「梵天王は今こそ転輪王の意図を知ることだ」・・・
「梵天王があなたの言葉を聞こうとしなかったわけは?」
「わからぬ。これだけは言えると思う」
「思考コントロールを受けている、と」
「そうだ。初めてあなたと意見が一致したようだ」
・・・ そして弥勒に会いに行くのたが、それは単なる像であった。
ここに救いがあると勝手に信じた人が弥勒の救いを人に語ったのであろう、という。
エレサレムではイエスが処刑されようとしていた。イエスのうさんくささを見抜いたユダの告発によるのだったが、処刑後、暗闇となりイエスの遺体は行方不明になる。
そして…
3905年
砂漠と化したトーキョーに、シッタータの記憶を持つ者・オリオナエの記憶を持つ者・アシュラの記憶を持つ者、三者が集まった。
そこでイエスなどの地球文明を破滅させた者たちの襲撃をうける。
この後、三人は、ナザレのイエスを追い惑星開発委員会のあるはずのアスタータ50へ行くが、そこはすでに滅んでいた。そこで弥勒=大天使ミカエル=アトラスと戦うことになる。
そこを抜け、転輪聖王のいるアンドロメダ星雲に行く。復元できたのはアシュラ王だけであった。
ここから世界を支配していた転輪聖王の組織はすでに崩壊していた。
二千億光年の宇宙全体が崩壊しようとしていた。
アシュラ王はたった一人で残される。
さて、前に書いたこと。
「兜卒天は夜摩天より16万由旬の上層に位置する。千六百億光年とでも言おうか。」について。
この広大な世界を(外から)管理する転輪聖王がいるところが、230万光年の距離にあるアンドロメダ星雲というのは近すぎ。そして仮に千六百億光年としても、下に書いたような、はるかに大きな世界が二千億光年の宇宙に入ることはできない。
というわけで、1由旬が100万光年とするのは無理がある。1由旬約7キロメートルでよかった。
ただし、当時は由旬の定説は見たことがない。またビッグバンの思想はなかったので、宇宙の大きさが二千億光年ということは問題ない。
なお、結論が判りにくいが、仏教の宇宙論ではこの宇宙そのものが、滅んでは再生を繰り返している。その一回分(1大劫)の物語と考えたい。
参考
地上〜須弥山頂上 8万由旬
地上〜兜卒天 32万由旬
地上〜色究竟天 1677億7216万由旬 天とは場所のことと同時にそこに住む者も表します。
色究竟天は有頂天ともいいます。なかなか有頂天にはなれませんハイ。
最後の数字はパソコンのプリンターの説明で見たことがあるような……。いま、インドのソフト技術が力を得ているが、こんな昔から二進法の数字の考え方を操っていたんだな、と妙に感心する。
続きを読む