2014年10月11日

けさくしゃ

けさくしゃ−戯作者
畠中 恵   新潮社   2012.11
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 江戸時代に柳亭種彦という作家がいた。当時の作家は戯作者(げさくしゃ・けさくしゃ)といわれる。本名高屋彦四郎。
 二百俵取りの旗本で殿様と言われる高屋彦四郎は、腕っぷしは弱い、愛妻家。小普請組なのでお役目はないというけっこうな身分。
 のちに「偐紫田舎源氏」などで知られる江戸時代後期の戯作者・柳亭種彦が戯作を始めた頃の話。
 山青堂山崎平八にのせられ、ついつい戯作を書いたのがもとで、身に降りかかる難題を、戯作仕立てで解いていくというミステリーだが、あまりすっきりしない。
 当時の出版には制限が多く、書くのも命がけ。その背景事情がよくわかる。それが芝居となったりして、相乗効果で売れていく。売れると言っても数百部から千部程度。当時は貸本屋がはやったので、読まれる割には売れた数は少ない。
 殿様に対しても遠慮のない中間の善太が生き生きとしている。そしてこの善太がけっこう重要な役割。人気役者が死んで種彦がその犯人との疑いがかかる。善太が殿様の危難を救う一助となる。

 江戸時代の出版事情が中心といえよう。
 彫り師や刷り師の技術が向上し、木版印刷が盛んになり、北斎の絵なども売れていたころ。江戸時代の出版制度の解説、上方との著作権問題も顔を出す。版元との出会い、同業の作家や絵師や彫り師との付き合い。
 筆禍事件に巻き込まれることもある。そして戯作の舞台化が売れ行きに大きな影響を与える。
 版元(出版社)も一冊失敗すれば、経営が立ちゆかなくなることも。作家も原稿料は最初に幾ばくか貰うと、いくら売れても追加はない。
 それでも書きたがる戯作者の心理もおもしろい。
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2014年10月04日

不可触領域

半村 良   文藝春秋   1976.11

 伊島は、婚約者の敬子とともに中原市を訪ねた。敬子の伯父への挨拶を済ませ、敬子とふたりで自動車で東京へ戻る途中、霧に包まれてしまう。そして森の中へ続く脇道に入ってしまった。
 二人の前に豹が現れ、見つけた研究所に入ると、三人の所員の死体がある。どうも自殺らしい。なんとか霧の晴れ間を利用して中原市へ戻ると、伯父をはじめ警察署長などの態度行動が腑に落ちない。いきなり善後策の相談で、自殺理由の解明をしようとする意志がない。理由は何か。
 この研究所にはナマケモノがいた。樹にぶら下がっているのはいいが、「ユーカリの葉のみを食っていて、……」と言っている。近くにユーカリの林まである。コアラと間違えている。当時(38年前)はそんな知識も一般的ではなかったのかな。
 それはともかく、研究所では、ナマケモノがなぜ現在まで生き延びたか、その力を利用できないか、という問題を研究していたのだ。これが核心となって話が展開していく。
 圧倒的な支持率の議員、その理由は……と言うような。
 押しつけがましい右翼と理想論の左翼のような論争もある。
 住民を従順にして都市計画などすべてを順調にやろうとした、そのモデルケースが中原市であった。それは民主主義を否定し、戦前のファッシズムに似る。外から見ていてそれが判った人は、当然反対するが………。

 中編に近い。現代社会(2014年)へ警鐘を鳴らすようなSF小説と思う。
 純文学ファンなら「これは小説ではない、意見である 」というかもしれない。
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2014年09月21日

囲碁の人ってどんなヒト?

囲碁の人ってどんなヒト?
  観戦記者の棋界漫遊記
内藤由起子   毎日コミュニケーションズ   2005.12
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 わたしは著者が名人戦観戦記者(朝日新聞)として登場したとき、女性の観戦記者とは珍しい、と思ったことを覚えている。
 書いている内容は、女性であることを感じさせない、骨太の文であった。
 この本はそれとは違う心配りのできた優しい文だ。
 デビューは1996年というから、もう18年になる。読者として、もうそんなに長いつきあいだったのだ。この本の発行から、まもなく9年だが存在を知らなかった。
 対局の舞台裏や有名棋士の素顔など、新聞記事では知ることができにくい話が多い。特に女性棋士の話は、女性記者ならでは。
 碁界のことをあまり知らない方にお勧め。つまり囲碁新聞も囲碁雑誌も読まない、わたしみたいなヒトだ。
 当然だがプロ棋士は碁を打って生活しているし、戦観戦記者はその記事を書くことを職業としている。趣味ではない。「ヒカルの碁」で碁界のことが一般の人に知られたが、その上級編。

 この本は著者の知り合いの女性から借りた。もう一般の書店では手に入らない。インターネットで購入できるらしい。
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2014年09月06日

なにを食べたらいいの?

安部 司   新潮社   2009.1
 あらかじめ断っておく。
 わたしはこの本の内容を全面的に信用しているわけではない。特に食品添加物には、2信8疑くらいだ。だが100パーセントの否定はしない。
 この本ではないが、某パンメーカーのパンが黴ない、とメーカーを攻撃している本もある。「かびないのは、衛生管理が行き届いているから」、がわたしの結論。家庭で焼いたパンが黴やすいのは台所が不衛生だから。
 黴ないより、まだ見えないわずかの黴の方が危険ということもある。だが大量の食品添加物は問題ないだろうか。
 そんなことを考える参考になればと思って、紹介する。

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 多発する食の偽装と避けて通れない添加物の話である。
 著者は食品添加物のプロである。
 食品添加物は1500種くらいあり、加工食品(コンビニ弁当のような)を食べていると、添加物を500種ほど食べているという。
 自分の娘の三回目の誕生日に、自分が開発した肉団子をおいしそうに食べていた。くず肉を添加物まみれにした肉団子である。それをみて翌日会社に辞表を提出したという。

 レモン100個分のビタミンCが入っている。

 防腐剤がたっぷり入っている。


 この2行はほとんど同じ意味なのだが、全くイメージが異なる。偽装と言ってもこのような話だ。複雑になると意味が判らない。
 安息香酸ナトリウム、これは保存料だが、ビタミンCと混じると、ベンゼンになる。猛毒であって、殺虫剤に使われる。
 こんなふうに1種類だけではプラスの面が大きい添加物も、500種類も摂っていると、どのようなマイナスがあるか知れたものではない。

 インスタントラーメンの袋を見ると添加物の一覧が載っている。なんと多いこと。
 しかも麺類なのに油が多い。100グラム中に22グラム、これを添加物のおかげで、子供が間食でおいしく食べているのだ。
 糖分も多量に摂っている。甘すぎて飲めないほど濃いのに「なんとか酸」を入れて清涼飲料水にする。
 もちろん前に書いた、グルタミン酸ナトリウム(味の素など)なども大量に使われている。
 こうして子供ばかりでなく、大人も味覚が麻痺していく。
 100キロの肉で160キロのハム・ソーセージができるのはなぜ。
 わたしがもう一つびっくりしたのが、タンパク加水分解物、これで安い醤油ができる。
 台所に行って醤油を見てみたら、原材料は大豆・小麦・食塩だけだった。添加物なしだ。

 1500もある添加物の名は覚えなくてもいい。だが常識外れには疑問を持つべき。
 一日たってもいたまない食品は…、自然の作物のはずが全部同じ形同じ色をしているのはなぜ…。

 そうなった原因は消費者にもある。
 安くする。簡単に作れる。便利になる。美しくなる。「オイシク」する。
 これらの要素を追求した結果なのだ。

 いま中国産食品の毒性が取り上げられることが多いが、日本のにんじんを見たある中国人の話。
「きれいすぎる。どれだけ農薬と化学肥料を使えばこんなに色も形も重さも揃うのだろうか。いくら日本産でも不気味だから要らない」(選別しているのが主な原因ではないか)
 また東南アジアの食品工場での話。日本向け食品は薬品まみれで手が荒れるのでいやがる。その添加物はコンクリートに穴を開ける(本当かなあ、一番疑問に思ったところ。もっとも、水もコンクリートに穴を開けるので、この添加物とは水?、まさか)。中国向けは塩だけなので安心だ。
 東南アジアでは、現地の人は日本向けの食品は気持悪がって食べないという(そんな例がたまたまあったのか、全食品なのか。初耳である)。
 皮肉な話だ。

 ではどうしたらいいのか。添加物をなくすことは不可能でも少なくすることはできる。少なくすると麻痺した味覚が回復してくると言う。

1 イメージで選んでもいい。不気味なのは買わない。
2 裏ラベルを見る。使用添加物の一覧がある。(一括表示もある)
3 台所にないものは添加物。
   意味の判らない名前など。
4 顔を知らない他人が作った物を疑う。
   今ではほとんどの食品が、顔を知らない他人が作っている。一流レストランでさえ、作っている人の顔は知らない。疑えと言われても…。
5 自分が作った場合と商品を比べてみる。
   きれいすぎるのは…。
6 言葉遊びに気をつける。
   合成着色料は使用していない。→合成でない着色料は使っている。
   ビタミンCがレモン100個分。→防腐剤たっぷり。
7 素朴な疑問を抱く。
   いたまないのはなぜ。
   形が整っているのはなぜ。(流通のコスト減、整形、模造品など)
 これでは抽象的で判りにくいが、とにかく少しづつ減らすようにしよう。

 添加物にもメリット・デメリットの両面がある。メリットをたくさん求めると、自動的にデメリットもたくさん受けることになる。
 実際問題として、仕事のこともあり(時間の問題など)、現代の生活では添加物をまったく摂らないということは難しい。無理せず自分のできる範囲で、摂らないように努力したい。

 著者は退職以来毎年150回ほど添加物の講演をしているという。持って行った添加物で、魔法のように飲料や調味料を作ってしまうと、みな不気味がるという。
 だから普通の人は常識はある。ただ子供の頃から買うばかりなので、食品に対する知識がないのが主な原因ではないのか。この教育が大切だ。

 最近では放射能問題も加わったので、さらに複雑になっている。
 川上村のレタスの話など聞くと、日本もまだまだ捨てた物ではないと思う。

 このような本は、自説を強調するあまり、極端な特殊な例を持ち出して、普遍的な問題のごとく言うことがある。
★日本全体で起こっているのか。
★一部でこういうことがあった。全体でも起こりえる可能性があるのか。
★一部だけの問題なのか。
★問題になり得る量なのか。参考 味の素は
 読むときは、この区別と問題の大きさも考えて読まねばならない。
 そのことを承知の上で、対処することが必要となる。味覚が麻痺していることは気づきにくいのだ。
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2014年08月02日

ゴルディアスの結び目

小松左京   角川書店   1977.6

 ゴルディアスの結び目とは、
 フリギアのゴルディアスの結んだ結び目を、誰も解(ほど)くことができなかった。
 数百年の後、遠征中のマケドニア王アレクサンドロスが訪れた。そして、結び目を解こうとしたが、解けなかったので、剣で両断してしまった。
 この故事によって、手に負えないような難問を誰も思いつかなかった大胆な方法で解決してしまうこと、の意味になった。
 これには異説がいろいろある。

 小説は夢枕獏のサイコダイバーのような話だ。
「憑きもの」の引き起こす超常現象は、題名のような「ときほぐせない問題」なのか。
 アフドゥーム(最後の審判のあと)病院には、ある少女が拘禁されていた。俗に言う超常能力の持ち主。
 この少女マリアを救うために伊藤浩司は呼ばれた。職業はサイコ・エクスプローラー。
 マリアの世界に入っていくと、マリアの力は悪魔を思わせるほどで、とても助け出すことはできない。
 いろいろ調べているうちに、マリアはとてつもない悲しみの過去を持っていたことが判った。マリアの悲しみは物理的に世界を変えてしまうほど。
 改めてマリアの世界に入っていくが、引き戻せない一線を越えてしまう。それならば逆にもっと深い世界に入っていくことにする。
 その結果、二人を閉じ込めたまま、その部屋が縮み始める。重さは約五十トン。直径二十五センチの球状。それはさらに小さくなっていく。将来はマイクロブラックホールになると思われる。

 その他の作品を含めて、日本SFの創生期らしい、著者の科学などの知識と想像力を総動員し圧縮したような中編集。
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2014年07月24日

ちょちょら

畠中 恵   新潮社   2011.3

 江戸は十一代将軍家斉公のころ、多々良木藩五万五千石は危機におちいった。
 自分をダメ人間と思っている間野新之助は江戸留守居役を拝命する。前の江戸留守居役だった兄の突然の自死。そして兄の許婚千穂とその父入江貞勝(江戸留守居役)の失踪。
 新之助はこの真相を知ろうとするが、その前に江戸留守居役の仕事を覚えねばならない。
 江戸留守居役といえば毎日のように高級料亭に行って、接待と称して贅沢三昧に金を使って、藩の財政を傾けているイメージがある。しかし、それには必然性があった。
 高級料亭に行って、諸藩の江戸留守居役と交流し接待の技を身につけ、幕府の重役にとりいる。つまり江戸にいる外交官のようなものだ。新人につとまるような役ではない。
 他藩の江戸留守居役にその技を教わりながらの日々。
 刃傷事件が起こり、それをいち早く当事者の藩に伝え貸しをつくる。
 ある日、幕府は印旛沼の工事をする予定との情報を得ることができた。この費用は命じられた藩が負担しなければならない。
 今でも借金が多く、新たな借金などできはしない。ここで五千両もの出費が必要になれば、藩がつぶれてしまう。この工事は十五万両もかかりそう。
 この情報が他藩に広まる前に、なんとかしてその賦役を免れたい。
 そのために数百両の出費が必要になる。早く言えばそれなりのところに賄賂をおくることになる。これが上役の家老には理解できないのだ。理解できたとしてもそんな大金を工面できない。
 困り果てた新之助が金以外のさまざまな手を使い偶然もあって、なんとか藩の存続が可能となる。
 新之助のこの奮闘ぶりが中心だが、情報収集の大切さや、恩や義理を作っておいていざというとき役に立てることができる新之助は、なかなかの能力の持ち主と思える。
 終わり方が不自然なので、続編が出ると思われる。
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2014年06月22日

流星ひとつ

沢木耕太郎   新潮社  2013.10

 藤圭子の一代記のノンフィクション小説(?)である。歌手を引退した頃のインタビュー形式による半生記が中心になっている。中心はもちろん歌手の時代だ。
 藤圭子と言えば、独特のムードを漂わした演歌歌手のイメージがある。それはガラガラ声(低いドスのきいた声、という人も)に特徴があったから。
 声をためて絞り出すような声と表現している。子供の頃から声がよく出なかった。無口と言われたのは、話すことに声を使ってはもったいなかったから。歌う声に残しておきたかったから。という。
 (1974年)声が出なくなり、苦しくてのどを手術した。そしたら声がきれいに素直に出てきた。
P177「……あたしの歌っていうのは喉に声が一度引っ掛かって、それからようやく出て行くとこに、ひとつのよさがあったと思うんだ。高音でも同じように引っ掛かりながら出て行った。ところがどこにも引っ掛からないで、スッと出て行っちゃう。……」
 その瞬間に藤圭子ではなくなってしまったと自覚した。
 歌は並の歌手には負けないと思っても、
P179「……でも、残念なことに、あたしは前の藤圭子をよく知っているんだ……」
 普通のインタビューでも心をこめてしゃべるのだが、同じ質問が出てくると、もう同じように心をこめてしゃべるのができなくなる、という話も新鮮だった。スターならあちこちで同じ質問をされることだろうに。
 子供時代からデビューまでの話も、引退後の話もすさまじい。
 離婚しても前川清を、人柄も歌もすばらしいとほめているのが、さわやか。歌は「…絶対に日本一だよ」

 わたしがいちばん気に入ったところ。
P159〜161 昭和48年に紅白に漏れたとき。マネージャーに
向こうが出さないっていうんだから、こっちも出るのをやめようよ。来年のNHKのスケジュールをとるのはやめよう、って。そうしたら蒼くなってそんなことはできないっていうわけ。でも、あたしは筋を通したかったんだ。……どうしてあなたたちには意地っていうものがないの、って
 紅白歌合戦に何の魅力も感じなかった藤圭子にも、落選になれば、それなりに筋を意地を通したいという意思かあった。
 営業マンとしては困ったであろう。しかし藤圭子は給料いくらで雇われている現場の作業員なのだ。通らないにしても、地位や金銭を無視して意地を通したいという希望が強かった。

 わたしは芸能界情報には全く疎いのだが、始めに芸能界情報のいい加減さ酷さを列挙している。わたしには驚くことばかり。
 1979年から既に三十年以上たっている。その間封印していたのは藤圭子の将来のためで、出版をあきらめていたという。
 たとえば父親のDVから盲目の母親を守るため、かなりのお金を使って離婚させている。という話もある。当時は大変な噂が飛び交ったらしい。
 さまざまな噂の中での、噂からかけ離れた、「水晶のような硬質で透明な精神」の像を知ることになる。

   …………………………………………

 後日談があり、既に離婚していた宇多田氏(宇多田ヒカルの父)がこの本のことで著者に訴訟を起こしたという。
 内容や時期に問題があるのかな。藤圭子自殺(?)の直後(約二ヶ月後)であり、まるでこの日を待って用意していたようなタイミングの発行である。また藤圭子を美化しているかも知れないが、フィクションではないだろう。だからこそ問題?。
 藤圭子が承知していたかどうかが最大の問題点なのだが、三十年以上も前の話なので、たとえそのとき承知したと言っても、今でも有効なのか。
 わたしは沢木耕太郎という名を初めて知ったといえるほど無知なので、事情を知らないのだが、詳しく知っている人は答えが出ているのかな。
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2014年06月12日

童子の輪舞曲

僕僕先生−童子の輪舞曲(ロンド)
仁木英之   新潮社   2013.4

 今までの流れからは外れた外伝風の短編集である。
 始めに今までの旅の地図やキャラクター紹介があるので、初めての人も楽しめよう。
 旅の途中であったことを書き漏らしたので…、といった感じの外伝風なので、おもしろいのだが、肩すかしを食ったような気がした。気軽に読めるし、本編の旅には何の関係もないので、読まなくても旅には影響ないだろう。
 それぞれの話で、登場人物の性格や内面を表に出すような場面が多い。
 第狸奴の生態など、本編では全く出てこない。
 最後の「福毛」の舞台は現代日本。元ニートだった康介の、妻が入院した。それが病気ではなく、異常に早い老化であった。
「…約束して欲しい。ボクがどうなっても、待っていて欲しいんだ」
 しかし、事情がわからない康介はじたばたしてしまう。
 そして逆に入院する羽目に、
「だめだなぁ」…「どうなっても、待っていて欲しいって言ったじゃないか」
 僕僕先生と王弁の将来を暗示(明示?)するようなエピソードだった。
 でもねえ、全く事情を知らない康介にそんなこと言っても……。ツンデレの極だ。
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2014年06月05日

唐玄宗紀

小前 亮   講談社   2013.2
     tougensouki.jpg

 玄宗皇帝といえば、楊貴妃を知る前は名君、楊貴妃を知ってからは暗君、のイメージがある。しかし傾国の美女といっても、女ひとりで国が滅びはしない。
 玄宗には宦官の高力士がいつもそばにいた。その高力士を語り手とした、玄宗の一代記である。
 則天武后の時代が終わり、中宗の4年目に玄宗と高力士がであう。
 中宗は暗君だったため、韋后が則天武后のまねをして、権力を手にした。しかし形だけまねても、あちこちに隙がある。
 そこで高力士が何度も李驫(後の玄宗)に決起を促す。李驫は気の優しい男で、ようやくクーデターを起こし、権力を手にする。
 このあたりどうも今までのイメージとは違う。
 そうして盛唐といわれた玄宗皇帝の御代となる。玄宗が君臨する間にも何度も権力者が現れては争い消えていく。
 あくまで政治的権力を持たなかった高力士の視点なので、有能な臣下たちを評価するのも、ずれを感じることがある。
 著者らしく知られていない人物も詳しい。
 気になったのは乱丁気味なこと。時々後に思ったことが顔を出す。
 たとえば、安禄山の反乱で、安禄山が長安に攻め入ろうとしているとき、息子に殺される。
「思い切った設定をしたものだ、後は影武者か。あるいは死を秘密にして、発表の時期を歴史に合わせるのか」
 と思っていたら、まもなく生きた姿で再登場、さっき死んだはずだのに……。
 このあたり、一応歴史を知っているから疑問に思ったが、知らない人は素通りしてしまうか。

 表紙の絵は玄宗と楊貴妃だ。楊貴妃は太っていたことで有名だか、実際はどうだろう。見たときは違和感があった。文中では太っていたことに関する記述はない。
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2014年05月29日

人類が絶滅する6のシナリオ

人類が絶滅する6のシナリオ
   もはや空想ではない終焉の科学
フレッド・グテル   河出書房新社   2013.9

 人類の成功や繁栄によって、どうなっているか。その成功や繁栄を覆す可能性のある事柄を6題取り上げて、詳しく解説している。なにより重要なのは実際に起こりえるということだ。決してとんでも本ではない。
 目次を見るとある程度推察できるが、そこに書かれた内容はわたしの予想を遙かに上回り、しかも極論とは思えず、その可能性がかなり高いことを冷静に考察している。

第1章 世界を滅ぼすスーパーウイルス
 エボラウイルスや鳥インフルエンザなど記憶に新しいが、新しい致死性のウイルスがいつ発生してもおかしくない。そして、それのワクチンを作るまで長い時間がかかる。それまでに被害は広まってしまう。

第2章 繰り返される大量絶滅
 地球の生命体では既に四回または五回の大量絶滅があった。流星の突入、火山の爆発などによる気候の大変動。今は次の大変動の入り口にいるかも知れないのだ。

第3章 突然起こり得る気候変動
 いま北極海の氷がなくなることが言われているが、これは温暖化を加速し、同じようにグリーンランドの氷も解けだしている。そしてグリーンランドの氷が解けると海面が6〜7メートル上昇する。その頃には南極の氷も解ける可能性がある。そうなると、海面が80メートル高くなる。当然あちこちに影響を及ぼす。

第4章 生態系の危うい均衡
 よく言われるが、健全に動いている飛行機・船・機械など、ねじ一本欠けても何ともない。二本欠けても何ともない。そうして抜いているうちに、あるとき一本を抜くと全体が崩壊する。使用不能になる。
 いま絶滅危惧種と言われる生物がいる。生態系の均衡が崩れそうだ。今はそれですんでいるが、ある種が滅ぶのが最後の一本のねじを抜いたことになり、気がついたときは、世界が滅んでいることになる。

第5章 迫りくるバイオテロリズム
 ゲノム解析が進んでいる。当然致死性の細菌やウィルスの解析も進んでいる。その中のどのゲノムが致死性なのか。この情報が一般化されれば、普通のウイルスを致死性のウィルスに変えることは易しいのだ。テロリストの手に渡ることもあるし、一般人が知らずに撒くこともあるだろう。今では普通のウイルスが、簡単に手に入るのだ。

第6章 暴走するコンピューター
 多くが自動化し、いつか暴走する可能性は高い。大停電などこれに近い。
 特にこの章に多くのページを費やして、細かに実際の事故の様子などを解説している。 今でも情報問題で揺れているが、マルウェアのソフトがあるとき暴発する危険性がある。 これで人類が自滅する可能性も高いのだ。
「スタックスネット」というマルウェアがあった。闇雲に感染するのではなく、目標を持って感染していく。感染していく足跡は自動的に消してしまう。そうしていつか、ネットにつながっていないコンピユータに感染して破壊する。実際にイランの遠心分離機を破壊した。

   …………………………………………

 わたしなら「第2章 繰り返される大量絶滅」は除く。数千万年単位のできことであり、まもなくといっても可能性は低いからだ。
 そして新たに核暴走を加えたい。核兵器の開発がその始まりである。まだ一世紀もたっていないのに、核暴走の害はかなりの大きさである。中国の軍事膨張路線も核暴走の可能性を高めている。すでに中国はチキンレースを始めていると思われる。
 あくまで可能性の問題であり、そのことを人類が自覚して対処していけば、防げるかも知れない。
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2014年05月24日

異体字の世界

異体字の世界  旧字・俗字・略字の漢字百科
小池和夫   河出書房新社   2007.7

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 日本人が普通に読み書きする漢字は約二千字。多くても五千字で、それ以上となると、使いようがないだろう。同じ漢字は一字とする。
 ここで「同じ」とは何だろうか。明朝体・行書体・楷書体・草書体などは、書体が異なるが同じ字である。
 沢と澤はどうか。字体が異なるが同じ字、つまり異体字である。
 では花と華はどうか、いちおう異体字であるが、日本では別な字種と考える。
 実際に使われている漢字はどのくらいあるだろうか。なぜ異体字ができるのか。そんな事情を解説している。
 
 現在わたし(謫仙)は、仕事の上で異体字に悩まされている。「高」と「」、「崎」と「ア」、「辺」「邊」「邉」の差などかわいいもの。
辶の点を一つにせよ、「辺」の点を二つにせよ、旁を「刀」ではなく「力」にせよ、土の右上に点をつけよ、などという注文があるのだ。
「者」「者」、の差など一目見ただけでは区別できない。MSゴシックの小さい字では細かい部分はつぶれてしまう。インターネットでは表現できない字も多い。

 正字俗字という区別もある。よく略字(新体字)をやめて正字(旧字)を使え(仮名遣いも旧に)という人がいるが、旧字体にも異体字は多く、新字体(略字)が正字だということも多い。戦後のどさくさで略字にされたようにいう人がいるが、略字化には五十年以上の流れがあった。
 たとえば「恐れ入谷の鬼子母神」の鬼の字は角がない。角のある活字が使われるようになるまでは普通であった。こうなるとどちらが俗字か。旧字といえども明治の時代に定まった新しい字体が多い。
 字体表も教育と工業では考え方が違う。そして戸籍の漢字を認めていく。多くは間違って書いてしまったとか、これが正字だと勘違いした、新しく作ったなどだ。文字数は無限に増えていく(正しくは、増えるのは少なく、多くは知られていなかった字が表に出る)。
 異体字は少ない方が望ましいし、その努力もあったが、その流れを一気に覆すことが起きた。パソコンやケータイの普及である。増えた異体字を吸収してしまった。
 パソコンも字体が変わっていく。winビスタで、従前とはかなり変更されている。わたしは気づかなかったが、いわれてみると変わっていた。
 葛飾区の「葛」も問題だが、「飾」のヘンも新旧のパソコンでは違っている(いまwinXPとwin7 両方のパソコンで葛飾区のHPを見てみると違った字で表現される)。

 正字と言われるものの多くは康煕字典の字体だが、ではもっと古い時代はとなると別な字を使っていたことが多い。どちらを正字とするか。
 たとえば「青」は下が円を(康煕字典で使われた)正字という人がいるが、唐の時代は今の「青」と同じだった。
 囲碁界には張栩九段というトップ棋士がいる。「チョウ・ウ」といわれるが、わたしのATOKでは「栩」は「ク」という音読みだけがある。この栩の字が訓読みでは「とち」だという。
 先日のASKAの事件でこの「栩」の字が出てきた。「とち」と仮名が振ってあり、なるほどと膝を叩いた次第である。

 異体字とは、正字・俗字・古字・別体・偽字・略字などの総称。常用漢字はどのように決まり、人名漢字などで混乱しているのは何が原因か。奥深く驚きに満ちた本である。
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2014年05月13日

「がんもどき」で早死にする人、「本物のがん」で長生きする人

「がんもどき」で早死にする人、「本物のがん」で長生きする人
近藤 誠   幻冬舎   2013.11

 薬はすべて毒である。これがわたしの基本的な考え方である。本来毒であるものを薄めて、人が利用したのが薬である。
 そうはいっても、進歩した現代医学では、「すべて」は取り消して「ほとんど」にせねばならないかも知れない。
 薬はそのマイナス面(副作用など)を承知の上で使うことになる。
 マイナス面をできるだけ押さえる。だから症状によって使い分けるのだ。

 事前に言っておく。
 この本の内容を信頼している訳ではない。半信半疑というより一信九疑くらい。
 疑問の余地はいろいろあるが、考えるきっかけになる本である。

 この本では「がん」を転移する「本物のがん」と、転移しない「がんもどき」に分けて説明している。
「がんもどき」は放っておいてよい。「本物のがん」は既に移転しているので、手術しても無駄、と。
 ちょっと常識に反する。いわゆる早期がんを移転する前に切り取ってしまえば、とわたしは知らされていた。だが人に見つけられたがんは既に晩期、体の百万もの個所に移転しているという。
 がん細胞ができてから見つかる大きさになるまで、20年とか30年とかかかるので頷けよう。

 そもそも「がん」とは何だろう。著者はいう。
  体の命令を無視して勝手に増殖する細胞。
 だから「がん」そのものは痛くはない。それが増殖して、臓器を圧迫するようになると痛くなる。
 傷の回復のために増殖する細胞は正常。しかし傷口にはがんが多発しやすい。
 iPS細胞を作るとがんが発生する、とか。原理は同じである。

 「がん」は苦しみ抜いてやせ衰えて死んでいくイメージがあるが、その苦しいのは手術の傷や治療のせい。何もしなければ、少しも苦しむことなく普通の生活を送ることができる。
 手術で助かったといわれるのは、実は「がん」ではなく「がんもどき」であり、手術をしなくても問題のないものばかり。
「がん」は手術では収まらず、本人は手術で苦しむばかり。しかも手術の傷はがんがもっとも移転しやすいところ。だから手術は受けるな、治療薬は効かず害ばかり。治療や手術は医者や製薬会社のもうけのため。

 極論過ぎると思うところもあるが、大筋は頷ける。
 もちろん反論があるだろう。あるどころかほとんどが反論であろう。
 わたしは、著者が毎年のように本を出していて、本業は著述業かと思えるのが気がかり。
 出版社が幻冬舎であることも少し心配。

 トカゲのしっぼ切りということがある。トカゲのしっぽは再生する。再生とがんは同じようなもの。再生はがんが多発することを意味する。寿命の長い生物は、がんの発生を抑えるために再生能力を捨てた。

 この本の内容を信頼している訳ではない。半信半疑というより一信九疑くらい。
 疑問の余地はいろいろあるが、考えるきっかけになる本である。
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2014年05月01日

聡明な女は料理がうまい

桐島洋子   アノニマ・スタジオ   2012.9

 1976年、著者が40歳になろうとしていたとき、この本は出版された。
 わたしは当時、著者を知らず、料理本にも興味はなかったので、読まずに今日まで来た。
 今読んでも内容は決して古くない。
 著者がアメリカに渡り、アメリカの主婦に料理を教えるアルバイトをした。アメリカのような野蛮な国だから通用すると思っていた。日本に帰ってきたら、日本の方がもっとひどい。それがこの本を書く動機であった。
 読んでみると、料理ばかりでなく人生論でもあった。たとえば、

 自分が独立したのは狭いながら(4畳半についている)自分の台所を持ったとき。
 料理も言葉と同じで恋人を持つとうまくなる。
 台所用品は結婚する前から慣れておけ。
 もらい物の要らない食器で台所を満たすな。

 いちいち頷くことばかり。
 さすがに電子レンジは否定的だが、いまの進歩した電子レンジなら、うまい使い方を考えそうだ。
 作るばかりでなく、それ以上に食べることに積極的。世界中の料理を食べている。この好奇心があってこそ、料理もうまくなり、このような本も書けるのだろう。
 幸せはおいしい物を食べてこそという考え方に納得。料理のレシピより料理に対する姿勢に共感する。
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2014年04月26日

長江落日賦

田中芳樹   徳間書店   1992.5

 中・短編集である。
黒竜の城
天山の舞姫
長安妖月記
白日、斜めなり
長江落日賦

 長江落日賦
 時代は南北朝の梁の武帝(在位502〜 549)の時である。
 奔流 では武帝の全盛時代を中心に書いているが、ここでは末期の混乱の時代を書いている。
 一族を殺され魏から梁に亡命した侯景が、反乱を起こす。
 宝剣を託された子鵬が侯景を倒すが、すでに梁の命運はつきていたといえよう。
 登場人物も知らない人ばかりで、背景がつかみにくいが、詳しく説明している。

 その他の短編はファンタジーだ。
 不老不死の妖女・超常の力を持つフェルガナの舞姫・老境にあって人格が一変した李世民・魏から蜀に亡命した夏侯覇など

 田中芳樹は、表はこうでも実は……、といった話が多い。
 たとえば、名軍師諸葛孔明は、実は軍事的には無能だった、とか。赤壁の戦いで、敗北したとされる魏は戦死した将は一人もいないとか。
 または、今まで日本では知られていない人物とか。
 そんな田中芳樹を象徴するような本だった。
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2014年04月19日

つくもがみ、遊ぼうよ

畠中 恵   角川書店   2013.3

 前に つくもがみ貸します を紹介したが、これはその続編である。
 お紅と清次は夫婦となって深川に古道具屋兼損料屋「出雲屋」を構えている。そのこどもの十夜(11歳)と十夜のおさななじみの市助(11歳)とこゆり(8歳)、この三人が中心となったこどもの世代の物語。
 親たちとは異なり、子供たちはつくもがみ(付喪神)と自由に話をし、一緒に遊んでいる。三人は双六のつくもがみ「そう六」と双六の勝負をする。コマを進めるたびに新しい勝負が待っている。
 それに絡んでけっこう大事件が起こる。子供たちで解決できるはずもないが、一所懸命なのがほほえましい。取り囲む大人たちも、こどもたちの成長を促すような手助けをする。

 前作からいきなり15年以上たってしまった。序に捨て子をする老婆と拾う女の話がある。この話も大事件に絡んでくる。お紅と清次はふたりの子を亡くし、十夜は三人目のようだが、実はその子を育てたのだった。江戸の時代はそれもよくあったことらしい。
郷愁をおぼえる。
 ところで双六ってなんだか判る人は、やったことのある人は何歳くらいまでだろう。
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2014年04月05日

謎解きはディナーのあとで3

東川篤哉   小学館   2012.12

 この本が出てから一年以上たつ。ようやくある本屋で見つけた。
 いつものごとく、生意気執事と、お嬢様刑事宝生麗子の漫才がおもしろい。
 麗子が上司の風祭警部とのかみ合わない会話に悩むのも同じく。それでいながら、風祭警部を嫌っている訳でもなさそう。苦手で好いてはいませんが。
 謎はいつものごとくわたしには解けない。車のやねに桜の花びらが…、これは問題だ何かある。と思う程度。
 あるいは、凶器の木刀には被害者の指紋ばかり、これだけで犯人が絞られるのだが、気がつかなかった。
 生意気執事と読者(つまり我)は得ている情報は同じはずなんだが解けない。だが会話のおもしろさに引き込まれてしまう。
 謎の方の主食はいくらでも書く人はいても、このおかずのおもしろい会話は独特で、他の本では読んだことがない。まあミステリーはあまり読まないが。
 最後に風祭警部が本庁に栄転。このシリーズはこれで終わりになるらしい。
 ただし、復活の可能性のある書き方である。
 寂しさを感じたのか、麗子が生意気執事に、
「ねえ、影山は急にどこかにいっちゃったりしないわよね……」
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2014年03月30日

やなりいなり

畠中 恵   新潮社   2011.7
 しゃばけシリーズの10巻目。表題作ほか4編の短編集。
 今回は各編にその中で中心となる料理というか菓子のレシピつき。おいしそうだ。妖(あやかし)もあまた登場する。問題はそれが十分に生きていないように思えること。主題ではなく狂言回し程度の扱いになってしまっている。
 おもしろいとは思うものの印象が薄い。わたしなど一巻目から全部読んでいるので、この長崎屋の様子を飲み込んでしまっている。そのためか妖が登場してもほとんど活躍しないのが物足りない。何のために登場したのか。
 この巻をいきなり読んだ人は、おもしろいと思うかな。

 本来、人の世界に妖が入り込んで、ひっそりと(静かではないが)生活していた。そのためにストーリーが思いがけない展開をしていた。それがこの巻では、妖が多く表に出て、思いがけなさが薄れた。妖がいなくても人の世界のストーリーは変わらないのではないかと思える。だから、妖(あやかし)を出した意味が薄れてしまうのだ。
posted by たくせん(謫仙) at 14:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月02日

黄石斎真報

秋梨惟喬   講談社   2013.11

 中華民国が建国されたが、まだ権力機構が整っていないころ、江南の田舎町「仙陽」に流れてきた林崇徳(そうとく)は、黄石斎という出版を兼ねた印刷の組織に記者として入った。そこであったいくつかの不思議な事件を記事にしようとして、捜査にも協力する。
 推理小説であるが、ご都合主義で切れが悪い。その原因は、その犯罪の一部を探偵役が行い、探偵役が真実を隠してさらに複雑にして、崇徳を利用しているからだ。この崇徳の利用のされぶりがおもしろいのだが、何となく後味が悪い。探偵役が犯人の一部なので仕方ないかな。
 厳密には推理小説とはいえないかもしれない。
 その出版社は建前で、ほとんど収入がない。裏社会に生き、事件を解決するふりをして、お宝をかすめ取っていく知能犯ぞろい。主人公の崇徳は裏のことを十分に知らないため、利用されてばかり。

 清末に実在した点石斎画報という新聞の中の怪事件を下敷きにしている。一般的にはお勧めとは言いがたいのだが、わたしはおもしろいと思う。
posted by たくせん(謫仙) at 15:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月15日

竹取物語

 竹取物語
星新一 訳   角川書店   昭和62年
 いま星新一を読み返している。
 いちおう全部読んだつもりだが、ほとんどは覚えていない。
 もっとも「竹取物語」は読んでいなかった。
 竹取物語はもちろんご存知のかぐや姫の物語だ。それを現代語に翻訳。考えてみると、この話の途中はほとんど覚えていない。五人の貴族に無理難題を押しつけた、その内容や結末などだ。
 話は直列に進むが、それは作者が判りやすくしたためで、実際は並列であろう。
 そんな話を、星新一が作家としての感想を交えながら展開する。けっこうおもしろかった。
 昔、SFが世に出たころ、出版社は星新一のSS(ショートショート)しか知らず、長編作家にもSSを依頼した。売れ出してからは長編作家に戻ったが、星新一だけは最後までSS作家を貫いた。
 さて、かぐや姫は美しいのか。これはけっこう疑問だ。その描写は出てこない。
 それにしても、貴族たちが三年も都からいなくなってしまう。それの不思議さ。よく辛抱したもの(^。^)。それだけの能力があるなら、顔も見ていないかぐや姫に夢中になる愚かさも覚りそうなもの。
 びっくりしたのはかぐや姫が着る羽衣の効能。羽衣を着ると、今までのことを全て忘れてしまう。ええっ、そうだったのかとあっけにとられた。
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2013年12月29日

中国雑話 中国的思想

酒見賢一   文藝春秋   2007.10

 歴史上の人物や出来事を冷静に評価している。
 例えば、三国志の人物では、曹操は軽薄、孫権は陰湿、劉備は「この腰の座らなさと無定見には史書も呆れたに違いなく…。」
 と言うように三国志演義の虚飾を取り払って評価する。特に日本人には理解しにくい、仙人・関羽・孫子・易的世界・中国拳法などは、引き込まれる。

 わたしが去年武当山に旅したとき、教わった武当山武術は、まず、軽く足を広げわずかに膝を曲げて、腕は大きな風船を抱くように丸みを持ちながら前に出し、両掌が向きあうような形で、肩を落とす。手も力を抜く。これをそのままにして二十分以上。わたしは意味が判らず、とにかく体験入門のつもりでやっていた。この本ではこれが最も優れた修行方法だという。ようやく意味が判った。
 太極拳のあのゆっくりした動きは、高齢者に教えるために考え出されたのだが、正確にできるようになると、速い動きの武術としてもかなりのものになるという。

 孫子の兵法の神髄は戦わないこと。それは当時の戦争のやり方にある。欧州もそうだが、戦争は外交問題を解決するルールのある戦いなのだ。周辺の国は審判役になる。そんな時代に戦争をどう考えるかが、孫子の兵法なのだ。戦いになっては莫大な費用がかかり、勝っても得にならない。負けると大損。だから戦わずに勝つ方法を考えた。実際に戦うのは最後の手段なのだ。
 そんなとき、秦やモンゴルのような、ルールの違う戦争文化をもつ相手に大苦戦することになる。負けると国どころか民族が滅びるのだ。

 このように日本人では気づきにくい、中国人の考え方の解説書だ。
posted by たくせん(謫仙) at 11:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする