2012年10月04日

二条城

 中国旅行の話が入って、京都の話は中断していました。再開です。

二条城
 8月8日、午前中は一行は座禅などのお勤め。わたしだけは遠慮して、二条城を見学した。
 二条城は旧二条城離宮となっているが、もとは徳川家の京都の城。そのまま離宮として使ったのは、皇居と同じ。

P8085272.JPG
 門は城郭の門で、奥は工事中で白く覆われている。もっとも家康はここで籠城戦をしようとは思わなかったはず。諸大名を威圧するための城であろう。それほど強固な城ではない。

P8085273.JPG
 門を入ったところ。受付かな(^_^)。
     続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 07:24| Comment(5) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月06日

銀閣寺(東山慈照寺)

 銀閣寺は正式には慈照寺といい相国寺の外塔頭である。足利八代義政の造営による山荘東山殿で、没後に寺となったのは金閣寺と同じ。東山文化の中心である。

 6日は金閣寺拝観後に、囲碁サロン爛柯に行って碁を打った。爛柯の主はそのビルのオーナーで91歳翁。お元気でした。
 7日は朝9時に囲碁サロン爛柯に集合。
 そのあと取り寄せた軽食を食べてわたし以外は相国寺に向かう。厳しい座禅が待っている。
 わたしは逃げだして、博物館へ避難。今本館は工事中であるが、別館で大出雲展が開かれていた。報告するほどのことはないので、この話はパス。
 午後四時半に銀閣寺集合の予定。地下鉄東西線蹴上で降りて、哲学の道を歩こうと思っていたが、とても間に合いそうもない。

P8075230.JPG
 このレールは船の移動のため。琵琶湖疎水の船便の名残。急なところは台車を使って船を移動させた。
 途中でタクシーをひろい、銀閣寺橋まで行く。

P8075232.JPG
 銀閣寺橋でタクシーを降りて参道を歩く。
4時10分頃に着いた。

P8075233.JPG   境内図 900ピクセル
 四時半になっても誰も来ない。間もなく五時閉門の時間だ。ようやく一同が集まり、金閣寺に入る。
   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 08:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月30日

金閣寺(鹿苑寺)

金閣寺
 金閣寺や銀閣寺も相国寺の塔頭(たっちゅう)である。足利家の寺である。相国寺の寺域外にあるので外塔頭という。足利義満の北山山荘を、その死後に寺としたものである。寺号は鹿苑寺。金閣があるので金閣寺とも言われる。
 寺域の広さは本山にも引けを取らない。
 総門でタクシーを降り庫裡に上がる。

P8065212.JPG
 庫裡を上がった正面にある。読めない。

P8065189.JPG
 庫裡から方丈に行く途中にある使われていない井戸。
 かなり深いが水面は近い。

P8065190.JPG
 方丈の庭。近年改築された方丈は撮影禁止であった。扉や襖の鮮やかな絵は印刷、原画はデータ化してある。それでも金色だけは本物であった。印刷では金色は表現できないのだ。
   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 08:34| Comment(3) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月25日

相国寺

 寂光寺の見学を終えて、タクシーに分乗し相国寺(しょうこくじ)を目指す。相国とは宰相のこと。形式では天皇に次ぐが、実際は最高権力者である、足利義満の命により建立された。

  相国寺

 相国寺派大通院住持・小林玄徳老師のご配慮で、座禅とお寺の拝観をさせて頂く事になった。玄徳老師は俗な言い方をすれば相国寺のナンバー2という方であるらしい。
 大通院は相国寺の塔頭(たっちゅう)である。
 まず大きな畳の部屋に通され、御茶を出される。わたしは茶道の心得はないが、正座し姿勢を正して両手で茶碗を持ち、茶碗を口に運んで飲む。間違えても口を畳の上の茶碗に近づけてはいけない。
 正座は強制されたわけではない。わたしは写真がないが、小林千寿師のブログにこの時の写真がある。

 参考  千寿の碁紀行−お寺の生活を少し体験 
 一番奥が小林千寿師、隣がわたしである。
 かなり長く待たされた。ようやく玄徳老師が現れて、お話を始めた。

 ここに来ようとしたら、檀家から電話があり、檀家の方がお亡くなりになった。その葬式などの指図のため遅くなってしまった。
 葬式とは、本来僧侶のすべきことではない。日本ではそれを行う宗教がなく(神道のような例外があるが)、お寺で引き受けることになった。ところが今ではそれだけになってしまった寺もある。本来やるべきことではなく、……。
 戒名は生前にお寺のためにいろいろやってくれた人に対し、尊い名前をつけてやるのが筋だが、これこれのお金を払うから尊い戒名が欲しい、ということになった。

 僧侶からこのような話を聞けるとは。
 さらに、おかしな人がいたらすぐに注意する習慣をつけよう。と。

 もちろん長い話をわたしが趣旨だけを取り出したので、直接こう言ったわけではない。

P8065181.JPG
 部屋の外は渦巻き状の石のちいさな庭

P8065184.JPG
 この廊下を通って、座禅堂へ行く。この写真は戻ってきたときのもの。廊下には蟻がいっぱい。
 本来は踏みつぶさないように払子(ほつす、大きな「はたき」のようなもの)で払いながら歩くのが僧侶の歩き方。堅い箒では虫が死んでしまうからだ。さらに言えば、草の芽の出る時期は、草の芽を踏みつぶさないように外出は控える。日本ではそこまでする人は少ないと思うが……、いるのかな。
   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月22日

渉成園

渉成園 −枳穀邸−
 8月7日は午前中は空いている。まず東本願寺を見て、枳穀邸を見学する。
昔は「東本願寺で見学の許可をとって…」、と簡単には入れなかった記憶がある。東本願寺の飛地である。
 料金と言うのではないが、500円の寄附をして見学の許可を頂く。
 石川丈山の作庭という池泉回遊式庭園だ。ただし、建物などは蛤御門の変で焼失していて、新たに建てられたもの。
 昔は鴨川まで達していたという。東西だけでもこの2.5倍ほどになる。

P8065085.JPG  案内図 横1000ピクセル
 東西南北が90度ずれているが、判りやすい案内図だ。

P8065088.JPG
 入り口正面に不思議な石組み。丸い石は粉ひき臼。上下2段の上側だ。この石垣の向こう側が庭園になる。左へ行く。

P8065090.JPG
 右へ曲がって、庭園の入り口になる。
   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 07:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月19日

比叡山延暦寺 続き

比叡山延暦寺 東塔

 西塔から来た入り口は裏口のようなもの。
 最初の建物は回廊、そこを横切る。右は朱に塗ったばかり、左はまだ工事中。

P8055031.JPG
 東塔エリアの東塔(昭和62年建立か)

P8055032.JPG
 東塔に並んで阿弥陀堂(昭和12年建立)

 石段を下りて根本中堂に向かう。山の中腹なのでいたるところに階段がある。
   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 06:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月16日

比叡山延暦寺

比叡山延暦寺 西塔
 8月5日〜9日は京都にいた。
 千寿師父から『夏の囲碁研修+座禅in京都』の誘いがあった。
 日時は8月6日〜8日で、訪問地は寂光寺・相国寺・金閣寺・銀閣寺。そして合間をぬって囲碁サロン爛柯で囲碁。師を含めて21名。大阪や島根の方もいる。
 わたしは前後に余裕を見て、5日に行き9日に帰った。しかも座禅はバスして観光。予定はよかったのだが、暑くて思うようには動けない。
 五日、京都に到着後比叡山に行く。もちろんケーブルカーで登る。

P8054977.JPG
 電車の終点八瀬駅
 ここからケーブルカーの駅に向かう。

P8054980.JPG
 川では遊ぶ人が多くいた。こんなふうに遊べる清流がある。

 ケーブルカーの駅に来た。日曜日なのに乗る人は少ない。時間帯によるのか。降りるとロープウェイに乗り継ぐ。

P8054987.JPG
 乗り継ぎの途中にかわらけ投げの場。落語「愛宕山」を思い出す。
   さわらびの握りこぶしを振り上げて山の頬面春風ぞ吹く
 夏風ですが、山風は涼しい。

 延暦寺は東塔(とうどう)と西塔(さいとう)と横川(よかわ)と三カ所に散る。観光の中心は東塔だが、かなり前に行ったことがあるので、バスで西塔を目指した。

P8054992.JPG
 バス停は「ガーデンミュージアム比叡」の入り口。ここは帰りに入った。

P8054989.JPG
 バス停からは琵琶湖を見下ろせる。

   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 12:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月06日

釜石

岩手 釜石

 2001年夏、釜石はいろいろ写真を撮ったような記憶があるのだが、僅か十コマほどしかない。
 駅前が釜石製鉄所、高い屏に囲まれていて中は見えなかった。1989年に高炉は休止した。生産規模は小さくなっている。

01-8-3-01.jpg
 港はもちろん製鉄所の荷物が中心だっただろう。
   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 10:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月28日

浄土ヶ浜

岩手 浄土ヶ浜

 2001年夏、盛岡から山田線に乗り宮古にいく。駅前で昼食。名物の海鮮丼を食べる。
 丼飯の上に豪快に海産物を盛る。はっきり言ってバランスが悪い。普通に刺身御飯にした方が食べやすいし美味しそう。だが、この食べづらいほどの豪快感は宮古の記憶として残っている。
 浄土ヶ浜へは歩いて行ける距離ではない。駅前からバスに乗る。

01-8-2- 02.jpg
 遠くに見える島は、地図で見ると、クロコシジロウミツバメ繁殖地とあって島の名がない島であろう。
   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 08:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月24日

平泉

岩手 平泉

 2001年夏、岩手の旅をした。
 まず中尊寺に行き、盛岡に泊まる。次の朝、山田線に乗り宮古に行く。そして釜石に行き、釜石線で帰ってきた記憶があるのだが、これがかなり曖昧な記憶なのだ。
 当時写真はポジフィルムを使っていたが、間もなくデジタルに変えるころ。しかも写真はあまり撮していない。フィルムも整理してなくて、未整理の中からようやく見つけ出した。この年の写真だけが未整理だった。
 いま見返してみると、あまりの少なさにあきれる。旅の記録になっていない。しかも、大事なところでほとんど撮していない。そのため思い出せない。特に釜石から仙台までは、本当に釜石線だっただろうか。
 ともかく、写真を整理した。

 まずは、国宝・金色堂で有名な中尊寺へ。平泉の駅から歩く。かなりの距離があるが、タクシーなど使う気はない。
 途中から参道に入ると、山の尾根道になる。この道がすてきな道なのだが、写真はない。途中に開けたところから下を見おろす。

01-8-1- 12.jpg
 開けた農村地帯で、川は北上川。昔の生産力を思わせる。
 奥州藤原氏の本拠地、当時の平泉の人口は10万〜15万人だったと推定されており、日本では平安京に次ぐ大都市だったという。
   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 10:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月07日

吉野ヶ里遺跡(後)

佐賀 吉野ヶ里遺跡(後)

 九州の旅も今回で終わりです。

PB084612.JPG
 北内郭へ向かう。

PB084613.JPG
 北内郭はまつりごとの場所。建物も大きい。手前の建物は2階建て。儀式を行ったようだ。
   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 08:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月04日

吉野ヶ里遺跡(前)

佐賀 吉野ヶ里遺跡(前)

 11月7日の夕刻、博多に着く。
 8日は吉野ヶ里に向かう。吉野ヶ里遺跡の見学である。
 弥生時代の代表的な遺跡である。平成3年に特別史跡に指定されている。

★前5世紀〜前2世紀
 分散的にムラが誕生した。
★前2世紀〜1世紀
 外環壕が作られ、墳丘墓なども作られる。クニとしての形を整えたころ。
★1世紀〜3世紀
 国内最大級の環壕集落になる。北内郭・南内郭を持つようになった。このころが吉野ヶ里の最盛期。

PB084586.JPG
 吉野ヶ里の駅を出る。こちらに降りたのはわたし一人だった。

PB084587.JPG
 駅から吉野ヶ里遺跡まで七百メートル。ほぼ直線に近い。
 右は一面のひまわり。冬のひまわりは寂しい。左はコスモス。
   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月30日

阿蘇山(後)

熊本 阿蘇山(後)
 バスに乗り、草千里阿蘇火山博物館前まで行く。

PB074543.JPG
 地図でも判るように道はヘアピンカーブのように回り込んで、博物館の裏側を通る。そこは高く、展望台になっている。
 まずは博物館を見学し、昼食。

PB074562.JPG
 博物館の前は牧場であり、柵の間から自由に入ることができる。短い距離であるが、馬に乗ることができる。

PB074565.JPG
 展望台に行く。博物館の前は駐車場であり、その向こうに阿蘇の中央火山が見える。

PB074567.JPG
 牧場には二つの池がある。手前に小さく一周する馬道がある。

PB074568.JPG
 あちこちに観光客がいる。わたしも池の脇の高みまで行った。

PB074569.JPG
 噴煙は見る度に形が変わっている。

PB074571.JPG
 こちらの池には観光客がいない。

PB074573.JPG
 展望台から見た池の反対側。これも形の整った小さな火山。山を真っ二つにするような真っ直ぐな線があるが、この写真では判らない。牧場の境目だ。そして向こうの低いところが、阿蘇の街かな。その向こうが外輪山。

PB074572.JPG
 上の写真の右の方、ヘアピンカーブの反対側。

PB074575.JPG
 外輪山が途切れるあたり、熊本から来た電車はここを通るだろう。

PB074582.JPG
 展望台をおり、牧場へと入る。
 博物館や土産物屋が並ぶ。左の方が先ほどまでいた展望台。

PB074578.JPG
 池の向こうには火口から噴煙が上がっている。

PB074581.JPG
 火口とは反対側の池。

 火口が覗けず残念だったが、ここにいても仕方ないので、戻ることにした。

PB074585.JPG
 バス停留所
 日本語・韓国語・英語・中国語。通るバスは少ない。
 中国語の巴士(ba1 shi4)はバスのこと(南方語、普通話なら公共汽車だが今でも言うのかな)。
 二つ並んでいるが、あちこちに簡体字と繁体字の二種で説明などが書いてある。ただここではどちらも同じなので、二つ並んだ。同じなら一つでいいと思うが。
 バスは2時13分ごろ出た。降りた人はいたが、乗ったのはわたし一人。バス一台を借り切りになってしまった。阿蘇駅に着いたとき、ちょうど熊本方面行きが停まっていて、14:43発、すぐに出てしまう。間に合わなかった。
 1時間後の15:47の特急に乗ろうとしたが、これはこの日は運転なし。駅で1時間半待つ。14:13の肥後大津行きに乗ることになった。
 駅前の土産物屋を見る。文字通りの土産の物。とりたての野菜などが多い。饅頭を食べたりして時を過ごす。熊本に着いたのは6時近い。
posted by たくせん(謫仙) at 08:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月27日

阿蘇山(前)

熊本 阿蘇山(前)

 熊本から豊肥本線に乗り阿蘇を目指す。山間の鉄道である。間に合う電車で一番早いのが8:35の特急、阿蘇には9:43到着。その前に7:11発普通もあり、途中で乗り換えればそれ以外もあるが、朝食と相談して、特急にした。
 沿線は片側は山、反対側も谷を隔てて山が連なる。谷には農地や街がある。立野ではスイッチバック。関東では箱根登山鉄道で何度も経験しているが珍しい。そこを過ぎると阿蘇の外輪山の中に入る。下の地図の左側である。

 PB074543.JPG

PB074542.JPG
 阿蘇駅は特急が止まるとはいえ小さな駅。縦の駅名は網走以外では初めて見た。
   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月20日

熊本 本妙寺など

本妙寺など
 水前寺公園からサンロード新市街まで戻る。ここで昼食。

PB064520.JPG
 熊本国際交流祭典なる祭りが開かれていた。写真は先の地震の被災地福島からきたフラダンスチーム。そういえば10月のはじめに常磐ハワイアンセンターが復活したというニュースもあった。

 ここで一休みして、市電に乗り、本妙寺(ほんみょうじ)を目指す。イメージ的には熊本城の裏側という位置にある。
 本妙寺は日蓮宗系の寺。日蓮宗の熱心な信者であった加藤清正を祀る浄池廟(じょうちびょう)がある。奥に長い石段があり、上ると清正の銅像がある。

PB064522.JPG
 本妙寺入口で市電を降りて歩く。1キロほどなので苦にするほどではないが、観光的には行きにくい。遠くに門が見える。
 バスが走っているので、歩くのが苦痛の人はバスを利用すると良い。
   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 08:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月17日

熊本 水前寺公園

水前寺公園(水前寺成趣園)

 明日は立冬という日、相変わらず雨の日であった。ただし寒くはない。
 熊本で熊本城に次いで有名なのは水前寺公園であろうか。ただし水前寺という寺は今はない。
 庭園があって水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)という。
 公園と成趣園は同じなのか公園の一部が成趣園なのか。熊本市の中央部東寄りに位置する。
 始まりは肥後細川藩初代忠利公が御茶屋として作事されたのが始まりという。
 後に整備され桃山式の優美な回遊式庭園となった。一時寂れる。
 明治11年に出水神社が創建されその境内となった。それなら公園ではなく私園ではないか。おそらく境内というのは宗教的な意味合いで、現実は公有地なのだろう。
 つまり水前寺公園と言いながら出水神社の境内である。

PB064494.JPG
 市電は水前寺公園で降りる。案内に従って歩くとすぐにこの鳥居の前に出た。
 明治43年建立、山口県徳山から御影石を船で運んだ。高さ10メートル、柱の直径は92センチ。
 園の入り口はすぐ目の前。

PB064497.JPG
 雨は止みそうもない。
   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 07:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月13日

熊本 旧細川刑部邸

旧細川刑部邸

 頬当御門を出て右へ、北へ向かって歩く。そして左に折れ県立美術館を目指す。

PB054465.JPG
 このあたりは二の丸あたり。このような大木が多い。

PB054466.JPG
 ようやく秋を見つけた。暦の上では明後日が立冬だが、昨日まで鹿児島は夏日だった。
 雨が激しくなってくる。美術館に入り先ずは昼食。
 この美術館にはとくに思い出すこともない。雨のせいもあり外の写真もない。写真がないことがこれほど記憶を薄れさせるとは。
   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 08:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月10日

熊本 熊本城(後)

熊本城 本丸御殿・宇土櫓

PB054433.JPG
 本丸前の公孫樹の樹であるが、手前の大木は枯れている。その向こうに新芽が吹き出し、大木に育った。
 本丸御殿に入る。
 まず、大御台所を見る。煙抜きのため天上のない構造の台所だ。見上げれば丸太の大きな小屋組が見られる。(写真がない)

PB054435.JPG
 大広間だが、鴨居のところで区切って使う。左手に廊下がる。

PB054437.JPG
 正面の画は大きい。
 右手は王昭君の間につづく。
   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 07:53| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月07日

熊本 熊本城(前)

熊本城 登城・天守閣

 夕刻に熊本に着いて熊本駅近くのホテルに泊まった。熊本の観光は何をおいても熊本城だ。家康が恐れたという話もある。
 実際熊本城は大きい。江戸城や大阪城に匹敵するほど。通称は千葉城。
 熊本市では市電や市バスの二日券がある。熊本駅から市電に乗って、市役所前まで行く。熊本城は入り口がいくつかあるが、市役所前で降りるのが判りやすい。

kumamotojouchizu.jpg  横 約800ピクセル

PB054406.JPG
 坪井川を壕として、向こう側に城郭が見える。
   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 11:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月28日

鹿児島 桜島フェリー

 維新ふるさと館を出て、市電で水族館前まで行く、水族館の隣から桜島行きのフェリーが出る。ふつうは4キロの距離を15分ほどだが、一日に1回、11時5分発の、よりみちクルーズがある。50分間湾内を遠回りして桜島に行く。
 コースなどはこちら 桜島フェリー
 これに乗って湾の観光をした。

PB044398.JPG
 直行のフェリー、1階と2階は自動車で、人は屋根のある甲板にいるような感じ。   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 08:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする