2017年05月13日

塔のへつり

会津2 塔のへつり

 会津線の途中に“塔のへつり”という駅がある。塔の岪(へつり)という観光地があるのだ。途中下車して見に行く。駅から300メートルほど歩く。

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 “岪”はちょっとお目にかかれない珍しい字だ。へつりとはこの地方の方言で、危険な崖の意味だという。

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 塔の姿ははっきりしない。説明板がないと判りにくい。

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 この吊り橋を渡って、向こう岸へ行く。

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 削られてへこんだ部分は人が通れる。

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 下流方向、谷の深さが判る。

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 危険というほどではないが、気をつけて通る。

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 対岸つまり、向こうからこちらに渡ってきた。

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 上へ行く。

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 虚空像菩薩

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 茸の傘を思わせる。
 それほど広いところではないので、時間はかからない。戻ることにした。

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 ちょうど桜が満開だった。

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 土産物屋の飾り。何軒か店がある。
 昼時なので、ある店で、(会津の)名物だという、“ソースカツ丼”を食べてみた。ご飯の上に申し訳程度に薄くキャベツの繊切りを載せ、とんかつを載せ、ソース(市販のとんかつソース)をかけただけのもの。うわー二度とごめん。これなら普通に別々に出せば良い。ソースの量だって自分で調整したいし、キャベツも食べたい。
 キャベツが少なくて済む、使う食器が皿一枚省略できるか。まさか。なんかのいきさつがあったんだろうな。お新香が多種で、汁はかけそば。
 会津市内にもあるメニューだが、二度と食べる気がしない。
 トンカツそのものはおいしかったので、この出し方はもったいない気がした。
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2017年05月10日

会津鉄道会津線

会津1 会津鉄道会津線
 何年ぶりだろうか、会津若松へ二度目の旅である。
東武鉄道の新型車輌“リバティ”で、北千住から会津田島まで3時間ほど。そこから会津鉄道会津線に乗り換える。

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 まだリバティが運行して10日しか経っていない。会津田島ではみんながカメラを向けている。

 乗り換えて、“塔のへつり”で途中下車して2時間ほど過ごし(後述)、再乗車して会津若松に向かう。

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 特別列車である。2輌のうち1輌がお座敷車輌で、こうして靴を脱ぎ、布団に腰掛け、車窓を眺めながらの旅になる。4月30日、日曜日ではあったが、5月1日2日は平日なせいか、この車輌の乗客は5人だった。
 「お座トロ展望列車」というのがこれか。1輌はお座敷だったが、もう1輌はトロッコだったのか。そのようには見えなかったが。

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 会津線はかなりの高地を走る。だが山岳列車ほどの勾配はない。トンネルが多く、線路は直線が多いので、案外速い。45キロメートルの区間を70分。列車によって異なる。

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 沿線はあちこちで桜が満開であった。駅ではこうしてこの特別列車の写真を撮る人が大勢いる。
 外装の絵と桜が重なっておもしろいのかな。
 なおほとんどの駅は無人駅である。

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 こうした景色の良いところに出ると、しばらく停まってくれる。

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 トンネルに入ったら車内の照明は行灯スタイル。

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 ダム湖である若郷湖(わかさとこ)。阿賀川(阿賀野川本川)の上流にある。1987年(昭和62年)に竣工した。
 前回、バイクでこの橋の上を通ったときは、中程で身体がふるえた。

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 こちらは谷が深い。
 こうして駅以外でも停まるため、時間はかかる。この線はこうして車窓の景色を楽しむ旅だ。
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2017年05月07日

へび道と谷中銀座

へび道と谷中銀座

 地下鉄千代田線の千駄木駅の近く、千代田線の東側にほぼ並行して、へび道と呼ばれる細い道がある。なんとか車一台が通れる程度の道幅である。
 根津神社に躑躅を見に行き、その帰りに日暮里まで散歩した。

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 根津神社の北口から東へ向かって不忍通りを横切り、200メートルほどで、へび道に至る。ただし直線ではない。

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 この角に来た。振り返ったところ。
 ここから蛇のようにくねくね曲がった道が続く。

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 道は曲がって見通しはきかない。住宅街なので(といっても、しゃれた店などあります)、写真はこの2コマだけにする。
 この道は藍染川という川であった。大正10年(1921)に暗渠にされた。今でも下には流れているらしい。
 へび道が終わって、その延長の広い道をさらに進むと、急に外国人(と思える人)が多くなった。

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 まもなく、谷中銀座の道にぶつかる。

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 この狭く短い160メートルほどの商店街が、なんと国際色の豊かな街であることよ。多くの人が食べ物を持って歩きながら食べている。まるでお祭りのようで、不作法には見えないのだ。

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 「夕焼けだんだん」と言われる階段。
 この階段を上れば、まもなく日暮里の駅である。

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 谷中銀座を見下ろす。ここから日暮里駅まで300メートルもない。
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2017年05月04日

話せばわかる!

話せばわかる!
養老孟司対談集 身体がものをいう
養老孟司   清流出版   2003.9
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 20年近く前の各界の著名人との対談集である。
 それぞれが、一家言のあるひとばかり、蘊蓄に富む話をしている。
 次に記すのは、ほんのわずかの例であるが、対談の中に出てくる。本人が言ったというわけではない。
★山本容子 肖像画は似ていないからいい。似ていてはつまらない。
★竹宮惠子 ひとを描くとき、はじめは骨から描く。絵や文は最初は観察して書く。後のひとはそれを写すが、繰り返している内に内容が異なってしまう。
★岩城宏之 モーツァルトでも日本人が演奏すると、日本語になる。チャイコフスキーの曲を演歌のように歌えるのは日本人だけ。
★米原万里 同時通訳は本当なら透明人間であるべき。
 ひとつの言葉でくくれるいろいろな現象が、民族によって微妙にズレている。(ヨーロッパ系言語と)日本のように歴史や文化が異なる言語ともなると、そこら中にある。
★天野祐吉 昔は本を読むとき、声を出して読んでいた。それを黙読するようになった。日本語は視覚でも意味がとれるので黙読しやすい。
 天野さんは、黙読を発見した人に「考えたらスゴイ人ですね。耳を通さないで意味がわかるようになった。でもね、僕は黙読するとわりあい意味がとりにくい人間なんですよ。無意識のうちに声に出してみたり、頭の中で音読している」
 養老「僕は英語の本を読むとき音読になっちゃうんです」

 この本が発行された頃、著者は バカの壁 という本を出している。
 バカの壁では「話してもわからない理解できない壁がある」ということが主題だ。
 この題名と矛盾している。
 さらに 老人の壁 でも「薬は飲むな、害があるだけ」と非常識なことをいっている。(常識については「バカの壁」参照)。それでわたしは著者の見識を疑っているが、相手の話を導き、内容を理解できる能力はさすがと思う。
 双方の言いたいことの急所は十分に伝わってくる。判りやすく話している。
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2017年04月24日

薀蓄好きのための格闘噺

夢枕 漠   毎日新聞社   2007.9
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 格闘技好きの著者による格闘技の蘊蓄である。
 たとえば、当麻蹶速と野見宿禰の戦いは相撲の始まりといわれているが、戦いの様子を見ると、日本の総合格闘技の始まりではないか。
 古代オリンピックの格闘技は現代格闘技と同じではないか。柔術対柔道、グレイシー柔術、あるいは力道山対木村戦の徹底解説、プロレス、K‐1、PRIDE、さらにはルパン対シャーロック・ホームズの柔道対決など分析している。
「プロレスには八百長なし」こう言われて多くの人は「えっ」と思うのではないか。つまりプロレスは事前にどうするのか話し合われていて、そのストーリーによって動く(フェイクという)。つまり試合ではないので八百長は有り得ない。
 八百長とは建前は真剣勝負である試合にのみ存在する。だから、格闘技でフェイクをしたら、八百長である。
 力道山対木村の試合は、プロレスのはずが(つまりフェイクのはずが)、途中で力道山が格闘技を放ったので、木村が戸惑っているうちに、あのような結末になったとか。
 あるいは格闘技全盛時代の様子など。
 今では格闘技の地上波放送がほとんどない。無くなったのかな。わたしは見るのが好きだったので、残念ではあるが、試合を見に行くほどのファンではない。
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2017年04月19日

醍醐寺2004年

醍醐寺(だいごじ)
 醍醐寺は世界文化遺産である。桜の名所でもあり、豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地として知られている。
 応仁の乱でほぼ全焼しているが、秀吉の頃から再建されている。
 東山のさらに東にあり、京都駅からは山科で乗り換えて、南北に走る地下鉄東西線で醍醐駅まで行き、東に向かって、800メートルほど歩く。まっすぐな道ではない。
 大きく上醍醐と下醍醐に分かれる。
 総門から入った辺りは三宝院などある地域。まずは上醍醐を目指す。

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 場所は特定できないが、枝垂れ桜である。もちろん秀吉の時代の桜ではない。
 総門を入った辺りは桜並木でもある。

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 場所は判らない。
 まず奥へと行った。三宝院の前を通り、仁王門を通ると下醍醐。金堂や五重塔を過ぎる。

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 上醍醐登山口とある。門の名はないようだ。図には載っていない。
 
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 弁天堂
 弁天堂を過ぎると、上醍醐への山道。

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 山道を登る。案内図ではとなりのようだが、説明では一時間とある。直線距離で1.3キロほど。

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 上醍醐不動の滝

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 登山といっても過言ではないだろう。文字通りの入山である。(^_^)

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 整備された歩きやすい道だ。

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 如意輪堂 1613年再建(重文)

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 開山堂 1606年再建
 醍醐寺は874年に、上醍醐に始まる。907年に上醍醐の伽藍が完成した。

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 薬師堂

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 准胝堂(じゅんていどう)
 1968年に再建した建物。2008年8月24日落雷の火災により焼失した。今はない。

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 下醍醐に下る。

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 観音堂、昭和5年の建立なので、この地域では新しい。元は講堂であった。

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 伝法学院、修行道場である。
 仁王門では、10人を越える修行僧の群れに出会った。

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 五重塔
 951年建立、京都最古の木造建造物という。その頃下醍醐の伽藍が完成した。
 応仁の乱でも、この塔だけは火災を免れた。

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 金堂 1600年建立(紀州湯浅から移築) 国宝である。

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 三宝院は1115年の建立。
 唐門 国宝 2010年7月に修復されている。これは修復前の姿である。

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 襖絵、夜桜か。

 三宝院は庭園が良い。一人でゆっくり見ることができた。しばらくしたら係の女性が、「説明いたしましょうか」と言うのでお願いした。

 雨月茶屋で一休み、食事もしたかな。その近くで、初めて水琴窟の音を聞いた。

醍醐寺は真言宗醍醐派総本山
上醍醐のある醍醐山頂は標高450m
境内面積は200万坪(6.6平方キロメートル)以上という。
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2017年04月08日

八ヶ岳1989年冬

八ヶ岳1989年冬

1989.3.11〜12
 冬に弱いわたしは、冬山の経験は3回しかない。これが3回目で、しかも山には登らず、麓を歩いたのみだ。
 美濃戸口から歩き、美濃戸山荘の前から北沢の道を歩き赤岳鉱泉に行った。翌日は行者小屋に行き、南沢を美濃戸に下った。登山というよりハイキングといった方が正しい。
参考地図
http://www.naganogakuren.net/tozanMap/saniki/05yastugatake/03akadake

 以下、写真を撮った位置はおぼろなので、細かい説明は省く。

 登山道ははっきりしている。

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 北沢を何度か横切った。

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 枯れ木の根元は氷が着いていた。水は流れている。
 赤岳鉱泉に泊まった。次の日も晴れていた。南へ行者小屋へ向かう。

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 赤岳。この連峰の主峰である。
 朝早く零下18度を体感した。登山靴の中まで冷え込んで靴を脱ぎたくなるほど。

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 硫黄岳。横岳の北。歩いている背中の方向になる。

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 大同心。このコースでは目立つ。

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 阿弥陀岳。縦走路から外れた位置、赤岳の西になる。

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 大同心とはどんな意味だろう。

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 横岳。のこぎりの歯のような峰の形は判りやすい。

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 赤岳は見上げるだけで済ます。

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 南沢のコースを下る。

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 風のない穏やかな日であった。
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2017年04月02日

姫路城1984年

姫路城1984年
 姫路城は、別名の白鷺城で親しまれている。1993年にユネスコの世界遺産に登録されている。
 江戸時代初期に建てられた天守や櫓などの主要建築物が現存し、国宝や重要文化財に指定されている。建て直したものではない。
 現在の規模になったのは、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政による。
「姫路城跡」として国の特別史跡にも指定されている。
 2009年6月〜2015年3月にかけて、大天守保存修理工事が行われた。
 この写真はその修理の前である。といっても変わるわけではない。

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 ここから姫路城に入る。

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 大手門、戦の備えというより、権威を示す門構えだ。

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 三の丸跡、三の丸広場。

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 三の丸広場にはほとんど人がいない。

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 天守に近づく。姫路城は大天守と小天守3棟を四角く連ねた連立天守である。

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 姫路城の縄張りは複雑。天守閣までかなり距離がある。
 この日は天守閣に登ることができなかったので、内堀の外側を左回りに一周した。
 裏側は石垣ではなかった。

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 五位鷺のようだ。昔から鷺が多かったらしい。

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 一周して、ホテルに引き上げる。

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 元日の朝、天守閣を目指す。

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 左の方から、ジグザクに登っていく。天守閣に背を向けることもある。

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 鉄砲狭間の階段。

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天守閣の下を回り込む。

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 天守閣の下を一周して出入り口に至る。

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 天守閣の西側西の丸跡など。

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 南側。三の丸広場と、その向こうの大通りは姫路駅の方角。

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 東南の方向。下の広場は備前丸跡。備前丸は姫路城の本丸にあたる。

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 三国堀は写っていないが、その向こうに天守閣。

 こう見てみると、天守閣に至る道は複雑で、攻めにくい。しかし、三の丸や西の丸に敵兵が満ちて、天守閣で守るようでは、負け戦で籠城戦にもならない。援軍が来るまでの時間稼ぎくらいか。
 現実的には、敵軍が山陽道を通るのを防ぐのが目的。常に大軍を擁したので、藩の経済的負担は大変だったらしい。
posted by たくせん(謫仙) at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月28日

金庸小説美人番付

2011.3.04作成
2013.3.20一部訂正
2017.3.28一部訂正

 金庸小説や金庸ドラマの紹介はしばらくなさそうなので、金庸小説美人番付を考えてみた。今の時節、あえて番付にするのは相撲を応援しているから。
 横綱は「李秋水の妹」で、すでに引退。 P8222336-1.jpg
 大理国の王子段誉から「仙女さま」と言われる玉像。李秋水の妹であるが名は不明。写真は大理の「天龍八部影視城」にて。
 これを入力しているとき、パンダ「仙女」が到着したというニュース(^_^)。
 もう一人の横綱は陳円円で、陳阿珂の母、呉三桂の妻となってひっそりと暮らしている。
 左が東、右が西は相撲と同じ。( )内はその小説。

横綱 陳円円(鹿鼎記)、     李秋水の妹(天龍八部)
以下は現役
大関 カスリー(書剣恩仇録)、  王語嫣(天龍八部)
関脇 ティギス(倚天屠龍記)、  李秋水(天龍八部)
小結 陳阿珂(鹿鼎記)、     小昭 (倚天屠龍記) 
前頭 ホチントン(書剣恩仇録)、 任盈盈(秘曲笑傲江湖)
前頭 阿九 (碧血剣)、     黄蓉 (射G英雄伝・神G剣侠)
前頭 儀琳 (秘曲笑傲江湖)、  王夫人(天龍八部)
前頭 小龍女(神G剣侠)、    水笙 (連城訣)
前頭 郭芙 (神G剣侠)、    趙敏 (倚天屠龍記)
前頭 藍鳳凰(秘曲笑傲江湖)、
十両 双児 (鹿鼎記)、     何タ守(何鉄手−碧血剣)
十両 李莫愁(神G剣侠)、    夏青青(碧血剣)
十両 凌霜華(連城訣)、     戚芳 (連城訣)
十両 公孫緑萼(神G剣侠)、   阿紫 (天龍八部)
十両 駱冰 (書剣恩仇録)
    
 前頭以下は一応番付にしたが甲乙付けがたい。
  
 次の四系統が上位を占める。
 李秋水・李秋水の妹・王夫人(李秋水の娘)・王語嫣(王夫人の娘)。
 ティギス(金花婆婆)・小昭(ティギスの娘)。
 カスリー(香香公主)・ホチントン(カスリーの姉)。
 陳円円(呉三桂の妻)・陳阿珂(円円の娘、父は李自成)。
 李秋水の妹は話だけで、実際には登場しない過去の人物。ティギス(金花婆婆)は若くはないが若いときは美しかったという。実は今でも美しいが化粧で醜くしている。
 任盈盈は日月神教では聖姑(せいこ)と言われている。信徒から実際以上に美化されている可能性が高い。
 小昭はティギスの娘で母にそっくり。李秋水は88歳だが、若いときは妹そっくり。
 黄蓉は頭の冴えが語られて、美人という記述はほとんどない。
 王語嫣は、段誉が、洞窟の仙女さまにそっくりで驚いたほど。
 現実的にはカスリーと王語嫣が大関。
 ただし美しいのと魅力的とは一致しない。わたしにとって一番魅力的なのは黄蓉だ。次がホチントンかな。だからこの二人は八百長ぎみ。
 女房にしたい女は……、ダントツで駱冰です。

 この中で碁を知っている者は誰か。小説には碁に関する記述はほとんどない。
 記憶にあるのは倚天屠龍記で郭襄の碁が語られているだけ。参考:倚天屠龍記の碁 郭襄はかわいくて賢いが、美人という記述はない。
 碁のシーンはなくても、碁を打てるかどうか推察してみる。
 黄蓉は碁が強いはず。父の黄薬師(東邪)はプロなみのはずで、娘の郭襄(小東邪)はかなりの腕だ。父から教わり娘に教えたと思われる。
 阿九は皇女なので、碁をたしなんでいるだろう。
 微妙なのが、李秋水・李秋水の妹・王夫人・王語嫣の三代4人。
 無崖子が 珍瓏 を作ったのは紹介した。
 李秋水は十代から70年にわたって無崖子を恋い慕っていたので、打てた可能性が高い。大理で無崖子と生活していて娘もいるほどなので、碁を打っていたと思われるが、碁の場面は思い出にもない。死の瞬間に、無崖子が想っていたのは自分ではなく妹だったと知る。
 王夫人は、両親から教わったと思うが、興味はなさそう。
 王語嫣は武術の生き字引でありながら、武術が嫌いで、まったく習得していない不思議な人物。

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 劉亦菲(Liu2 yi4 fei1)の王語嫣
 初めて会った人の武術の構えを見ただけで、「何派の誰それ、得意技は◯◯、欠点は●●」と指摘できる。構えを見るとき、一瞬このような鋭い目つきになる。
 その知識は、無崖子が無量山の洞窟に残した武術の書物+江湖の情報による。碁に関する書物もあったのではないかと思われるが、その話はない。だから王語嫣は碁を知ってはいるものの、婚約者が碁に興味がないため、興味がない可能性がある。ただし、結婚した段誉(大理国の皇帝)はかなり碁が強いので、興味をもったであろう。打ってみたら案外強かったりして、「棋仙女さま」と言われたりする可能性もある(^。^)。

   …………………………

 八百長について。わたしは実は八百長そのものはあまり気にしていない。
 例えば野球。一点差で迎えた九回の裏、ツーアウトランナー二三塁、バッター「イチロー」。こんな時、日本の監督はイチローを歩かせて、次のバッターで勝負するだろう。しかし、大リーグの監督はイチローと勝負するらしい。打たれて試合は負ける可能性が高くなる。たてまえは「勝つことを目的とする」ゲームで、イチローと勝負するのは八百長ではないか。
 例えばサッカー。W杯予選リーグで二勝し決勝トーナメント進出を決めた強豪チームは、予選三戦目はメンバーを落とし、選手も七八分の力で戦って引き分けたりする。これも八百長ではないか。
 相撲もこのような八百長ならほとんど問題はない。
 勝ち越した力士がほっとして、翌日の相撲では力が抜けてしまうこともあるだろう。必死の相手に気力負けすることもあるだろう。
 しかし、勝ち星を100万で買っただの50万で売っただのというのは許せない。
 これがこの問題に対するわたしの基本的な考え方だ。
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2017年03月27日

三舟、奔る!

三舟、奔る!
仁木秀之   実業の日本社   2016.7
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 幕末の三舟といわれた、山岡鉄舟・勝海舟・高橋泥舟の三人の、若き姿を描く時代小説である。
 山岡鉄舟が、明治21年に、勝海舟に向かって、若き日の生き方を語るという形をとる。まだ出世前だ。
 後に山岡鉄舟は、西郷隆盛と江戸城の無血開城の談判をするが、その前の話である。
 小説とはいえ、どこまで史実か気になるところ。
 父が飛騨高山の郡代になったので、高山で育ち剣や禅などを学んだ。17歳にして父の死後、幼い弟5人を連れて三千両を守りながら江戸に出る。途中で賊に襲われたりするのだが、それがきっかけで若き勝海舟や高橋泥舟と出会う。時は幕末に近く、今までの秩序が壊れそうな時代で、いくつかの事件をえて、何とか生き延びる。
 幕末の活躍の苦労話がないと何となく物足りない。これからこの小説のクライマックスを迎えるぞ、というところで話が終わってしまうのだ。
 だから「三舟、奔る!」というより、「鉄舟の助走」と言いたい。
 著者らしく、暗い面もしっかり見つめているので、話に厚みを持った。
posted by たくせん(謫仙) at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする