2017年11月22日

鎌倉補遺

鶴岡八幡宮
 1191年に現在の姿となった。鎌倉の心の中心である。
 実朝殺害の象徴であった大銀杏は今はない。

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  歌あはれ その人あはれ 実朝忌   裸馬

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 現在の社殿は1828年の造営。

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 鎌倉国宝館
 ほとんど人影がない。

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稲村ヶ崎

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 稲村ヶ崎は新田義貞の故事で知られたところ。
 
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 源氏山の山道を下りてきた。

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 途中に太田道灌の墓(首塚)があった。英勝寺の管轄。

 さらに下ると寿福寺の前に出た。

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 ひっそりとして参拝者はいない。

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 門から参道を見る。突き当たりが寿福寺。

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 鎌倉駅の裏側から始まる商店街、お成通り。一駅分歩いた。

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浄妙寺 由緒のある寺らしいのだが。

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 あちこちの寺で芙蓉が咲いていた。写真では陰影が潰れやすい。

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 腰越漁港、江の島はすぐ近く。

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 江ノ島電鉄の腰越駅前。

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 片瀬漁港 海の詩像
 目の前は江の島
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2017年11月18日

瑞泉寺

錦屏山瑞泉寺(きんぺいざんずいせんじ)

 永福寺跡をみて、瑞泉寺へ。開山は夢窓国師と伝わる。
 花の寺として有名らしい。

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 永福寺跡から少し歩くとこの道に出る。突き当たりが瑞泉寺の前門である。
 紅葉ヶ谷(もみじがやつ)と呼ばれる谷戸(やと)にある。

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 ここで拝観受付。
 正面が登り口になる。
 この寺は見たことがあるはずだが、全く思い出せない。

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 ここから登り始める。

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 ピントが合わず判りにくいが、左が古い参道、右が新しい参道。

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 山門 かなり高みにある。

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 門前に「吉田松陰留跡碑」がある。
 吉田松陰はここに住んだことがあるのか。

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 植え込みなど、どこか纏まりがない。

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 周りが整っていると、侘び住まい、と言う言葉を思い出す。

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 本堂の裏手。

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この左が、この寺象徴の岩庭。

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 岩庭 鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園

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 岩庭 水はかなり汚れているように見えた。

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 この岩庭は夢窓国師の作として、国の名勝に指定されている。昭和45年に発掘復元した。
 これがわたしの記憶に合致しない。
 記憶では、花など全くなく、水も苔もなく、まるで月の世界を思わせるような、厳しいイメージであった。夢窓国師の作ということは覚えている。
 今では見る影もない。花もしろうとが適当に植えたようで、庭園のイメージではない。
 おそらく時間の経過で、記憶が変わってしまったのだろう。自分に興味の無い部分は忘れてしまい、印象深かったところだけを覚えているのだと思う。

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 このように所狭しと花木が植えられている。
 普通にある本堂の前の広大な空き地がこの寺にはない。寺というより庵のイメージがする。適度に市街地から離れ、修行するのにふさわしいのではないか。

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 この寺の住職は歌人という。
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2017年11月14日

明月院

福源山明月院(ふくげんざんめいげついん)

 紫陽花で知られた明月院である。
 1160年に前身の明月庵が創建されたと伝わる。史実は明らかでないが、1380年に禅興寺が創建され、その塔頭となるのでその前である。そのとき名前も明月院と改めた。
 山内上杉家の祖、関東管領・上杉憲方(1335−1394)は密室守厳を開山として、明月院を創建した。
 本体の禅興寺は明治初年頃に廃絶し、明月院のみが残っている。

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 入り口から入ると、この橋を通って参道にいく。脇に総門がる。

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 紫陽花の木が多く、花の時期の見事さが想像できる。
 突き当たりは山門である。

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 小さな山門を通る。

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 悟りの窓
 方丈の裏手が、丸窓に見える。裏の庭園は菖蒲の時季など、特定の時季しか見ることはできない。

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 方丈の前は枯山水の庭園になっている。なぜかマッチしない。
 紫陽花の時、菖蒲の時など、この寺の時季は、梅雨時とはいわないまでも、水の豊富な時季であることが心の中にあり、ここだけ枯山水に違和感を感じてしまう。
 枯山水は、水が無い所で水を表現する様式と考えているので、水の豊富な所だと無理しているような感じなのだ。

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 明月院やぐら
 かなり大きい。上杉慶方の墓と言われる宝篋印塔が祀られている。

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 開山堂(守厳堂)
 開山の密室守厳像が祀られている。
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2017年11月10日

報国寺

功臣山報国寺(こうしんざんほうこくじ)

 臨済宗建長寺派の寺院。境内に竹林があり、「竹の寺」ともいわれている。
 竹林があまりに有名だが、小庭園も劣るものではない。

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 報国寺への道は気持ちのいい歩道がついている。まもなく右に曲がり細い道を山門に至る。

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 山門は質素で趣がある。山門前から庭園が始まる。

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 山門を入ると庭園の中を歩く。見過ごしがちだが、この枯山水の庭もいい。

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 右側の石段は帰り道にした。

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 この階段を上がると、本堂前に出る。

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 本堂で合掌し、本堂裏の竹の庭へ行く。

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 ミニ庭園

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 わずかに石段を登る。

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 孟宗竹の竹林が広がる。
 この日はどういうわけか着物姿が多かった。駅近くで着物を貸し出ししているので、そこで着替えて来たのか。

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 ここで茶を頂く。茶の申し込みは庭園入り口で。

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 竹林を一周すると、右手奥に狭いながら普通の庭園がある。

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「やぐら」といわれる横穴がある。やぐらの多くは墓である。報国寺の開基である足利家時や永享の乱で自刃した足利義久のものだと考えられている。やぐらの中には多数の五輪塔が置かれている。ここは立ち入り禁止。

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 山茱萸と黄色の彼岸花かな(?)。小さいながら美しい庭園である。

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 着物姿のふたりはいつも同時に自撮り棒を構えていた。

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 帰りはこの石段を下った。
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2017年11月07日

永福寺跡

浄土庭園の永福寺跡(ようふくじあと)

 永福寺は鎌倉時代初期、源頼朝が中尊寺の二階大堂、大長寿院を模して建立した寺院で、鶴岡八幡宮、勝長寿院とならんで当時の鎌倉の三大寺社の一つであった。二階建てであった事から二階堂ともいわれた。
 源義経や藤原泰衡をはじめ、奥州合戦の戦没者の慰霊の為に建てられた寺で、建久3年(1192年)に本堂が完成した。応永12年(1405年)の火災ののち廃絶した。

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 南に(左)阿弥陀堂、中央に二階大堂、北に薬師堂。回廊で結ばれ、南北に翼廊があり、先端は釣殿となっている。
 浄土庭園である。中央が狭くなったひょうたん型の池があり、池の中央の狭い部分には橋がある。庭石があっても樹木はない。
 2017年6月つまり今年、整備が完了し公開された。
   http://www.bukenokoto-kamakura.com/yofuku-ji/cg.html にCGにより復元された永福寺の姿がある。

 十円銅貨の図である宇治の平等院も浄土庭園である。両翼のある鳳凰堂の前に池、そして前庭には樹木はない。
  http://www.byodoin.or.jp/ja/guide.html 平等院

 他には平泉の毛越寺(もうつうじ)も浄土庭園だった。

 鎌倉宮から少し歩く。

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 この道を行くと、「永福寺跡へ近道」の表示がある。

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 この道を通る。

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 狭くなってきた。右はテニスコート。この一部も永福寺の池の一部であると思われるが、調査は済んでいない。
 近道といってもほとんど変わらない。

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 敷地であり、建物の跡は基壇を設けて判りやすくしている。
 右手が池である。

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 水草が繁茂しているが、浄土庭園の特徴である池がある。

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 近道をせずに来るとこの先に出る。むしろそちらの方が近いか。地図では遠そうだが。
 この右がテニスコートで、池はそこまで広がっていたかもしれない。(未調査)

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 中央の二階堂の跡である。この名から地域名も二階堂となった。

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 ここが池のくびれているところで橋があった。

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 堂と池の間には樹木はない。

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 壇の隙間の向こうが北の釣殿の跡である。

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 ここから池に水が流れ込む。昔は遙かに水量が多かったという。

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 西北の高みから。

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 池の反対側から。堂は南北に連なり、東に池がある。東から西に向かって遙拝することになる。

 浄土庭園は、いわゆる日本庭園とは異なり、独特の雰囲気や表情をもつ。枯山水とも異なる。余計な飾りはないようでいながら、かなり手をかけている。
 浄土式庭園は、極楽浄土(西方)の阿弥陀が中心となるのが普通。ここでは南の堂が阿弥陀堂である。
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2017年11月04日

佐助稲荷神社

佐助稲荷

 源頼朝が挙兵の際に、翁姿に身を変じた神霊が夢枕に立ち、平家討伐をすすめたと言われる。佐助とは頼朝のこと。この故事から出世稲荷とも。

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 大仏の見学後、佐助稲荷へ向かう。

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 大仏トンネル脇の階段を上る。この上もしばらく急な階段を上るので、途中で立ち止まってしまう。
 ここから大仏ハイキングコースに入る。

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 上に上がれば、こんな穏やかな道だ。

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 佐助稲荷への分岐からまもなく、この下りになる。かなりの急坂である。

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 わずかな距離とはいえ、滑りやすく登山道の鎖場のようだ。手すりにつかまって三点確保でゆっくり下る。

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 佐助稲荷の本殿の前に出る。鳥居から中には入れない。

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 たくさんの狐と絵馬が並んでいた。

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 ここからは石段の道だ。下の建物は拝殿である。

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 グルーブの参拝者に出会う。

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 霊狐泉
 一瞬、令狐冲と読んでしまった。(^_^)

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 さらに参道を下る。

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 下社の前にこの表示がある。

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 下社
失礼ながら、わざわざ見に行くほどのところでない。その近所に行ったら立ち寄りたい。
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2017年11月01日

鎌倉大仏

大異山高徳院清浄泉寺(だいいざんこうとくいんしょうじょうせんじ)

 大仏の製作は、1252年に始まったという。何年かかったか。
 当初は大仏殿があった。大風と地震と津波で何度か倒壊している。1486年には露座であったことが判っている。というように、初期のいきさつはかなり曖昧である。
 関東大震災で基壇が1メートルも沈下した。近年基壇を免震構造にして、大仏も補強している。

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 こうして観光客が多い。

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 仁王門には大異山とある。地図には高徳院、清浄泉寺の名は知らなかった。 

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 仁王像、向かって左側。

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 阿弥陀如来座像(国宝)

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 像高約11.39メートル(台座を含め高さ13.35メートル)

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 横から見ると、頭部がかなり前に出て、少し下に向いている事が判る。
 また、数本の横線が見える。重ねていったのか。

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 大仏の前方。

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 胎内に入ることができる。そのための窓か。わたしは胎内には入らなかった。

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 観月堂
 大仏の後ろの塀の外側にある。この堂は2012年に寄贈され移築された。

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 与謝野晶子歌碑
歌碑も大仏の後ろの塀の外側にある。ほとんど人がいない。あれほどの人数が大仏を見ているのに。

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 与謝野晶子歌碑は見にくいので、その説明。

 かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな

 なお、「釈迦牟尼」とあるが、上にも書いたように鎌倉大仏は「阿弥陀如来」である。阿弥陀は「量りしれない寿命を持つ」の意味で、西方極楽浄土に住む。ついでにいうと、東方は浄瑠璃浄土(浄瑠璃世界)で、薬師如来が住む。
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2017年10月29日

覚園寺

鷲峰山覚園寺(じゅぶせんかくおんじ)

 天園ハイキングコースに続いて覚園寺にいく。この寺は古都鎌倉の面影をよく残しているといわれる。

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 案内人に案内されて、丁寧な説明を受けた。写真は禁止なので、いわゆる観光客は少ない。
 1830年に火災で伽藍を失い、関東大震災でも被害を受け、一時は荒れたという。1950年以後に復興した。
 ここも谷戸(やと)に沿って、堂宇が並ぶ。

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 この門から境内に入るが、左の方に自動車でも入れる道がある。

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 愛染堂
 この前で、案内の時間まで待つことになる。見学時間は50分程度。

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 こうして待っている参拝希望者。
 待っている間に前回のグループが出てきた。十人ほど。わたしの回も十数人だった。
 この寺は昔は4宗の修行場だったが、政策により明治以後は真言宗となる。
 薬師三尊像は見栄えがある。十二神将像、阿弥陀如来坐像など。また黒地蔵が知られているが、現在は地蔵堂が修理中で、鎌倉国宝館にある。それは後日に見てきた。
 照明は暗くほとんど自然光の中で見るので、悪天候の時は拝観中止になる。わたしの回は三時の最終回だった。
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2017年10月28日

天園ハイキングコース

天園ハイキングコース

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 建長寺の半僧坊から天園ハイキングコースは始まる。

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 建長寺で紹介した、海抜145メートルの勝上献展望台から。
 ハイキングコースはあまり展望はない。すぐそばに民家の屋根が見えたりする。鎌倉を守る城壁の上を歩いているようなものだ。

 ほとんど写真を撮っていない。ちょっとした高みを巻いてしまったのか、案内ではあるはずのものを見落としてしまったようだ。
 前に通ったとき、十王岩あたりで、鶴岡八幡宮を見下ろした記憶があるのだが、樹が茂ったせいか見えなかった。町並みがわずかに見えただけ。

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 十王岩を過ぎると地図にない道がある。戻っていくようだ。

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 通る人に訊いて確認する。指道標の一番上の字は左だが、なんか右のようにも見える。

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 もし雨が降ったら逃げ込めそうな所。

 途中の分岐から覚園寺の方へ向かう。分岐ははっきりしているので迷うことはない。

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 途中で紅葉の落ち葉を見つけた。

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 上を見ると少し赤みがある。

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 このハイキングコースの終点である。
 なお、分岐から大平山を目指すと最高点のあたりに達する。そこはゴルフ場である。その先は瑞泉寺に通じるが、通ったことはない。
 わたしが前にこのあたり(建長寺裏)を二度歩いたときは、道とはいえないような尾根道を歩いた記憶もある。住宅地に下りたかな。一度は別な道から登った。山の中を通ったのかもしれない。下草がなかったので通れた。小さな石像があって、道らしきものはあった。30年以上経つので詳しい記憶が無い。もちろんメインのコースは変わらないだろう。
posted by たくせん(謫仙) at 16:14| Comment(2) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月25日

長谷寺(鎌倉)

海光山慈照院長谷寺(かいこうざんじしょういんはせでら)

 創建は鎌倉時代より古く、奈良時代といわれる。しかし、梵鐘など鎌倉時代の銘が多い。
 太平洋戦争終戦直後に、浄土宗から独立し単立となった。
 鎌倉の地は狭く、先に紹介した建長寺や円覚寺などは、谷戸(やと)といわれる、小さな谷に建立されている。そのため、門から奥まで、谷に沿って曲がっている。平地の寺院が幾何学的に配置されているのとは異なる。
 長谷寺は、門を入ると下境内で、庭園などがある。主要な堂宇は観音山の中腹の上境内にある。
 その堂宇は関東大震災で倒壊し、その後に再建された。だからどの堂も見るからに新しい。

2017.10.22.1.jpg  案内図

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 長谷の駅から近い。門前の松の剪定中であった。赤い提灯には長谷寺とある。
 左の方から入る。

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 妙智池 入ると正面にこの池がある。

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 この階段を使わず、左の方から坂道を登ってこの上にいく。

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 その途中にひっそりと良縁地蔵。

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 その脇にひっそりと灯籠。

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 地蔵堂は新しい。見には行かなかった。
 さらにひと登りすると、上の境内に出る。

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 鐘楼
 1264年鋳造の鐘は宝物館にて展示。鐘楼の鐘は昭和59年に鋳造。

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 阿弥陀堂
 はじめにも書いたように堂宇は新しい。

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 阿弥陀如来座像 伝承では鎌倉時代に造立された。他寺にあったものを移したという。

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 観音堂

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 観音堂内には本尊の十一面観世音菩薩がある。このため、通称長谷観音といわれる。
 奈良時代の作と伝わるが、未詳である。室町時代までは遡れるようだ。木造では日本最大級という。

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 見晴台。よく紹介されている場所。鎌倉一望とは言いがたいが、名所だ。

 さらに眺望散策路がある。あまり行く人はいない。山登りになる。

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 こんな整備された道だ。紫陽花が多い。紫陽花の咲く頃は、入り口で待ち行列になる。

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 当たり前だが、見晴台よりよく見える。由比ヶ浜の海岸線が一望で、三浦半島も見える。

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 転輪蔵 経蔵である。一切経が収められていて、観音御縁日などには、回すことが出来る。

 下の境内に下りて案内図の右に方へ行く。

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 弁天堂

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 弁財天の洞窟がある。窟内壁面には弁財天とその眷属である十六童子が彫られている。

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 出世大黒天 有名らしいが…

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 和み地蔵 誰もがケータイを向ける。どんな話をしているのか。

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 放生池 案内図の右側の池である。
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2017年10月21日

建長寺

臨済宗建長寺派 大本山
巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)

 本尊が地蔵菩薩であるのは珍しい。
 建長5年(1253年)の創建で、鎌倉五山の第一位。
 鎌倉五山の第一位とは、禅宗寺院の順位であって、鎌倉寺院の順位ではない。

IMG_1213.JPG 案内図
 最初の門(外門)を通ると駐車場であった。この案内図は駐車場にあった。
 右側に赤い点線で囲まれて地域がある。修行道場で立ち入りは禁止である。
 
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 駐車場から総門を入る。

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 山門(三門)、円覚寺では山門を通るとき、中央に高い敷居があった。ここではそれを削って平らにし、通りやすくしてあった。

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 国宝の梵鐘、山門の脇にある。

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 この寺も柏槇(ビャクシン)の巨木が多い。

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 この崇山門内は立ち入り禁止、案内図の赤い点線で囲まれた地域である。

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 仏殿前の柏槇
 開山禅師のお手植えという。樹齢は約七百六十年。

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 仏殿
 この前で僧侶が団体の参拝者に、説明をしていた。わたしが聞いたときは徳川将軍家との関係など話していた。
 仏殿は1647年に芝の増上寺から移築した。

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 仏殿に入る。
 本尊の地蔵菩薩坐像。

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 天井や周りの絵はかなり傷んでいるようだ。

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 法堂(はっとう)
 他宗派では講堂という。修行の中心の建物であったが、現在は修行道場は案内図の赤い点線内の地域になっている。まあ寺全体が修行場ではあるが。

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 法堂に入る。
 手前の釈迦苦行像(レプリカ)は2005年にパキスタンから寄贈されたもの。
 付け加えれば、釈迦は、苦行は正しい修行方法ではないと苦行をやめ、中道を進むことになる。

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 天井画は新しい。小泉淳作筆の雲龍図。

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金ピカの唐門、この奥が方丈である。
禅寺にふさわしくないのは、芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築したものだから。

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 法堂を横から。

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 方丈庭園

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 少し戻って、案内図の左側の道をさらに奥へ行く。
 図の外になる。突き当たりから山登りになる。

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 寒山拾得(かんざんじっとく)
 山登りの前に、少し広いところがある。そこにある碑の一つ。

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 半僧坊
 階段の道を登ると、半僧坊大権現にいたる。建長寺の鎮守である。1890年勧請という。建長寺は何度かの火災で創建当時の建物を失っている。徳川時代に徳川家の援助で再建した。そんな歴史を思わせる。
 左上に天狗、その他あちこちに烏天狗の像がある。
 このあたりが建長寺の最上部か。

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 半僧坊からさらに登る。勝上献、海抜145メートル。

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 建長寺を見下ろす。右上の四角い建物は鎌倉学園。
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2017年10月17日

円覚寺

鎌倉 円覚寺
瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)

 久しぶりの鎌倉、何十年ぶりだろうか。
 今更紹介するのも無用の有名観光地だが、歩いた記録だ。
 北鎌倉の駅で躓いた。前の人に続いて出たらなんと臨時改札口。地図ではそのまま右に行けば円覚寺だが、仕切りがあって行かれない。そのため駅をほぼ一周してしまった。

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 いよいよ円覚寺、臨済宗円覚寺派総本山。そうは言っても臨済宗の特徴などは一切知らない。
 鉄道が境内を横切る。ここまで来てようやく思い出す。

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 入り口から総門へ

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 山門(三門とも)
 この山門が一番知られているか。

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 仏殿
 中心の建物である。関東大震災で倒壊し、昭和39年(1964)に再建された。

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 仏殿に入る。まずは敬意を表して合掌する。

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 天井には見事な龍の絵がある。

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 仏殿で金澤翔子さんの書に出会う。若い女性ながら豪快な字を書く。一度お会いしたことがある。藤沢秀行先生の書展を見に行ったとき、別室で個展を開いていたのだ。

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 境内では、柏槇(ビャクシン)の巨木が多い。仏殿の前にも並んであった。おそらく開山時に植えられたもの。

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 この階段を上ると方丈。門は唐門(からもん)。

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 唐門の門扉

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 方丈前の柏槇(ビャクシン)。

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 方丈に入る。本来住職の住まいだが、多目的に使われている。

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 方丈庭園の一部。

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 方丈の外に出て、脇を通り上に行く。方丈庭園を脇から。右が方丈で、そちらから見るように設計されているはず。

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 妙香池(みょうこうち)
 2000年に、江戸時代初期の形に復元した。放生池(ほうじょうち)である。
 わたしは放生池を見る度に、そのために生き物を捕まえるのは目的に反するのではないかと愚考してしまう。

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 リスを見つけた。台湾リスかもしれない。

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 最後に高みにある鐘堂に登る。洪鐘といい国宝である。
 隣の弁天堂の脇で抹茶を頂く。

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 古い道、この左に新しい道がある。

 塔頭は十九ある。さすが大寺院。原則的に非公開である。
 今回は一眼レフカメラを持たずに行った。写真は全てiPadのカメラである。
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2017年06月01日

会津田島

会津8 会津田島

 5月3日、帰りも会津田島で東武鉄道の“リバティ”に乗り換える。
 すぐの電車もあったが、次の電車にすることにし、2時間ほど田島で過ごした。

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 この桜を見たために途中下車。駅の脇に咲いていた。
 この桜の下に蒸気機関車も展示されている。街も歩く。

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 “ちょっこぐら”とでも読むのだろうか。まずこの大通りを歩く。
 
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 7月22日から24日にかけて会津田島祇園祭が行われる。そのとき運行される本大屋台である。
 1981年に“田島祇園祭のおとうや行事”として、国の重要無形民俗文化財に指定された。

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 本屋台・中屋台・上屋台・西屋台の4つの大屋台から成る。というが、わたしはこの屋台を見て、初めてこの祭りを知ったので、詳しくはこちらをご覧ください。ウィキです。
 会津田島祇園祭

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 駅の南側を歩いた。橋に至る。川の上流を見るとずっと桜が見える。川はコンクリートの味気ない川だが、桜の並木を見て上流に歩いてみた。

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 川といっても水流はほとんどない。

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 八百メートルを超える桜並木だ。

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 途中にあった個人の庭。左下の砂礫は道である。

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 大きく横に張り向こう岸に届きそう。
 突き当たったので、別な道から引き返した。

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 花は白く、葉はすでに伸びている。本来の桜はこうなんだろうな。

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 レンギョウらしい、こんなに大きくなるんだ。

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 この丸形の屋根は田島駅である。駅の南側を三角形に歩いた。
 駅の北側には屋台会館がある。この文を書くために調べていて知った。

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 ここはそば屋であるが、実際に入ったのはこの向こう側の写真にはない小さなそば屋。
 満足できるおいしさだった。
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2017年05月29日

会津若松 余録

会津7 会津若松 余録
 順序は逆になったが、4月30日(日)は会津若松に1時半頃到着した。ホテルに荷物を預け、バスで県立博物館を目指した。停留所は鶴ヶ城三の丸口である。ここは月曜は休館のため、先に見ておこうと思ったのだ。

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 三の丸口の八重の像、女ながら鉄砲隊を率いた。先の大河ドラマ“八重の桜”で有名になった。

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 県立博物館、まるで無人の如し。中はけっこう充実していると思った。

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 廊下橋。三の丸口から入り、二の丸を過ぎると、この橋に出る。二の丸は右側。

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 酒蔵、市内には酒蔵(酒の醸造所)が多い。

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 野口英世青春館。一階は喫茶店である。

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 野口英世青春館の前の通りは歩道を広くして、車は一方通行。
 まっすぐ行くと会津若松駅前に出る。まだ歩道を広げる工事中のところがある。
 この百二十メートルほど南に野口英世像がある。そこは外堀だった。

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 七日町駅、バスの停留所でもある。この道の向かいに阿弥陀寺がある。

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 阿弥陀寺は、会津軍の墓地である。長い間埋葬が許されなかったが、ようやく二カ所に埋葬が許された。
 
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 ここにまとめて葬られた。

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 ここには大仏があったが、第二次世界大戦のとき、軍に供出させられた。今は台のみ。

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 御三階(ごさんがい)、城内にあったものをここに移築した。
 唐破風の入り口は付け加えたもの、元は本丸の玄関。二層と三層の間にも部屋があり、4階建て。
 向こう側の本堂が出来るまでは、これが阿弥陀寺の本堂だった。
 城内では再建の予定がある。“おさんがい”と言っている。

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 御薬園
 会津藩の薬草園である。江戸時代にここで朝鮮人参の栽培に成功している。今では庭園が有名だ。
 中心となるお茶屋御殿が、工事中であった。
この写真の中央の建物が楽寿亭。島にある。今は橋が架かっているが、昔は船橋だった。

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 戊辰戦争当時の刀傷とあるが、ここでは戦闘は行われていない。

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 楽寿亭をお茶屋御殿側から。
 この当時かなり雨が降ってきて、傘を差した状態で撮っている。見事な大木もあったが写真にない。

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 秩父宮妃勢津子殿下ゆかりの重陽閣がある。希望すれば中も案内してもらえたが、大雨になったので、遠慮して見学をやめにした。

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 長い間、朝敵扱いされた会津は、松平容保の孫の勢津子さまが秩父宮さまに嫁ぐことで、心の重荷を下ろしたという。天皇家と親戚になったわけだ。そのためにこうして記念している。

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 明治6年に、若松の豪商など多くの人が、官有の御薬園を買い、松平家に献上した。会津戦争が終わって間もない時である。全くの不人気というわけではなかった。
松平容保一家は明治16年から数年間ここに住んでいた。

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酒蔵末広
 酒造工程の見学が出来る。最期の回に間に合った。試飲もできる。四合瓶を買い求めた。

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 石部桜、樹齢六百年といわれるエドヒガン。江戸時代からすでに名木として知られていて、囲いもあった。


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 石部桜は大河ドラマ“八重の桜”のオープニングでも使われたことでさらに有名になった。
 散り終わる寸前であった。写真では花は判別できない。
 
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 旧滝沢本陣、参勤交代や領内巡視の際の、歴代藩主の休憩所。若松城下から白河、江戸に至る旧白河街道沿いにある。
 会津戦争のおり、ここまで来て指揮を執るつもりだったが、まもなく城に帰った。
 白虎隊もここで命をうけて、戸ノ口原戦場へと出陣した。

城の外側も歩いた。

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 三の丸口から堀の外側を南に行く。八重桜が満開だった。

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 内堀。堀の幅は矢の届かない距離、しかし鉄砲や大砲は越えてしまう。

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西出丸
 今では駐車場になっている。

 北と西には出丸、東には二の丸・三の丸があるが、南にはない。
 南には湯川があり、その間には外堀があり三重の防御とした。
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2017年05月26日

会津武家屋敷

会津6 会津武家屋敷

 会津武家屋敷というが、家老西郷頼母の屋敷を再現したものが半分。旧中畑陣屋を移築した建物や、くらしの歴史館などが半分である。

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     案内図

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 城の北側、北出丸停留所のそばに、西郷邸があった。今ではこの石碑のみ。外堀の中である。

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 ここから入る。

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 入って左に折れ西郷邸に行く。

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 西郷邸の塀に沿って入り口に向かう。

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 門の脇に西郷四郎の像がある。姿三四郎のモデルである。得意技は山嵐、西郷頼母の養子となった。

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 表玄関である。ここから右は領主などの“お成りの間”。写真では見えないが左に塀が有り、その左には家族や西郷邸使用人の玄関があった。

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 こうして賓客を迎えた。

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 ここが領主などの部屋。廊下の向こうは次の間で有り、一の間はその奥になる。

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 玄関を入ったとなりの部屋“使者の間”で有り、領主などはこの廊下を通ってお成りの間(一の間など)に行く。

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 案内図、上が玄関、左の黄色い部分がお成りの間である。

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 裏庭から

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 図では青い部分、当主の部屋である。

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 左が子ども部屋、右が女中部屋、案内図では右の方。この右が次の奥玄関。

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 奥玄関、この右に台所がある。台所以外は火は厳禁なので、風呂の湯も、台所で沸かして風呂場まで運んだ。

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 中の口玄関、家臣たちの出入り口である。右の塀を隔てて、はじめの表玄関が並んでいる。

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 片長屋、第二資料館としている。戊辰戦争で西郷頼母が登城のおり、女たち21人は足手まといにならないよう自刃した。新政府軍が入ってきたとき、死にきれなかった女が介錯を頼んだという。
 後ろの屏風が逆になっているのが、決意を表している。

自決は8月23日、城下に新政府軍が入ってきた。
西郷は8月26日に容保の使者として城を脱出。
開城は9月23日
 この日付をみて、???となってしまう。8月24日にはすでに外堀の中まで新政府軍が入っていたのだろうか。
 西郷頼母は松平容保が京都守護職に就くのを反対している。それもあって一時家老職を解かれている。会津決戦にも反対した。新政府軍が容保親子の首を要求したため、それを拒否し、会津戦争となった。

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 旧中畑陣屋

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 旧中畑陣屋を裏から

 ここの土産物屋ですてきな茶筒を見つけた。買おうと思って蓋を開けたら、中蓋が開けにくい。プラスチックで、それはいいのだが摘むところが無いのだ。残念だがこれでは使えない。

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 会津藩は将軍家の守りを自認していたため、領民に対しては過酷であり、全く人気が無かったという。軍備を整えるのは平時でも金がかかるのだ。
 戊辰戦争のおりも、多くの民は協力を拒否したらしい。現在、会津の民が松平容保や白虎隊を自慢(とは言いすぎか)するのはおかしいはず。
 愚直に朝廷の守護をして朝敵といわれたが、賊ではないはず。会津戦争などの戦いの様子は郷土の誇れるところであった。
 いま冷静に考えて、苛政もあったが、それを乗り越えて郷土の誇りとしよう。という状況と思える。
 次回に述べるが、明治初期にも松平容保を支持する人は多くいた。明治維新の後、会津からは新時代の優れた人材が続出している。教育に力を入れた結果である。

 インターネットなどで調べるのであるが、諸説ある。意見の表明とはことなり、歴史的事実は? と訊かれると、判らないとしか言いようがない。
 苛政と書いたが、他藩と比べたわけではない。そんな時、わたしの考え方に合致する意見を採りやすい。
 常にそんなことを考えながら書いている。
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2017年05月23日

飯盛山

会津5 飯盛山
 会津若松市は観光地を巡って循環しているバスがある。
 まちなか周遊バス、左回り“ハイカラさん”、右回り“あかべぇ”である。一周55分。30分ごとに通る。1日乗車券(500円)を買えば何度でも乗り降りできる。なお1回だけは210円。
 これ以外のバスもある。わたしはこのまちなか周遊バスを使った。
 市内は片道通行が多く、工事中もあって、バスの駅(観光案内所)の説明図と実際の通行路が違うので注意。印刷されたカラーのバス路線図で、現在の通行路を確認する。裏には時刻表がある。
 会津若松駅前の、ハイカラさんの第一便は8:00。あかべぇの第一便は9:15。

 5月2日、晴れたので飯盛山に向かうことにする。あかべぇは待てないので、駅前から歩いて飯森山に行く。約2キロメートルなので、30分ほど。

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 駅前から東へまっすぐに歩くと、飯盛山の前に出る。バスなら5分。

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案内図、楽な参拝順路を行く。

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 白虎隊記念館の前を通り厳島神社の鳥居で右に曲がる。

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 厳島神社は小さい。

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 戸ノ口堰洞穴
 猪苗代湖の西岸戸ノ口から水を引いた。トンネルの水道である。

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 あの白虎隊20名は戸ノ口原の戦に敗れ、この洞穴を通って、ここまで来た。洞穴の長さは約150メートル。

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 水神社、この水道を守っている。

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 水の少ない会津盆地を潤す。

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 この階段を上れば栄螺堂(さざえどう)だ。

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 栄螺堂、この狭い建物に、登りと下りの二重の螺旋階段が組み込まれている。全体像が特異な形をしていることで栄螺堂という。正式名称は三匝堂(さんそうどう)。個人の所有物。

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 宇賀神、来歴も諸説あり、わたしには意味不明である。

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 ここを上がれば白虎隊十九士の墓に至る。

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 白虎隊十九士の墓所。20人が自決しようとしたが1人は助けられた。

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 そばにある慰霊碑

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 ローマ記念碑
 昭和3年、白虎隊の武士道の精神に共感を覚えたローマ市から寄贈された。柱はポンペイの廃墟から。

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 自決の場、この少年の見ている方向に鶴ヶ城がある。自決のとき、まだ城は落ちていなかった。
 通説では、戸ノ口原の戦に敗れ、疲れた身体で水道を通り、城の煙を見てこれまでと思った。
 実際は、城が落ちていないことは知っていたが、圧倒的な兵力の差があり、生き恥をさらすのを望まず、自決したという。その前に城に戻るか玉砕するかで激論があったという。

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 ちょっと見ただけでは、鶴ヶ城の建物はどこにあるか判らない。城の樹木に阻まれてこの写真では判別できない。城まで2キロほどだが、当時でもはっきりは見えなかったのではないか。見慣れているし、城の樹木の位置で、建物の位置は一目で判ったはず。

   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 
 白虎隊は、会津戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。五隊で合計343名である。白虎隊は本来予備軍だが、全兵力が出払い、援軍要請に対してこの少年部隊しか残っていなかった。
 装備も旧式の銃であり、火縄銃よりましという程度。官軍の新式銃の前になすすべもなかった。
 ローマ記念碑も、イタリアでは話もないのに、こちらから要請したとか。
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2017年05月20日

麟閣

会津4 茶室麟閣

 麟閣(りんかく)は鶴ヶ城公園の東南の隅にある。前回紹介した荒城の月碑の近くだ。千利休の子、千少庵が建てたと言われる茶室である。
 戊辰戦争後、城下に移築され保存されていたが、平成2年に元の場所である鶴ヶ城内に移築復元した。

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 お堀に沿った盛り土の上から麟閣を見る。
 遅咲きの桜があちこちで咲いていた。

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 出口の隅で枝垂れ桜が満開だった。

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 この入り口から入る。

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 最初に目に入る茶室、寄付(よりつき)。
 茶道に暗いので、寄付と待合と茶室の区別を知らない。

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 客はこの門を通って、腰掛待合(写真なし)に行くことになる。

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 こちらは中心となる建物
 左の女性がのぞき込んでいる部屋が鎖の間。右が麟閣。

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 説明図 横1000ピクセル

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 普通の茶室とは異なり、控えの間もある。鎖の間といい、茶室につけられた書院的一室。ここから麟閣に行く。

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 茶室麟閣の躙口(にじりくち)。

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 入り口にあった受付の後ろの建物で一休みし、お茶をいただき、外へ出る。
 出口の枝垂れ桜を下から見る。
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2017年05月17日

鶴ヶ城

会津3 鶴ヶ城(若松城)

 5月1日、雨の降る日であった。
 会津若松といえば鶴ヶ城。戊辰の戦役で新政府軍の猛攻を受けた。

   ♪二十日籠りて城落ちぬ

と歌われたが、実際は一ヶ月の籠城で落ちなかった。結局降伏する事によって、戦は終わった。取り壊されたのは明治7年である。石垣は残された。
 昭和40年9月に天守閣が再建され、会津若松市のシンボルとなっている。

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 地図の外側に大きく外堀があったが、外堀は埋め立てられて今はない。
 北口から入ると北出丸を通り、椿坂を通って管理事務所に至る。
 西出丸からは梅坂を通り、二の丸からは廊下橋を通っても、やはり管理事務所の前に出る。
 今は“旧表門”から入場券売り場に行き、天守閣に上れるが、本来の登城の道は南に下り、表門から本丸に行ったのであろう。

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 椿坂
 さくらまつりの表示があるが、もう普通の桜は散ってしまった。いわゆる葉桜である。
 傘を差しての登城となった。

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 椿坂の突き当たり、この辺りの石垣は、きちんと整形された石で組み立てられている。

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 ここを曲がると、天守閣は近い。

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 上の石垣の内側にはこのような階段がついている。“武者走り”という。

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 鶴ヶ城(若松城)の天守閣の石垣は傾斜が緩い。

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 旧表門を通って、天守閣に入る。

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 天守閣は最上階しか展望がきかない。
 真ん中辺りの手前の山が、飯盛山である。

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 本丸跡、藩政の中心部である。天守の東側。

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 南走長屋、このような構造は他の城では見たことがない。天守の南側。
 中程の門が“鉄門”といわれる表門である。

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 天守の西側、桜の木に囲まれている。何だったのだろう。

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 登城の道である。天守の北側、武者走りが見える。

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 天守閣内は一方通行で、下りるときは南走長屋を通って外へ出る。
 出口より表門(鉄門)を見る。

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 真ん中辺りがもう一つの出口。南走長屋を通らずに出たい人はここから。

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 荒城の月碑。南東の隅にある。
 昭和22年に、作詞者土井晩翠夫妻を迎えて、除幕された。荒城の月碑は鶴ヶ城・青葉城・竹田城址の三カ所にある。

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 本丸側から天守を見る。
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2017年05月13日

塔のへつり

会津2 塔のへつり

 会津線の途中に“塔のへつり”という駅がある。塔の岪(へつり)という観光地があるのだ。途中下車して見に行く。駅から300メートルほど歩く。

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 “岪”はちょっとお目にかかれない珍しい字だ。へつりとはこの地方の方言で、危険な崖の意味だという。

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 塔の姿ははっきりしない。説明板がないと判りにくい。

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 この吊り橋を渡って、向こう岸へ行く。

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 削られてへこんだ部分は人が通れる。

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 下流方向、谷の深さが判る。

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 危険というほどではないが、気をつけて通る。

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 対岸つまり、向こうからこちらに渡ってきた。

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 上へ行く。

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 虚空像菩薩

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 茸の傘を思わせる。
 それほど広いところではないので、時間はかからない。戻ることにした。

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 ちょうど桜が満開だった。

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 土産物屋の飾り。何軒か店がある。
 昼時なので、ある店で、(会津の)名物だという、“ソースカツ丼”を食べてみた。ご飯の上に申し訳程度に薄くキャベツの繊切りを載せ、とんかつを載せ、ソース(市販のとんかつソース)をかけただけのもの。うわー二度とごめん。これなら普通に別々に出せば良い。ソースの量だって自分で調整したいし、キャベツも食べたい。
 キャベツが少なくて済む、使う食器が皿一枚省略できるか。まさか。なんかのいきさつがあったんだろうな。お新香が多種で、汁はかけそば。
 会津市内にもあるメニューだが、二度と食べる気がしない。
 トンカツそのものはおいしかったので、この出し方はもったいない気がした。
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2017年05月10日

会津鉄道会津線

会津1 会津鉄道会津線
 何年ぶりだろうか、会津若松へ二度目の旅である。
東武鉄道の新型車輌“リバティ”で、北千住から会津田島まで3時間ほど。そこから会津鉄道会津線に乗り換える。

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 まだリバティが運行して10日しか経っていない。会津田島ではみんながカメラを向けている。

 乗り換えて、“塔のへつり”で途中下車して2時間ほど過ごし(後述)、再乗車して会津若松に向かう。

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 特別列車である。2輌のうち1輌がお座敷車輌で、こうして靴を脱ぎ、布団に腰掛け、車窓を眺めながらの旅になる。4月30日、日曜日ではあったが、5月1日2日は平日なせいか、この車輌の乗客は5人だった。
 「お座トロ展望列車」というのがこれか。1輌はお座敷だったが、もう1輌はトロッコだったのか。そのようには見えなかったが。

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 会津線はかなりの高地を走る。だが山岳列車ほどの勾配はない。トンネルが多く、線路は直線が多いので、案外速い。45キロメートルの区間を70分。列車によって異なる。

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 沿線はあちこちで桜が満開であった。駅ではこうしてこの特別列車の写真を撮る人が大勢いる。
 外装の絵と桜が重なっておもしろいのかな。
 なおほとんどの駅は無人駅である。

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 こうした景色の良いところに出ると、しばらく停まってくれる。

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 トンネルに入ったら車内の照明は行灯スタイル。

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 ダム湖である若郷湖(わかさとこ)。阿賀川(阿賀野川本川)の上流にある。1987年(昭和62年)に竣工した。
 前回、バイクでこの橋の上を通ったときは、中程で身体がふるえた。

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 こちらは谷が深い。
 こうして駅以外でも停まるため、時間はかかる。この線はこうして車窓の景色を楽しむ旅だ。
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