2024年07月08日

グインサーガ全130巻を読み返す

2017-  記

栗本薫   早川書房
 約2年かけてグインサーガ全130巻を読み返した。
 1979年(昭和54年)9月の第1巻『豹頭の仮面』以来、2009年(平成21年)5月26日、著者が亡くなるまで、30年間にわたり執筆されて、いまだ未完である。
 わたしは第10巻が出た頃に知り、一気に10冊読み、以後は出版の日を待ち焦がれて本屋に通った。
 外伝も22巻あるが、今回は本伝130巻だけを通して読んだ。

 地図上の問題
 グイン読本にカラー地図がある。前に紹介した地図を再掲する。
chizuguin-2.jpg

 海や湖や川は青、海岸部や盆地など低い土地はみどり、高くなるにつれて茶色が濃くなってくる。つまり普通の地図と同じなのだ。地図を見慣れない人でも判ると思う。登山地図になれた人には当然で何の疑問もない。
 ここでは、イーラ湖を底とするパロの盆地、オロイ湖を底とするクムの盆地があり、流れ込む川はあっても、そこから流れ出す川はない。
 ダネイン大湿原も盆地より高いところにある。
 イーラ湖に接続するランズベール川がある。パロの盆地がみどり、少し東に行くと、薄い茶色、そして川はたんだん細くなり濃い茶色のアルシア連山あたりで消える。どう見ても、アルシア連山から流れ出し、イーラ湖に流れ込むように見える。
 しかし、本文の記述は、イーラ湖から流れ出し、下流のアルシア連山の山中に消えると一貫している。水の流れの方向、上流下流の記述も、一貫している。
 アルシア連山の裾野は、イーラ湖より低いところにあることになる。
 わたしは今まで間違っていると書いたが、記述が一貫しているなら、むしろカラー地図が間違っていると考えねばならない。地図作者が誤解したといえる。ただ著者も目にしたと思うので、地図作者を責めるわけにはいかない。
 読み落としていたが、ダネイン大湿原は中原では最も低い土地にある、という記述があった。そうなるとこれもカラー地図が間違っている。パロの盆地の水はランズベール川で排水され、ダネイン大湿原にも排水されていることになる。
 草原地帯は少し高いところなので、ダネイン大湿原から流れ出るアルゴ川は大峡谷になっているのかな。もっとも草原の民は自由に移動しているので、切り立った崖ではないだろう。
 それよりここもカラー地図の間違いと考えた方が早い。
 おそらくパロの盆地は地図よりかなり高く、ダネイン大湿原や草原はかなり低いと考えるところだ。

 もう一つ。
 実際には30年130巻にわたって書かれた。主人公が何巻も登場しないこともあり、5年ぶり10年ぶりに登場する人物もいる。そんなとき読者は「この人誰だっけ」「あの当時の細かいことは忘れた」という状態になる。
 小説ではさりげなくそのあたりを説明している。会話であるとか、立場の違う別な人の述懐だとか、今までのあらすじ風の説明とかで、久しぶりの登場人物やその当時のことなどを読者に思い出させる。これが実に巧みである。
 巧みではあるのだが、今回のように一気に(と言っても2年)130巻を読むと、しかも2度目なので、その人や過去のことを覚えている。そうなると、前に読んだところをもう一度読んでいるような錯覚に陥る。この巧みさは長い間の連載の時は生きるが、一気読みでは逆効果でいらいらするほど。今までのあらすじ、過去の説明ばかりで、いっこうに話が進まない、という状態になる。これは意外だった。
 考えてみれば、初読当時もけっこうだれた感じがしていた。いつまで経っても話が進まない。どこかにそんなことを書いた記憶もある。
 このことで、十年後二十年後の三度目読みはないとみて、本の処分を決意した。

 未完で作者が亡くなった。この先の梗概のようなメモなどを期待したが、なかったらしい。
 その後、グインサーガワールドとして、他の作家がグイン世界を書いている。わたしはその第一巻を読んだが、第二巻以後は読んでいない。機会があれば…と思っていたが、なぜか積極的になれないのだ。本屋でも見ないし…、などと自分で自分にいいわけをしている。
posted by たくせん(謫仙) at 03:56| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グイン・サーガ 外伝1 七人の魔道師

2008-7- 記

    栗本薫  早川書房   1981.2
 古い本だが、読み直した。
 この外伝の設定と、現在進行中の本伝の設定との間にはかなりの齟齬か生じている。それがどうなるかで、ファンの間で、論争が楽しまれている。
 今回の再読で、わたしもいくつか気がついた。
 日本のヒロイックファンタシィは、この本によって始まったと言っても過言ではない。
 いろいろな意味で、記念碑的な物語である。

 ケイロニアの首都サイロンに起こる怪事の数々。
 これには、600年に一度の星々の会があり、そのエネルギーを利用しようとする魔物たちの暗躍があった。
 そのエネルギーを利用するにはケイロニア王グインが必要であった。グインはその信管であったのだ。
            
 著者は本伝で「南無三」という言葉を使ったことがある。
 読者から、これは仏教用語で、ここで使うのはおかしいという話があった。
 これに対し、この場面ではこの言葉がふさわしいと、説明していた。

 これはどうか。
 本書「七人の魔道師」は、600年に一度の星々の会があり、グインはそのエネルギーの信管であることが物語の根元である。しかし本編では、この時代に火器は存在しない。

 火器のない時代に「信管」で意味が通じるだろうか。
 「引き金」ならば、日本語に翻訳した(?)とき、一番ふさわしい表現だったと、することかできる。(「南無三」のように)
 だが「信管」という漢語を使った以上、火器がなくてはならない。

外伝は この世界はメートル法の世界であった。 
本伝は メートル法ではない。

外伝 ケイロニアの皇女(グインの妻)は、グインを拒み続ける。
本編 つねに側でかまってもらいたがる。

等々、齟齬とその解決策を楽しめる物語である。
posted by たくせん(謫仙) at 02:50| Comment(2) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グイン・サーガ 外伝22 ヒプノスの回廊

2011-2- 記

 グインサーガ外伝22 ヒプノスの回廊  
栗本薫   早川書房   11.2

        hipunosuno.jpg

 著者の死去によって中断してしまった「グインサーガ」の別巻22であり、文字通り最終巻である。なお、他の作家がグインの世界を書き継ぐ計画があり、5月にもその第一号が発行される予定である。
 わたしはそこまでつきあえるかなあ、と思っているが、図書館にあれば読みたい。それはともかく。

 この本はいままで収録されなかったものを集めて、これでグインサーガの全ての作品が本になった。
 表題作におけるグインの故郷の星のありようが、違和感がある。「新・魔界水滸伝」のような国を考えていたのだが、これではなぜグインが生まれてきたのか納得がいかない。これを書いた当時はそう考えていたのか。それともこのような夢を見ただけの仮の姿か。

 「氷惑星の戦士」というグインとは異なる短編もある。グインに先行する小説であったという。これでは大きな物語にはできないので、あらためてグインサーガを考えた。
 となると、違和感があるものの、グイン世界の一部として集めたことになる。
 全部で6編

 表紙の絵であるが、このてのアンバランスな絵が多くなった。臀部付近だけを露出し、それ以外は全て隙間なく覆う。こんなスタイルはあり得ないだろう。
 ビキニでもいいし、全裸でもいい。「フェラーラの魔女」スタイルならかまわない。しかしこのスタイルはまるで覗き。画家のセンスを疑う。
posted by たくせん(謫仙) at 02:49| Comment(4) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月18日

烏鷺寺異聞

書庫−烏鷺寺異聞 に加筆

 来年の大河ドラマは紫式部。それでこの本を思い出した。紫式部が碁を打っていたことは知られている。源氏物語を読んでいても、碁の場面があり、記述は正確だという。ただし訳者が碁を知らないと、変な訳になることがある。
 現代でも小説で碁を記述するシーンがあるが、碁を知らない人の記述は、どこかおかしいことが多い。
 わたしは大河ドラマに期待している。 

   篠田達明   徳間書店  1998.12. 
  烏鷺寺異聞−式部少納言碁盤勝負
 前に、次のような文を書いた。
 わたしの完敗した一局を紹介しよう。わたしの黒番である。

 ……。もうひと隅の小目の黒に、白は「氷河倒瀉」でかかってきた。わたしは「朝天一柱香」で受けたが白は「千里流砂」に変じた。
 そうなると「朝天一柱香」の位置がなんとなく重いので、「白砂青松」でかわそうとしたが、白は「及時驟雨」で追撃してくる。

 このアイディアは自慢であったが、なんと同じアイディアですでに本が書かれていた。(ちなみにこれらの技の名は架空である)
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 紫式部と清少納言による囲碁五番勝負である。
 時は…、もちろん両者の活躍していた時。
 当時すでに碁が盛んであったことは、「源氏物語」や「枕草子」で知られている。

     uro.jpg

 さて。
 高明流の名手で、胸突き式部といわれる紫式部。
 伊勢流の凄腕で、殺生納言といわれる清少納言。
 この二人が烏鷺寺で五番勝負を行うことになった。
 この理由は、占いが力を持っていた平安時代ならでは。
 つまり、この碁に勝つと、皇子を授かるとか。

 政界の実力者、藤原伊周(これちか)と左大臣藤原道長の争いに巻き込まれたが、巷ではあちこちで大金が賭けられ、どちらが勝っても大騒ぎになりそうな雰囲気である。
「鴎の墜落」、「烏の大崩し」、「雀の小崩し」、「寝たきり鷲」、「狂乱家鴨」、「女郎花の散策」、「戦う鴛鴦」、「桔梗の嘲り」、「頬白踊り」、「仏の座の転落」といった技が駆使され、盤上では熱い戦いが繰り広げられるが、なんと、これが二人の相談による八百長勝負。その目的は、道長の強引なやり方に対する反発。言葉や行動ではその場で消えてしまうが、棋譜に残せば永久に消えない。
 そこで碁盤に文字を書こうとするのだ。
 途中、双方からの買収や妨害工作などに邪魔されながらも打ち終え、道長の魔の手から逃れるため都落ちする。

 夢中になって読んでしまった。
 いくつかのキズを指摘できる。だがそのキズを補ってあまりあるアイディアがある。
 まずここでいつもの如く5目半のコミ碁が打たれること。コミ碁は昭和になってできた制度で、平安時代にはなかったはず。公平にするため立会人が考え出したとすればよい。
 上手が白をもつこと。この時代は上手が黒を持ったのではないか。異説もあるが、少なくとも白とは決まってはいなかったはず。
 「そもそも、二人が仲良しだとか、その二人が碁を争ったり、碁の流派や技の名があるとか、無理な設定があるのを無視して、そんなことを批判しても…」、という意見もあろうが、それはこの本の設定であって問題ではない。上のようなことは本の設定では決められないことだ。
 というわけで、こういう枝葉のことをきちんとしておくと、本筋の大嘘が生きてくる。
 碁に興味のある人にはお勧めである。
 なお、烏鷺(うろ)は碁の別名。手談(しゅだん)・爛柯(らんか)も同じく。
posted by たくせん(謫仙) at 07:54| Comment(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月23日

ある対局の手筋

 先日の「幽玄の間」の対局で、わたしの白番。

23.1.jpg

 アタリを打ち、黒さんは継いだので、なんか教科書に出てくるような手筋が決まった。(^_^)(^_^)
 
23.2.jpg
 ここで終局。
 自慢したいのは、最後の一線のツナギまで読めたこと。
 初めての経験だ。
 黒さんは投了したが、もし投了せずに L4 にアタリを打って、あるいは他の手でも、対局を続けたら、負けにくい碁でありながら、実は勝ちきることは容易ではない。
posted by たくせん(謫仙) at 16:41| Comment(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月01日

サピエンス全史 ホモ・デウス 続き

 サピエンス全史 ホモ・デウスの続き ではあるが、民主の国とは の続きでもある。

ホモ・デウス 下
 本の話は他で読んでいただくとして、ここではわたしが気にとめたことだけにする。
 以下のように、この本はわたしの意見に共通するところが多い。もしかしたら、多くの人がそんな感想を持ったのではないか。

88ページ
……、自由主義は、競争相手の社会主義やファシズムからさまざまな考え方や制度を採用した。とくに、一般大衆に教育と医療と福祉サービスを提供する責務を受け入れた。とはいえ、自由主義のパッケージの核心は、驚くほどわずかしか変わっていない。自由主義は依然として個人の自由を何よりも神聖視するし、相変わらず有権者と消費者を固く信用している。

94ページ
 もしあなたが国民保険サービスや年金基金や無償教育制度を高く評価しているのなら、……マルクスとレーニン(……)によほどたっぷり感謝する必要がある。

 自由主義は、社会主義との競争で、「一般大衆に教育と医療と福祉サービスを提供する責務を受け入れた。」が、社会主義国がほぼ消滅しても、それは取り消さなかったのだ。
 では社会主義国が消滅しなければ、もっと充実したかといえば、それは怪しい。経済力とのバランス問題だ。経済力のない自称社会主義国ではこの社会主義的制度は不可能であろう。
 多くの思想や宗教哲学は、その成立年代の生産方式や生産力と結びついている。パソコンやインターネットのなかった時代に成立した思想に、現在の生き方を求めるのは、無理があろう。社会主義は蒸気機関やようやく電気の用いられた時代の哲学で、そのままでは現代では通用しない。自由主義社会のように現代的にアップする必要がある。

89ページ
 中国は依然として共産主義であるというのが建前だが、実際には大違いだ。中国の思想家と指導者のなかには儒教への回帰という発想をもてあそぶ者もいるが、それはおおむね便利なみせかけにすぎない。

 いまだに中国を共産主義だと思ってる人が大勢いる。中国の悪いところを指して、「これだから共産主義はダメなのだ」と。
 しかし、わたしは中国を共産主義国だとは思っていない。
 古代中華の象徴として、「礼は庶人に下らず、刑は大夫に上らず」という言葉がある。
 政府高官は刑罰を受けないという特権だ。これを現代でも実行している(と思われる)。だから賄賂は当たり前。賄賂ではなく、自分の領土からの税収くらいに思っているようだ。
 大夫は礼によって規制される。人格優れた人が建前だ。だから刑罰は不要。しかし、トップの疑念を招けば、つまり人格が疑われれば処罰の対象となる。証拠もなく疑念だけで処罰されるのだ。
 この思想は孔子の時代の思想で、清の時代になっても科挙の中心科目だった。
 もっとも科挙に合格するような人は、かなり頭のいい人だ。だから政治においてもかなりのことはできよう。しかし、孔子の時代の政治思想が今でも優れているとは思わない。
 科挙はなくなったが、精神はほとんど変わっていない。中国共産党は共産主義を自称しているが、儒教思想は抜けきれていない。そもそも中国の経済力では共産主義は無理だ。
 さて、共産主義社会になるとどうなるか。おそらく誰も共産主義のことなど気にしなくなるのではないか。
posted by たくせん(謫仙) at 17:10| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月31日

サピエンス全史  ホモ・デウス

2021.5.10 記

 初めて読み終えてない本の紹介をする。
 間違いがあるかもしれない。非難する人がいるかもしれない。

 わたしは宗教を信じない。しかし、バカにはしない。
 漱石の草枕。
 人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
 そう、この世を作ったのは神ではない。これは十代の頃から思っていたが、わたしの考えをはっきりさせたのは、宮本武蔵の五輪書である。
 神仏を尊びて、神仏を頼らず
 そうだった。宗教には頼らない。しかし他人の信仰心は尊重する。静かに、宗教規律を守って生活している人に対しては、尊敬心もある。ただ他人を攻撃したり、しつこく勧誘する人には怒りを覚える。だから、宗教による戦いは理解出来ない。

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 先日、ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史−文明の構造と人類の幸福」と、その続編とも言える「ホモ・デウス−テクノロジーとサピエンスの未来」を途中まで読んだ。そして投げ出した。
 まわりくどく、何を言っているかさっぱり判らないのだ。整理して、全部で四冊を二百ページほどにしたら、少しは判るかもしれない。
 「サピエンス全史」が人類の過去、「ホモ・デウス」が人類の未来を語る。
 ネットで、その要約や、書評などを読んで、ようやく大意をつかんだ。

 現人類が、架空の話を作ることができることが、他の人類を滅ぼし勝ち残った理由だという。
 他の人類が架空の話を作ることができないと、どうして知ったのかは判らないが、架空の話、たとえば神を偽造したり、言語だけでも意味を伝え、噂話を確かめもせず信じる。貨幣制度など、虚構に類する実態のない概念を理解できる。
 その架空の力で大人数をまとめた。そして国家を作った。
 確かに国家を作ったのは現人類だけだ。他の生き物で、言語を持つと言われる生物も国家は作れない。
 生物は、階層化される。
   神
   支配者層
   一般の人
   家畜(一部の人も含まれる)
   他の生命

 そして、将来は、次のように分類されると予想する。
   アルゴリズムと、アルゴリズムを操る神となる支配者層
   家畜(ほとんどの人はここに分類される)
   他の生命

 支配者層以外のほとんどの人は家畜に分類されるのだ。
 現在でもAIに支配されている人が多い。さらに進むと、衣食住からさらには恋人や結婚相手までAIに支配されるだろう。インターネットがないと何もできない。アルゴリズムの奴隷になるのだ。
 神とは、AIやAIなどの情報を支配する人たちだ。

 もはや、この状態は宗教ではないか。ここで最初の述懐か出てくることになる。

参考 https://note.com/nogacchi/n/n0a09f10fa38e
ホモデウス図解 神になろうとするサルたち

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
以下ほとんど不要の駄文

 翻訳物は、回りくどくて意味が判りにくいという話。わたしの頭が足りないだけではないだろう。

ひとりの男が…
 前後の文を見て、あれ、この文脈だと、一人でなくても、女性でも当てはまる話ではなかろうか。と考え込んでしまう。
 
「…誰だか知りませんが、一人、または複数の人間と連絡していたのを見つけたんです!」ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団p504
一人、または複数の人間、これ以外の状況はあるのか。

 この本では、
 1943年にドイツのある男の子が父親にきいた。
 1943年でないといけないのか、女の子や母親では該当しないのか。
 男の子に限定した意味は何か。
 これが伏線だと思って気をつけていると、何の関係もない。だったらなぜ男の子と限定したのか。

 このような本は、結論ばかりでなく、結論にいたる道筋も大切だが、それでも冗長すぎる。
posted by たくせん(謫仙) at 09:41| Comment(1) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月18日

薬屋のひとりごと

2023.4.4  記
2023.4.18  追記

日向夏   主婦の友社   2014.9

   2023.4.4..jpg

 小説 薬屋のひとりごと を読んでいる。
 異世界ものというのだろうか、仮想の国が舞台である。
 意外な話が伏線となっていて結構おもしろい。作者は日向夏、推理作家だとか。
 花街育ちの猫猫(マオマオ)は、さらわれて、宮廷の下女にされてしまう。年季が明けるのを期待して、医薬に詳しいことを隠している。
 ことの始まりは、皇帝の多くのこどもたちが短命であり、今も苦しんでいるこどもがいたこと。この子を密かに助けたことが知られて、毒味役に採用される。
 毒味役をやりながら、みずから薬を作り、多くの人を治療をする。その過程で、王宮や貴族の陰謀に巻き込まれてしまう。

 中華王朝風の架空の時代。日中混合で迷うことが多い。
 たとえば登場人物名が、猫猫(マオマオ)、李白(リハク)、羅漢(ラカン)、羅門(ルォメン)。わたしには判りやすいけど、どうだろう。
 碁や将棋も出てくる。将棋のコマは、角行や竜王。日本将棋のようだが、成り金・成り銀という言葉には、作者は将棋を知っているのかな、という疑問が生じた。日本将棋ではなく、架空の将棋というゲームであるならかまわない。そのような説明がさりげなく欲しい。
 碁では珍瓏と書き、かなは「ツメゴ」とある。珍瓏(ちんろう)と詰碁(つめご)は異なる。似ている部分もあるが、それは一部分。それで、碁も知らないのかなと思うが、碁を知っている人でも誤解している人がいるので、こちらはなんともいえない。
 こんなふうに碁や将棋に関しては、微妙なずれがある。この世界ではそういうゲームと考えるか。
 医薬医療に関してはかなり詳しい。もしかしたらプロから見れば怪しいところがあるかもしれない。しかしそれはかまわない。それは正しいという設定の小説だからだ。
 逆にいえば、設定以外では正しく書く必要がある。(わたしは古いSFファンなのだ)
 弁髪ではなく、将棋の成立年代や、サツマイモ(コロンブス以後の情報)などが登場したりするので、モデルは明朝かと思う。
 大陸の中央にありながら、よく海の新鮮な魚が登場する。海は近いのか。早馬で運ぶとあるが、距離感が合わない。
 漫画でもこうか? 漫画なりの変更が加えられたりしてないのかな。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
2023.4.18 追記
 第4巻で碁を打つ場面あった。棋譜にとってある。それを第6巻で再現する。紙束があり、一手づつの棋譜が書かれている。
 途中で失着があり、そこで終わっている。
 羅漢(ラカン)と猫猫(マオマオ)が棋譜どおりに打ち、終わってから羅漢が一人で打ち、ヨセに入り、
「あとはよせだけだ」
 手を止めて、
「もう勝敗は決まっている。五目半のこみを入れて、黒の一目半勝ちだ」
 棋譜どおりに打つのはともかく、続きを打って、勝敗を言うのは、プロ級の高手ではないか。これは日本ルールである。しかも少し古い。
 日本では、昔はなかったコミが、1934年に導入されたときは2目半であり、それから順次4目半、5目半、6目半、と改正された。
 五目半だったのはおおよそ1964年から2002年までである。
 計算方法の違いもあるが、中国ルールでは一子二子と数えた。現在のコミは3+3/4子(7目半に等しい)とする。コミの採用は日本より遅い。一子は2目であり、半目は1/4子と表現する。だから昔は半目はなかった。これもこの世界のルールがこうだと割り切ろう。
 著者は「ヒカルの碁」で碁の知識を得たのかな。「ヒカルの碁」では五目半で通していた。

 第8巻では碁の大会があるが、周辺の話ばかりで、打ち碁の話はかすめる程度。

    思わぬところで碁の考察
posted by たくせん(謫仙) at 16:54| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月19日

幸福な監視国家・中国

2022.10.23 記
2023.3.19 一部独立

梶谷 懐, 高口 康太    NHK出版   2019.8

     22.10.22.jpg
 この本はコロナ・ウイルス騒ぎ以前に書かれた。それ故に現在ではかなり様子が変わったと思われる。故に細かいことは書かない。
 わたしが読みながら感じたことである。だからいつもの本の紹介とは違う。

 幸福論ではない。ここでいう監視国家は、「1984年」とは少し異なる。
 たとえば暴力が支配する地域があったとしよう。その地域の至るところに監視カメラが備えられれば、そこに住む人々は幸福感を味わえる。そんな意味合いだ。
 中国では法整備が追いつかず、民間(?)でダイナミックに事業を展開してしまう。中国の急成長はそれに由来するところが大きい。時の権力者の資金源になるため、違法でも保護される。そして、国際社会でもルールを無視して勝手に展開する。 
 それがここに来て、停滞してきた。国内では共産党内の派閥争いで、旧権力者の保護による有力企業が打撃を受けている。習近平は国の経済より、権力争いを優先して、他派閥資金源の世界的企業に圧迫を加えている。
 国際社会ではルールを守らず退場を余儀なくされている場合もある(アメリカの株式市場など)。コロナウイルス問題もあり、見通しは明るくない。
 この本が書かれた当時はイケイケの中国経済だったが、現在は暗雲が垂れ込めている。こんなわけで、内容は興味深いが、全てを信用できるわけではない。
 この本ではかなり誤意見が見受けられる。特に大企業を民間企業とするあたりだ。ほとんどは半国策の会社であろう。その時代の有力政治家の派閥資金源になっている。
 自由意見を言えるだけの環境にいない人に世論調査をしても、ほとんど無意味だ。逆に自由意見を言えないことが垣間見える。
 そんなわけで、監視社会が中国で受け入れられた社会土壌など、参考になる。
 将来に対する展望は希望があるのだが、それもコロナ・ウイルス騒ぎや、国策企業への圧迫などで、かなり狂ったのではないか。習近平派閥の資金源企業がすぐに育つかどうか。

民主の国とは に続く。
posted by たくせん(謫仙) at 08:28| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月22日

中国共産党の歴史

中国共産党の歴史
高橋伸夫   慶應義塾大学出版会   2021.7

 この本、内容は素晴らしい。漠然としか知らなかった中国共産党の歴史を克明に書いている。
 たとえばわたしは、戦前の中国共産党は、名前ばかりでほとんど力がなかった、と思っていた。ところが、1925年1月の党員は994人だったのが1927年春には5万7967人になっている。
 本拠地で共産党を支えた財力は、半分近くが麻薬だったという。
 長征(あの大敗走)のころでは軍30万〜40万で、貴州省の戦いで約三万人になった。
 毛沢東軍以外にも各地に小さな共産党軍がいた。
 あるいは内部抗争のすさまじさ。
 これらを書いてあるページを示したいが、探せなかった。このような断片的なことは、ここに書いてもあまり意味がないので、ここまでとする。

 戦後では、胡錦濤の一期目は前の江沢民に支配され、二期目は習近平に掣肘を加えられ、ほとんど活動できなかったという。
 先の共産党大会で、胡錦濤が資料を開くことも妨げられ、追い出されたシーンがあったが、この本を読んで納得した。

 内容はいいのだが、日本語がはっきりせず、印象が薄い。
 まず、縦横ともいっぱいに文字が入り、改行が1ページに2回か3回で、だらだらと続く。思わず読むのをためらう。また余計な修飾が多い。

22.16.2.JPG
 序文を読んだとき、外国語の翻訳かと思った。しかし、著者は日本語を母語としているはず。文章はまず英語または漢語の論理構造で作り、頭の中で翻訳して書いているようだ。
 例を挙げる。最後のページである。

 習近平政権は、二〇一九年末に武漢からやがて中国全土へと拡散した新型コロナウイルスを、世界全体へと拡散させた後に封じ込めた。だがこの「成功」は大きな代償も伴った。

@習近平政権は……封じ込めた。 の間が長すぎ。これでもこの本では短い方だ。
A拡散させた後  拡散方法は書いてない。主語を勘違いしたか。翻訳ミスか。わたしは「拡散してしまった」と思う。「拡散させた」とは思わない。
B封じ込めた。  「封じ込めようとした。」であろう。
Dこの「成功」は  中国語では“成功”とすることばであろう。「成功と称する」の意味。

 他にも「AはBではなくCである。」これが多行に渡ると、どこまでがAで、どこまでがBで、どこまでがCか、判然としなくなる。自分の知識で補うことになる。
 代名詞の使い方が一定していない。無生物主語も多い。たとえば、
膨大な資料は研究者の心を折る。 これは「研究者は膨大な資料を見て心が折れる」の方が良いが、正しくは研究者とは自分のことだから「膨大な資料を見て心が折れた」で良いはず。
posted by たくせん(謫仙) at 09:43| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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