2016年06月16日

すえずえ

すえずえ
畠中 恵   新潮社   2014.7
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 いつものようにほのぼのとしていて楽しい話。
 若旦那一太郎と幼なじみの栄吉にそれぞれ縁談が持ち込まれる。少しずつだが、成長していく。大人の世界に近づいたのだ。そうなると、妖(あやかし)たちとの共同生活も終わりになるだろう。そのための独立準備編といえる。
 上方で活躍した一太郎は儲けた金で、となりに長屋を建てた。手代の仁吉と佐助は独立して、そちらに住むことになる。妖たちの多くも引っ越し。
 妖たちはきっと何年たっても変わらないんだろうな。しかし、人間の世界で妖が暮らすのは難しい。
 貧乏神の金次がその気になると怖い神様であることに、どきりとさせられる。

  栄吉の来年
  寛朝の明日
  おたえの、とこしえ
  仁吉と佐助の千年
  妖達の来月

五編の短編集。
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2016年06月12日

恋せよ魂魄

恋せよ魂魄(こんぱく) 僕僕先生
仁木英之   新潮社   2015.8
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 ほのぼのムードのこのシリーズ、ここへきて急旋回。
 王弁が成長してきた。薬師として、技能ばかりでなく精神的にも一人前になってきた。
 今まで僕僕の従者であった王弁が、成長して僕僕の同行者と思われるようになったのだ。王弁が人生の目的を見つけたといえるだろう。
 この後は故郷に帰って名医となるか、仙人に近づくのか。

 長安に向かう旅の途中で、不治の病の少女をどう治療するかで悩む。今までは僕僕先生中心の仕事だったのだが、王弁の仕事となる。さらに戦いに加わったりする。おそらく、そう成長したので、吐蕃から長安へとなったのであろう。
 吐蕃のデラクの存在感が大きい。王弁もかなり救われている。
 長安ではついに朝廷の影の組織胡蝶の頭目が出てきた。胡蝶から逃げた劉欣は胡蝶の頭目と戦う。
 劉欣は王弁たちと旅を続けるうちに、非情の暗殺者から、人間味が出てきて親しめるようになっていた。たが今回は本性を発揮する。それも育ての親を救うために。
 終わる頃にばたばたと、劉欣や劉欣を愛した育ての父母などが死ぬのがつらい。
 さらに驚くのは、僕僕先生が力を失ってしまうことだ。最後に王弁に言う。
「この旅は、もうキミのものになりつつある。共に行こう」
 そう言った。力強いが、どこか悲しげな表情だった。

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2016年06月01日

継ぐのは誰か?

継ぐのは誰か?
小松左京   早川書房   1972.5

 地球の歴史では有名な恐竜の時代もあった。恐竜意外にもそれぞれの時期に繁栄した生物がいる。現在は人類(ホモ・サピエンス)の時代である。ホモ・サピエンス王朝はいつまで続くのか、ホモ・サピエンス王朝が滅んだとき、あとを継ぐのは?
 小松左京らしいこんな雄大なテーマの小説である。

 人類は完全ではない、こんな議論を繰り返す大学生たちのグループに、殺人予告が入った。どう防ぐか。実行不可能な形で事件が起こる。それを追及していくと新たな謎。
 43年も前に、ネットワーク社会の脅威を予測したような話で、書いた当時より、現在読んだ方が納得できるのではなかろうか。現代は電波で成り立っている一面がある。
 結局、殺人者は南米出身で、なんと人が声や音を操るように、電気・電波を操ることが出来る。そればかりではない、発電もする。
 殺人者の出身部族の一人一人が放送局になる。受信機になる。さらにコンピューターにハッキングもする。染色体数さえホモ・サピエンスより2対多い。
 捜索隊を組織し、アマゾンの奥地にその殺人者の出身地を訪ね、出身部族ククルスクを探すことになる。みどりの地獄アマゾンの描写もいい。
 ククルスクから接触があった。部族約千五百人全体が病にかかっていた。そして捜索隊の持っている薬を要求する。
 交換に新人類ホモ・エレクトロニクスの驚く歴史を聞くことになる。中南米に栄えたインカやマヤやアステカなどの先生役となった民族。白人の暴挙からたくみに逃れてアマゾンに逃れたという。
 そこに連絡が入る。あの薬は副作用があり、新人類ホモ・エレクトロニクスの生殖力を消滅させる。しかし、その連絡が入ったときはすでに全員に投薬済みだった。

 時代は二十一世紀の中頃かな。戦争がなくなって何十年という記述がある。しかしご存じの通り、第二次世界大戦後も戦争が絶えたことがない。これにより小説上の歴史には違和感が生じる。その延長の世界観にも違和感が生じる。その源は小松左京の未来への希望であろう。
 この小説が書かれたのは1972年、アップルの創業が1977年。これだけでも驚嘆に値する。
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2016年05月28日

海から何かがやってくる

海から何かがやってくる
薬師寺涼子の怪奇事件簿
田中芳樹   祥伝社   2015.9

 事件は南のリゾート予定地で起こる。
 飛行艇が海面50メートル辺りまで上昇したとき、海中からの水鉄砲のような水流で墜落。また150トン級の巡視船が水鉄砲のような水流で破壊される。こんなことが出来る怪物が相手にしては、結末はあっけない。巨大なナメクジ程度で、その退治の仕方も少し矛盾がある。ガムテープを投げるとか、ぐるぐる巻きにするとか。それから液体水素で凍らせるのは本当に出来るのか。もちろん凍らせるのは出来るのだが、ガソリンなみに発火しやすいはず。爆発しそうだ。
 地底の洞窟なのだが、そこから怪物はどうやって海に出入りしているのか。海の中なら海水が入ってくる。
 巡視船を破壊する水鉄砲のことも解明されず終わる。

 ストーリーはいつものごとく、中編小説並みで複雑ではない。
 また、いつもながら政権批判が痛烈で面白い。これがなかったら薬師寺涼子の魅力は半減する。今回はその量が多い。しかも核心を付いていて笑うに笑えなかったりするほど。だから現在の政治状況を理解していない方はおもしろくないかもしれない。
 今回は設定に疑問が多いが、だから怪奇事件だろうな。
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2016年05月24日

ああ知らなんだこんな世界史

清水義範   毎日新聞社   2006.8

 日本の世界史は西洋史がほとんどだ。しかし、世界は西洋ばかりではない。
 著者はトルコをはじめイスラム文化ゆかりの地を旅して得た驚きや発見をもとに、あまり日本人にはなじみがないイスラム世界を中心とした、歴史の一部分を取り出して書いている。

 なぜトルコが小アジアと呼ばれるのか。なぜ、スペインにイスラムのアレハンブラ宮殿があるのか。なぜギリシャ文明のギリシャ人と現在のギリシャ人が似ていないのか。
 エデンの園はどこにあったのか。マリヤが老後を過ごした場所など、なぜイスラム圏にキリスト教の遺跡が多いのか。
 ペルシャとは。
 イランやトルコはアラブではないとか。
 クレオパトラ(七世)は古代エジプト人ではなく、ギリシャ系とか。
 あるいはインドの古代史。
 こんな、知っている人には常識的な話でも、知らない人は驚くような話ばかり。
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2016年05月22日

愛と日本語の惑乱

愛と日本語の惑乱
清水義範   KKベストセラーズ   2008.11
 日本語に対する問題の疑問の出し方や見識がおもしろい。随筆や論文ではなく、小説の形で日本語を検討している。
言葉の変化、漢数字か算用数字か、コピーライターが編み出す斬新な言葉、言葉狩り、幼児語。
 外国のたとえば韓国や中国の人名や地名の読み方。「スタバる」「マクる」などの「ナニナニる」という新語。幼児の脳にははじめから文法の知識があるという説。
 数字に対してはわたしも悩んだことがある。20年か20年か二十年か二〇年かなど。
 中国人名に対しては前に書いたことがある。
岡崎先生が、初めて翻訳した「書剣恩仇録」では、主人公陳家洛を「チンカラク」にするか「チェンジャールォ」にするか迷ったという。結局は時代劇なのでチンカラクにした。回族の霍青桐はホチントンとする。こちらは漢字の日本語読みではおかしいので妥当な読みだ。 

 そんな話を著者らしい裁き方で展開していくのだ。
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2016年05月10日

姜維伝

姜維(きょうい)伝
諸葛孔明の意思を継ぐ者

小前 亮   朝日新聞社   2010.3

 諸葛孔明死後の蜀漢の動きを書いている。
 三国志における蜀漢は一地方政権に過ぎないが、国是に漢の復興を掲げていた。そのため、力がないにもかかわらず、漢の復興の手始めとしての形だけの北伐を繰り返していた。そこは魏の辺境である。諸葛孔明が亡くなっても、姜維が後を継いで北伐を繰り返し、国力を損耗していった。結果、蜀漢の滅亡を早めることになる。
 姜維(きょうい)は降将である。諸葛孔明に心服していたが、諸葛孔明の死後は都に居場所がなかった。そのためもあって常に戦場に身を置こうとしていた。そして自ら戦いを求め、魏の二将に攻め込まれて、蜀漢は滅ぶ。
 そんな姜維の心の動きが、納得できるのだ。後の歴史を知っているわたしには共感できないが、あの時代としては、復漢を心の糧として、国をまとめたのかもしれない。
 魏は国力があり、魏の将軍は蜀軍に負ける心配がなく、蜀を倒すことより、自分たちの派閥争いが中心となっていた。それだけ力の差があったので、劉備の時代ならともかく、劉備と孔明の亡き後の世代の蜀の高官たちが北伐を止めようというのは当然である。
 それでも北伐を続けた。そんな姜維の物語。
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2016年03月31日

花の忠臣蔵

野口武彦   講談社   2015.12

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 忠臣蔵を中心にして元禄の世を丁寧に解説している。
 あとがきに
 五代将軍綱吉は、カネを使いまくることは知っていたが、−略−利殖することを知らなかった。
 浅野内匠頭は自藩の塩専売が商業資本の蓄積につながることを知らなかった。
 吉良上野介は、賄賂が社会慣行を円滑に動かしていくシステムであることは判っていたが、なぜそうなるかを理解していなかった。
 大石内蔵助以下の赤穂浪士は封建社会においてベストとされるモラルに殉じた。

−略−
 誰も自分たちを見えない手で操っているのが、貨幣経済のからくりであることを知らない。
 貨幣経済に操られる、カネがカネを生む現代社会の始まりが、この元禄の時代だったのだ。

 たとえば、浅野内匠頭が吉良上野介に意地悪をされたとか、その原因が理不尽な賄賂を払わなかったからと言われるが、それは理不尽な賄賂ではなく正当な謝礼である。
 その正当な謝礼を払う際に、インフレを考慮せずに昔の価格ですまそうとしたことが問題だったといわれる。
 正当な謝礼なるものが、賄賂のような形で払われた。江戸幕府が出費すべきことなのに、大名に押しつけた(払わせた)。この政治制度の欠陥が事件の引き金といえよう。

 前半の時代を見つめる目も、後半の討ち入りの説明も、資料に基づいて、判っていることと創作された部分とを分けて、判りやすく解説している。
 問題はそれらの資料の信憑性だが、その検証は専門家に任すしかない。
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2016年03月20日

天鬼越

天鬼越(あまぎごえ)  蓮丈那智フィールドファイルX
北森 鴻  浅野里沙子   新潮社   2014.12
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 短編集である。2010年に亡くなった北森鴻の、いまだ単行本化されていなかった鬼無里・奇偶論の2編に加え、プロットのみ残されていた表題作天鬼越を浅野里沙子が小説化し、さらに浅野里沙子が模倣した3編を加えた。もちろん蓮丈那智シリーズである。
 主人公の那智と記述役の三國が、ホームズとワトソンのようにバランスがとれていておもしろい。
 ナマハゲなどの古い祭祀や秘祭の考察と、それに絡んだ事件への考察の鋭さ。何気ない行動にも意味があって、それを元に推理する。
 銭形平次はなにゆえ神田明神下に居住しなければならなかったか。
 という学生への課題を残して鬼無里を研究に行くが、これも事件の解決のヒントになる。
 ふっと、三田村鳶魚(みたむら えんぎょ)の大衆文藝評判記を思い出す。
神田明神下には棟割り長屋はない。

 民俗学とは
 真贋など、どうでもいい。なぜ偽書が作られるのか、重要なのはそれだけだ。
 という基本姿勢は変わっていない。

 蛇足ながら、蓮丈那智は東敬大学に研究室を持つ。そして怜悧な頭脳と美貌といくら飲んでも酔わない体の持ち主。民俗学の世界では異端者として扱われている。
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2016年03月13日

邪馬台

邪馬台  蓮丈那智フィールドファイルW
北森 鴻   新潮社   2011.10
     15.1.05-1.jpg

 この本は著者の死去によって未完であったが、浅野里沙子が北森鴻の資料を基に追加執筆し完成させた。どこまで追加かは判らないが、著者は北森鴻とさせていただく。

 このシリーズ初の長編なので、いつもと趣が違う。
 明治初期に地図から消えた村があった。阿久仁村である。その村に密かに伝わったといわれる「阿久仁村遺聞」という古文書らしきものが蓮丈那智の手に入る。
 これが蓮丈那智が研究していた邪馬台と関連があるらしい。
 鉄の生産には大量の燃料が必要となる。酒の生産には食べるに余るほどの大量の米が必要になる。この鉄と酒がキーワードになって、蓮丈那智は阿久仁村遺聞の謎を解き、同時に邪馬台国の謎を推察する。
 おなじみ別シリーズの雅蘭堂越名や冬狐堂宇佐見陶子も登場する。三國もしっかり活躍する。
 話は複雑に入り組んでいて、読んでいて戸惑う。
 読み終えて、この結論でこんな大きな事件になり得るのか、つまり謎の風呂敷を広げ過ぎていないか、これで最初から最後まで筋が通っているのか心配になるほど。もっとも有り得ないほどではない。特に文書の順番の謎は、無理矢理謎にしている感じがする。
 個人的には、浅野里沙子が書いたと思われる終盤が読みやすかった。この小説を世に出すため、すなおに集結させたのではないか。
 魏志倭人伝はなぜ書かれたのか、古事記と日本書紀は同時代に書かれたのになぜ内容が異なるのか、などから、邪馬台国に対する新しい見解を展開する。
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2016年02月23日

韓非子

韓非子(かんぴし)
翻訳解説 安納 務   文藝春秋   1997.5

 この本は20年近く前に出版されていたが、今まで知らなかった。それよりかなり前に別の「韓非子」を読んでいたが、それはダイジェストに近い。
 安納務は実に判りやすく「韓非子」を解説している。
 では韓非子とはなにか。中華の歴史上に「戦国時代」といわれた時代があった。それを統一したのが、秦の始皇帝である。この始皇帝が統治の教科書にしたといわれているのが韓非子である。
 戦国乱世の君主論だ。ではその著者はといえば詳しい経歴は判っていない。
 韓の王族であるといわれている。荀子に学んだといわれている。そして亡くなったのは紀元前232年頃である。始皇帝に招かれて秦に行き、そこで自殺したという。乱世であり、事実上殺されたと思われる。韓は姫姓なので、本名は姫非であろう。
 そこに書かれた内容は、乱世の君主の守るべきやるべきことを冷徹に説いている。それを守れなければ一気に国が滅んでしまう。結局秦以外はすべて滅んだ。
 もっとも国家滅亡といっても、君主一族が滅んだだけである。庶民にとっては、非道の君主一族滅亡は望ましい。政権交代のようなものだ。だからこの本は戦国乱世の君主のための君主論だ。
 君主の敵は息子であり、妻である。という話も乱世ゆえの話だ。
 息子は兄弟が多いので、次の君主に選ばれないかもしれない。だから力が強いときに親の王を殺して自分が王になろうとする。
 妻は自分が寵愛されているうちに、息子が太子であるうちに王を殺そうとする。王の寵愛が他に移っては自分の命が危ういのだ。
 西暦紀元前に築かれた中華帝国は、建前は儒教国家であり、特に十世紀中庸に出現した宋王朝以降、形式的には紛れもない「儒教国家」であった。しかし、そこに存在した社会は、帝国が開かれるかなり以前から、一貫した道教社会である。儒教社会の建前に迷わされず真実を見抜け。
 前に紹介した  矛盾  臣もまた臣の信を愛む  白馬は馬に非ず  など、その見本であった。

 詳しい解説で、中華古代史(始皇帝以前)の復習をしてしまった。
 読み終えて、新しく記憶に入ったことはあまりない。
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2016年01月24日

カール・セーガン科学と悪霊を語る

カール・セーガン   新潮社   1997.9
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 人はなぜ似非科学(=トンデモ話)に騙されるのか 。
 超能力、火星人、心霊術……。カール・セーガンの渾身の科学エッセイである。
 二十年ほど前の本であるが内容は古くない。
 アメリカでは現在でも、キリスト教的歴史を信じている人が多く、40パーセントだかの人が進化論を否定しているという。それはかまわないが、聖書の記録を信じて何千年か前に宇宙ができたと信じているというのに驚く。

 日本人の初詣でとかお盆とかクリスマスなどは、儀式化していて宗教的に信じている人などいないと思っていたが、けっこう信じている人がいるらしい。そんな風に程度の差こそあれ、人々は似非科学に動かされている。著者はキリスト教にも厳しい目を向ける。

P42
「魔女は存在する」と主張する人たちの言い分は「もしも魔女が存在しないなら、どうしてこんなことが起こるのか?」
 内容はともかく、これでは論理的に答えになっていない。まるで安倍首相の答弁だ。

 科学と似非科学の差は批判に耐えるかどうかだ。科学は批判にさらされ、証明できず否定されることもある。それでも批判を受けいれれば科学だ。似非科学は批判を許さない。権威者だからと盲信するな、少しでも疑問があれば疑え問え。
 このことをいろいろな例を出して説明している。これがこの本の主題だ。
 その例として、宇宙人の話もおもしろい。
 宇宙人にさらわれた経験のあるアメリカ人は2パーセントいるという。そのやられたことはたいしたことではない。宇宙人が特にアメリカ人を選んだとは思えないので、全世界の2パーセントとすれば一億人を超えることになる。
 何万光年の彼方から来る能力のある宇宙人が、そんなせこいことをするか、一億人もの人を誘拐するか。そして全世界の政府がそれに防御をとらないのか。
 そう考えればとても宇宙人が人をさらうとは思えないし、地球にいるとも思えない。だが宇宙人が地球にいると思っている人は大勢いる。
 UFOも同じく。気球や人工衛星など、ほとんど原因がわかっている話を何度もUFOと蒸し返す。
 人は顔を認識するような本能がある。嬰児は母の顔を見ればにっこり笑う。この能力があるから生き延びられた。しかし、何かの模様を見ると顔に思えるとなると、幻覚というマイナス面になる。それが強いと悪霊を作り出すことになる。
 レーガン元大統領は先の大戦の時の記憶を語る。調べてみると、大戦中はずっとハリウッドにいた。自分の演じた役が刷り込まれているのだ。
 警察が証拠を重要視するのも、やっていないことも、記憶に刷り込まれてしまい、やったと白状することがあるからだ。

 日本人なら元旦に新年の幸を祈る。それにもかかわらず、不幸な年になったりする。欧州なら国民は王の長寿を祈る。だがそれによって長寿になった王はいないと思える。これらの祈りは効かなかったのではないか。つまり科学的ではないのだ。

 この本は冗長すぎると感じることが多々ある。しかし、書き終えてまもなくなくなっていることを、そうしてまで書いておきたかったのに違いない。
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2016年01月05日

支那そば館の謎

支那そば館の謎  裏京都ミステリー短編集
北森 鴻   光文社   2003.7
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 前に ぶぶ漬け伝説の謎 を紹介している。その前編である。
 京都の人さえ知らないといわれた、京都一の貧乏寺、嵐山の古刹大悲閣。その寺男、有馬次郎に奇妙な事件が持ち込まれる。
 有馬次郎は逮捕されたことはないが元広域窃盗犯。その直感は鋭く、時には裏社会の情報さえ利用し、住職の助言もえて、解決していく。
 大悲閣は実在の寺であり、わたしは行ったことがある。渡月橋から川沿いに20分ほど歩き、山道を登るのに20分もかからず到着するが、その様子は、 京都2 大悲閣(千光寺) を見てほしい。
 これは小説なので、実際の寺とは差を感じることもある。

 みやこ新聞の記者の折原けいが持ち込む最初の事件は、えげつないムンちゃん登場の話。
 そのほか殺人のアリバイ作りに別な殺人事件とか。
 時々有馬次郎が行く、居酒屋十兵衛の料理はいつもおいしそう。その主の弟弟子のやはり十兵衛という別なところにある店が、格落ちしてしまう。その原因を探ると、痛ましい事情があった。
 というような、ちょっとやるせない話が多いが、基本はコメディーと本格ミステリーを加えような楽しい話。
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2016年01月01日

大江戸しあわせ指南

大江戸しあわせ指南  身の丈に合わせて生きる
石川英輔   小学館   2012.8
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 著者は江戸文化の研究家でもあり、作家でもある。
 今までにいろいろと江戸の文化や生活の評論や小説を書いている。そのため新しく書いたとはいえ、読んでいて既読感のある話ばかり。それでも楽しく読めた。
その中から「江戸生活のしあわせ」に的を絞った。この中で江戸庶民は貧しいながら、身の丈に合わせて生きることで幸せ感を得ていることを力説している。特に省エネ省資源生活を強調する。

 実際、九尺二間の狭いひと間で、荷物はほとんどなく、共同トイレで、銭湯に行く、と言うと貧しい生活だが、昭和の半ばまで、そんな生活をしている人が多かった。多くの人がそうだったので、それほど不幸とは思わなかったであろう。
 ただいつも思うが、その裏でその江戸の富を生産する地方の人々の生活や、虐げられた人の生活、差別の故に苦海に身を沈める女性たち、そんな視線がほしいと思うことがある。
 地方で食い詰めた人が、飢え死にする前に江戸に出ることができた。江戸なら何とか食える。そこで前と比較して幸せ感を得られるのではないか。独身者だから何とか生きている程度だ。幸せといっても何とか食える程度なのだ。
 省エネやリサイクルも極端に生産性が低いので、つまり周りもきわめて低収入生活なので可能なのであろう。仕方なくそんな生活をしているわけで、それで満足しているとは思えない。本当に幸せ感を持っているか疑問に思ってしまうのだ。本当に省エネ省資源なのか。持続可能なのか。
 そんな中の、「身の丈に合わせて生きる幸せ」、というプラスの部分に焦点をあわせた本である。

 本書に限らないが、著者のいう「持続可能な社会」が望ましいという趣旨は大賛成だ。
 化石燃料に頼る文明は、化石燃料の枯渇により衰退する。石油・石炭・天然ガス、化石ではないがウランも枯渇が近い。その前に環境の悪化によって終末を迎えようとしている。
 現在の科学文明は、産業革命以来数百年しか経っていない。にもかかわらず、終末が議論されている。
 今世界が注目しているのが縄文文化だといわれる。発生から終末まで一万年以上持続した。
 そう考えると、江戸時代は悪いばかりではない。特に現代の倫理観念で判断を下すと、誤るかもしれない。マイナス面をしっかり見つめることも忘れてはならない。
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2015年12月23日

ショートショートの花束7

ショートショートの花束5〜7

阿刀田 高・編   講談社  2015.4
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 ショートショートといえば星新一で、わたしは今でも思い出して読むことがある。星新一以外では阿刀田高くらいだろうか。二人以外のプロの作家を知らない。
 原稿の枚数で原稿料が払われる出版界では、プロが成り立たないらしい。
 長い間、ショートショートの新作は読まなかった。だがアイディア勝負のショートショートはアマチュアの作家が活躍していて、小説現代に応募がある。
 その中から阿刀田高が選んだショートショート集。今回読んだのはシリーズの5〜7冊目。(その前にショートショートの広場20冊がある)阿刀田高の寸評が光る。
 紹介しようにもオチを言わなくては、おもしろくないが、かなりレベルの高い話もある。そして、題名も重要だ。中には題名が見事なオチになっている作品もある。
 ショートショート集として懐かしく読んだ。
 カバーの絵は、閻魔大王がパソコンで仕事を処理すると‥‥(^_^)。
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2015年12月15日

青天

青天 包判官事件簿
井上祐美子   中央公論社   2014.10

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 宋の時代、包青天と言われた判官がいた。名は包拯(ほうしょう・ほうじょう)字は希仁。28歳にして科挙に合格し、地方の知(知事)となり、後に都開封の東半分開封県の知となる。
 清廉潔白、裁きは公平。晴れ渡った空のごとし、人よんで包青天。北宋第4代皇帝・仁宗に仕えた実在の政治家である。
 包希仁の話は、日本では大岡政談のモデルといわれている。
 中国では何度も小説やドラマになっているらしいが、あいにくわたしは見たことがなかった。この井上祐美子の小説で初めて接することになる。(もしかすると二回目?)

 五編の連作短編集である。
 登場人物は包希仁のほか、「孫懐徳」という年配の下役人、転落する運命から助けられた「楊宗之」という書生で、三人を中心にしたミステリー。
 主人公の希仁は若い(?)ながら、達観していて、富貴を求めず、いつの間にか弱き人々を助けているが、話が終わってみると、けっこう推理力や洞察力があり、細かく予測していたことが判る。
 それでいながら、日常はけっこうとぼけている。机の上のものを落としたり、墨で服を汚したり、知でありながら書生の格好をしていたり。そのギャップが親しめる。
 さて、これらの話、著者の全くの創作だろうか、伝わっている講談や劇の小説化だろうか、知りたいところだ。続きが読みたいが書いてくれるかな。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 南唐の皇帝で後主李Uというのが地の文に出てくる。しかし李Uは王であり皇帝にはなっていない。(初代が皇帝、二代目は皇帝として即位し後に王となる、三代目李Uは王として即位した)
 いろいろと登場人物に架空の人物が出てくるとはいえ、地の文で王を皇帝というのは、小説でも許されないのではないか。
 三田村鳶魚なら、そんなことも判らないのか。と言うところ。
 金庸なら、登場人物の設定はけっこう変えているが(たとえば大理の皇統)、地の文を変えたところは気がつかなかった。
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2015年11月20日

植物はすごい

植物はすごい  生き残りをかけたしくみと工夫
田中 修   中公新書   2012.7

 植物の不思議を集めている。中学高校程度を対象にした書き方だが、大人の入門書にもなる。
 地球に生命が誕生し、ここまで進化したのだから、多くの“すごい”があっただろう。それをわかりやすく説明している。もちろん動物だって同じだが、ここは植物に限定。
 まず、植物も海から陸に上がった。海で弱い光で光合成の“すごい技”を手に入れて陸に上がる。ところが陸では太陽光線はあまりに強く有害だった。太陽の光をもろに受け活発に光合成するが、光を使い切れない。そして紫外線という害のある光線を新たに受けることになる。活性酸素が発生するのだ。それを押さえるためにビタミンCなどを合成する。南国の果実レモンにビタミンCなどが多い理由だ。
 そんな風に防衛手段を次々と手に入れている。
 
 トゲを生やす、毒をもつ。この本を読んでいると、ほとんどの植物に毒がありそうに思える。よくぞ人はその中から毒のない植物を探し当てたと感心してしまう。
 たとえば山菜、毒を抜くために工夫せねばならない。あく抜きである。
 銀杏は大量に食べてはいけないとか。モロヘイヤは葉以外は毒があるとか。日常に食べているジャガイモさえ毒を持つのだ。青いところや芽は食べてはいけない。
 マンゴーの果汁にかぶれるという。
 暑さ寒さへの対処もある。

第一章 自分のからだは、自分で守る
第二章 味は、防衛手段!
第三章 病気になりたくない!
第四章 食べつくされたくない!
第五章 逆境に生きるしくみ
第六章 次の世代へ命をつなぐしくみ

 あと進化の話が欠けている。海から陸に上がったといっても、歩いて上がったわけではなく、進化という形で上がった。なぜ太陽光線を使い切るように進化しなかったか。ほかにも、ではなぜこうならなかったのかという疑問が相次ぐ。
 いろんな説明も、それで結論は、と思っていると別な話に移ってしまう。
 毒も、食害を防ぐために作ったと説くが、多数の偶然の中に、たまたまそのような能力あり、それで生き残れたのではないか。ほとんどは別な進化をして滅んでしまっただろう。残ったのは例外なのだ。それをまるで目的を持って毒を合成したような書き方に、あれっ、と思うことがある。
 おそらく、専門家には疑問の多い書き方をしているだろう。証明していないし、異説の説明もない。
 すごい、にしても確かにすごいが、逆にそのくらいできないと、生存できなかった、当然のことのように思えたりするのだ。
 こういうことに興味を持ってほしい。が本書の目的かな。
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2015年10月04日

日本酒。

株式会社プレジデント社   2014.10
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 日本酒の案内書である。「酒」と言えば日本酒に決まっていたが、近頃は日本酒と言わなければ通じないことが多い。そんな時代の酒蔵(製造所)や杜氏や販売の案内である。
 時代を表すのが「。」であろう。下の目次もそうだが、本来の意味には使っていない。
 わたしは8月30日に、市ヶ谷のホテルグラントヒルの一室で、碁会の打ち上げ会に出席した。アルコールは、まずビールで乾杯したが、その後は各人が酒バーに取りに行く。ビール・焼酎・白ワイン・赤ワイン・ウイスキーまたジュースなどが用意されていた。
「酒はありませんか」
「どんな酒ですか」
「…日本酒を」「それではとってきます。燗ですかひやしますか」「冷酒(れいしゅ)をお願いします」
 念のためいうと、「ひや酒」とは常温のことである。間違えないよう冷酒と言った。
「器はどうしますか」「ワイングラスに入れてください」
「ではお持ちしますので、席でお持ちください」
 かなり時間がたったが、なかなか届かず、わたしは白ワインをとってきた。結局酒は届かず、白ワインを飲み終える頃、同席の友人が、徳利に入った冷酒を持ってきた。わたしも取りに行って、徳利の冷酒をワイングラスに入れて持ってきた。
 徳利は温めるための器。何のために冷酒を徳利に入れるんだ。
 あとで考えたが、「冷蔵庫から持ってきます」「猪口はいくつですか」の意味だったか。
 先日赤羽の「つぼ八」で注文したとき、「○○を…ワイングラスに入れて…」と言ったら、はい、と返事をして、数分後に注文通りの酒が届いた。

 さて、本書では酒と日本酒業界の様子を細かく報告している。
 目次を見よう。

なぜいま「新政」なのか
銘酒の系譜。
いま飲みたい35蔵を考える
「注目の若手蔵」10!
スター杜氏の白熱教室 「造り」の話をしよう。
家飲みの時間
アテの名作


 磨きと称して精米度を高める競争をしているようないま、新政は精米度90%、これでおいしい酒を造るのだ。
 その他の蔵もいろいろと工夫して特徴のある酒を造っている。それらの蔵の紹介。人気の蔵元の造り手の思い入れがいい。
「銘酒の系譜。」では歴史を。
1950年代から1960年代。酒といえば日本酒であった時代。アルコール度で特級一級二級と区別された。税金のためにアルコール度で区別されたのだ。
70年代 地酒ブームとなり、知る人ぞ知るおいしい地酒が、税金のため二級酒を名乗った。
80年代後半から 吟醸・山廃・純米と進化。
92年に級別制度が廃止され、今のような分類となる。
90年代後半 蔵元杜氏の時代。杜氏が高齢化し引退したため、若い蔵元が自ら杜氏となって、研究し好きに作り始めたのだ。無濾過生原酒が出回る。
2010から 国際化・全量純米・酸のある日本酒など。
「夏子の酒」では、夏子が他の人には判らない雑味があると言うシーンがある。この雑味が酸の味で、今までは嫌われたが、今ではそれも酒の味と、酸味のある酒を造る人が出てきた。

 九十年代においしい酒が出回るようになり、今では、いわゆるまずい酒が見当たらなくなった。わたしが見なくなっただけで、大量に出回っているのかも知れない。
 酵母 麹 米の磨き(精米)なども詳しい。
 販売所つまり酒場では、客の好みをいかに聞き出して、好みの酒を提供できるかに腐心するという。もっともわたしはそんな酒場に行ったことがない。本当にあるの?
 全国の地酒の紹介も楽しい。
 酒と燗と食べ物の相性の話もある。刺身に日本酒があうとは限らない。器と酒の相性の話も、たとえばワイングラスにはあわない酒もあるとか。わたしは犬飲みを避けるために「ワイングラスに」というのであって、味があうかどうかは考えていない。
 生酒は味が変わってしまうから出さない、という蔵もある。
 甘い辛いの区別も普通の甘い辛いとは異なる。
 こんなあれやこれやの薀蓄が満載だ。
posted by たくせん(謫仙) at 07:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月23日

碁を打つ女

2007.7.5 記
2015.9.23 追記

   著 山颯(Shan Sa)  訳 平岡敦  早川書房 04.8
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 碁の強い満州娘と日本の青年士官が、満州のある町の千風広場で碁を打つ。
 この碁は何日も打ち次ぐ。そうして心が通じ合うのだが、それを言う前に別れの日を迎える。
 それぞれ苦悩を抱えた二人だが、日本の青年士官は北平(北京)へ移動する。
 娘はその前に、故郷の町にいられなくなり、男と一緒に北平に行く。だが、その男に愛想をつかし、故郷まで戻ろうとする。その途中で、日本青年士官と再会する。
 進退窮まって、二人は……。

 著者の山颯は名前で判るように中国人である。
 北京生まれ、11歳で詩集を出版、18歳までに4冊。1990年、17歳で渡仏。2001年フランス語で書いた3冊目の本がこの「碁を打つ女」。
 前の2冊はフランス語について、助けてもらったが、この本はすべて自分で書いたという。まさに言葉の天才であろう。
 わたし(満州娘)の話と、私(青年士官)の話が、数ページずつ交互に現れる。まるで碁を打つようだ。そして、千風広場で運命の出会いがある。
 日本の侵略を告訴する話ではなく、民衆の苦しみを訴える話でもない。敵対する国の、二人の出会いの重さを語る小説といえようか。
 さて、著者の棋力が問題となりそうだが、わたしの感じでは、碁は知っているが、あまり強くはないと思う。

 霧氷につつまれ、千風広場で碁を打つ人々は、まるで雪だるまであった。鼻から口から白い息を吐き出している。縁なし帽の端から、小さな氷柱が地面に向かって伸びでいた。

 冬の戸外で碁を打つのだが、満州では、この凍てつく寒さの中で碁を打ったものなのか。このシーンが不思議であった。
 言葉を交わさずとも、石を打つ音で相手の気持ちがわかる場面。まるで金庸小説のようだ。

 日本に対する知識は「よく勉強しました」という程度だが、その勉強の程度が半端ではない。普通の日本人では太刀打ちできないだろう。ただ現場を知らない技術者の意見のような、どこか現実感の薄い表記が目立つ。
 たとえば刀。まるで日本軍の主力兵器のように書くが、刀は兵器としては役に立たなかった。これが武器となったのは、武器が禁じられた平和な時代だけだ。ただし象徴にはなる。この区別が判っていないと…。この区別が一番判っていないのは日本陸軍だ、という説もある。
 満州における日本軍の行動も、そういう風に中国の教科書に載っていました、というごとく。
 もっとも戦中戦前のことは日本人でも知らない人が多く、わたしでもよく知らない。だからわたしの指摘が見当違いである可能性も高い。

 一般民衆が息を潜めて生活していた、誰かがあの人はおかしいと言っただけで一家が離散した。そんな文化大革命時代が終わるころ著者は生まれている。その時の記憶が中国社会に残っていただろう。
 そんな時代の中国軍が現実のモデルではないか。
 そんなことを承知で読むと、読めます。わたしの場合、囲碁ネタでなければ読まなかっただろう。

   …………………………………………
2015.9.23 追記
 この話が 囲棋少女 として映画化されるという。
 主役はあの劉亦菲(liu2 yi4 fei1)だ。
 あの、というのは、武侠ドラマで何度か紹介しているからだ。
 山颯と劉亦菲は8年前に映画化を計画したが、種々の原因で延び延びになっていた。このたび、二人は会って、当時の夢を完成させようとした。という。
 8年前といえば二十歳頃、「神雕侠侶(神G侠侶)」が完成してまもなくだ。
 映画のために改変もあるだろうが、小説の基本は崩さないでほしい。
「囲棋少女」は劉亦菲のもっとも好きな小説だという。
 劉亦菲は碁を打てるのだろうか。
posted by たくせん(謫仙) at 06:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月22日

ライオンの棲む街

ライオンの棲む街  〜平塚おんな探偵の事件簿1〜
東川篤哉   祥伝社   2013.8
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 高校時代、ライオンと言われていた生野(しょうの)エルザと、その友で、猛獣使いを自称する川島美伽のコントのような探偵譚。ユーモアミステリー短編集。
 東京生活の夢が破れて、平塚に帰ってきた美伽にエルザから「仕事を手伝え」との連絡。行ってみると探偵事務所であった。
 話は烏賊川市シリーズ(紹介していない)の女探偵版である。コントのおもしろさは相変わらず。
「美伽」「エル」と呼び合うと、ミカエルを思い出すが、ミカエルは無関係。それでも、それぞれに魅力的。
 大事件も東川篤哉が書くと、ただのコントになってしまう。平塚市でそんなに殺人事件は起きないと思うが…(^。^)

 本格的ミステリーファンには物足りないと思うだろうが、わたしはコント部分を楽しんでいるので満足。
 カバーの絵はマッチしない。二人とも27歳だが、二十歳前後に思える。
posted by たくせん(謫仙) at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする