2017年03月18日

落日の譜

落日の譜   雁金準一物語
団 鬼六   筑摩書房   2012.12
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 雁金準一といえば、碁好きにとっては、伝説的な人物であった。
 この本で、具体的な人物像を知ることができた。
 明治・大正・昭和初期の囲碁界は混乱の時代である。明治維新によって幕府の庇護がなくなり、自分の力で生きる道を探さねばならなかった。
 囲碁界の重鎮である本因坊家も明治のはじめには断絶の瀬戸際まで追い詰められながら、なんとか命脈を保った。
 雁金準一は伊藤博文に才能を認められ、庇護を受けながら専門棋士として成長していった。本因坊秀英を尊敬しながらも、対立的団体である方円社に所属し、同時代の棋士の信望を集めていた。
 本因坊秀英の希望と秀英没後は秀英未亡人の要請もあり、次の本因坊の声が高かったが、アクの弱さが災いし、田村保寿(21世本因坊秀哉)にとられてしまう。結局、実力的にも棋界の頂点を極める前にプロ棋界を去ることになる。
 本因坊家以外では、方円社・裨聖会・棋正社・瓊韻社などが設立されては潰れていき、それに関わる人たちを、良くも悪くもいきいきと書いている。
 高田民子の囲碁界への援助には驚く。それによって明治の碁会が保たれたようなものである。
 棋士の品格も、人間としての品格と同じで、決して別な世界の話ではないことを示している。

 この本は著者の死去により未完である。高木祥一九段が「その後の雁金準一」を書き加え完成させた。
 著者は高木祥一九段の紹介で、瓊韻社(けいいんしゃ)の富田忠夫八段に面会し、話を聞き資料を集めている。

参考
雁金準一 1879〜1959、1941年に瓊韻社を創設。
本因坊秀栄1852〜1907
本因坊秀哉1874〜1940 本名は田村保寿(やすひさ)。
富田忠夫 1910〜2002 雁金準一門下。学習院大学卒。1941年飛付三段、1997年名誉九段。門下に王銘エン、鄭銘瑝、鄭銘g、郭求真、渋沢真知子など。1994年大倉喜七郎賞受賞。
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2017年03月14日

壺阪寺1977年

壺阪寺1977年
 壺阪寺は高取町にある。明日香村の南である。

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 人形浄瑠璃『壺坂霊験記』で有名なところ。
 浪曲でも、「妻は夫を労りつつ夫は妻に慕いつつ〜」 と、ちょっと日本語としておかしいが。
 盲目の沢市と妻お里の夫婦愛の奇跡の舞台。
注:寺の名は「阪」、浄瑠璃は「坂」を使っている。

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 現在はこんなに余裕はなさそう。びっしりと建物が建っているようだ。

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 思えば初めて牡丹を見た記憶がある。

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 匂いの花園、盲人のために香りの強い花ばかり集めたという。

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 この椅子は座ると歌が流れる。
 今でもあるのかな。検索すると全体的に当時なかったような物ばかり。

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 五百羅漢。高取城趾への途中にある。壺阪寺の所属らしい。

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 高取城趾は石垣のみ残っている。典型的な山城で、城が壊れると江戸幕府に許可をもらう前に修理をすることができた。他の城では許可をもらってからにしないと、お家取りつぶしにあったという。規模はかなり大きかった。
 
 壺阪寺からとは別な道を高取町に下った。2キロ以上あったかな。細い登山道である。しかもその道は城趾でもあった。
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2017年03月09日

明日香1977年

明日香1977年

 明日香村(あすかむら)といえば、日本古代史の地である。
 奈良県の中央付近にあり、中央集権律令国家の誕生の地であり、飛鳥時代の宮殿や史跡が多い。
 いまだ村であるのは、村全体が史跡であり、開発が制限されているからだ。
1977年5月、そのときは、まだ村についての詳しいことは知らなかった。わたしが初めてカメラを持ったときだった。
 岡寺駅で降りて、バスで村役場近くまで行った。その近くの民宿に泊まった記憶がある。
 第一の目的は岡寺(龍蓋寺りゅうがいじ)であった。この寺には掌にのるほどの小さな観音像があるはずだった。しかし、それは京都博物館に貸し出されていて、見ることはできなかった。後に京都博物館で見ることができた。
 いま岡寺を検索しても、この像の話が出てこない。どうなったのだろう。

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 岡寺は少し登る。

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 仁王門、西国七番霊場岡寺。

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 ここも岡寺と思うが記憶にない。上記の観音像がなかったのですぐに退散した。今ならじっくり見るだろう。見所は多いようだ。
 小さな寺だという記憶がある。とんでもない、大寺らしい。当時は寺や宗教に対する知識がなかったのだ。

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 石舞台古墳
 バスに乗って石舞台古墳へ。封土がなく、石が露出している。蘇我馬子の墓ではないかといわれているが、被葬者は不明である。
 最大級の方墳であり、天井石は約77トンもある。
 当時は農地の中にぽつんとあって、訪れる人もほとんどいなかったが、今では整備された公園になっている。

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 川原寺(かわらでら)跡。国の史跡に指定されている。礎石を見ると、大寺院であったことを実感する。
 向こうの寺は弘福寺(ぐふくじ)で、川原寺の金堂かあったところ。

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 川原寺(かわらでら)は、飛鳥寺(法興寺)、薬師寺、大官大寺(大安寺)と並び、飛鳥の四大寺の一に数えられた大寺院であった。
 向こうに見えるのは橘寺。
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 川原寺跡のすぐ近くに聖徳太子ゆかりの橘寺(たちばなでら)がある。

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 橘寺の本尊は本堂に聖徳太子、観音堂に如意輪観音。

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 天武天皇9年(680年)4月に火災に遭っている。つまりこのときには寺があった。
 史実としては、橘寺の創建年代は不明である。
 この寺には五重塔の心柱の礎石がある。このとき心柱は礎石の上に乗っているだけと知った。それまでは地中に埋まっていると思っていた。

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 有名な亀石。製作意図は不明で、未完成説も有力。

 以下の石は猿石と呼ばれている。

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何のために作られたのだろう。
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2017年03月05日

室生寺1977年

室生寺1977年

 室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市にある山岳寺院で、真言宗である。女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名がある。機会があったらシャクナゲの時季に行ってみたい。
 室生口大野からバスに乗って山に登る。バスの時間はたいしたことはないが、このとき乗り物酔いで目的地の少し手前で降りた。

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 仁王門から入る。

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 金堂へ階段(鎧坂)を上る。全体的に山の中腹にあり、坂道と階段が多い。

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 金堂
 雨が降ってきた。こうなるとカメラを出すのも面倒になる。
 中には国宝や重文の像が並んでいるが、記憶にない。暗くて見えなかったか。

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 屋外にある五重塔では最も小さいという国宝の五重塔(平安時代初期)。法隆寺五重塔に次ぐ古塔でもある。
 1998年に台風で一部破損した。もちろん修理された。いまの写真を見るとイメージが一新。まるで新品のようだ。
 特徴は小さいこと以外に、屋根の大きさが一層目と五層目であまり変わらないこと。にもかかわらず、塔身は上層がかなり小さいこと。

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 奥の院への長い山道の途中。

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 門から出て、室生川の下流方向。

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 同じく上流方向。

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 小雨になった。
 バスで山を下りる。

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 駅の近くにある大野寺の弥勒磨崖仏。

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 川の向こう側であり、像ははっきりしない。晴れていればきれいに見えたか。
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2017年02月19日

銀河乞食軍団 つづき

銀河乞食軍団 つづき
 消滅!? 隠元岩礁実験空域
野田昌宏  早川書房   2009.11

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 まえに紹介した 銀河乞食軍団 の続きである。
 これで「発動!タンポポ村救出作戦」が完了する。
 もう一度言うが、A4三段組み5冊合本というのは無理があるなあ。図書館では他の作家の本だが、束が5センチ以上ある本がある。見ただけで読む気がなくなる。

 わたしは金庸小説のような、女の子や老人が活躍する話が好きだ。この本も女の子が活躍する。
 “銀河乞食軍団”つまり星海企業の宇宙船整備工は、下の“おネジッ子”はなんと12〜13歳、初級の学校を卒業すると、すぐに整備工としては働かねばならない。それを引っ張る班長のお七と副班長のネンネは17〜18歳。こんな子どもたちが、宇宙船を整備し操縦する。免許証はとれたのだろうか。免許制度は無いかもしれない。
 人類が宇宙に進出して、この銀河の辺境に来て千年以上(?)もたっていて、軍事的専制国家。新兵器を開発して、中央に進出し制圧しようという、軍産複合体が支配する。庶民の人権はなきがごとし。
 星海企業はその軍産複合体の裏をかく。

 金持ちの娘が偽善でやっている慈善事業で歌われる男声合唱は「月光とピエロ」で、歌の様子を細かく説明している。

   月の光の照る辻に…
   ピエロ…ピエロ…
   ピエロ淋しく立ちにけり…
   ピエロの姿、白ければ
   月の光に濡れにけり
     ‥‥‥‥

 検索してみたら、今でも歌われている。こんな所は現実的。

 前に書いた、「ん」を「ン」と書くやり方は、一冊目の半ばから復活している。
 全体的には、江戸時代のような社会で、名前や運用体制は明治時代。機械類は昭和時代と宇宙時代の混合。登場する人物は冒険心にあふれている。
 敵役の軍産複合体も内部事情は複雑で、星海企業を一気に押しつぶすようなことはしない、できない。
 
 終わり方が唐突だった。まだ作戦途中なのに、あちこちの伏線が回収し終わっていないようなのに、タンポポ村が帰ってきたので、つまり目的が達成されたので、切ってしまったような終わり方。予定変更もあったらしい。第二部があるので、そちらで回収するか。
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2017年02月18日

銀河乞食軍団

銀河乞食軍団 合本版
野田昌宏   早川書房   2009.6  (1982初版)

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 銀河乞食軍団(全十七巻)は、日本SF(スペースオペラ)では一二を争う傑作だと思っている。

 文庫版はもう手に入らないが、なんと合本版が有ったではないか。
 早速注文した。2冊で十一巻まで、第一部「発動!タンポポ村救出作戦」完結である。
 A4三段組み。重い。気軽に持ち歩くことはできない。
 残念だが、イラストは変わってしまった。

 さて、著者の特徴である、独特な仮名づかいがある。
 なんてかかられたら、あたい、死ンじゃうわ。
 わかったもンじゃないわ。
 もろにつンのめる形になって、
 おねえさン。

 「ん」を「ン」と書くのだ。はじめの十ページくらいまでは何度か出てくるのに、その後は全然使わなくなってしまっている(まだ読み終わっていないので後に出てくるか)。新しく組み直したので、校閲で訂正してしまったのか。初版もそうだったのかな。
 この方法は便利なので、わたしもまねして使っている。
   この小説はなんておもしろいンでしょう。というように。
 電話するのにダイヤルを回すのも懐かしい。あの頃はケータイなんてなかった。

 著者は、古いアメリカSFのコレクターで有名である。それらをクズと喝破した。
 たとえば西部劇の馬を宇宙艇に変えただけだったり。
 最近の映画でも、エイリアンは野蛮な侵略者だったりする。何十万光年の彼方から来ることのできた宇宙人は、地球人よりよほど進歩した文明の生物だと思うのだが。
 本書では、著者は逆手にとって、宇宙時代に江戸時代を再現する遊びをしている。いろいろ矛盾もあると思うが、承知の上である。
 たとえば、舞台は星涯(ほしのはて)星系の第四惑星である白沙(しろきすな)とか。 軍団のリーダーのひとり、お富さんの登場シーンは、
 事務所の長火鉢で煙管(キセル)の刻みを詰め替えながら
 という具合。これでもお富さんは核融合炉のスペシャリスト。番頭さんや奉行もいる。
 宇宙空間で日本語が普通に通じるのも、設定を工夫しているからだ。
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2017年02月11日

「幽玄の間」終局問題

「幽玄の間」終局問題

 先日、インターネット碁「幽玄の間」の対局で、おかしな事件(?)が起こった。
 わたしはすでに10年5千局以上打っているのであるが記憶にない。それが2日続いた。過去にもあって、管理者に解決してもらっていたのかもしれない。

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 黒がわたしである。いま▲を打ったところ。その前の一線の白も問題だが、それは無視。
ここで白から何度も“終局要請”のメッセージが送られてきた。
一度目は“拒否”、二度目は「今は終局場面ではない」と書いて拒否、ちょうど管理者がいない時間帯だったので、三度目は「投了か引き分け要請かを押しなさい」と書いて拒否。
五回目で、自動的に“保留”になって終了した。

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 続いて次の日にも別な人だが同じことが起こった。
 これもわたしの黒で、この場面で白から数度の“終局要請”、そして自動的に“保留”になって終了。
 自動的に保留になる機能があるなんて知らなかった。

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 画面の右下にはこんなボタンが付いていて、ここをクリックするのだ。

 管理者から、丁寧な連絡を頂いた。こんな事が起こりやすいので、解決策を考えているという。
 ネット碁になれた方なら、事の意味が判り、解決策なるものも推察できよう。
 そうでない方のためにちょっと詳しく書く。

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終局図
 これはまだいくつかダメがある。しかしこれで終局である。中国サーバーでもダメが空いた状態で終局しているので、終局には問題はないだろう。
 問題は、ダメが無くなったとき手が生じる可能性があることだ。それを片方が気づいていて、片方が気づいていないとき、どうするか。
「終局ですね」「……」となれば、「終局ですね」と言った方も、相手が同意しないのでまだ手があることに気づく。
 かと言って、相手は同意してしまっては、その手を打つことができず、勝ちを逃がすことも考えられる。
 こんな場合を考えて、プロは対局ルールが変わった。終局ですねと同意を求めることはやめて、黙ってダメを打つ。ダメがなくなったとき手の生じることに気づけば、その時点で手入れをする。気づかなければパスし、相手は打ってしまってよろしい。
 しかし、アマでは、今でも「終局ですね」と同意を求める。それが幽玄の間では“終局要請”だ。
 だから、この終局図はお互いが同意した結果の終局なのだ。幽玄の間はこれで勝敗が決まる。碁盤碁石を使うリアル碁では、この後にダメをつめ整地して地を数える。

 わたしは終局要請の時は“パス”をすることにしている。相手もパスをすれば終局である。だが手があると思えば、相手は続けて打ってよい。それがパスだ。
 これで上の問題の半分は解決できる。つまり終局要請に等しいが、相手は拒否ができ、着手権が手に入り好きに打ってよい。これでも悪意のある時は防ぎきれないにしても。
“終局要請”は着手権が移動せず、そこで止まってしまうのが問題だった。
 つまり解決策の一つは、双方“パス”による終局である。
 いまでは、パス(終局要請)したのに、相手からあらためて“終局要請”が来ることが多い(笑)。
 幽玄の間の解決策とは、別な解決策かもしれない。
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2017年01月31日

失われてゆく、我々の内なる細菌

失われてゆく、我々の内なる細菌
マーティン・J・ブレイザー   みすず書房   2015.7
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 ヒトの体を構成する細胞の70〜90%がヒトに由来しない。逆に言えば体の中にそれだけの細菌が住んでいる。その数は100兆個にもなる。(3万種類、1000兆個という説もある。また70〜90%というのは数量で、重量ではなさそう)
 P28には細菌だけなら3ポンドほどという。
 テレビ“ためしてガツテン”で、腸内細菌は2キロほどいると言っていた。
 わたしは紹介していないが90%が細菌という本もあった「あなたの体は9割が細菌」。
 これらの数字はかなり矛盾しているようで、どう解釈したものか。
 驚いてしまうが、それらのほとんどの細菌は害をなすことはない。それどころか体を守ってくれているのだ。

 腸内細菌は、人間の食べた食物を消化し、腸が吸収できるようにしている。人には消化の能力がほとんどなく、消化を腸内細菌にさせている。腸内細菌は必要な栄養素も作り出す。だから腸内細菌は消化の下請け作業を請け負っていることになる。
 (糞便の95%はこの腸内細菌やその死骸である。という説もある)
 腸内細菌のバランスが崩れるとどうなるか。いろいろな病は、このバランスの変化と死滅によって引き起こされると思われる。
 これらの細菌は、人類誕生以来、人類と共に進化してきた。人類と細菌は運命共同体なのだった。これは他の動物でもそうで、独特の細菌群を持っている。
 こんな話を、細かく例を挙げて説明している。

 1例を挙げると、胃の中にピロリ菌がいる。胃潰瘍などの原因になることが知られているが、健康のために必要(特に子ども)な細菌であった。
注:もちろんわたしに確認できることではない。他の専門家が追試で確認するとか、否定するとかをして、正しいかどうかはっきりする。
 参考: NATROMの日記 http://d.hatena.ne.jp/NATROM/ 2017.01.16「ピロリ菌は胃がんの原因の何%か?」にピロリ菌の別な観点からの記述がある。

 さて、問題は害をなす細菌が入ってきたときだ。昔はしばしば死の病があった。最近になって抗生物質ができて、外来細菌を殺し、死の病を治すことができるようになった。しかし、この抗生物質は外来細菌ばかりでなく、下請け作業をしている細菌まで殺してしまう。そうなると、バランスが崩れ新しい病を引き起こすことになる。
 さらに抗生物質は畜産でも使われている。早く体重を増加させるためだ。これが食物連鎖で人体に蓄積していく。また病院でも過剰に抗生物質を処方する。そうなると人体も太りやすくなる。
 現代は世界的に“肥満”が異常に多くなっている。それがここ二十年間に起こっていることなのだ。その他アレルギーや喘息など、「害」の深刻さに我々はようやく気がついてきた。
 なんと、金持ちは死滅した腸内細菌を求めて、原始社会の抗生物質を使ったことのないヒトの腸内細菌(つまり糞便)を求めているという。
 そんな警告、特に抗生物質の使いすぎ(特に幼児)に対する警告の書である。

参考: 肥満に関しては、こんな本もある あなたは、なぜ太ってしまうのか? 肥満の原因は一つではない。
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2017年01月24日

天と地の守り人

天と地の守り人
上橋菜穂子   新潮社   2011.6
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 これはロタ王国編・カンバル王国編・新ヨゴ皇国編の三部作となっている。シリーズ通算8〜10冊目になる、完結編である。
 どこの国もどの人も、それぞれ立場があり、生きる理由があり、外からは見えない苦悩がある。それらが納得できる物語だ。

 故国新ヨゴ皇国が南の海の向こうのタルシュ帝国に飲み込まれようとしている。それを救うためには、となりのロタ王国と北のカンバル王国と同盟を結び、タルシュ帝国の侵略軍と対抗するしかない。
 新ヨゴ皇国の皇太子チャグムはタルシュ帝国に囚われの身になったが、海に飛び込んで脱出し、ロタ王国に向かう。ロタ王国では南北問題(南の反乱の兆し)を抱えていて、単独では同盟できない。チャグムはさらに北に向かいカンバル王国を説得する。そしてロタ王国と同盟を結び、同盟軍を率いて新ヨゴ皇国に向かう。その間もバルサに助けられている。
 すべての人がその立場ならではの事情を抱えている。チャグムやバルサも例外ではない。
 ロタの内紛もカンバル王の迷いも、それぞれに苦悩の事情があるのだ。新ヨゴ皇国も帝と皇太子チャグムは、国が滅びようとしている時でも対立関係にある。
 タルシュ帝国でさえ、内部では対立していて、統治方法に異論がある。今まではタルシュ帝国に支配されれば、過酷な目にあうと考えられていたが、実情は少数民のタルシュ帝国と、多数民の被支配国の関係は、協力関係にあり、過酷ではない。過酷では反乱が予想されるのだ。国の中枢は被支配地の異民族出身者もいる。
 こうしてあちこちで異論があり、対立しているが、それでも何とか協力の道を探している。
 さらに新ヨゴ皇国の都は、タルシュ帝国にも勝る圧倒的な自然の力によって、滅びようとしていた。ナユグ(異世界)に春が来たのだ。何百年に一度の春だ。
 ふたつの国難をどうやって防ぐのか。16歳のチャグムは成長した。
 バルサは、緒戦の犠牲になったタンダを探しに行く。そして瀕死のタンダを見つけ看病する。
 タンダを世話していた村人に「つれあいです」と宣言する。

 なお、この最終巻の発行のため、荻原規子・佐藤多佳子・上橋菜穂子の3人の対談が巻末にある。平成23年3月22日。なんとあの東日本大地震直後の余震の中での対談だった。小説と重なるではないか。
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2017年01月23日

神の守人

2016.12.20 記

神の守人
上橋菜穂子   新潮社   2009.8

ロタ王国では富の南北問題があった。豊かな南と貧しい北と。
それは民族問題でもあった。
過去に王国を築きながら、今では抑圧される北の貧しいタルの民には、過去の出来事に対する、ロタ王国建国の伝説とは異なる伝説があった。
そして、伝説の恐ろしき神<タルハマヤ>を呼び寄せる力を持つタルの少女アスラが現れた。巨大な力ゆえに大事件を起こし、追われる身となる。
 その恐ろしき神<タルハマヤ>の力を使ってよいものか、その選択をする少女アスラの背負うものが大きすぎるのだ。

   いずれ災いの種になるから、殺したほうがいい。

 一見まともな主張のようだが、民族差別はそんな主張から生まれる。可能性があるからと殺して良いのか。
 立場の違いによって、解釈は異なる。自らを守るすべを持たない少女が危険になったとき、バルサは少女の背景を知らずに、少女を守るという選択をする。
 だんだん背景が判ってきたが、少女を守るという選択は変わらない。それは少女の恐ろしき神<タルハマヤ>に対する解釈にも影響を与えている。

 南北・民族・宗教・教育などの問題、かなり重いテーマの本だった。この本が書かれた頃、イラク問題があったという。
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