2019年11月28日

死を恐れずに生きる

   駒田信二  講談社   1995.5.25
               2019.11.28 追記

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 2019/11/28追記
 いまもう一度読みたいと思っている本がある。駒田信二の「死を恐れずに生きる」だ。死の直前に書かれている。
 その本の中で、特に儒教思想に対する反発は同感する。
 駒田信二は中国系の軟文学で有名だが、漢文学者である。
    島根大学教授、桜美林大学教授、早稲田大学客員教授を歴任(ウィキによる)

 ちかごろ武侠ドラマ以外にも、中国の時代劇テレビドラマを見ることが多い。この中でもどうしようもない違和感は、この儒教思想である。
 皇帝は全世界を統べるという思想なので、外国の王さえ地方に派遣した臣下の扱いである。そして、臣下は熱心な協力者となる。
 まるでミツバチやアリの役割分担のようだ。各家庭でもそのミニ版である。
 その正反対にいるのが駒田信二であり、その思想はこの本に濃縮されている。
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1995.5.25記

 死の一週間前までに著者の語ったものをまとめ出版したという。平成6年80歳である。

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人と争うな、競うな、偉くなるな、出世するな、ということだけは娘たちに伝えたい…。
つまらぬ野望など抱かず、のびやかに彼女らの人生をまっとうしてほしいと願う著者が語る真摯な生き方。


第一章 「死」と向き合って考えたこと
第二章 人間のあり方を見つめ直す
第三章 いつも精神を自由にしたい
終章  残された「生」を精一杯生きる

「生きる自由のない時代」に何度も死と対峙した著者が、その体験談を話し、自らの諦念を語る。
 懲罰出征されて戦地へ送られる。懲罰出征とは、「どうも言動が怪しいようだが証拠がない。無理に徴兵して戦地へ送ってしまえ」という出征である。
そして、位が上だという理由で散々に殴られる。高校(現在の大学)教員は位階は高いのだ。
 反発して、軍人勅諭さえ覚えなかったら、中国では共産党のスパイと間違われた。日本兵なら軍人勅諭が必ず言える時代である。そして重慶の刑務所に入っていた。後に重慶で、その刑務所に入っていたが命が助かった、という話を現地の中国人に話すと、みな涙を流して喜んでくれたという。
 若いときにそんな体験をした著者は、また中国思想にも詳しい。儒教のいかがわしさにも敏感で、
 儒教に根ざした思想は持ちたくはない。権力の側に立って仁政を施すといっても、所詮目の位置は下に向けられているのです。慈悲の衣をまとっていても傲岸不遜さが見え隠れするこのような考え方をわたしは信じません。

 そのような考え方でその後の人生を生きた著者の、「人と争うな、競うな、偉くなるな、出世するな」という思想に、わたし(謫仙)はもっとも同調する人生を送っているような気がする。
 どうも父親の在り方が似ているようなのだ。家族を犠牲にして、ひとりだけいい思いをしようとする父親の姿はそっくり。それに対する反発心。

 人間万事塞翁が馬という言葉がある。この「人間」を「じんかん」と読む人はどれほどいるだろうか。読み方は「にんげん」でいいが、意味は「じんかん」で「人の世」や「世間」の意味である。そう考えると意味がまるで違って見えないか。
 聖徳太子の憲法の中に、「以和為貴」という言葉がある。これはどう読むか。「和を以て貴しと為す」が普通であろう。
 しかし、イワイキと読む。なぜなら「和を以て貴しと為す」というのは平安時代になって考え出された読み方。聖徳太子のころはそのような読み方はなかったのである。
 ではイワイキで意味が通じたか。結局、同時の為政者は倭語や朝鮮語と同時に漢語を普通に使っていたのではないかと思われる。
 こんな蘊蓄も好きだが、特に著者の文章に対する考え方が好きなのだ。点の打ち方に神経を使っている。「私はそのとき泣いた」と「私は、そのとき、泣いた」では読み方が違うはず。点や丸は書いた人の鼓動という。
 日本語を美しく書きたいものです。
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2019年11月24日

倚天屠龍記

2008年8月2日 記
2019年11月24日 訂正追記

   倚天屠龍記 全五巻
   金庸   徳間書店   2001
 時代は元順帝(在位1333−1368)の至元二年(1336)、南宋が滅びて五十余年後。神G侠侶の最後の年(1259)から77年後である。
 その前に神G侠侶から三年後、冒頭で郭襄が江湖をさすらい楊過の行方を尋ねて少林寺に行く。少年張三豊や覚遠と再会する。そして三人は少林寺を出る。そして一気に年月を飛ばし、太極拳の始祖張三豊の九十歳の誕生日を巡る話になる。
 張三豊は伝説上の人物で、実在は疑わしい。しかし、相当するモデルがいたことが知られている。太極拳はかなり後にできたので、始祖説はもちろん怪しい。ただ太極拳の原型は張三豊の頃といわれている。

 張三豊の九十歳の誕生日以後に生まれた張無忌が大人になって活躍する。となると、張三豊は百十二歳を過ぎてしまうか。最期は駆け足で、明朝成立までを説明するが、それは物語のその後であろう。
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 主人公がなかなか決まらない。なにしろ普通の小説なら終わってしまうころ、第一巻約400頁のうち、340頁目で、ようやく呱々の声をあげるのだ。
 主人公だと思っていた張翠山は、第二巻目の104頁で自決してしまう。
 そこでようやく、張翠山は主人公ではないと判る。そして子の張無忌が主人公らしいと気づくことになる。
 波瀾万丈の生涯で、半ば偶然のようにして武技を身につけるのは、いつものパターンである。とにかく、あっちで騙され、こっちで騙され、騙され続けた。これはこども時代に孤島で育ち、友人がいなかったせいか。この主人公は指導者として優れているとはいえないが、多くの協力者をえて、明王朝成立の礎を築く。そこでも朱元璋に騙されて、朱元璋が明朝皇帝となる。
 張無忌は優れた人物ではないが、いい友人となる人物と評価されている。

 倚天剣と屠龍刀という武林の宝がある。屠龍刀を手に入れれば、武林の盟主になれるという。武林の有力者が血眼になって探している。そのためには家屋敷さえ燃やしてしまう者がいる。鉄でさえ豆腐のように簡単に切ってしまえる名刀だ。
 倚天剣と屠龍刀を作ったのは、襄陽城の戦いで戦死した郭靖・黄蓉夫婦。将来モンゴルに対する反乱が起こることを予想し、そのために作った。倚天剣は娘郭襄に伝え、屠龍刀は息子郭破虜に伝えた。郭破虜は戦死し、屠龍刀は江湖をさまよう。郭襄は四十歳の時、出家して、峨嵋派を興す。そして倚天剣は峨嵋派に伝わる。
 郭靖夫妻は戦死し、屠龍刀を持っている者もいっこうに芽が出ない。そのことを考えれば、屋敷を焼き払ってまで、手に入れるほどの物かと思う。結論を言ってしまえば、屠龍刀には岳飛の遺書(兵法書)が入っていた。これが手に入っても普通の人には使い道がない。江湖の人間ではまず役に立たない。倚天剣には武術書、これは江湖の人にはのどから手が出るほど欲しい物。
 屠龍刀は何度か火に入る。しかし中の書(絹布)は何ともない。楊過の持っていた玄鉄剣が材料だ。加工するときは、特殊なやり方で溶かした。炉に入れても溶けないのはともかく、中の物(絹布)が無事だった理由の説明はない。この玄鉄は熱を伝えないのか。赤熱はするのだ。

 この中に庶民の歌が出てくる。それを「戯れせんとや生まれけん……」といったうまい訳をしている。この訳者はかなり日本古文に造詣が深いと思われる。

 ここは本の紹介のみ、以下あらすじなどは別に書きます。

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 次の言葉は、使い方が気になった。訳者は飛狐外伝と同じらしい(倚天屠龍記は訳者が2人なので、違うかもしれれない)。
 第一巻P207 張翠山が女に「お名前をうかがってもよろしいですか」と訊く場面がある。
 返事はないのだが、それはともかく、返事をしたとして、次のような会話が予想される。
「訊いてもいいですよ」
「あなたのお名前はなんとおっしゃるのでしょうか」
「教えられません」
「訊いてもいいですよ、と言ったではありませんか?」
「訊くのは構いませんが、教えるとは言っていませんよ」
ということになりそうだ。
 何を言いたいかというと、「訊いてもいいか」と問いながら、それで訊いたつもりでいる、不思議な言葉だと言いたいのだ。
 平成語ではないが、昭和も後半になって、多く使われるようになった政治言葉と記憶している。
 昔の江南でこんな言い方をしたのだろうか。金庸の原文はどうなんだろう。

 誰だったかある作家が、電話で言伝(ことづて)を頼んだら、「お名前をうかがってもよろしいてすか」と訊かれ、「名前を訊かずに、どう伝えるんですか」とあきれていた。
 わたしもある受付に訊かれ、「訊かずにどう名簿をチェックするの」と思わず訊いたことがある。
 おそらく訳者にとっては、これが普通の言葉で、疑問に思わなかったに違いない。婉曲的な言い方らしいが。
「謝りたい」、この後はなく、謝らないで終わる。
「注意したい」、注意致します、と言ってもらいたい。

参考:たくせんの中国世界−倚天屠龍記
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2019年08月16日

飛狐外伝

   飛狐外伝全三巻
   金庸  訳 阿部敦子  徳間書店  01.11
2008.9.7記
2019.8.16追記

 この小説は雪山飛狐に続くが、雪山飛狐が先に出た。雪山飛狐の少年時代である。プロットには一致しない部分があるが、新聞小説を本にするときも、そのままにしたという。
 初めて読んだのは2001年、もう7年になる。再読した。当時は本の紹介しかしていないが、今回は少し詳しく書いてみよう。
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 清の乾隆帝の時代。まず、「書剣恩仇録」で、カスリーが死んで、紅花会が紫禁城を騒がしたときから、6年くらいたったころ、山東武定の商家堡で物語が始まる。そこで胡斐(こひ)が登場し、一波乱あって胡斐が大きく成長するきっかけとなる。ここでの諸々は本題への伏線となる。

 4年後、広東仏山鎮で、鳳天南一族の悪事に苦しみ死んだ農民の仇を討とうとする。この小説は、逃げる鳳天南を追う胡斐の話ともいえる。
 時はカスリー(香妃)が死んで10年後である。この時、胡斐は18歳。

 一面識もなかった農民のために…、これが「侠」だ。
 ふつう武侠小説といっても、武の小説で、侠の小説は少ない。この小説ではこの「侠」の部分を強調して書いてみたという。侠はある意味で私設警察に近い。その人の考え方でどうにでもなる。日本でも侠客といえば、建前は「侠」でも、実体は「ならず者」だったりする。
 武侠小説は、実体はならず者小説でもある。
 鳳天南はその地方一帯の実力者で、地方官では手が出せない。今日的に言えば警察も手が出せないほどのヤクザ組織。もっとも軍と対抗できるほどではないので、地方官が言い訳ができるように、表面的にはもっともらしくする。

 胡斐は義憤を感じて、一面識もなかった農民を助けようとして、鳳天南の縄張りを荒らすが、若さ故の甘さがあり、助けることができず、鳳天南には逃げられてしまう。
 北京では乾隆帝の私生児福康安が、在野の武林の抹殺を図り、福府(福康安の邸宅)で武林の掌門を集めていた。武林掌門人大会を開くという。ここに鳳天南が来るはずと、胡斐は北京まで行くことになる。
 その間にいろいろな話がある。実の親を母の仇と狙う少女円性の話や、田帰農の毒で目が見えなくなった苗人鳳を治すため、毒手薬王のところに急行する話が柱。鳳天南の話は隅に追いやられているが、忘れたわけではない。毒手薬王の少女弟子程霊素はいろいろと胡斐を助ける。
 その武林掌門人大会は、武林の勢力争いで自滅するよう仕掛けたものだったが、胡斐たちは見破り、大乱闘になったりして大会を壊してしまう。鳳天南はその場で死ぬ。

 表面的にはこのように話が流れるが、著者によれば、続編の「雪山飛狐」の本当の主人公は亡くなった胡一刀であるという。胡斐が生まれた頃に亡くなった胡斐の父親である。だから胡斐の性格描写はあっさりしている。それを細かく書いたのがこの外伝だ。
 胡斐は父の武技書を受け継ぎ刀法を身につけ、父の仇を捜し父の死の真相を知ろうとする。様々な登場人物が、胡一刀の故事にからんでくる。胡斐に恋して犠牲となる少女程霊素の操る毒も、胡一刀の死に関係があるのだった。

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 初めて読んだとき、次のように書いている。

 第2巻 愛憎の父娘 
 この中に気になる文があった。
「…負けたら、……をさせていただきます」
 この言い方があちこちに出てくる。お互いに譲り合っている場合ならかまわないが、そうではない。
 本来「勝ったら…をさせて頂きます。負けたら…を致します」と言うべきところである。
 賭は勝った方が我を通し、負けた方が譲るものだが、これでは逆になってしまう。
 言葉は変化するので、今の時点では間違いと言い切れないが、この言葉が出てくるたびに、前後を読み返して、「いただく」のか「いたす」のか意味を確認している。

 この話、今回は全然引っかからなかった。この使い方を目にすることが多くなり、抵抗感が薄れたし、ここでは話の流れで、意味がはっきりしているからだ。前は「意味はこういう意味なのになぜわざと逆にいうのだろう」と念のため「わざという」理由を確認したのだ。
 江戸の時代劇でも商人が多く使っている。してみると商人言葉が始まりか。

 射G三部作といわれる作品群があるが、書剣恩仇録・飛狐外伝・雪山飛狐をもって、反清三部作と名付けたい。
 主人公の胡斐は「こひ」と読む。「こい」ではない。わたしはこの本を再読するまで「こい」と記憶していた。甲斐武田の「斐」だったからだ。

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2019.8.16追記
 いままで何度も読んでいるのに、記憶にない文がある。もちろん覚えていないという意味でなく、当然覚えていなければならない状況である。

文庫本第一巻 P70  苗人鳳は、
 その隙に逃げようとする人足の後頭部を掴むと、気合いもろとも抛り投げる。人足は糸の切れた凧のように、数十丈もすっ飛んだあげく、雪の上にしたたか叩きつけられた。
 いままで読んでいたときは、数十丈がどんな距離か判らず、漠然と遠くへ投げたと思っていた。
 ところが当時の丈は、ほぼ日本と同じである。約3メートル。すると三十丈でも90メートルである。人足なので、六十キロくらいあるだろう。それをこんな距離を投げたのだ。もちろん筋肉の力ばかりではないにしても。
 ここには出てこないが、それなら、幅跳び百メートル高飛び三十メートルは軽い軽い、ということにならないか。

文庫本第一巻 P401
 袁紫衣は白馬の鞍を軽く叩き、胡斐を振り返ってにっこりすると、キリッと手綱を引き絞った。白馬は助走もつけず、いきなりひらりと飛び上がると、十余輌の塩車を飛び越え、北に向かって、駆け出すや、たちまち影も形も見えなくなった。
 ここでいう塩車がどんな車か知らないが、古い言葉に「驥服塩車」(きふくえんしゃ)がある。これと同じなら、馬に引かせるほどの車である。かなり大きい。幅1メートル以上はあるだろう。十余輌なら十余メートル。二十メートルもあるか。
 袁紫衣の白馬は助走なしで、十余メートル飛び超えたのだ。馬まで内力があるのか? 袁紫衣の軽功によるのか。

 その後を読むためには、知っていなければならないのだ。それを意識していなかった。

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あらすじなどはこちらに 雪山飛狐・飛狐外伝
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2019年07月22日

世界の囲碁ルール

        6月29日記
        7月22日訂正
世界の囲碁ルール
 王銘琬   日本棋院   2019.4

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(本の紹介で、書評ではありません。感想も入れてありますが)
 この本はわたしの予想とはかなり違った。
 世界の囲碁ルールではなく、「囲碁ルールの世界」というべきだろう。
 中心となるのは、いわゆる日本ルールと中国ルールの話である。

 日本ルールといえば地を数える、中国ルールといえば石を数える、といわれているが、それは誤解で、両方とも地を数えている。その数え方が違うのだ。
 日本ルールでは最後にアゲハマを盤上に戻す。結果、盤上の石数は同数か黒が1目多い。判っているのでいちいち数える必要はなく、地だけ数えればよい。
 中国ルールではアゲハマのかわりに、石全体を数えて地の差を数える。

 昔、切賃というルールがあった。
 最後に生きるための2眼(2目)を残さねばならない。石群ごとに2目必要になる。
 最後まで打って石を数えればよいが、それは面倒なので地を数え、そこから生きるための2目を引く。それを切賃という。
 つまり石数を数える便宜的な方法である。この切賃のあるルールが、石を数えるルールだ。日中ともに古い碁にある。
 ところが現在は、中国ルールといっても、生きるための2眼まで数える。つまり、地を数えるに等しい。
(これらの話は、中国ルール側で逆に考えても、成り立つように思える。「日本ルールも石を数える」に等しい)

 王銘琬先生は台湾で育った。台湾では碁会所によって、日本ルールだったり中国ルールだったりする。それどころか人にもよる。いちいち、対局前に確認しなければならない。それはアゲハマを戻すか確保するかの差になる。だから環境がよければ日本ルール、悪ければ中国ルールだ。
 環境が悪いとは、たとえば、まわりで遊んでいる子供がアゲハマをひっくり返す。あるいは遊びのために持って行ってしまう。しかも賭碁が多い。こんな環境では中国ルールだ。
 ところが日本では賭碁は滅多になく、碁の環境が整い楽しみで打っている。楽しんで打つ環境では、日本ルールが優れている。

 ここで、中国ルールの場合、最後に黒が打った場合は黒は1目減らす。これを「収後」といい、結果は日本ルールと同じになる。全く問題はない。
 現代の中国ルールは「収後」を廃止した。そのため、日本ルールとは差が生じるようになった。

 これら以外の差は、混乱を防ぐための便宜的なルールだ。
 例えばセキの扱いとか、スミの曲がり四目とか。
 昔は、「取らず三目」というルールがあった。日本ルールの不合理さの象徴といわれている。しかし、かなり前に改訂されて現在は存在しない。このことは日本でもあまり知られていない。日本国内に限らず、世界に向け強く発信すべきだ。

 滅多に起こらない特殊ケースは、ルールで説明できなくてもよいではないか。
(重要な対局のためには、ルール化してほしい。できれば世界共通に。わたしなどは問題の意味さえ理解出来なくて、一度も体験したことがないので、ルールで説明できなくてもよいにしても)

 今、囲碁AIが碁界を席巻しているが、これは中国ルールで開発されている。囲碁AIには日本ルールは理解が難しいらしい。
 日本ルールは相互の合意によって終局とする。合意を取ることがAIは苦手なのだ。
 中国ルールは最後まで打つことを前提にしている。そのため、終局の合意を求めてパスすると、中国ルール育ちのソフトは、パスできず自滅する話は興味深かった。
 日本ルールで開発すれば問題ないと思える。
(王銘琬先生は、情緒的に考える傾向もあるようだが、アマには判りやすい説明だ)

 連続3回パスで終局とするのが論理的。劫立てでパスすることがあるので、連続2回では問題が起こる可能性があるのだ。
(日本棋院「幽玄の間」では、連続2回で終局できるようになっている。問題が起こったという話は聞かないにしても)

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 わたしは今までいろいろと、碁のルールの疑問を取り上げてきた。それらの集約的なルールの考え方の本であった。

中国の碁のルールの変遷   http://takusen2.seesaa.net/article/199633254.html
中国の碁のルールの変遷 追記 http://takusen2.seesaa.net/article/377295340.html
還珠格格の碁 http://takusen2.seesaa.net/article/196216473.html
還珠姫の碁  http://takusen2.seesaa.net/article/198636016.html
時間切れ負け制の終局問題 http://takusen2.seesaa.net/article/178300376.html
アジア大会で時間切れを狙うプロ棋士がいた
      http://takusen2.seesaa.net/article/170248272.html
終局の仕方 http://takusen2.seesaa.net/article/132071655.html
中国ルール http://takusen2.seesaa.net/article/132154166.html
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2018年03月17日

明日は、いずこの空の下

明日は、いずこの空の下
上橋菜穂子   講談社   2014.9
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 「守人」シリーズや「獣の奏者」で知られた著者の、ファンタジーさながらの、エッセイである。
 香蘭女学校のイギリス研修旅行の話、文化人類学を専攻して、オーストラリアでアボリジニと生活したフィールドワークの様子。また、好奇心旺盛な母との二十回に及ぶ外国観光旅行など、すべてユーモアでくるんで語られる旅の思い出話だ。
 慣れぬ外国だ。当然困ったことや苦しんだことがあった。それが著者の筆で語られると、わくわくするような素敵な話に変身する。
 たとえば、フロントという言葉がある。その失敗談からフロンティアという言葉に言及する。開拓する辺境ではない。領土を広げていけば、当然そこで異民族と衝突する。そこで葛藤が起こる。その異民族と接触する最前線がフロンティアである。というような話をし、「出会いの場」になって欲しい、「道を浮かびあがらせるものは剣ではなく灯であってほしい」と結ぶ。
 そんな話を読んでいると、著者の小説が、異民族との接触の話であり、武器を取った戦いがあり、それを鎮め平和を求めて努力する人がいる、フロンティアの話であることを思い出す。
 この本で語られる筆者の行動があってこそ、あのファンタジーが生き生きと語られたのだと感じる。
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2018年02月25日

金春屋ゴメス

金春屋ゴメス
西條奈加   新潮社   2005.11
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 近未来の日本の北関東から東北にかけて、一万平方キロの鎖国状態の「江戸国」が出現。競争率三百倍の難関を潜り抜け、入国を許可された大学二年生の辰次郎。身請け先は、身の丈六尺六寸、目方四十六貫、極悪非道、無慈悲で鳴らした「金春屋ゴメス」こと長崎奉行馬込播磨守だった! ゴメスに致死率100%の流行病「鬼赤痢」の正体を突き止めることを命じられた辰次郎は――。

 というのが宣伝文句だが、内容はむちゃくちゃで面白い。このゴメスの登場のときの様子と、やることなすことがマッチしなくていつまでも疑問がつきまとう。
 登場したときは話の通じない、極悪非道の暴力団の親分並み。それなのに、腕っぷしといい、博識といい、推理力といい、常識といい、全くもって天下一品なのだ。こんな人がなぜあんなむちゃくちゃな登場の仕方をするのか、という疑問だ。

 今更文明国の民がそこへ行きたがるか疑問だが、江戸時代は、懐かしいような、生活は苦しいけれども不幸でもないような、不思議な魅力がある。これはあまたの小説で、いいところを掬い上げたのを、読んでいるからだ。
 江戸時代へのタイムスリップというやり方もあるが、この小説では同時代の鎖国地という設定である。
 著者は、このような、江戸時代ではあるが、ある一点を異世界にするという仮定を好むようだ。わたしの好きなSFである。
 解決策は外国(例えば日本)にあるのだが、それを取り入れない。嫌なら外国に行けばいい、江戸には江戸のやり方がある。この言葉に尽きるようだ。
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2018年01月27日

アイスマン。ゆれる

アイスマン。ゆれる
梶尾真治   光文社   2008.3
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「アイスマン」とは月下氷人のこと、縁結びの神、転じて仲人に使われる。主人公の愛称である。
 祖母からの形見分けで貰い受けた文箱があった。その中には《傀儡秘儀 清祓へ》の古文書が入っていた。その他、おまじないの小道具も入っている。そのおまじないは男女の仲を取り持つ。
 主人公がそのおまじないをすると、男女が相思相愛の関係になるが、思わぬ事態となる。
 それから15年。30歳を過ぎた。
 仕事と恋と友情の悩みで揺れる3人の女性。そして主人公には、病弱な母親の世話の悩み。さらにあのおまじないの後遺症の問題があった。三回目には死を迎える可能性が高いのに、親友におまじないを依頼される。
 悩みは誰もが抱えるような悩みだ。しかし、主人公は人情味はあるが、なかなか思い切れない性格。それだけの事情があれば主人公でも断れそうなもの。でも断り切れず心が揺れる。それを陰から見守る母親と大叔母がいる。
 ラストは意外性があり、著者らしい、切なさほろ苦さのあるハッピーエンド。

 この本を読む前に、翻訳物の超長編を読もうとした。ところが100ページも読むと読むのが嫌になってきてやめた。やたらに長いのに意味不明。このエピソードは伏線なのか、そんなにいろいろと伏線を張られても覚えられない。必要なのか。そんな疑問が続くのだ。
 その点この本は無駄がなく、必要な話ばかり。だから読みやすい。
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2018年01月16日

怨讐星域

怨讐星域
梶尾真治   早川書房   2015.5
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 地球が太陽フレアに飲み込まれてしまいそう。
 それに気づいた某国の大統領は家族や有力者たち三万人で、密かに地球を脱出し、172光年の彼方にある、地球によく似た星まで行こうとする。
 残された人たちの中に天才がいて、ジャンプ(ワープ)する機械を発明し、ジャンプして先回りする。これは危険が伴って、無事に着いた人は数えるほど。
 ここで疑問がいくつか浮かぶ。
 
 172光年を旅行するのに宇宙船は1Gで加速を続け、中間点で逆に1Gの減速をして、常に1Gの圧力がかかるようにしている。これでエネルギーは足りるのか。
 わたしには計算できないが、1年間1G加速し、その後は加速はやめて自転で1Gにして、最後に1年かけて1Gで減速すれば200年ほどで到達できるようだ。
 問題はそのエネルギーだ。宇宙船全てをエネルギーに変えても無理と試算した人がいる。化石燃料ではない。宇宙船内の物質をエネルギーに変換してである。わたしには検証できない。
 船内は人は数代にわたる。その生活物資は船内でリサイクル生産するが、船の燃料は尽きているようだ。
 その巨大な宇宙船が、よく一財団で秘密裏に製造できたもの。
 172光年も彼方に、地球によく似た星がよくも見つかったもの。
 ジャンプ装置が短期間でよく製造されたもの。
 これらの疑問はできたと仮定して、SF世界が展開する。

 ジャンプした人たちが、裏切られた怨みを飲んで、復讐を合い言葉に一から文化文明を築く。しかし、代が進むとその意識は観念的になっていき、心の中で怨みはなくなる。
宇宙船内でも世代交代し、それなりの生活をしている。捨ててきた人たちのことなど、ほとんどの人は気にかけていない、知らないだろう。
 この両者の生活ぶりを交代での連作短編集である。わたしの知っている伝統的なSFである。
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2018年01月10日

猫の傀儡

猫の傀儡
西條奈加   光文社   2017.5
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 江戸時代の「我が輩は猫である」だ。
 猫が多くて、通称猫町に暮らす野良猫のミスジは、憧れていた順松の後を継いで傀儡師となった。町内の猫の相談相手となる。
 人間相手の事件だと、猫だけではどうにもならない。人間の傀儡を操って解決することになる。
 暇で、勘がよくて、数寄心の持ち主で、猫好き。こんな人物を傀儡にして使う。
 猫の世界でも、人の世界のような組織があるのが可笑しい。猫情もあれば知識もある。
 小さな事件を解決していくうちに、それを通した大きな事件を解決してしまう。
 話は主人公ミスジの視点で進んでいく。話があちこちに飛ぶ猫の話を、上手く誘導したりして、探偵よろしく事件を推理したり。
 傀儡に選定された阿次郎は、頼りない男のようだが、江戸っ子らしく、やるときはやる人物。

 これは続きが読みたくなる話だ。
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2017年12月30日

杏奈は春待岬に

杏奈は春待岬に
梶尾真治   新潮社   2016.3
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 健志と他3人の、少女杏奈に対する純愛の話といえるのかな。ある意味残酷な現実でもある。人は誰でも思った通りにはいかない。
 前半のプロットは「思い出のマーニー」に似ている。
 主人公の健志は春休みに祖父母の住む海辺の町に行った。10歳のときである。
 その町から見える春待岬の先端に洋館があった。そこで桜の時季しか現れない不思議な少女に会う。少女は17歳。その少女を世話し洋館を維持する老人がいる。
 健志はその少女に恋をし、毎年春休みには会いに来る。ところが少女は時間軸が異なり、桜の時季が過ぎるといなくなり、次の春に現れたときは、いなくなったときの次の日の感覚である。タイムマシンクロノスの故障の結果であった。
 健志は少女を救いたいと思う。老人は亡くなり、健志はその洋館を任され、春には少女の世話をし、そのまま世間とは没交渉で老人となってしまう。少女は17歳のまま。
 健志は少女杏奈のために一生を費やすが、それが自分のために生きていくことでもあろう。
 これは中軸で、もちろんこれ以外にもいろいろな話があるがそれは省略。

 さて、タイムマシンものは、いくつかの問題が生じるが、それは問わない。問題は世間とは没交渉で生活できるのかという現実の問題である。費用の問題は解決している。しかし、洋館の維持管理で一年を費やし、春には少女杏奈の世話をする。その生活のための物資は、どうしているのか。買ってくるはずなのに、その様子はない。町の人が運ぶわけでもない。このナゾは最後まで解けない。
 わたしはそんなくだらないことで躓いてしまう。ただし、おもしろい小説であるとは言っておこう。
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2017年12月13日

囲碁を始めたい人のために

囲碁を始めたい人のために
入門から中級までの打ち方が1冊でわかる!
石田芳夫   成美堂出版   2009.10
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 副題が示すように入門の時の打ち方の詳しい解説書である。
 碁で大切なことは、
1.交代で交点に打つこと。
2.駄目のない石は盤上から取る。
3.地+取った石の多い方が勝ち。
 この三点である。1.は打ち方以前の問題で、1秒で判る。
 本書では、目的である「地+取った石の多い方が勝ち」ということを最初に説明している。
 次は「2.駄目のない石は盤上から取る」
 そして終局や、はじめの打ち方つまり初歩の布石だ。
 よく、アタリ・ゲタ・シチョウ・ウッテガエシ・ナカテなど、技術的なことばかり説明する人がいるが、そんなことは上のことを理解した、その次の話である。
 特に目的である「地の多い方が勝ち」は、何が何でも最初に説明しなければならない。
 わたしが最初に手にした本はこの本と似たような題名の本だった。
「碁は難しいものである。だからやさしく憶えることはできない。そのつもりで取り組んで欲しい。」というような意味の文が最初にあって、技術的なことばかり説明していた。結局、それでは打ち方は判らなかった。
次に初歩の打ち方を書いた本を読んで、ようやくイメージが理解できたのである。
 まあ、それ以前に上の三点は判っていたので、二ヶ月で打てるようになったが、今では「あのときこんな本を読んでいたらなあ」と思った。
 わたしの世代では、素人が碁を教えるといったとき、いきなり井目置かせた実戦である。それでは嫌になってやめてしまうかもしれない。
 なお、九路盤では碁は憶えられないと思う。九路盤はルールを理解させるためで、理解出来たら直ちに九路盤は卒業させるべきである。初歩の打ち方も、十九路盤であるが故に成り立つ場合が多い。
 本書では、まず最初に十九路盤の隅・辺・中央を説明している。次のページが「地の多い方が勝ち」の説明。この2ページで最初の関門をクリアーさせてしまう。
 昔は周りで打つている人がいて、はじめの三点は何となく知っている。だからいきなり実戦でもなんとかなった。しかし今では、はじめの三点を知らないので、目的も教えず実戦では無理だ。これだけ教え方と教わる環境が変化している。
 誰もがたどる一番最初の疑問に答えることが肝心なのだ。

 あえていえば、「ルールはシンプルである」といいながらルールの説明がない。いや説明はしているが、ルールとして説明していない。
 これを最初のページに欲しかった。具体的にシンプルであることを示すのだ。これは盲点かもしれない。
「駄目のない石は盤上から取る。説明は○ページ」こんな調子で数行で済むはずなのだ。
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2017年12月07日

冥府神の産声

冥府神(アヌビス)の産声
北森 鴻   2000.5   光文社

 脳死臨調のリーダーである帝都大学医学部教授が刺殺された。元医師で現在はルポライターとなった相馬がこの謎を探ると、新宿のホームレス街に、優秀だった元同僚を見いだす。予言をする不思議な少女トウトと一緒にいる。
 人間の死とはなにか。何をもって死と断定してよいのか。これは脳死をどうするかという問題でもあった。
 臓器移植という問題がある。本人や家族の意思は別にして、移植するには死体が必要である。それも新鮮な死体が必要だ。つまり身体がいたんでしまっては移植できない。
 どの時点で死と判定するか。つまり脳死で死と断定するにしても、新鮮な死体を求めるあまり、まだ生きているうちに脳死と判定してしまう可能性はないか。
 その判断基準を巡る争いの医療ミステリーである。

 不思議な少女トウトの謎が解明しない。そのために読後感が悪く落ち着かない。
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2017年11月27日

ここから先は何もない

ここから先は何もない
山田正紀   河出書房   2017.6

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 まず天才ハッカーが登場する。組織に属するのが嫌で逃げ回っている。
 日本が探査機ノリス2で小惑星に達し破片を持ち帰る。しかしアメリカに横取りされてしまう。それを取り返そうと、天才ハッカーを含めたチームができる。一癖も二癖もある者ばかり。
 そして沖縄の米軍施設のあった無人島に行き、小惑星から持ち帰った破片を取り戻すのだが、それはなんと2千年前の大臼歯と4万年前の美しい人骨だった。はたしてホモサピエンスなのか。その謎の解明が中心だ。
 探査機ノリス2の動きが密室ミステリーのようだ。その謎解きと、取り返すための冒険的行動が電子時代らしい。校正ミスらしきところがあちこちにあるが、けっこうおもしろく読んだ。
 わたしが興味を引かれたのは地球生物の進化である。
 38億年前に生命体が誕生した。バクテリアというべき生命体である。
 それは20億年前までほとんど変わらず、20億年前に急に多細胞生物へと進化を始めた。それがついに現人類にまで進化した。ここまでは生命体としての進化である。そして5万年前に現人類は大躍進といわれる変化を遂げた。
 弓矢槍などの武器とか舟などを作り、絵も描く、という文明化である。それはなぜ起こったか。進化の歴史にはこの三つの謎があるという。
 そして今、AIが花開いた。人工知能である。それはASI(超人工知能)となっていた。ここまで来れば、ASIは人の手を借りず進歩し増殖する。しかも情報の集合体なので、クラウド化して物体の介入をほとんど必要としない。必要なら自分で作れる。そう人類は要らなくなったのだ。これが四回目の生命の大進化なのだ。
 人類は要らない、人類にとって「ここから先は何もない」のだ。

 そもそもこの地球生命の歴史は正しいのか疑問に思うし、いくつかの謎が残っている。完成度は低いと思ったが、おもしろいし、わたしの好きな話だ。
 なお、日本がいまだアメリカの属国で、独立できていない悲哀が底に流れている。
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2017年10月07日

賢帝と逆臣と

賢帝と逆臣と  小説・三藩の乱
小前 亮   講談社   2014.9
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 康煕帝が八歳で即位し十五歳にして親政し、三藩の乱を押さえて三藩を取りつぶす話と、雲南の呉三桂が反乱せざるを得なくなる過程が、この小説の二つの軸である。
 それを李基信という架空の人物の視点で描く。
 わたしは鹿鼎記などで、この小説の舞台(時代)を知っているので、結論が先に見えてしまう。

 本書では康煕帝を中国史上最高の名君と評価する。康煕帝が権力を計画的に取り戻す話と、三藩を取りつぶす決断。それに税金を上げないことは評価できるが、それで史上最高の名君といえるかどうか。
 清朝は建国の荒事はその前のドルゴンの時代にほとんど済ましているので、それに乗った面もあるのだ。残ったのが三藩だった。
 明朝最大の実力者でありながら、雲南で滅ぶことになる呉三桂。この呉三桂を、明から清に寝返った将軍と見ている。だがその視線は冷たくはない。
 この呉三桂は決して明から清に寝返ったわけではない。
 李自成が明を滅ぼし、清と対峙している呉三桂を後ろから攻撃した。呉三桂は明を滅ぼした李自成に下るわけにはいかず、やむを得ず清に投降した。今回の反乱も、康煕帝の三藩取りつぶしの意思を知って、仕方なく反乱している。
 この中で、庶民は異民族支配を受け入れているのが興味深い。決して漢民族王朝でなければ、などとは思っていないのだ。そう思うようになるのは、異民族支配が非道になった時。
 そのことを理解している呉三桂は、長江から北上出来ない。漢民族というだけでは庶民はついてこない事を知っていた。
 呉三桂は異民族支配に反対しても、一般の人たちは、異民族支配を助けたのが他ならぬ呉三桂、ということを知っている。異民族支配に反対なら李自成に投降すべきだったのだ。

 呉三桂が先に三藩の協力をと思っているうちに、勝機を逃してしまう。
 結局滅ぶことになる。
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2017年10月02日

月に捧ぐは清き酒

月に捧ぐは清き酒 鴻池流事始(こうのいけりゅうことはじめ)
小前 亮   文藝春秋   2014.3
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 山中新右衛門幸元。鴻池といえば大坂(大阪)の財閥だが、その始まりが、この人物である。なんと尼子一族の再興に生涯を捧げた山中鹿之助の息子とか。
 戦国の世に、山中新右衛門が武士をやめ、商人として生きていく感動の物語である。
 はじめ上質の木炭の販売を手がけ、それを横取りされると、酒の製造を始める。
 落語で、こんな話がある。
 不満を持った従業員が酒樽に灰を投入して逃げていった。それがなんと濁りが下にかたまり、清酒となっていた。これが清酒の始まりだ。
 この小説でも、途中で似た話が噂となった。だが山中新右衛門は放っておく。競争相手がそんな話を信じているようではうまくいかないと。

 徳川家が江戸を開発している。そこで、大坂で造った酒を江戸に運ぶ。ところが普通に運んでは痛んでしまう。その輸送にも苦心を重ねる。
 大坂では他の蔵と五分の味でも、江戸に持っていくと圧倒的な人気を得る。
 清酒造りの改革に成功し、物流の工夫も成功し、息子たちを分家したりして、大坂の財閥となる。
 特に幼なじみである妻のはなと、仲睦まじく協力していく様子は心が温まる。
 物を運ぶことは幸せを運ぶことだ。商人のこころである。
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2017年09月25日

漱石先生大いに悩む

清水義範   小学館   2004.12
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「我輩は猫である」を書くことで、現代的な文体を完成し、後世の手本となった夏目漱石の、猫を書くまでの悩みを戯画的に書いた小説である。
 ある人が古い手紙を持ち込んだ。なんとか読んでみると差出人は夏目金之助(漱石)らしい。
 受取人は誰か。若い女性らしい。この「手紙」の謎に迫るうちに、当時の漱石の心情が理解でき、作家「夏目漱石」の偉業が頭に入ってくる。
 明治時代は文語の時代であった。そこに言文一致体の文を試作する人がいたが、どうもしっくりしない。それを漱石が、若い女性の意見を参考に「我輩は猫である」で完成させた。
 読んでいるときは、とても小説とは思えないほど。その若い女性は自殺した。その原因は漱石か。
 そのミステリー小説といえよう。
 漱石の意外な上機嫌さ。お金に対して細かい人という一面もあり、その理由も納得できる。
 どこまで本当なのか創作なのか気になってくる。最初の手紙にしても、読んでいるときは、その手紙があって、いろいろ考えたように思えたが、どうやら手紙も創作らしい。
 一気に読んでしまった。
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2017年08月06日

幻庵

幻庵(げんなん)
百田尚樹   文藝春秋   2016.12
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 古来、中国では琴棋書画が君子の教養であった。棋とは碁のこと。
 この碁を爛熟させたのが、江戸時代の日本であった。それは幕府の家元制度によった。
 碁の家元制度は実力主義である。本因坊・安井・井上・林の四家があり、それを取り締まる名人碁所(ごどころ)が頂点にいる。碁所の権力は強大である。碁所になるには名人にならねばならない。
 この名人を目指して技を磨き、同時に碁所の地位を争う。江戸時代の二百六十年間に誕生した名人はわずか8人。
 幻庵とは、十一世井上因碩(1798−1859)のこと。隠居後、幻庵を号とした。
 本来十世であるが、幻庵の時代に一世井上因碩の前の中村道碩を一世としたため、十一世と伝わるようになった。今から見ると児戯に等しい。
 井上家では代々因碩を名乗ったので区別するため、引退後の号をつけて、幻庵因碩と言われる。八段(準名人)になった。名人は原則1人であるため、一応最高段位に登ったといえよう。

 幻庵因碩の時代を中心とした、戦国から昭和までの囲碁界の様子を俯瞰した小説だ。さらにAI囲碁まで言及している。
 主人公は幻庵を中心とした同時代の棋士たち。ライバルの本因坊丈和も幻庵なみに生き生きと書かれている。
 特に対局シーンは迫力がある。これは著者の文章力のたまものだ。ただ、棋譜のない観戦記のような文は、読んでいてもどかしさを感じることがある。しかもかなり大げさに感じる。
 “恐ろしい手”だとか、“凄まじい妙手”とか、言葉を並べられても、ホントかなと思ってしまうのだ。
 江戸時代の碁は失着が少ない。それは時間に縛られないことと、公式な対局が少ないことにあった。高段者のみが年1局である。それに準ずるような対局も、多くはなかった。少ない機会を生かさねばならない。ゆえにその1局に集中する。現代碁とは異なり、原則、時間は無制限。1日では終わらないことが多かった。失着が少ない理由である。
 現代は年50局でも珍しくない。時間の制限があり、秒読みはいつものこと。
 小説中で、ときどき碁の解説を加えるが、この解説では、碁を知らない人にはたぶん意味は判らないであろう。といって省いていいものか。
 碁は勝負を争う。しかし家元制度は芸術の域に高めた。たとえば、このままでは2目の負けとなる。そんなとき、投了するか、あるいは最後まで最善手を打ち、1目でも差を少なくしようとする。これが芸であり美学である。
 しかし、勝負手として逆転を狙う手を打つこともある。勝負を争うなら当然であるが、場合によっては、手のないところに打った、棋譜を汚したとして、その人の評価を落とす。
 あるべき姿はどちらか。登場人物も悩むところ。

 幻庵は、吉之助→橋本因徹→服部立徹→井上安節→井上因碩→幻庵(引退後の号)と名を変える。
 家元制度は実力主義、我が子でも実力がなければ篩い落とす。弟子の中から最強者を選んで跡を継がせる。適当な人がいなければ、他の家から貰い受ける。そのとき養子縁組をする。
 子は父の名を継ぎ、養子縁組後は新しい名となり、さらに義父の名を継ぐ。それで姓名共に変わっていく。同じ名の別人が登場する。当代か先代か先々代か。区別は前後の文ですることになる。
 事情は判っていても、人物を知らないと判りにくい。この人誰だっけ、という状態になりやすい。
 全体的に、歴史書を読んでいるようで、かなり冗長に感じる。この冗長部分を削り、幻庵に集中した方がよいと思う。
 持碁を芇と書き「じご」とかなをふる。芇に「じご」と仮名を振るくらいなら「持碁」でよいはず。芇(べつ)の字にこだわる必要性がないと思う。
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2017年08月02日

爛柯堂棋話

爛柯堂棋話(らんかどうきわ)
林 元美(はやし げんび)  林裕校注   平凡社   1978.6

 林元美(1778−1861)は江戸時代の囲碁四家の林家の十一世当主。本来坊門(本因坊家の弟子)であったが、十世林(鐵元)門入の死去に伴い、坊門から移り林家の当主となる。旧姓は舟橋。
 林家では代々門入を名乗る例が多いが、林元美はこのままで通した。
 引退(1849)後に(1852)八段を許された。
 この本は、1849年に発行された。そして林家分家の林佐野から、その養女の喜多文子に伝えられた。
 1914年、林佐野の三女の女流棋士林きくがまとめて、大野万歳館より出版された本がこの本のもとである。1849年の原本は失われてしまった。写本が国会図書館にあるという。

 囲碁の史話、説話、随筆、記録類を集め、注と評論を加えたもの。囲碁界にあっては貴重な資料である。
 だだし、市井の噂のような根拠の薄い話もあって、注意が必要である。たとえば、日蓮と弟子の日朗の対局、武田信玄と高坂弾正の対局、真田昌幸・信幸親子の対局などが、棋譜とともに紹介されている。すべて疑わしいのだ。偽作らしい。
 本能寺の変における三劫の話など、あちこちに引用されていて、歴史的事実であるかのように扱われているが、確認できていない。
 第一世本因坊算砂が、秀吉によって碁所に任命された話は明らかな間違い。当時は碁所の制度はない。
 その他の話も、引用するときは注意が必要だ。
 当時のエンタメとして書いたのかもしれない。それでも貴重な情報が多い。
 多くの棋譜は特に貴重である。残念ながらわたしには鑑賞するだけの力がない。

 本文は江戸時代の文体である。写真はその一例である。こんな調子で書かれているので、かなり読みにくい。下巻P122。
 碁では引き分けを持碁という。写真の文はそのことに触れている。わたしはこの部分を読みたくて、この本を手にした。
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 囲碁贏輸(勝ち負け)なきを持碁と云うは、正字にあらず。歌合わせに勝負左右にこれ無きを持と云うに倣えるなるべし。しかれども、「囲碁三十二字釈義」(『玄々碁経』)を見れば、持は「せき」の事をいうなり。持碁の正字は芇なり。……
 次のように解釈した。
 引き分けを日本では持碁(じご)という。しかし正しくは芇(べん)である。ゆえに芇の字に「じご」の訓を与えた。
 現代中国語では和局という。書物上ではなく口語では、芇(べん)はいつ頃まで使われたのだろう。


 音読み:ベン、 メン、 バン、 マン
 訓読み:あたる、 じご
 
 写真中に“路”とあるが、助数詞で一路は一目。唐代あるいはそれ以前に中国で用いられた。
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2017年07月28日

宇宙にとって人間とはなにか

宇宙にとって人間とはなにか 小松左京箴言集
小松左京   PHP研究所   2011.1

 著者は小松左京となっているが、小松左京事務所が、著書のあちこちから、テーマ別に選んで編集したものである。
 小松左京の思考のダイジェストなので、魅力ある文章が多い。
 言葉が難しく、わたしには理解できない文が多い。ただ小説などを読んでいたときはそのようには感じなかったので、おそらくその言葉の背景や状況が判っていれば、理解できるのではないか思う。思考過程が重要なのだ。
 名言ではないので、かなり長い文もあるし、その文単独では賛同できない文もある。特に小説の場合は、その小説の特殊状況が文の意味を左右する。SFの世界が多いので、仮説だったり仮定だったりする。そのためここで紹介するかどうか迷ったほど。
 SFを書くには総合的な知と常識にとらわれない思考力が必要である。間違いなく、小松左京には備わっていることを実感する。
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2017年07月23日

たゆたいエマノン

たゆたいエマノン
梶尾真治   徳間書店   2017.4

「……名前なんて記号よ」
「なんでもいいわ。エマノンでいいじゃない。うん、それでいいわ」
「ノー・ネームの逆さ綴りよ」
 この不思議な少女エマノンのシリーズ6冊目。
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 今回は短編5編のうち3編に親友ヒカリが登場。時を跳び越えるヒカリと永遠の記憶を持つエマノンが、何度も出会う。とくに、エマノンの嬰児時代の話が象徴的。エマノンに恋した少年が、約束の日に、エマノンを抱いたヒカリに出会う。
 母から娘へ記憶が受け継がれ、同時に母は記憶を失い、普通の人になる。だからエマノンは短命ともいえる。恋をし子どもが生まれるまでの、つかの間のエマノンとしての命。そして嬰児の時にすでに30億年の記憶を持つ老成した心の持ち主。
 今回は成人したエマノンが次の世代のために配偶者を選ぶ話が多い。
 時代は行ったり来たり。なぜならヒカリは過去にも未来にも跳べるから、一定方向に流れる「時」に縛られていない。しかし、時間の経過はある。エマノンがヒカリの最期を看取ることになる。

 初出が1979年なので、37年以上かかって短編25話。
 美少女ということになっているが表紙の絵は、美少女には見えないな。
posted by たくせん(謫仙) at 17:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする