2014年01月19日

大阪空中庭園

大阪空中庭園 2013年 夏

 大阪には空中庭園があるという。
 「空中庭園」には言葉の魔力を感じる。
 ところは大阪駅の近く、新梅田シティの上である。
 できたのは一九九三年七月。
 行かねばなるまい。

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 高いツインビルの屋上に大きな箱を乗せたような形。

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 中央に大きな穴がある。二本の斜めの棒はエスカレーター。
 これで庭園に上がるときは、すこし恐怖を感じる。両脇が透けて見えるので、思わず手すりに掴まる力が強くなる。

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 上から見たエスカレーター。
 上がってみれば、樹もない草もない。花もない水もない。大きな展望台であった。
 まず目に入ったのが、世界の塔や高層建築物の写真。60枚のパネル。圧巻である。これを見終わってから外に目が行く。

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 庭園からの展望は素晴らしい。大阪を一望できると言いたいが、いくらなんでもそれは無理。
 南の方向。写真のさらに左のほうが大阪駅。

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 北西 新淀川方向

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 空中庭園大明神
 恋愛成就というが、お参りする気にはならなかった。(^。^))

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 この展望台(40階)はさらに上に行け、屋上に出ることができる。風が吹き抜ける。その一画にある見慣れない錠の列。
 愛を誓った男女が誓いの鍵をかける。残すは錠のみ。情を置いていくのか。
 この風習を初めて見たのは中国の黄山だった。危険箇所の柵にびっしりと架けてある。二度目に黄山に行ったときは、すべて取り払われていた。それ以来何度か見たが、日本で見たのは初めて。それも進化したようで錠の形がハート型。
 夜にひとりで行くと居場所がなさそう。

 展望台フロアにはカフェがある。コーヒー以外もいろいろ。値段は下界と変わらず。
 エスカレーターで下りた39階には中華レストランがあるが、入らなかったので様子は判らない。
 展望台で夕陽を見るのはさぞかし…と思うが、その時間までいる気は無なかった。
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2014年01月13日

大阪御堂筋

大阪御堂筋 2013年 夏

 去年の夏、大阪の御堂筋を歩いていたとき見つけた彫刻である。
 どこかの有名な像の縮小版であると思うが、わたしの知っているのは、高村光太郎の「乙女の像」だけであった。
 説明抜きで写真だけの紹介。
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高村光太郎の「乙女の像」
これは十和田湖畔で見たことがある。比べると肌の表情が乏しい。小さくしているので無理もない。

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 歩いていて楽しくなる歩道だ。植え込みだって悪くないが、画一的な植え込みより変化があっていいかも知れない。
 松江の旅は帰りを倉敷で終わりにしたが、ようやくアップする気になった。
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2013年10月10日

倉敷2


 本来の目的である、大原美術館と美観地区の観光になる。
 

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 阿智神社から下りるとこの街が有った。郷愁を呼びながらも敷居からは一歩も入れて貰えないような、暖かい挨拶はあっても住むことは拒否されるような、歩くことは歓迎されても立ち止まるのはいたたまれない気にさせられるような、異世界空間。

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 倉敷川(運河)に沿って歩く。この辺りも記憶とはかなり異なる。
 今は川幅10メートルほどだが、往時は20メートルもあったという。となると両側の道は運河の埋め立て地か。

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2013年10月07日

倉敷1


 三十年以上前であろうか。倉敷に行ったことがある。
 8月9日、岡山から電車で行くと、倉敷駅前は全く記憶にない街であった。

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 中央通りを歩いて美観地区へ向かう。

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 五百メートルほどで美観地区入口に着いた。ここでようやく記憶のある景色となる。
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2013年10月01日

岡山城

岡山城(烏城)
 後楽園の岡山城側の出口から岡山城に向かう。

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 旭川の向こうに岡山城が見える。烏城といわれるように全体が黒っぽい。
 豊臣秀吉の家臣の宇喜多秀家が、慶長2年(1597)に完成した。宇喜多秀家は関ヶ原の戦いの敗戦で八丈島に流された。
 秀家に代わって城主となった小早川秀秋は、城を拡張している。
 小早川秀秋が亡くなり池田家が藩主となった。そのまま明治維新に至った。
 宇喜多秀家以前にも城があったが、位置は少しずれる。

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 月見橋を渡って振り返る。歩行者専用の橋である。
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2013年09月25日

後楽園

岡山−後楽園

 ホテルは鉄道の西側。地下通路を通って山陽本線の東側に出る。その道をそのまま行くと後楽園に至る。

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 街中を真っ直ぐ南北に流れる西川。両側は緑道公園となっている。歩いてみたいが、今は先を急ぐ。

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 旭川を渡ると、右が後楽園だ。
 岡山後楽園は、貞享4年(1687)に岡山藩2代藩主池田綱政(いけだつなまさ)が藩主のやすらぎの場として作らせた庭園。当時は「御後園」だった。
 元禄13年(1700)に完成した。その後も手が加わっている。
 明治4年(1871)に池田家では「御後園」を「後楽園」と改めた。明治17年に岡山県に譲渡し、一般公開された。
 昭和20年(1945)空襲でほとんど焼失。
 昭和27年には文化財保護法による特別名勝に指定された。
 昭和33年(1958)〜42年(1967)に復元。

kourakuenchizu.jpg  横985ピクセル
 適当な案内図がないので、 後楽園のHP の図を紹介する。
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2013年09月15日

水木しげるロード2

鬼太郎ロード・境港

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 妖怪像の並ぶ歩道のある商店街が終わると、水木しげる記念館のある、少し狭いアーケード商店街になる。

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 駅の方向。この左側を歩いて、ここまで来た。
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2013年09月12日

水木しげるロード1

鬼太郎ロード1

 8月7日の朝早く、岡山に行くつもりで松江駅まで行くと、バッタリMさんに会った。境港まで行くという。直行のバス便もある。松江から1000円。
 わたしも同行することにした。
 中海を長い堤と高い橋で横切り境港まで行く。乗客は少ない。

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 下は大きな船が通れるように橋桁は高い。

 境港は水木しげるロードで知られている。
 水木しげるの妖怪像があちこちにある。反対意見もあったようだが、説得して妖怪像を置くと、街が活性化した。

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 駅の名前は境港駅だが、別称に鬼太郎駅。
 近くの米子空港も、正しくは美保飛行場だが、別称に米子鬼太郎空港がある。

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 駅前にある水木しげる像。左右はご存知鬼太郎とねずみ男。
 これは写真で判るようにかなり大きい。他の妖怪像はほとんどは小さく作られている。大きいと不気味だが、小さいと可愛く見えるから。
 いちいち像の説明文はない。不要であろう。
 わたしも名前を覚えていないのがほとんど。なので今回は説明は少なくして、写真を並べることにする。
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2013年09月08日

足立美術館2


 この美術館の始まりは、蒐集した横山大観の絵を納めるため。
 その後も蒐集を続けた。だから横山大観の絵が多く、その他にも優れた絵が多い。
 陶芸館には北大路魯山人室がある。本来なら、次の日(8/7)から魯山人展をするはずだったが、延期になっていた。
 庭園の続きである。

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 上下に窓枠を入れてみた。こんなふうにして、絵画館での絵のようになる。

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 渡り廊下、ここは屋外。
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2013年09月05日

足立美術館1

 三日目、昨日と同じように9時に、あるホテルの碁会の部屋に集まる。何人か地元の方が挨拶に見えた。碁を打つ人もいる。
 午後から足立美術館に行く予定だが、かなりの距離がある。ここからタクシーで松江駅まで行き、山陰本線で安来まで、そこからシャトルバスで足立美術館へ。一時間はかかるであろう。
 多くの人は夕刻の飛行機便(出雲空港)で帰る。足立美術館へ行かずに帰る人は問題ないが、午後に美術館へ行っては飛行機便に間に合わない。美術館へ行く人の何人かは先発した。
 残った人は碁会が終わると、旅行の全般を手配し案内して呉れたAさんと一緒に、タクシー2台で足立美術館に向かった。美術館に着いたときには、先発した人たちはすでに帰ったあとだと思われる。
 足立美術館についてあとで調べたこと。
 島根県安来市出身の実業家、足立全康氏(1899〜1990)が設立。
 広さは一万坪余り、だいたい縦横180メートルの四角の面積に相当。
 設立は昭和45年9月。
 年間入場者数は五十万人〜六十万人。

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 足立美術館入り口。この美術館は庭園のすばらしさで有名なところ。

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 入り口前の左側、つまり外も庭園化されている。
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2013年09月01日

松江−3

 武家屋敷を出て堀に沿って南東に歩く。少し古い橋があった。車は通れない。

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 宇賀橋
この橋を渡ると左は最初に見学した松江歴史館、右は登城した惣門橋である。
 そのまま真っ直ぐ堀に沿って進み右に曲がると大手門になる。

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 築城の領主、堀尾吉晴像。関ヶ原の戦いの後なので、この城は戦禍に見舞われたことはない。
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2013年08月28日

松江−2

 松江城を出たあと、小泉八雲記念館を見て、小泉八雲の旧居を見る。公開しているのは、その一部分である(年中無休)。
 小泉八雲が松江にいたのは1年3ヶ月、この家に住んだのは約5ヶ月に過ぎない。
 当時の庭の描写通りに、部屋から庭を見ることができる。

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 当時のままではないだろうが、よく保存されていると思う。
 武家屋敷である。

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 玄関先はすっきり。玄関は南向き。
  
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2013年08月25日

松江−1

松江−1  長いので3回に分けます。
    P8056224.JPG  横1200ピクセル  地図は右が北になる。 

 大田から松江に向かう。この日花火大会があり、混雑が予定されたが、あまり遅れずに着いた。
 大荷物をあるホテルにまとめて預けた。わたしは中に入らず、バスのそばで待っていた。バスで夕食を用意しているホテルに向かう。
 わたしたち数人は先に入り3テーブルのうち1テーブルに陣取り、まだ用意ができていないので、「緊急にビールを」頼んだ。ビールを飲みながら夕食を待つつもりでもあるが、暑さでぐったりし、すぐにもビールを飲みたかったのだ。しかしなかなか出てこない。みんなが揃って夕食の用意ができるころ、ようやくビールが出てきた。「緊急の意味が判っていない」なんてぼやく人も。
 夕食が終わると別室で碁会。途中で花火を見に行く人もいた。子供教室の保護者には碁を知らない人もいる。
 9時ごろ流れ解散。わたしはひとりで歩いて大荷物を預けたホテルに向かう。ところが2階のフロントで訊くと「預かっていない」という。見渡しても荷物がない。さあ困った。どんな預け方をしたのだろう。ホテルの人に黙って……、まさか。
 しばらく話していたら、「渡り廊下の向こうにもあるのでそちらで訊いてみたら」と言われそちらに向かう。途中の少し広いところに荷物がまとめてあった。
 それを曳いて宿泊するホテルに行く。

 翌日は朝9時に碁会の場所(前日と同じ場所)に集合。

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 宍道湖と中海を繋ぐ大橋川を渡る。
 9時から12時まで碁会。我々のために設定して呉れたのだった。
 午後は自由観光。わたしたち有志(千寿会メンバー)はまず松江歴史館へ行く。お堀端を歩いていると、堀には観光舟が通る。

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 松江歴史館は武家屋敷を思わせる外観。
 
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2013年08月20日

道策生家

四世本因坊道策の生家

   …… 写真が多く長くなるが、分けずに1回にする。……

 島根県大田(おおだ)市といえば、石見銀山遺跡のあるところとして有名であるが、囲碁ファンは、本因坊道策の生家があるところとして知る人ぞ知る。
 道策の生家は普通(?)の民家なので、もちろん非公開である。そこで生活をしている方がいるのだ。
 今回は、プロ棋士(小林千寿師)とそのアマの弟子たち一行19名で、しかも小林千寿師の個人的な伝もあり、事前に連絡をとって見学させていただいた。

 小さな橋を渡り、自動車がやっと通れるような細い道を歩いて行く。橋の脇には「津波云々」の注意書きがある。そのことから判るように海のすぐ近くだ。

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 突き当たりが道策生家。

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 長屋門を構えていることから、かなりの家柄であることが判る(庄屋であった)。
 ただし長屋門という説明はないので、正しくはどうか。
   
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2013年08月17日

出雲大社

 4日は朝から雨だった。一畑電車で出雲大社前に行く。

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 出雲大社前駅、小雨になるのを待つ。

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 大鳥居が出雲大社とは反対側に見える。

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 出雲大社の後ろの山は低山ながら雲に隠れる。電車の窓からも見えて、高地に来たような錯覚を覚える。
 駐車場の前の土産物屋に九時過ぎ着いた。ここで十時まで待つことになる。一行は9時15分にマイクロバスで出雲空港を出て、10時にここに着くはず。それまで辺りを散歩しようとしたが、雨が降ったり止んだりで歩けない。ちょうど10時ころにバスは着いた。
 飛行機は「天候によって、羽田に引き返すか、大阪で下りるか」、という状態であったという。なんとか出雲空港に着いたのだった。待ちぼうけを食わされずに済んだ。

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 神楽殿。

 本殿に向かう前に手水で清める。

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 大国主命と兎の話ならわたしも知っている。

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 荒垣、石の形に合わせて木を削っている。この荒垣の内側を境内という。

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 60年に一度の出雲大社遷宮、「平成の大遷宮」のための御仮殿。
 なお、一般的には「いずもたいしゃ」で通っているが、正しくは「いずもおおやしろ」と読む。
 ♪いつつ出雲のおおやしろ♪ なんて童歌がありました。
 千家(せんげ)権宮司のご挨拶をいただき、「本参拝」をすることになった。
 千寿師父が松江観光大使であることもあり、あちこちでこうして便宜を図って貰えることになった。

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 白衣の千寿師父を先頭にして、八足門(瑞垣)の内側に入り本参拝。
 素焼きの小さな杯で御神酒をいただく。

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 この楼門(玉垣)の中が御本殿。
 荒垣−瑞垣−玉垣、と三重の垣に囲まれている。
 いろいろ説明を受けたが、案内の方から、「質問があった方が、それに沿って説明しやすいのですが…」といわれ、いくつかの質問が出た。面白かったのは、社は南向きなのに神座は西向きになっていること。参拝者は横から拝んでいることになる。理由には諸説ある。それにしても珍しい。

 昼食は出雲の割子蕎麦、出雲の名物である。小さな椀を3段〜5段重ね、それぞれに別な具が入っていて、汁をかけて食べる。もとは野外で食べる弁当だったとか。注文は段数。多くの人は4段を頼んだが、5段の人もいた。

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 昼食後、古代出雲歴史博物館を見学。この模型は昔の本殿の様子である。
 長い間疑問視されていたが、先年、柱の一部が見つかり、言い伝え通り大木を3本束ねた形(約1.4mの柱を3本束ねたもの)だったため、本殿も言い伝え通りだったと考えられている。
 何度も倒壊しているが、それは建築当時でも無理な高さの建築だったことがうかがわれる。倒壊に対しては「神様が新しい社を欲しがっていると思えばよい」という。
 宗教団体であるが、その宗教名は「出雲大社教」という。大国主大神を主神とする。個人の幸せを願う。伊勢神宮系の国家神道とは異なる。
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2013年08月14日

出雲

 8月3日から13日まで旅に出ていた。
 小林千寿師父から「夏の囲碁研修会と日本文化」の旅の誘いがあり、今年も参加することにした。行き先は出雲・大田・松江で三日間の旅なのだが、わたしは一足早く前日の8月3日に出雲に行き、皆を待つことになった。理由は飛行機の問題だ。
 8月4日7:35羽田発では、前夜は羽田に泊まらねばならない。それなら前日に出雲に行こうと考えた。(じつは料金の問題も大きい)
 現地の天候が怪しいなか、8月3日8時半の新幹線に乗った。静岡を過ぎてしばらくしたあたりで、トンネルの中で震度4の地震のため停車した。10分近く停まって発車。そのまま途中の駅は遅れた。岡山の乗り換えは10分間なのでこのままでは間に合わない。特急やくも11号は新幹線を待っていて、遅れて発車した。そんなわけで弁当を買い損ねた。出雲に着いたのは3時過ぎ。

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 切妻破風の出雲駅正面。

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2013年06月25日

南伊豆2005

南伊豆  2005.9.29

 南伊豆弓ヶ浜にわたしの知り合いがいる。民宿「川崎屋」の主人であるが、本職は漁師である。この旅以後は行っていない。どうしているだろうか。
 今までHPに載せていたのであるが、訪れる人もなく蟄居していた。こちらに移すことにした。
 記事の内容はほとんど同じ。
   …………………………

 久しぶりの南伊豆。しかし、ほとんど様子は変わっていない。
 石廊崎のジャングルパークがなくなっていたのが、ただ一つの変化と思えた。

 まずは下田までは電車。そこから、バスで弓ヶ浜農協前までならば20分。
 わたしは10分ほどの吉佐美で降りる。2時10分であった。そこから海が近い。

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 吉佐美の砂浜は2キロほど、ここから弓ヶ浜まで歩く。

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 奇巌が現れると砂浜は終わる。
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2012年10月23日

保津峡下り

 乗船を待つ間にかけうどんを食べ、お茶と団子を買って舟に乗った。
 舟は三十人乗り。漕ぎ手が三人で乗客は二十七人。満員だった。思ったより大きな舟だった。

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 櫂の雫も花と散る。川幅は広く、なんの危険もない。
 わたしのまわりは十人ほど白人のグループ。

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 トロッコ電車の線路。
 まだ団子を食べる余裕がある。

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 先頭の青年は、進路を見据えて、流れに棹をさす。

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 この狭い急流を通る。
 今まで前を一切見ないで説明をしていた船頭も、櫂を休めて先を確認。
 一番前の席は、しぶきを被るため前に防水コートをかぶせることもある。

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 一頭のみ。

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 どこを通るのか心配になる(^_^)。

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 白鷺一羽、コサギかチュウサギであろう。


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 通る所があるのかと思える狭い急流。

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 こどもたちが上から飛び降りていた。

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 狭い水路が前方に見える。

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 これは鵜か。

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 千光寺の下あたりか。渡月橋も近い。

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 十六キロ、二時間の川下りであった。日本最長という。
 昔は荷物の移動に利用されていた水路である。
 この舟はトラックで、亀岡まで運ぶ。

野暮ながら、
トロッコ電車 600円
バス     300円
舟     3900円
合計    4800円

 京都旅行は今回で終わり。まだ陽の高いうちに東京行きの新幹線に乗った。
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2012年10月20日

嵯峨野トロッコ電車

 8月9日、前日に旅行団は解散し、この日は1人で荷物を京都駅に預け嵯峨嵐山に行く。
 ここは有名な嵯峨野観光線つまりトロッコ電車の始点である。駅名もトロッコ嵯峨となり、嵯峨嵐山に隣接するが別な駅。

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 ここで、トロッコ亀岡までの切符と帰りの保津峡下りの舟の切符を買う。

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 駅内に飾られている。貴族の牛車(ぎっしゃ)であろう。
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2012年10月11日

お茶屋

先斗町−お茶屋

 8月8日の午後は、帰る人は順にいなくなった。わたしや先生などこの日も宿泊する数人が残った。
 一緒に爛柯を出たとき、先生が、「これからお茶屋さんで夕食するのですが、行きますか」とおっしゃる。わたし以外の人は話ができていて、予約してあった。わたしは別行動だったので、話ができなかったのだ。そこで「おかあさん、ひとり追加したい……」と電話で追加してもらった。計六人である。

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ケータイを見つめて恋はままならず鴨の川原に願う七夕  謫仙
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