弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山である。正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称する。
嵯峨天皇(在位809−823)が離宮を建立した。離宮嵯峨院である。その離宮が貞観18年(876年)に大覚寺となった。
代々天皇もしくは皇統の方が門跡(もんぜき=住職に相当)を務めた格式高い門跡寺院(もんぜきじいん)である。
嵯峨天皇は、平安遷都した桓武天皇の息子であり、兄の平城天皇の次の天皇である。
いけばな発祥の花の寺であり「嵯峨御流」の総司所(家元)である、というが、その方面に疎いわたしには、説明できない。
大覚寺門跡の総門の跡。現在はここから門までかなり歩く。400メートルくらいか。
大覚寺に着いた。
宸殿(しんでん)まえの庭
宸殿牡丹の間、絵は近寄って見たいほど。
正面
以下の絵も宸殿の絵である。
左側はいま歩いてきた廊下。
村雨の廊下辺り、建物は心経前殿(しんぎょうぜんでん)であろう。記憶が曖昧。
心経前殿(御影堂)の西側。向こうに見える小さな建物が、勅封心経殿(ちょくふうしんぎょうでん)で、
大正14年に法隆寺の夢殿を模して再建。
この写真は、具体的位置を特定できない。
心経前殿前の庭。心経前殿は大正14年建造。
正面の勅使門は修繕中。
五大堂(本堂)は堀をまたぐ。大沢池がよく見えるようにベランダが出ている。
四角く、四方がこのような堀で囲まれている。
この塀の右(外側)が大沢池である。
観光客が少ないためか、このような庭を落ち着いて見られる。
静かで熱い日差しも涼しく感じる。
この辺りであったか、渡り廊下を歩くとかすかに音がする。鶯張りのようだ。
通りかかった若い僧に訊いてみたが、「たまたま今この寺にいるので知りません」、と言われた。末寺の修行僧らしい。
一度入り口に戻り、大沢池に行く。

大沢池は境内にあり、人工の林泉である。時計回りに歩く。
放生池であるが、大沢池とは細い土手で隔てられているのみ。一部つながっている。
心経宝塔。1967年建立というから新しい。
嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立される。
護摩堂は池の脇、火の心配はない。
庭湖石、この池の別名を庭湖という。中国の洞庭湖を模して造られた。しかし、どうだろう。当時の洞庭湖に似ているか。心象風景なんだろうな。
わたしなどは、洞庭湖は江湖者という言葉の元になった湖、ということを思う。
右の大きな建物が五大堂。
これで大覚寺と分かれる。
参考 大覚寺境内ご案内