2015年05月14日

かりそめエマノン

梶尾真治   徳間書店   2001.10
 わたしにはこのシリーズの三冊目。

 エマノンに拓麻という双子の兄がいた。
 幼くして孤児となった拓麻は子のない夫婦に引き取られ、それなりの人生を送ることになる。
 拓麻には、異常な能力があった。それ故その人生において、成功も失敗もするが、常に幼いときの手のぬくもりの記憶があった。
 自分は何のために生まれたのか。そして事件がおこり、エマノンが危機に陥る。そのエマノンを助けたとき、それが自分が生存していた理由と悟る。その危機は宇宙生命体との攻防戦。考えにくい危機であり、それで三十数億年の記憶の中でたったひとりの兄を登場させてバランスをとったのか。
 その後、拓麻は隠棲し、何十年も経った108歳のとき、死を迎えようとしていたところへ、エマノンがお見舞いに来る。その手を握った拓麻は100年前の手のぬくもりの記憶はやはりエマノンだったと知る。
 エマノンの三十数億年の記憶の中でたったひとりの兄の物語。

 三十数億年の記憶を持つといっても、単細胞の時代は記憶というものがあるのか。十億年前に多細胞生物になってからと思われるが、ある種の遺伝は記憶に近いが、それでも記憶と言えるのか。
 実際問題として、ほ乳類になってからの記憶なら、ある程度理解できる。その頃「きょうだい」がいなかったというのは不思議(^。^)

 さて、いつも少女というエマノン。大人になり、女の子を産んで、その子に記憶を移してたちまちに記憶を失う。女の子は成長し、少女となって旅を続ける。その繰り返しとなれば、肉体的には超短命の家系といえる。たったひとりの兄の死を看取ったエマノンは、兄と別れてから何代目かのエマノンで、同一人物ではない。
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2015年05月10日

うたかたエマノン

梶尾真治   徳間書店   2013.11
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 わたしにとって二作目だが、長い連作の最新作。
 エマノンは三十数億年の記憶を持つ美少女。その記憶は母から娘へ代々受け継がれていく。
 それが40年前に訪れたカリブ海の島の記憶が欠落していて、何があったのか確認のために再訪する。
 記憶があることの苦しさ。それにもかかわらず、記憶の欠落は気になって仕方ない。
 島では日本に来る前の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)やタヒチに渡る前のゴーギャンなどとともに、不思議な冒険をすることになる。
 その時、行動を共にしたジャン少年は、長い年月をえて、エマノンと再会するのだが、再会に気づかないうちに、エマノンはいなくなってしまう。
 高齢者に、初恋や、初めて手を繋いだ、初めてキスをした、などという思い出を一瞬よみがえらせるファンタジー。それはどこか懐かしいような、かすかな苦みのあるうたかたの思い出である。
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2015年05月05日

ゆきずりエマノン

梶尾真治   徳間書店   2011.5

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 長い髪、粗編みのセーター、ジーンズ、ナップザック、というエマノン。
 エマノンは常に旅人だ。特別な目的があるのではなく、何かに呼ばれるような衝動を感じて旅をする。地球に生命が生まれてから現在までの記憶を持ち続ける、不思議な少女のファンタジー。
 連作短編で、各編の主人公が、エマノンと知り合って不思議体験をする。
 わたしは知らなかったが、9年ぶりの新刊でそれ以前にも何冊か出ている。
 はじめは1979年というからかなり経つ。最近のSFを読まなくなったわたしには、その当時の設定は波長が合う。
 続けて前の作品も読むつもりだ。
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2015年04月28日

みをつくし料理帖

みをつくし料理帖  天の梯(そらのかけはし)
田 郁(かおる)  ハルキ文庫   2014.8

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 みをつくし料理帖もこの第10巻をもって完結した。
 澪(みを)は享和2年の大阪の大水害で、幼くして親を亡くし、料理屋「天満一兆庵」の女将である芳(よし)に奉公人として引き取られる。
 水の味が変わったことが判ったことから、主人の嘉兵衛に見込まれ、女ながら料理人の修行をすることになる。
 あるとき店は火事になり、嘉兵衛とその妻芳と澪は江戸の支店に来るが、嘉兵衛の息子佐兵衛は店をつぶして、行方不明であった。心労で嘉兵衛は亡くなる。
 澪(みを)は小さな店「つる家」で料理人として働き、芳と一緒に生活を続けた。
 医師源斉の言葉「食は人の天なり」を励みに、人々が健やかに生きることを目指して、料理を作る。
 こうして6年、幼なじみの野江が吉原にいることを知り、四千両を工面して救いだし、佐兵衛を料理人に戻して、江戸に天満一兆庵を再興させ、自分も医師源斉に嫁ぎ、ともに大阪に行き、新しい人生をはじめる。
 その後、料理屋「みをつくし」を開店することになるはず。付録にある11年後の料理番付が暗示している。

 超あらすじはこんなところだが、江戸の人の暮らしぶりや人情などかなり細かく描写されている。澪の料理の工夫ぶりも細かい。しかも架空の料理ではなく、小説の話をまとめたレシピまでついている。
 最終話になり、ページが残り少ないのに問題解決の先が見えず心配したが、違和感なくまとまっている。話は始まりから終わりまで一貫して練られているので、読後は爽やかで後味が良い。

 あちこちで涙が止まらなくなった。
 たとえば、つる家には下足番となった十三歳の“ふき”がいる。ふきは七歳の弟健坊が奉公先の登龍楼に戻るのをいやがったとき、心を鬼にして「登龍楼に戻れ」と叱るあたり。
 住む家もなく、二人で生きるすべもなく、幼い二人が生きてゆくために、ふきは苦渋の決断をしなければならなかったのだ。
 その前に、健坊の初めての藪入りの時は、ふきは健坊をふきの奉公先つる家に連れてこず、登龍楼ちかくをふたりでうろうろして白玉を食べただけ。
 つる家の皆は、ふきが健坊を連れてくると思っていたので残念がったが、ある人が、「そりゃあ、連れてくることはできないだろう」と、ふきの心情を喝破するところとか。
 わたしはどうも、無力であるが故に選択肢がなく無理を強いられる話に弱い。

 心残りは、二人の少年(太一と健坊)が将来どうなるのかが、はっきりしないこと。サブキャラとはいえ、感情移入してしまった。
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2015年04月23日

日本語の科学が世界を変える

松尾義之   筑摩書房   2015.1

 判りにくい題名だが、「日本語で科学を考える」であって、「日本語を科学的に解明する」の意味ではない。
 日本の科学の質の高さは、日本の科学者は日本語で科学を考えられるからではないか、という。
 諸外国では母語とは異なる英語で科学を学び、英語で科学的思考をする。
 欧州でさえ、その傾向があるという。
ところが日本では、自国の言葉で書かれた用語・教科書で大学教育が受けられる。これは希有なことだという。
 西周(にし あまね)や福沢諭吉などが英語の科学用語を和製漢語に変えてきたために、高度な科学的思考が可能な言語となった。
 世界中が英語で考えるため面白い発想が浮かびにくくなった。しかし、日本では日本語で考えられるので、英語と日本語の発想がぶつかり、英語だけにはない発想が生まれる。多くの日本人科学者の画期的な発想の基礎になっている。

 その発想が世界を変える。

ノーベル賞受賞者は欧米以外はほとんど日本人だが、貰えなかった人でもノーベル賞級の科学者が大勢いる。

 ガラパゴス化する可能性もあるが、積極的に良い面を取り上げたのが本書だ。
 このことを敷衍すると、現在のカタカナ言葉の氾濫は日本の科学にマイナスに働くことになる。そのことに言及していないが、どう考えてているのだろう。
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2015年03月12日

耶律徳光と述律

耶律徳光(やりつとくこう)と述律(じゅつりつ)
仁木英之  朝日新聞出版(朝日文庫)  2011.10

五代とは五代十国(907−960)の時代に華北に興った次の五国を指す。
後梁 907−923  朱全忠(朱温)在位(907−912)
後唐 923−936  李存勗
後晋 936−946  石敬瑭
後漢 947−950  劉知遠
後周 951−960  郭威

 この時代に塞外でも耶律阿保機が契丹国(遼)を興して皇帝となった。
在位907−926  耶律阿保機
 その後継者に、阿保機の妻で実力者である述律(じゅつりつ)が、長男をさしおいて次男の堯骨(徳光)を指名する。
在位926−947  耶律徳光(堯骨 ぎょうこつ)(902−947)
 堯骨(徳光)は母の述律の後押しもあり、契丹をまとめる。そして華北に侵攻する。
 述律は南進を望まず、このあたりから堯骨(徳光)と述律の意見の違いが現れるようになる。
 下巻は華北の地が舞台の中心となり、各地の実力者たちの争いと、華北を征服しようとする契丹との争いとなって、視点が多様化する。
 契丹の徳光は石敬瑭を中原の天子におしたて、代わりに「燕雲十六州(現在の北京、大同を含む地域)」を手に入れる。
 各地の実力者たちの争いは暗い。兵力を養えず、民からの略奪を繰り返し国は疲弊していく。
 そんな中、ようやく中原に進出を果たした徳光だが、その土地は前支配者が収奪しまくった後なので、疲弊の極にあった。30万の軍を養う力はない。この軍がいなければ支配できない。しかも収奪しようにも収奪するものさえない。進出する時期が悪かったと言っていいのか。時期を間違えたと言うべきか。
 結局撤退することになるが、その途中で命を落とす。享年46。

 述律の出番は少ない。題名の「述律」はない方が良くないか。
 それから巻頭の地図が内容とは無関係と言えるほどで、役に立たない。一度か二度出てくるか、一度も出てこないような地名ばかりで、本書で扱われている中心となる地名が載っていない。しかも重要な黄河や万里の長城(これは名前さえ出てこない)あるいは山脈や重要な道路なども載っていない。
 たとえて言うなら、秀吉の高松城ぜめの参考地図に、日本の分国白地図を添えるようなもの。そのため各地の名が判りにくい。そして人名も多く、いつも「この人誰だっけ」となりがち。
 また球場で演説をするという話がある。この時代の球場ってなんだろう。

 歴史では、このとき地方で力を蓄えていた劉知遠が、後漢947−950を興す。
 同著者の 朱温 と 李嗣源 はすでに紹介している。
 小前 亮の 趙匡胤 は趙匡胤が郭威に協力し、後周(951−960)を建国するが、三代目が幼く、趙匡胤に禅譲され宋を建国する。
 残るは、後漢(947−950)劉知遠か。
 天龍八部の耶律洪基(在位1055−1101)は八代目になる。
 この後、宋が燕雲十六州を取り戻せと叫ぶことになる。しかし、宋の建国以前に契丹(遼)の支配下になっている。取り戻せと言っても、宋の支配下にあったことは一度も無い。
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2015年02月24日

お父さん! これが定年後の落とし穴

お父さん! これが定年後の落とし穴
大宮知信   講談社   2009.9
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 少し古いが内容は今でも通用する。
 定年後をどうするか、これは多くの人が抱える問題だ。定年を迎えて、生活に全く問題の無い人は少ないだろう。
 そんな人に対して、その問題にある陥りやすい失敗を紹介している。目次を見ればある程度の察しがつこう。定年後のバラ色の人生を描ける人も、ちょっと目を通して確認してみたい。

第一章 再雇用・転職・独立、どれを選んでも茨の道
第二章 なけなしの老後資金が水の泡に
第三章 夢の海外移住の現実
第四章 田舎暮らしのスローライフは意外に疲れる
第五章 退屈地獄を乗り切る趣味探し
第六章 定年夫は邪魔な存在か
第七章 脱会社人間! 悔いなき人生を

 たとえば第一章で、社会的能力の錯覚をついている。
 起業して「独りビジネスの落とし穴」としては、個人では社会的に全く信用がなくなり、銀行は相手にしてくれなくなる。人脈だって、起業したときは多少あっても、同年代ならすぐに定年退職して無くなる。自宅では公私の区別がつかなくなって時間がとれなくなる。再雇用では給料は数分の一。しかも今までとは全く違う体力の要る現場労働、我慢できますか。
 第二章では、投資を考えた人が陥る落とし穴。高配当の誘惑、悪徳商法、株、投信、友人からの勧誘等々。
 まだ会社に勤めているうちに、しっかり勉強して用意しておかないと、起業も投資も難しいのだ。
 海外ではいまは物価が安いと言っても、数年後にインフラが整備される頃は日本並みになる。(現在では、円安もあり日本の方が安いくらいだ)現地の発展を無視して、その時の金額だけで考えてはいけない。海外生活能力も必要。
 同じことは田舎暮らしにもいえる。むしろ自動車の要らない都市生活の方が老後は生きやすい。買い物ができない。医者がいない。近所づきあいも大変。そんなことは気にしない人には、もちろんいいこともあるので、そのつもりで。
 ときどき話題になる熟年離婚。男は定年で新しい生活をと思っても、妻は現在地に生活基盤ができていて、「田舎へ行きたいなら、あなたひとりでどうぞ」ということになる。そうなると、男には居場所がない。

 総じて、普通に社会生活をしていれば判るようなことばかりだが、それでいて、いわれるまで案外気がつかないことも多い。
 判っていれば事前に準備できるので、楽しい老後を過ごしましょう、という話だ。一読の価値あり。
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2015年01月28日

彩雲国物語

彩雲国物語
雪乃紗衣  角川書店  2003.10〜2011.7 全十八巻
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 彩雲国(さいうんこく)物語は中華風ファンタジー。名前や制度などが唐に似ている。しかし同じではない。あくまでも唐風だ。後に漫画になり(見ていない)、アニメになっている。
 わたしはアニメを先に見た。面白いのだが、ローマ字字幕なのであちこちで混乱してしまった。とにかく人物が誰が誰だか判らない。10回目あたりから中国語字幕になって、ようやく名前の区別がつくようになった。途中で終わる。
 日本語では彩雲国は王国で王は主上と呼ばれるが、中国語は帝国で皇帝は皇上と呼ばれていた。

 あらすじはウィキを引用する。
 架空の国、彩雲国を舞台に名門紅家直系長姫ながら貧乏生活を送っている紅秀麗が、あるきっかけで「官吏になりたい」と一度諦めた夢を追い求め叶えようとする物語。
 昏君(バカ王)を演じていた劉輝や王の側近である絳攸らの尽力によって官吏となるも、州牧に大抜擢されたかと思うと冗官(無位無官の官吏)に落とされるなど、毀誉褒貶の激しい人生を送る。
 その過程で建国にもかかわったとされる「彩八仙」にもかかわってゆき、最期には王からの寵愛を一身に受け妃となり、女児を産み、その短い生涯に幕を閉じ終劇となる。


 原作があることを知り、図書館で見つけて読んだ。ようやく、意味が理解できた箇所が多々。
 貧乏貴族紅家のお嬢さん紅秀麗が、家計を助けるため王の教育係として後宮に入る。そして退くと、官吏になる。その間いろんな人が絡んでくる。
 最初の疑問は何で貧乏なのかということ。この本を読み始めてすっきりした。と同時に新しい疑問が生じる。紅秀麗の父は、裏では(裏社会ではなく、政治の裏側)大変な実力の持ち主。なので飢えるほどの貧乏になったのが疑問になった。
 少女向けライトノベルなので、言葉は厳密ではない。
 物語が進むに従って意外に奥が深いことが判る。上に書いた疑問など、片隅問題で片付いてしまう。

 初めは官としての出世競争かと思った。紅秀麗本人は、官となって世の中をよくしたい一心であり、まわりの人を応援したりするにしても、形は出世競争になる。
 それで紅秀麗は無意識だが、派閥争いに巻き込まれる。官である以上仕方ない。しかし、王の臣としての派閥ばかりではなく、国試の官僚と貴族の勢力争いでもあり、地方閥の争いでもあり、さらに大きく王派と非王派の争いでもあった。なんと王族にも王を認めない高官がいる。腹の中では“王位継承順位は私が上だった。王位をよこせ”と。
 大官長老は王を人形くらいにしか思っていない。
 それらの争いも明確に区分される訳ではない。争っていることにも気がつかないほど曖昧だ。
 遠大な計画で、王の側近が次々と左遷されていき、王の手足となる官僚は、少女の紅秀麗ひとりとなってしまう。ただし紅秀麗は部署の仕事があり王のそばにいる訳ではない。
 そうなってはっと気づくのだった。

 静蘭はこういうやり方が絶妙にうまい人を知っていた。
(この、詰め碁のように隙のない勝負の仕掛け方−)
 静蘭が何度挑んでも、ついに一度も勝てなかった。どんなに先を読んでもさらに先を読み、とっくに負けていることさえ静蘭に気づかせずに勝負を決めた。


 短い文章ながら正確。ここ以外にも何カ所か「碁を打った」などという記述があるが、実際の打碁の記述はない。著者は碁を知っていそう。
 特に「とっくに負けていることさえ静蘭に気づかせずに…」に迫力を感じる。
 それから、「手元に碁石がなかった」という表現もある。信頼できる頼める人物がいないの意味。

 言葉は平成語も多く使う。
 半端ない。頑張れよ自分。ちょううれしい。いーじゃん。こんな言葉がつぎつぎと出てくる。「わたしのが強い」これはちょっと考えてしまった。略されているのはどうやら「方が」らしい。つまり「わたしの方が強い」だ。
 それでも、親の世代は高官らしくきちんとした言葉を使う(でもないか)。難しい漢語もそれらしく使いこなし、多くは仮名を振っている。「常用漢字」には吹き出したが、彩雲国でも「常用漢字」はあるだろう。

 全体的に、後から「実は……」ということが多い。それで矛盾していないか、調べる気にはならないが、心配になってくる。特に、現王を否定している実力者は前回のクーデターのとき、つまり前王を殺したとき、若い現王を即位させておいて、大人になったらまたクーデターを行おうとするのが理解できない。

 物語は面白かった。よくぞここまで構想できたと感心してしまう。ところどころで、ラノベとは思えないほど、深い洞察を示す。
 結局、現王と紅秀麗の夢が実現したといっていいのではないか。戦はせずできる限り人は殺さず、平和で豊かな世界を目指した。女性にも活躍の場を与え、人の平等を目指した。
 紅秀麗が夢に向かって疾走する。それを読者は見守ることになる。
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2015年01月08日

星空のカラス

モリエサトシ   白泉社   2013.2

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 先日日本棋院の二階で見つけ、五巻そろえて買った。囲碁漫画である。
「会員割引になりませんかァ」
「棋院発行の本なら割引の対象なんですけど」
 少女マンガらしく恋愛ものだ。かなり碁に詳しい人が書いたと思う。ヒカルの碁が入門から始まったが、こちらはプロ入りを目指すところから始まっている。
 けっこう面白いと思った。
 ヒカルの碁と比べると物足りないが、ヒカルの碁ができすぎだったので比べるのは酷だ。
 特徴はというと、主人公ほか数名以外はほとんど同じ顔。極端に言えば、名前を呼ぶ人がいないと誰だか判らない。そして、駒割がごちゃごちゃしていて、見にくいのは問題かな。
 いきなり話が飛ぶこともあった。一ページ抜けたような感じだ。そのためわたしには説明不足になる。
 登場人物が極端にやせていて、首が首長族(カヤン族)の特定の女性のようなのはどうだろう。慣れないわたしには気味が悪い。作者の特徴かな。
 対局時の緊張感や、各人の心の問題や家庭の問題など、引き込まれる。
 それらはともかく、続きが読みたいと思えるでき。
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2014年12月30日

万能鑑定士Qの事件簿 [〜]U

万能鑑定士Qの事件簿 [
2014.12.10記

 台湾で海水を淡水化する技術ができた。ただし、盗まれないように公開していない。竹富町の町会議員がそこに出かけ、コップ数杯の海水を淡水化できるのを見て、12億円で買おうとする。
 その録画だけで議会から承認を受けるが、ここからして疑問。そんな実体のないものに支払いをするだろうか。
 技術だけにそれだけの価値があるのか。その技術を用いてメーカーが大量の淡水化装置を作れば、その装置なら買うだろう。技術だけなら、世界が利用できるのに独占する意味はない。波照間島の水問題の解決のためであって、島で工業化しようという話ではないのだ。
 お粗末なトリックに、たまたま騙された人がいたという話になる。
 台湾に振り込まれた12億円がその日のうちに現金化される。台湾の銀行がいきなり12億円の支払いができるほど、日本円を用意しているだろうか。疑問を持たず現金を渡してくれるだろうか。
 これを台湾の老婆が船で石垣島に運び、そこの銀行からどこかに振り込もうとする。
 老婆は間違えて郵便局に持ち込む。この時点でばれていたのだが、そこに至る経過が綱渡り。
 日本の銀行で、外国の老婆が12億円もの現金をいきなり持ち込んだら、銀行員は疑問を持つだろう。それくらいのことも犯人は察しないのか。
 それだけの犯罪の実行者にしては犯人はお粗末。老婆が正直に実行してくれると安心しているが、そのままねこばばされることは考えられないのか。
 そこまで計画できるなら、たとえば香港の銀行へ振り込み、さらに日本の銀行に分けて振り込むなどして、マネーロンダリングしないのか。
 トリックに絡む中国語の問題、まさかねえ。“汽車”と“火車”を間違えるなんて。汽車もバスでは“公共汽車”とあるはず。中国語になじみのない人は、そんなものかと思うかも知れない。
 場所の勘違いもあり得ないと思う。湖を海と勘違いするなんて。被害者は“海の民”なのに。
 スピーカーの話もかなり嘘っぽい。(説明は省く)
 犯罪者の目的が判ってみると、その計画実行はかなりあやしい。まるで推理のために創作された犯罪みたいだ。
 良かったのは、莉子の故郷や同級生に対する思いが、まわりの人にもはっきり判ったこと。莉子が劣等性だったことを知っている幼なじみの驚く様子もいい。

   …………………………………………
万能鑑定士Qの事件簿 \
2014.12.13記

 モナリザが震災後の日本に来ることになった。
 そのためにルーブル美術館が日本の臨時学芸員を募集する。ルーブル美術館の休みの日に、館のあちこちに偽物を飾り、その中から本物を当てさせる。まさかと思うが、本当にそんなことがあったとしたらおもしろい。
 莉子と里桜(りさ)が本物を当てて合格した。そして日本で、準備をする前に二人に直感で本物を当てる訓練をさせる。実はその訓練は偽物。莉子の鑑定眼が狂ってしまう。
 鑑定は細かく観察して判断を下すもの。直感ではない。
 莉子は鑑定眼を取り戻すまで、絶望的な苦しい日を過ごすことになる。救い出そうとする小笠原が少し活躍。
 莉子が自己を取り戻すラストは爽快。

 始めに尾行を恐れて新幹線で横浜に行く話がある。なぜそれで尾行を防げるのか、意味が判らなかった。
 モナリザ盗難の犯人に、はい・いいえの首の振り方が逆というブルガリア人特有の性質が出てくる。特有の性質かな。また、それがとっさに思わず出てしまったというのではない。大がかりなグループなのに、そんなことを注意しないものだろうか。
 電卓の改造もある。そんなことができるだろうか。
 相変わらずたくさんの雑学が出てくる。モナリザの雑学もびっくりするほどだが、本当でしょうね。
 いつも言うが、思わず終わりまで読んでしまうほど小説はおもしろいのに、疑問点が多い。

 番外
「ゴッホの『ひまわり』が偽物だったとき、ミンクの『叫び』は本物。
では、『叫び』が偽物だったとき、『ひまわり』は?

 直ちに答えるのは難しいだろうな。しかしメモしながら考えると簡単に答えが出る。

…………………………………………
万能鑑定士Qの事件簿]
2014.12.23記

 莉子はなぜ、難事件を解決できるほど賢くなったのか。その成長する過程が描かれている。
 話は莉子が万能鑑定士として開業した時にさかのぼる。
 開業したものの、莉子は騙されてばかり。見かねた恩師・瀬戸内は、ある思考法を授ける。それは詐欺を見分けるのに大いに役に立った。
 その中の、メモの取り方で、記号「=」と「VS」と「→」を使って物事を整理する・考える、というのは判りやすいが、それだけでどんなことにも正解にたどり着けるという。

 さて、最大の謎、 事件簿T・Uで、
 資本主義社会のすべてを支えてきたシステムが消失した。
 タクシーの初乗り四万五千円だが、利用者はいない。
 銀行では20万円までしかおろせず、それでは弁当三個しか買えない。
 今の日本はまさに無法地帯だ。アジアの最貧国になった。

 そこまでに至った日本が、偽札はなかったので元に戻せ、という首相声明で数日で元に戻る。できるかなあ。
 資本主義社会のすべてを支えてきたシステムが消失したら、元に戻るのに何年もかかるはず。「消失」が言葉の綾としても、あの混乱で全財産を失った人も多くいたことだろう。数日ではとうてい無理だ。
 しかし、数日で戻れたとすれば、というSFとして読まねばならない。

 一流美容院チェーン・レティシアの経営者、笹宮麻莉亜はきちんと管理していたはずの社印を使われ、チェーン店のすべてを手放す羽目に陥った。
 その社印が使われた謎を探る。裁判ではその書類の社印の印影が本物かどうか争われる。
 電子顕微鏡で3000倍に拡大した画像を用いて同一と結論するのは無理がある。印を押すときの朱肉のつき具合や押す力などで、ぶれたりにじんだりで、押すたびに形は違うだろうし、そもそも電子顕微鏡でそんなことするのか。光学顕微鏡だろう。
 そして、同一だったとして、それだけで店の権利は移動するのか。なぜ暴力団が手に入れることになったか、対価はどうなったか、警察としては当然私文書偽造で捜査することにならないか。
 普通社印は領収書や通知書などに使われ、偽物を作ろうとすれば難しいことではない。だから、なぜその印を押すに至ったかという課程が重要になる。
 そして、最高裁で原告や原告代理人の弁護士が知らないうちに、第三者が原告側証人になって実際に証人席に立つ。そして、問われてもいないことを話し始める。あり得ないだろう。
 そして犯人の目的が大量の髪の毛を手に入れるためとあっては、それだけのことでそんな大がかりな詐欺事件を企むのかと首をかしげてしまう。
 ただ事件そのものは大きな矛盾もなく、展開していく。

   …………………………………………
万能鑑定士Qの事件簿 XI
2014.12.26記

 京都に音隠寺という新興の貧乏寺があった。その音隠寺が未来を予測したために大ブレークする。
 未来を予測するトリックを操る住職の水無施瞬は、莉子のもとの勤め先の先輩であった。瀬戸内陸の薫陶を受けている。

 京都は観光都市であるが、中心は寺社仏閣における観光ビジネスであろう。信仰とは無関係ともいえる。寺社仏閣もそうでなければ維持できないのだ。
 その観光ビジネスを正面に押し出した水無施は、立派な事業者といえるだろう。しかし、他の寺院(たてまえは宗教者)から反発を受ける。
 未来を予測するトリックに問題はなさそうだが……、(スミマセン、いつも問題ばかり言い立てていますが)社会的には問題がありそう。それは犯罪か、詐欺罪になるのか。
 いつものごとく、鑑定士・凜田莉子に小笠原が協力してその謎を解く。今までで、一番謎を解くことが中心になっていると思う。つまり鑑定の場が少ない。

 解決に当たって、安倍晴明が使ったという「晴明六壬式盤」探しがある。山科の亥趙塚古墳で探し出す。この古墳の構造がおかしいと思っていたら、架空の古墳だった。
 小笠原がかなり莉子に近づいたようだ。

 本書の雑学に「奈良の大仏」というのがある。千葉県市原市にある。知りませんでした。

   …………………………………………
万能鑑定士Qの事件簿 ]U
2014.12.30記

 万博の太陽の塔が公開される。それに当たって準備しているころ、普通の主婦の誘拐騒ぎが起き、凜田莉子に主婦捜し依頼が持ち込まれる。
 ほとんどが太陽の塔を巡る話で、それなのに話は大きく、「えっ、まさか」と思うようなことが多い。
 いつもの読みやすさがなく、少し引っ掛かる感じがする。それは無理に謎にしているような感じがするからか。主婦の誘拐騒ぎの原因がわかってみると、そこまでするか、と思ってしまう。
 雨森華蓮が登場するシーンはさわやか。
 謎の解き明かし方がいつもと違うようだ。謎が謎がと続いて、いきなりあっという間に解決。謎解きの楽しみがない。もしこれがシリーズでなかったら、読まなかっただろう。と言ってもそれは読んでから判ることだが。

 一応最終巻であるが、次の同じシリーズの一区切りである。
「事件簿」は終わり「推理劇」へと続く。
 シリーズを通していえば、謎のための謎が多い。意味が判ってみると、なんでそんな手間をかけて謎にするんだ。というような話。凜田莉子という魅力的な人物を登場させて面白くしたのに、最後に「ん?」と思わせる。
 それでも、久しぶりに痛快といえるほど面白い小説に会いました。
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2014年12月17日

空き家問題

空き家問題
牧野知弘   祥伝社   2014.7

 けっこう衝撃的な本である。わたしが知らないだけで、空き家に関する本はいろいろ出ていると思う。
 東京五輪が開かれるころには日本の空き家は1000万戸に達する勢いだという。
 少子高齢化といわれている現代は、高齢者である親が亡くなる頃、そのこどもは既に家を持ち、親の家は空き家となる。
 空き家が増えればインフラの整備ができず、近隣の空き家化に拍車がかかる。その数は毎年二十万戸とか。その空き家は、不便なので売れないし借り手もない。処分ができないのだ。その土地の人口が減っているのだから。
 地方ばかりでなく東京都区内にもそんなところがある。
 その空き家が厄介物となっている。税金の問題もあって更地にはしにくい。
 その一方で、便利なところでは、マンションが続々と新築されている。
 このような現状分析は、説得力がある。
 そして、その解決策だが、いくつか提案しているが、あまりにも小規模で物足りない。
 この本は問題提起の本であって、その解決策の提案書ではない。

    …………………………………………
 毎年いくつかの町が消えるほど、家を必要とする若い人が減少しているのだから、当然と思うが、今の政策は、もう一度元に戻すことばかり考えているように思える。人口が減っているのだから無理だ。むしろきれいに撤退して、町をコンパクトにすることを考えてほしい。
 そして、問題の空き家は、亡くなった両親が若いとき建てた家であろう。築四十年とか五十年。家としての資産価値はなくなっている。もし住むとすれば大改築、多くは建て直ししなければならないだろう。
 空き屋は個人財産だから勝手に処分できない。しかし、まわりに迷惑をかけているので、所有者には所有する責任として、空き家税をかけてもいいのではないか。
 そんな提案が欲しいと思った。
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2014年12月09日

万能鑑定士Qの事件簿 V〜Z

万能鑑定士Qの事件簿 V
2014.9.27記
松岡圭祐   角川書店   2010.4

 万能鑑定士Qの事件簿 T U  で大混乱に陥った日本社会が、何事もなかったかのように元に戻っている。それはあり得ないが、それを別にすれば、この巻単独では、破綻を見せていない。もちろんあちこちに無理はある。しかし、それが小説が成り立たないような決定的な破綻はせず、物語は進んでいく。
 急に売上が落ちた人気アパレルショップ。急に英語の試験で満点を取った赤点レベルの女子高生。音で共通する詐欺犯罪が潜んでいた。
 流行音楽の移り変わる中で、一度頂点に上り詰めた男が、没落しても過去の栄光を取り戻そうと詐欺を繰り返していく。その天才的な詐欺ぶりが中心となっている。その詐欺はかなりの集団でやらねばできそうもない。しかし、犯人はひとりしか出てこない。
 最後には破綻してしまうが、凜田莉子を真の意味の天才と賞賛して、詐欺人生の終わりを決意する。
 美少女系の主人公凜田莉子が、次々に一般の人が知らないような知識でその詐欺を暴いていく。これも本来は無理なのだが、この巻単独では、そのような知識を持つ天才として登場するのでかまわない。つまりこのような大天才がいたならば……、というSFに近い。

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万能鑑定士Qの事件簿 W
2014.10.22記

 多くのポスターオタクがいる。ある映画ポスターの所在地で、放火事件が起こる。しかも連続する。
 なぜ放火するのか、目的は何か。犯人はなぜあるポスターがそこにあることを知ったのか。これらの謎解きが今回の主題。
 これらの映画ポスターは実在したものばかりらしい。
 万能鑑定士はポスターの破片から何のポスターか、その価値まで当てる。そんな知識を一夜漬けで手に入れられるものだろうか。勉強のための資料集めでさえ難しい。また暗号も解く。ここまでうまくいくのかと思ったが、そこが天才。

 さて、わたしはミステリーファンではないので、このミステリーが上出来かどうか判らない。
 問題は犯人の目的が判ったとき、それで連続放火をするほどのものか、と思ってしまうこと。
 目的が小さい。しかも放火の必然性がない。放火をしなくても目的を達することができるのにと思う。むしろ放火しない方がいいだろう。万一の時、微罪になるから。だから結末もなんか拍子抜けの感じになってしまう。

 不思議に思ったのは、ポスターオタクが、その半生を犠牲にして手に入れたポスターを失ったことより、それで火災保険からいくら貰えるかと評価ばかり気にしていること。きちんと市場価格で評価してもらえるのはうれしいに違いないが、それで納得できるのか。本人にとってはかけがえのないものであるはず。もちろん焼けてしまったので、もう取り返せないにしてもだ。
 いつものことながら、この作者は、欠点あっても小説はおもしろいのだから、なんとかならないのかと、つい思ってしまう。

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万能鑑定士Qの事件簿 X
2014.11.15記

 今回はパリ編。高校時代の恩師、喜屋武(きやん)先生と一緒にパリへの珍道中、喜屋武先生はお間抜けのようでいて、けっこうしっかりしていて、凜田莉子の人格形成に影響を与えているようだ。
 新たな問題は、莉子がフランス語を習い始めて半年で流暢に話すこと。さすが天才…で済ませられるのかな。

 高校時代の同級生の楚辺が勤めるパリのレストランで食中毒事件が発生。楚辺も仕入れに関わったフォアグラが問題だった。
 莉子は真相究明に乗り出す。犯行の手順は幼稚だが、内容の意味するところは深い。
 事件が起こるまでの前半はだれる。それでもけっこうおもしろく読めた。
 ルーブル美術館の話、本当かなあ。良い美術品は感動を受ける、には納得。鑑定士はそこを見る。でも優れていればニセでも感動を受けると思うのはわたしだけか。

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万能鑑定士Qの事件簿 Y
2014年11月26日記録

 雨森華蓮は国際指名手配されている詐欺師で「All-round Counterfeiter(万能贋作者)」と呼ばれていた。
 この雨森が日本でも大がかりな詐欺事件を展開するする。莉子と同じ程度の鑑定眼を持ち、二人の対決といった形になる。
 毎回のことだが、莉子の知識は驚かされるが、それでいながら今回は、国際刑事警察機構(インターポール)についての知識のなさに驚く。専門外ではあるといっても、そのレベルが…。もちろん著者は知っている(^。^)。
 著者の知識にはいつもながら驚く。しかし、本当かと疑ってしまうのはいつものこと。読むときは本当のことと仮定して読んでいるのだ。
国際指名手配されている雨森の詐欺は大きな団体と思わせて、事実上一人で行う。たった一人で、世界のあちこちで大がかりな詐欺を起こせるものか考えてしまう。けっこう、無理やりな気がする。
 そんなにも鮮やかに計画通りにことが運ぶものかどうか。だから天才詐欺師なんだが。
 莉子の推理なども、けっこう、無理やりな気がする。絶対にできないというわけではない。
 いつも同じ感想だな。

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万能鑑定士Qの事件簿 Z
2014年12月04日記

 店に持ち込まれた偽の金の延べ棒。小説の盗作騒ぎ。
 同時進行するカリスマ編集長の脱税疑惑。このカリスマ編集長が次の偽金の被害者になりそうだと予測し、国税局はその時のために、莉子にカリスマ編集長の下で働くことを依頼する。そこで5億円のペンダント紛失騒ぎが起こる。
 国税局がそんな目的で、民間人を送り込むことはあり得るのか。

 一番大きな疑問は、買った時は金塊なのに、時間がたつと合金に化ける不思議。一目見て、金ではないとわかる代物。どんなトリックかと思っていると、最後の種明かしで、合金を金で覆った形で出てくる。比重も金と同じで、これで金の鑑定士が本物と認定するが、これなら時間がたっても、一目で偽とは判らないはず。
 トリックが成立しない。
 金3% 鉛37% 鉄26% 銅18% その他。金以外はどれも金より軽い物ばかり。この成分比率で金と同じ重さにはならない。その他がよほど重い物ならあり得る。そこが肝心だが、その話はない。
 レーザーで偽の金の延べ棒を切断する。しかし俗に言うカミソリで切ったように、レーザーできれいに切ることができるだろうか。
 切った断面を見せるトリックもお粗末。買った人は持ち帰ったとき、確認しそうなもの。

 ある弁護士が出てくるが、仕事場所とか仕事とか、現実離れしている気がする。

 もう一つ、本を出版して委託販売にすると、売れる前に問屋が肩代わりして、出版社は代金を受け取れるという話がある。そのため全く売れる見込みがなくても収入になる。
 取次店が出版社に支払うのは7割だが、これは貸し出し。出版社は本が売れなければ返さねばならない。全く売れなければ全額返金し、既に支払い済みの紙代・印刷代・製本代等は自己負担で、さらに返品された本をお金をかけて処分しなければならない。処分しないと財産と見なされ、倉庫代もかかり、場合によっては税金を払わねばならない。
だから、売れない本を何冊も出しても、損失が増すばかり、決して儲かるものではない。

 それでも小説はおもしろいのだ。
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2014年12月08日

万能鑑定士Qの事件簿 T U

2014.8.9記
松岡圭祐   角川書店   2010.4

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 松岡圭祐の本はトンデモ本化しているので、しばらく読まなかった。偶然古本屋で目にして、読んでみる気になった。
 おもしろいことはおもしろいのだ。しかしこの本でも根本的に受け入れがたいことがあって、ここで紹介するかどうか迷ってしまったほど。逆にそこがおもしろいところと思う人がいるかも……。

「千里眼」では、電波に対する無知から、本全体が成り立たなかったほど。後に訂正したらしい。参考 書庫 千里眼
 自閉症の少年が行方不明になり、なんと盛岡で、フーゾク店すれすれの水商売の店長になっていたり(自閉症の少年にできるわけがない)。これは紹介していない。
 東京の上空に静止衛星を置いたり。(千里眼の死角)
 東京湾沖の水面近くで起こされた700メガトンの核爆発(広島原爆の50000発分)を、泳いで小船の船底の下に潜り込み助かるなんて話もある(千里眼 堕天使のメモリー)。おそらく船は木っ端みじんになり、まわりの水とともに主人公も蒸発してしまうのではないか。放射線でも当然死に至るはず。
 その他もある。(当「書庫」の松岡圭祐の本で紹介)

 さて、主人公の凜田莉子は高校まで劣等生であったが、偶然就職先で感化されて、数年のうちに大天才なる。これはあり得ないが、この小説の設定なので問題ない。
 20兆円もの偽札(?)事件がおこる。一万円札が信用をなくし、あっという間に(1〜2日)ハイパーインフレになる。たとえば「ジャンプ」が2ドル、6千円。JRの一区間が9千円。人心も荒廃し、数日で街は荒れ放題。ここまででもう、まさかと思う。
 そんなに簡単にハイパーインフレになるはずもなく、人心もこんなに短期間には荒廃しない。
 さらに問題は、本題の20兆円と思われた偽札(?)だ。これは本物と同じで、区別がつかない。
 20兆円分もの一万円札の印刷を隠れて行おうとしても、印刷機械・製版技術・特殊インク・紙など、どこかで気づかれてしまう。それが誰も気づかないうちに日本中に出回っている。まさか。
 紙など、そのために育てた広大な林の伐採と特殊な製紙工場が必要になる。それだけでも不可能。だから20兆円もの偽札はあり得ないと作中人物も気がつくはず。特に銀行券の製紙関係者は。
 ここでは警察や政府があまりに無力だ。
 そして死者がいない。書いていないだけともいえるが、これだけのインフレなので数十万の死者がいてもおかしくない。しかもオチは卑小。
 この一般的知識に穴のあるのが、著者の特徴なのだ。トンデモ本と評されるゆえん。
 たとえばP168に、「風呂なし、台所共用、築五十年の三畳一間」の家賃が7万円という会話がある。そう言った人がいて、主人公も同意するが、これが著者の家賃の相場感覚かと唖然とした。こういう感覚のずれが小説全体を覆っているのだ。
 凜田莉子の推理もご都合主義で、たまたま特殊なことを知っていただけで断定するが、あまりに牽強付会で同意できない。他の状況もいろいろ考えられる。

 本来の事件で一冊、凜田莉子がそうなるまでを一冊。この二冊を切れ切れにして二冊本にしたようだ。そのため話が間延びしていていらいらする。
 まだ読んでいないが、Vではもとの日常に戻るという。ハイパーインフレで混乱し劣化した社会・経済の立て直しは簡単ではない。前の状態に戻ることはできないであろう。

 例を挙げると、
 資本主義社会のすべてを支えてきたシステムが消失した。今の日本はまさに無法地帯だ。
 普通の人がコンビニのガラスを割り商品を奪う。止める人はいない。
 パトカーのサイレンはひっきりなし。一一〇番はほとんど通じない。
 タクシーの初乗り四万五千円だが、利用者はいない。
 銀行では20万円までしかおろせず、それでは弁当三個しか買えない。
 日本はアジアの最貧国になった。
 つい数日前まで、なんの問題もなく過ごしてきたであろう社会人たちが、途方に暮れて項垂れている。


 もっとあるが、二十兆円の偽札があると誤解しただけで、数日でここまでになるとは思えない。そしてここまでに至った社会は、簡単に元に戻れない。
 多くの人が生活手段を失い、ひとり暮らしの老人や、病弱者は生きるすべを失ったと思われる。
 それでも時間がたてば、すべての物価がそれにならい、元には戻れなくても、それなりに秩序が整うだろう。
 アマゾンの書評で、元に戻ったのがこのシリーズの最大の謎だと言った人がいた。同感。

 それからご都合主義について。
 わたしはご都合主義は嫌いではない。金庸小説では、たまたま聞き耳を立てると、自分の知りたい情報が手に入る。あるいは今までのあらすじを語る人がいる。それでもそういう設定なのでかまわない。でもこの本はそういう設定ではない。
 最初の鑑定の時、たまたまその方面に興味を持って調べていた、とでもすれば、(私的には)問題がなくなる。
 100冊すべて記憶でも天才だが、そればかりでなく、鑑定士の事務所を構えてから五年間でも学んだであろう。その内容がどこかアンバランスなのだ。それは主人公が未熟なんだが、それは著者のアンバランスさに由来すると思われる。
 それでも、小説そのものはおもしろいのだ。

 ある間違いををただすと小説が成り立たないようなミスは、つい批判してしまう。
 たとえば、鎌倉時代に鉄砲があれば、鉄砲を作った人もいなければならない。というような合理性を求めてしまう。
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2014年11月18日

「ニセ医学」に騙されないために

「ニセ医学」に騙されないために
メタモル出版   NATROM   2014.6
    危険な反医療論や治療法、健康法から身を守る!

「ニセ医学」とは、医学に見せかけておきながら、実は医学的な根拠がまったくない医学のことをいう。
 ちまたに氾濫する「ナントカ健康法」、わたしでも一目で偽物と判るのがほとんどで、読む気がしない。わたしのブログでは、半信半疑というか、ほとんど信じがたいがどうだろうか、という本を何冊か紹介してある。
 そんなふうにおかしいと疑問を持ったら、確認するために調べるが、頭から信じてしまったら、いかに反論しても受け付けなくなる。
 また健康なときなら冷静に判断できても、苦しいときには藁をもすがる思いで試してみたりする。
 そんな人に対するアドバイスやニセ医学に対する反論をあげている。

 臨床の現場では、医療制度や医療機関の事情、製薬会社の思惑、個々の医師の能力不足により、必ずしも医学的に正しい診療が行われないこともある。
 ときどき、論文の誤りが報じられることがある。だからといって医療を頭から信用しないのはもっと問題なのだ。
 医療者に認められていない治療方法は疑え、というのが中心で、偶然うまくいった治療法を勧める例に用心しろといっている。
 標準治療を否定して「これだけで治る」と謳ってるものは、冷静な時なら疑える。
 何でも効く薬はあり得ないので注意したい。一部にしか効かない、では市場が狭く儲からないので何でも効くようにいう。
 ガンは治療するな? 病院の出産は不自然? 気功でガンが消える? こんな一度は聞いたことがあるような内容から、わたしのような素人では聞いたこともないような話まで、けっこう判りやすくなぜニセなのか説明している。
 
 そんなこんなのニセ医療を見分けるトレーニングになるだろう。健康なうちに読んでおきたい。
 健康なら「ニセ医学」への懐疑心を持てるし、科学的なものの見方ができる。
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2014年10月30日

日本人の知らない日本語 2 3


14.10.30-2.jpg
    カバーより
日本人の知らない日本語 2
 爆笑!日本語「再発見」コミックエッセイ
蛇蔵&海野凪子   メディアファクトリー   2010.2

 前に紹介した「日本人の知らない日本語」の続編である。
 今回も文字通り爆笑しそうな話が多い。
 カバーの折り返しにある外国の日本語教科書。

「それは花ですか?」
「いいえ馬です。」
どんなシチュエーション!? と突っ込む。

 最初に目についたのが、畳化(tatamiser)。フランス語で日本化をこう呼ぶそうだ。いくつかの説明があるが、最初の例は、国に戻ってタクシーをよんだとき、扉が開くのを待ってしまう。ほとんどの国では客の手で扉を開けるという。あるいは母国語会話でも「うん」…「うん」とあいづちを打ったとき。などなど。
 凪子の教室は普通の日本人では答えられないほどレベルが高い。
 学生がアルバイト先で、日本人に尊敬語を訊かれる話がある。とりあえず、「尊敬と受身の形は同じです」と教えてみたら、とアドバイスしたら、次の日には「受身って何ですか」って聞かれた。そこからかーッ。
 劇画などから日本語を覚えた生徒たちは、先生も知らない言葉を多く知っている。しかも誤解している。
 本気(マジ)とか、敵(トモ)とか、艶女(アダージョ)とか、拳銃(ハジキ)とか。そんなふうに仮名を振った劇画を見て、そう覚えている。これを正すのもたいへん。

 わたしはこんな話が好きなのだ。しかし、こう紹介しても、おもしろさはほとんど伝わらないだろうなあ。

   …………………………………………
 続いて
日本人の知らない日本語 3
 祝! 卒業編
蛇蔵&海野凪子   メディアファクトリー   2012.3

 今回は落ち着いて、日本語のレベルは高いが、爆笑の話は少ない。まさに完結編。
 たとえば生徒が急病になって、救急車で運ばれたとき。係の人が訊いても通じない。凪子の同僚が通訳を頼まれる。ところが通訳と言っても日本語、「どうされましたか」→「どこが痛いですか」

 このような日本人でも知っている日本語(日本人の知らない日本語ではない)、でも気がつかないこと。説明を読むと爆笑はしないが感動する。そんな話が多い。
 書き始めたいきさつなども書いている。
蛇蔵が凪子と会ってこの人はおもしろいと思った。そして企画し取材させて貰う。協力してこの本ができあがった。
 このシリーズ、わたしも教わるところが多かった。
 ここに登場する外国人たち、わたしより日本語がうまいかも知れない。
 漢語(音読み)より和語(訓読み)が通じやすいなどは、日本人と同じではないか。
posted by たくせん(謫仙) at 09:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月29日

日本人の知らない日本語

2013.6.3 記

蛇蔵&海野凪子   メディアファクトリー   2009.2
     nihonjinnosiranai1.jpg
 この本の名はかなり前から知っていた。しかし、疑っていて見ようとは思わなかった。
「著者は日本人なのにどうして知っているんだ」
「日本人の知らない言葉を日本語といえるのか」
 名前で脅かして、売ろうとしているのかな。と。
 しかし、読んでみたら、題名のとおり「日本人の知らない日本語」であった。
 日本語学校の教師の、びっくりした話のあれこれのマンガ集であった。

 入学式の話がある。校長が「日本語の判らない人は手を上げて」と言う。「それを日本語で聞いてどーする」と突っ込むのであるが、なんと大勢の人が手を上げた。
 
 生徒は一応日本語を知っているので、かなりマニアックな質問や間違いがある。即座には答えられない質問も多い。アルバイト先は水商売はダメとことわってあるのに、「氷を挟むアレは何というのか」なんて質問が出てくる。「おビール」なんて言葉を覚えてくる。
 アルバイトを始めた人に宿題をやってきなさいと言うと「ハイ! よろこんで!」。そんなおかしな日本語がいっぱい。
 三国志を日本のアニメだと思っている中国人。ヤクザ言葉で話すフランス人(シャトーに住む女性)。日本の漢字が中国の漢字(簡体字は日本の方が先にできた)とは違うので、中国の漢字が正しいとキレる中国人。
 たいたい学校の職員まで、生徒の前で間違った日本語を使っている。
 何度読んでも楽しい本だ。

nihonjinnosiranai.jpg

   …………………………

 言葉の間違いについては、 月とにほんご の矢澤教授のような別な意見もある。

 個人的な体験では、あるとき、「『わたしはうれしいです』この日本語は間違っているが、正しくはどう言うか」と中国語を学んでいた十数人の大人の日本人に訊いたことがある。全員が「間違っていない」と言った。
 そこにいた来日3年目の中国人の青年が「僕の学校の先生も『今は初級だからそれでかまいませんが、正しく言えば間違っています。上級になると直します』と言っていましたよ」
 みんな納得できない顔をしていた。
参考 雲外の峰−文の違和感
posted by たくせん(謫仙) at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月11日

けさくしゃ

けさくしゃ−戯作者
畠中 恵   新潮社   2012.11
        kesakusha2.jpg
 江戸時代に柳亭種彦という作家がいた。当時の作家は戯作者(げさくしゃ・けさくしゃ)といわれる。本名高屋彦四郎。
 二百俵取りの旗本で殿様と言われる高屋彦四郎は、腕っぷしは弱い、愛妻家。小普請組なのでお役目はないというけっこうな身分。
 のちに「偐紫田舎源氏」などで知られる江戸時代後期の戯作者・柳亭種彦が戯作を始めた頃の話。
 山青堂山崎平八にのせられ、ついつい戯作を書いたのがもとで、身に降りかかる難題を、戯作仕立てで解いていくというミステリーだが、あまりすっきりしない。
 当時の出版には制限が多く、書くのも命がけ。その背景事情がよくわかる。それが芝居となったりして、相乗効果で売れていく。売れると言っても数百部から千部程度。当時は貸本屋がはやったので、読まれる割には売れた数は少ない。
 殿様に対しても遠慮のない中間の善太が生き生きとしている。そしてこの善太がけっこう重要な役割。人気役者が死んで種彦がその犯人との疑いがかかる。善太が殿様の危難を救う一助となる。

 江戸時代の出版事情が中心といえよう。
 彫り師や刷り師の技術が向上し、木版印刷が盛んになり、北斎の絵なども売れていたころ。江戸時代の出版制度の解説、上方との著作権問題も顔を出す。版元との出会い、同業の作家や絵師や彫り師との付き合い。
 筆禍事件に巻き込まれることもある。そして戯作の舞台化が売れ行きに大きな影響を与える。
 版元(出版社)も一冊失敗すれば、経営が立ちゆかなくなることも。作家も原稿料は最初に幾ばくか貰うと、いくら売れても追加はない。
 それでも書きたがる戯作者の心理もおもしろい。
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2014年10月04日

不可触領域

半村 良   文藝春秋   1976.11

 伊島は、婚約者の敬子とともに中原市を訪ねた。敬子の伯父への挨拶を済ませ、敬子とふたりで自動車で東京へ戻る途中、霧に包まれてしまう。そして森の中へ続く脇道に入ってしまった。
 二人の前に豹が現れ、見つけた研究所に入ると、三人の所員の死体がある。どうも自殺らしい。なんとか霧の晴れ間を利用して中原市へ戻ると、伯父をはじめ警察署長などの態度行動が腑に落ちない。いきなり善後策の相談で、自殺理由の解明をしようとする意志がない。理由は何か。
 この研究所にはナマケモノがいた。樹にぶら下がっているのはいいが、「ユーカリの葉のみを食っていて、……」と言っている。近くにユーカリの林まである。コアラと間違えている。当時(38年前)はそんな知識も一般的ではなかったのかな。
 それはともかく、研究所では、ナマケモノがなぜ現在まで生き延びたか、その力を利用できないか、という問題を研究していたのだ。これが核心となって話が展開していく。
 圧倒的な支持率の議員、その理由は……と言うような。
 押しつけがましい右翼と理想論の左翼のような論争もある。
 住民を従順にして都市計画などすべてを順調にやろうとした、そのモデルケースが中原市であった。それは民主主義を否定し、戦前のファッシズムに似る。外から見ていてそれが判った人は、当然反対するが………。

 中編に近い。現代社会(2014年)へ警鐘を鳴らすようなSF小説と思う。
 純文学ファンなら「これは小説ではない、意見である 」というかもしれない。
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2014年09月21日

囲碁の人ってどんなヒト?

囲碁の人ってどんなヒト?
  観戦記者の棋界漫遊記
内藤由起子   毎日コミュニケーションズ   2005.12
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 わたしは著者が名人戦観戦記者(朝日新聞)として登場したとき、女性の観戦記者とは珍しい、と思ったことを覚えている。
 書いている内容は、女性であることを感じさせない、骨太の文であった。
 この本はそれとは違う心配りのできた優しい文だ。
 デビューは1996年というから、もう18年になる。読者として、もうそんなに長いつきあいだったのだ。この本の発行から、まもなく9年だが存在を知らなかった。
 対局の舞台裏や有名棋士の素顔など、新聞記事では知ることができにくい話が多い。特に女性棋士の話は、女性記者ならでは。
 碁界のことをあまり知らない方にお勧め。つまり囲碁新聞も囲碁雑誌も読まない、わたしみたいなヒトだ。
 当然だがプロ棋士は碁を打って生活しているし、戦観戦記者はその記事を書くことを職業としている。趣味ではない。「ヒカルの碁」で碁界のことが一般の人に知られたが、その上級編。

 この本は著者の知り合いの女性から借りた。もう一般の書店では手に入らない。インターネットで購入できるらしい。
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2014年09月06日

なにを食べたらいいの?

安部 司   新潮社   2009.1
 あらかじめ断っておく。
 わたしはこの本の内容を全面的に信用しているわけではない。特に食品添加物には、2信8疑くらいだ。だが100パーセントの否定はしない。
 この本ではないが、某パンメーカーのパンが黴ない、とメーカーを攻撃している本もある。「かびないのは、衛生管理が行き届いているから」、がわたしの結論。家庭で焼いたパンが黴やすいのは台所が不衛生だから。
 黴ないより、まだ見えないわずかの黴の方が危険ということもある。だが大量の食品添加物は問題ないだろうか。
 そんなことを考える参考になればと思って、紹介する。

     naniotabetala.jpg
 多発する食の偽装と避けて通れない添加物の話である。
 著者は食品添加物のプロである。
 食品添加物は1500種くらいあり、加工食品(コンビニ弁当のような)を食べていると、添加物を500種ほど食べているという。
 自分の娘の三回目の誕生日に、自分が開発した肉団子をおいしそうに食べていた。くず肉を添加物まみれにした肉団子である。それをみて翌日会社に辞表を提出したという。

 レモン100個分のビタミンCが入っている。

 防腐剤がたっぷり入っている。


 この2行はほとんど同じ意味なのだが、全くイメージが異なる。偽装と言ってもこのような話だ。複雑になると意味が判らない。
 安息香酸ナトリウム、これは保存料だが、ビタミンCと混じると、ベンゼンになる。猛毒であって、殺虫剤に使われる。
 こんなふうに1種類だけではプラスの面が大きい添加物も、500種類も摂っていると、どのようなマイナスがあるか知れたものではない。

 インスタントラーメンの袋を見ると添加物の一覧が載っている。なんと多いこと。
 しかも麺類なのに油が多い。100グラム中に22グラム、これを添加物のおかげで、子供が間食でおいしく食べているのだ。
 糖分も多量に摂っている。甘すぎて飲めないほど濃いのに「なんとか酸」を入れて清涼飲料水にする。
 もちろん前に書いた、グルタミン酸ナトリウム(味の素など)なども大量に使われている。
 こうして子供ばかりでなく、大人も味覚が麻痺していく。
 100キロの肉で160キロのハム・ソーセージができるのはなぜ。
 わたしがもう一つびっくりしたのが、タンパク加水分解物、これで安い醤油ができる。
 台所に行って醤油を見てみたら、原材料は大豆・小麦・食塩だけだった。添加物なしだ。

 1500もある添加物の名は覚えなくてもいい。だが常識外れには疑問を持つべき。
 一日たってもいたまない食品は…、自然の作物のはずが全部同じ形同じ色をしているのはなぜ…。

 そうなった原因は消費者にもある。
 安くする。簡単に作れる。便利になる。美しくなる。「オイシク」する。
 これらの要素を追求した結果なのだ。

 いま中国産食品の毒性が取り上げられることが多いが、日本のにんじんを見たある中国人の話。
「きれいすぎる。どれだけ農薬と化学肥料を使えばこんなに色も形も重さも揃うのだろうか。いくら日本産でも不気味だから要らない」(選別しているのが主な原因ではないか)
 また東南アジアの食品工場での話。日本向け食品は薬品まみれで手が荒れるのでいやがる。その添加物はコンクリートに穴を開ける(本当かなあ、一番疑問に思ったところ。もっとも、水もコンクリートに穴を開けるので、この添加物とは水?、まさか)。中国向けは塩だけなので安心だ。
 東南アジアでは、現地の人は日本向けの食品は気持悪がって食べないという(そんな例がたまたまあったのか、全食品なのか。初耳である)。
 皮肉な話だ。

 ではどうしたらいいのか。添加物をなくすことは不可能でも少なくすることはできる。少なくすると麻痺した味覚が回復してくると言う。

1 イメージで選んでもいい。不気味なのは買わない。
2 裏ラベルを見る。使用添加物の一覧がある。(一括表示もある)
3 台所にないものは添加物。
   意味の判らない名前など。
4 顔を知らない他人が作った物を疑う。
   今ではほとんどの食品が、顔を知らない他人が作っている。一流レストランでさえ、作っている人の顔は知らない。疑えと言われても…。
5 自分が作った場合と商品を比べてみる。
   きれいすぎるのは…。
6 言葉遊びに気をつける。
   合成着色料は使用していない。→合成でない着色料は使っている。
   ビタミンCがレモン100個分。→防腐剤たっぷり。
7 素朴な疑問を抱く。
   いたまないのはなぜ。
   形が整っているのはなぜ。(流通のコスト減、整形、模造品など)
 これでは抽象的で判りにくいが、とにかく少しづつ減らすようにしよう。

 添加物にもメリット・デメリットの両面がある。メリットをたくさん求めると、自動的にデメリットもたくさん受けることになる。
 実際問題として、仕事のこともあり(時間の問題など)、現代の生活では添加物をまったく摂らないということは難しい。無理せず自分のできる範囲で、摂らないように努力したい。

 著者は退職以来毎年150回ほど添加物の講演をしているという。持って行った添加物で、魔法のように飲料や調味料を作ってしまうと、みな不気味がるという。
 だから普通の人は常識はある。ただ子供の頃から買うばかりなので、食品に対する知識がないのが主な原因ではないのか。この教育が大切だ。

 最近では放射能問題も加わったので、さらに複雑になっている。
 川上村のレタスの話など聞くと、日本もまだまだ捨てた物ではないと思う。

 このような本は、自説を強調するあまり、極端な特殊な例を持ち出して、普遍的な問題のごとく言うことがある。
★日本全体で起こっているのか。
★一部でこういうことがあった。全体でも起こりえる可能性があるのか。
★一部だけの問題なのか。
★問題になり得る量なのか。参考 味の素は
 読むときは、この区別と問題の大きさも考えて読まねばならない。
 そのことを承知の上で、対処することが必要となる。味覚が麻痺していることは気づきにくいのだ。
posted by たくせん(謫仙) at 07:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする