2020年01月06日

札幌らーめん北の大地


2014.5.4 追記
2011.7.23 記
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2014.5.4 追記
 久しぶりに新宿の「北の大地」に行った。
 三度目になる。今回も碁会の前によった。碁会に参加する棋友も一人来たが、待ち合わせた訳ではない。

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 入り口

 今回は味噌ラーメンを食べた。白味噌である。
 最初は醤油ラーメンだった。

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 シンプルなメニュー。気づいた方もいよう。醤油を正油と書いてある。
「どういう訳か北海道では正油と書くことが普通。それなのでそのまま正油と書いています」
 その方が北海道らしい。

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 今回食べた白味噌のラーメン。「おいしかった」だけでは小学生の作文。(^。^)
 しかし、前回も書いたように、ラーメンは滅多に食べないので、他との比較は控える。

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2011.7.23 記
 先日、久しぶりにラーメンを食べた。
 どのくらい久しぶりかというと、七年以上、おそらく十年ぶりくらいかな。
 7月18日に新宿の囲碁サロン喜楽で、ある碁会があった。喜楽はビルの7階にあり、ビルの屋上に小さな部屋があって、そこを個室として、碁が打てるようになっている。時々ここに集まって碁会を開いている。
 その碁会は1時からであり、家を出る前に食事するには早すぎる。新宿に行ってから昼食を済まして、喜楽に向かうことになる。
 その昼食にラーメンを食べたのだ。長い間食べなかったのは、別に嫌いだったわけではない。ラーメンは自分では作れないし、外で食べるときは別なものを食べるので、ラーメンを食べなかったに過ぎない。
 今回行った店は、札幌らーめん「北の大地」。
 ここの経営者はわたしの碁友である。碁はわたしの方が少し強いと思う。その碁友はこの日は休みであり、若い男たち三人で営業していた。
 基本的にラーメンの専門店。各種のラーメンがあるが、それ以外は無いに等しい。酒類もビールだけ。
「札幌ラーメンと銘打ったのはうちが最初じゃないかなあ」それだけに経営者のラーメンにかける想いは熱い。先日、その話を聞く機会があった。出汁の取り方から具まで、北海道に拘っている。
 この日わたしは醤油ラーメンを食べた。一番普通のラーメンだ。出汁が濃厚な美味いラーメンだった。わたしが前に食べた普通の街のラーメンとは別物。次回にはその他のラーメンを試してみたい。
posted by たくせん(謫仙) at 10:49| Comment(8) | TrackBack(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月04日

残業税 マルザの憂鬱

残業税 マルザの憂鬱
小前 亮   光文社   2019.3

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 ブラック企業と残業税調査官の頭脳戦といいたいが、今回の中心のテーマは、悪徳法律事務所に勤務する元マルザや、私学の先生、大學の研究者など、一見残業としては首をかしげるような、例外にしたいような職種の残業問題だ。

介護職に就く夏目健人は元フリーター。最悪の労働条件だった会社が大手に買収されて待遇も向上し、ほどほどに満足して働いていたのだが……。残業すればするほど税金が増える「時間外労働税」が導入された社会。介護や教育など、長時間労働の現場で働く人々に起こる様々な事件と、彼らのために奮闘する残業税調査官たちの活躍を描く、話題のお仕事ミステリー第三弾!

 従業員を下請化して長時間労働を強いるブラック企業。
 大学の研究室で、研究の中心人物が、報告書や残業管理に追われて、研究に没頭できない。優秀な助手に過大な負担を強いる結果となる。
 連作短編の形をとっている。だから、主人公は誰か、という問題がここでもある。
 わたしは主人公のはっきりした、視点の定まっている話が好きだ。主人公は残業税でも、その視点であればよい。
 話ごとに主人公が変わっていると落ち着かない。
posted by たくせん(謫仙) at 11:10| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月29日

残業税 マルザ殺人事件

残業税 マルザ殺人事件
小前亮   光文社   2017.8

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 残業税の続編である。たたし、主人公などは変わっている。
 残業税調査官が北軽井沢で死体で発見された。「残業税には欠陥がある」という言葉を残して。
 国税局の大場莉英に上司から調査の命令が下る。
 このあと、県警・警視庁・国税庁が、それぞれの立場から調査を行う。全面的に協力というわけではない。大場莉英などの行動が捜査の邪魔と考えることもある警視庁。
 大場莉英の比率が小さく、誰が主人公か判らなくなりそう。もう少し視点を定めて欲しい。少なくとも、大場莉英の視点を多くして主人公と判るように。
 砧が莉英に言う。
「私たちの目的は、脱税を取り締まることじゃない。適正な課税をおこなうことなの」
 目的と手段を取り違えると、脱税を見つけて多額の追徴を獲った人が偉いと思ってしまう。脱税者がいなくなるようにするのが仕事なのだ。

 前作で働き方改革を話題にしたが、少しづつでも進歩しているのだろうか。
 中心が殺人事件捜査になったので、私的には減点。小説のできは良いと思える。

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追記
 ある書評で、次のように言う人がいた。
 こういう「働かせない」社会ってつまらないだろうな。気持ちが元気だと働けるもの。まぁ、限度はあるだろうけど。働きたい人には働かせて、収入や待遇に区別つけてくれればいいのに。

 多くの人がこう思っているだろうな。わたしも趣旨は賛成だが、内容が問題。
まぁ、限度はあるだろうけど。
 そう、その限度が最長8時間なのだ。だから残業は限度超過なのだ。

働きたい人には働かせて、
 そうなると、残業をしたくない人にも強制するのが問題なのだ。

収入や待遇に区別つけてくれればいいのに。
 小説では名目だけ役職者にして、残業代を払わずにすます企業が、問題になっている。事実上残業が強制になる。その事実上強制を防ぐためだ。
 また、収入で区別しているようで、他のことでも差別することになる。残業代だけで終わる企業はない。
 目的は、長時間働かせてはいけない、のだ。働いてはいけないのではない。
 だから、長時間働きたい人は起業すればいいのだ。起業すれば仕事はいくらでもある。それならいくら働いてもかまわない。起業すれば、わずかの収入でいくら働いても、社会は許す。家族は……
 この小説は、形だけの起業で実態は従業員、も見つめている。

     人を雇用するときの制限 

が、一日8時間なのだ。ここを勘違いしてはいけない。
posted by たくせん(謫仙) at 09:53| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

残業税

2017.12.2記
小前 亮   光文社   2015.8

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 残業は犯罪である。
 このことをわたしは当然だと思うのだが、多くの人は「そんな馬鹿な…」と思うのではあるまいか。
 三六協定という、使用者と従業員の契約があった場合、使用者は罰を免れる。従業員に残業をさせる企業(使用者)は、その協定を監督署に届け出ているのだが、ほとんどの従業員はその協定を知らず、協定書に署名捺印した従業員の代表でさえ、その内容を詳しくは知らないのが普通である。
 この小説は、労働者を守るためにその残業に税金を賦課する。残業すると労使共に税金を払う必要がある法律が施行され、働き方が変わって行く。もちろんサービス残業は犯罪である。
 税を免れようと企業(使用者)はあの手この手で脱税を企む。脱税を防ごうとする残業税調査官と企業の戦いである。
 主人公の残業税調査官の相棒は、機密的な内容でも人前で大声で話す無神経な人物。読んでいてやりきれなかった。

 この中で、ある女性は形だけの管理者になるが、税金逃れのためであり、実質は毎月200時間もの残業に苦しめられ、ついに他殺に近い自殺をしてしまう。
 毎月200時間残業。わたしはこのような企業を知っている。賞与もかなり出ていた。実体は残業代を一部しか支払わず、残りをまとめて賞与として出していたに過ぎない。
 この小説ではさらに悪質で、税理士の指導のもと、労働者に夢を与えて、そのためならサービス残業も仕方ない、と思うように教育する経営者。公的には残業時間が判らないようにしてあるのだ。
 経営者(容疑者でもある)の世論操作で世論に叩かれながらも、働く人を守るべく奔走する調査官。ついに真相が明かされると、世論は一斉に経営者を叩く。
 労働者の教育と、権利意識を高めなければ、この戦いは永遠に続きそうだ。

 いま国会で働き方改革の議論をしているが、それを先取りしたような話だった。
posted by たくせん(謫仙) at 07:46| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月27日

本当はブラックな江戸時代

本当はブラックな江戸時代
永井義男   辰巳出版   2016.11

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 かなり前だが、あるグループで、江戸から明治になり、生活は却って苦しくなった、社会は悪くなったという人が多かった。わたしは、かなりよくなったと思うと言ったのだが、賛同者はいなかった。
 多くは時代劇の影響であろう。杉浦日向子さんは、「お江戸でござる」でよい部分を多く取り上げていたので、その影響があったのかもしれない。
 だが、いろいろ考えてみると、明治時代の方がいいことがほとんどであると思える。
 たとえば犯罪だが、江戸は犯罪の少ない町のように言われているが、本当は多かった。ただ南北の奉行所が受け付けなくて、あるいは町民が届けず、自分たちで処理したため、公の記録に残らず、少なくみえるのが実情らしい。
 現在でも、ある権力者は、いくつかの犯罪の証拠をもみ消そうとしているように思える。報告の受け取りを拒否して、無かったことにした権力者もいる。
 指摘されて、急いで書類をシュレッダーにかけて、書類は無かったことにしている人もいる。
 江戸の犯罪も、そうして無かったことになっている例が多いらしい。

 この本はそんな江戸の錯覚されている部分に焦点を当てている。
 目次を見よう。
第一章 江戸はブラック企業だらけ
第二章 安全ではなかった江戸の町
第三章 食の安全・安心などはなかった
第四章 きたくて残酷だった江戸の町
第五章 高い識字率のまやかし

 企業の休日は年2日だけであり、藪入りという。
 大店では関西の本店で採用され、江戸に来て、9年目でやっと休暇が出て家に帰れる、初のぼりという。
 奉公している間は結婚できない。独立出来るころは四十代になっていよう。
 店の主人の言うことは絶対であり、そして多くの人は若いうちに死んでいる。
 他に就職先がないからである。失職すると乞食になることが多い。
 女性なら吉原などに売られ、ほとんどは若いうちに死んでいる。
 
 現在、田舎には病院が少ないが、病人が少ないのではない。
 江戸町奉行所の警備役も24人しかおかず、犯罪が頻発すると、「自分たちで犯人を捕まえろ、殺しても構わない。結果を届け出よ」という通達を出すだけ。
 だから24人で済んだのは、犯罪が少ないのではなく、警備をしなかっただけなのだ。

 食べ物にしても、旬の食べ物を…と言うが、それしかなかったのだ。そして、米だけでおかずはほとんどない。魚など庶民の手に入る頃には腐り始める。

 トイレは汲み取り式であり、夏など強烈な匂いがしたであろう。ゴミも収集されたようだが、それまでに生ものは腐り始める。運河はゴミで埋まって、舟が通れなくなるほど。もちろん水は汚れている。

 識字率が高かったというが本当か。豊かな家や商人は文字を習ったが、多くはせいぜいひらがなカタカナくらいである。10歳を過ぎれば仕事に就くので、学ぶのはその前の2〜3年である。しかも下級武士社会の教養もこの程度であった。
 一部を除けばそれほど高くはない。それでも外国と比べるとましではあるが。

 江戸時代は社会的弱者には冷酷だった。
 これらの原因はほとんどが「貧しさ」からきている。衣食住が最低限でなんとか生きていた。
 トイレ事情とか、識字率とか、外国の庶民と比べると良いようでも、全体的には威張れるほどではない。
 蟻地獄のごとく、全国から若者を吸い上げながら、多くは独り身のまま、老いる前に死んでしまう。
 過去の時代だから劣悪は当然で、「江戸はユートピアではない」ということ。
 現在、日本の教育は劣化していて、先進国では最低と言われている。もはや先進国ではない、という人もいる。この本に書かれていることは、現在も一部分当てはまるかもしれない。
posted by たくせん(謫仙) at 07:41| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月18日

白銀の墟 玄の月

十二国記シリーズ  白銀の墟(おか) 玄(くろ)の月
小野不由美   新潮社   2019.11

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 十二国記シリーズの18年ぶりの長編新作。途中2013年に短編集「丕緒の鳥」がある。
 全4巻で2巻くらいかけて長々と伏線を張るので、なかなか話が進まない。しかもこの間、厳しい戴国(たいこく)の説明が続く。
 驍宗(ぎょうそう)が登極から半年で消息を絶ち、泰麒(たいき)も姿を消した。偽王がたつ。王不在から六年の歳月、人々は極寒と貧しさを凌ぎ生きた。
 白雉(はくち)は落ちていない。つまり王はどこかで生存しているはず。
 片腕の女将軍、李斎は国王(驍宗)を探し続けていた。
 そして、この荒廃した戴国に泰麒が戻ってくる。そして行方不明の王が見つかり、国の復興を目指すまで。これから偽王との戦いだ。
 この間の李斎将軍やその協力者の苦労の物語。暗い話が続き、やっと希望が見えて、本題に入ったなと思うところで終わりである。
 大勢の登場人物も難しい名前で誰が誰だか判らない状態。そして多くの人がほとんど報われない非業の死を遂げる。なんともやりきれない。この世界の舞台設定からそうなるらしい。一気に読みたくなる爽快感や高揚感がない。
 本筋からずれた、枝葉や末節にページを割きすぎていると思う。
 歴史とはそんなものかもしれない。しかし本来このシリーズは、こんな重苦しい話では無かったはず。大変な苦労があるが、それを乗り越えて、こんなによい国になりました、となるファンタジーのはず。

 難しい漢字を使い、無理矢理読ます。これは相変わらず。
「墟」の字の読みも、キョ あと であり、意味は「おか」だから、「おか」という読み方もあるのだろう。
「践祚」と言う言葉が何度も出てくる。「せんそ」とかなを振ったり、「そくい」とかなを振ったりする。「そくい」なら即位でよくないか。だから、践祚だけだと「せんそ」なのか「そくい」なのか判らない。
(ちなみに今上天皇は、践祚と即位を区別せず、2019年5月1日を即位の日とするらしい。10月22日に即位の礼を行っているので、この日が即位の日ではないかと思うが。
 昭和天皇は、践祚が昭和元年12月25日、即位は昭和3年11月10日、と別の日としている)
 これが最終になるらしい。この後短編集を予定しているという。

 なお、シリーズの過去に書いた文を読み返し、訂正もしている。
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丕緒の鳥

十二国記 丕緒(ひしょ)の鳥
小野不由美   新潮社   2013.7.1
2013.7.21記

 この本は十二国記シリーズの12年ぶりの新刊である。
 わたしは2008〜2009年にかけてシリーズをまとめて読んだので、12年ぶりの実感はないが、古くからのファンは待ち遠しかったであろう。
 王や麒麟の話ではなく、一官吏の希望を書いた4編の短編集である。
 表題作は、陽子が慶国に新王として登極したときの、即位の礼で行われる「大射(たいしゃ)」の話。大射とは鵲(かささぎ)に見立てた陶製の的を射る儀式。自分の希望を託して、その的を作る男の苦悩。

「落照の獄」は、衰えていく柳国で、いわゆる極悪人が誕生した。これは国の衰えを意味するが、民はこれまで途絶えていた死刑を要求する。
 死刑がなかった国で死刑にすれば、国の衰えを加速させる。これがこの世界の摂理だ。一度死刑にすると、同じような悪人が出れば死刑にすることになろう。しかも防犯の効果はない。しかし、死刑にしなければ、国の衰えを止めることができるのか。民の要求に応えられないことも衰えを加速させないか。そうして担当官が悩み果てる。

「青条の蘭」は、山のブナが枯れていく。これを防ぐために、標仲は何年もかかって調べ、青条の蘭が防ぐことを知り、王宮に届けようとする。結局途中で倒れて、庶民に託すことになる。
 国土が荒廃していくのに、ブナの枯れ木(石化する)で金儲けができると喜ぶ人がいる。
 福島の原発事故を思わせた。

「風信」では荒れた国で、暦作りをしている、一見浮き世離れをした男たち。どんなに荒れた国でも、農民は食糧を作らねばならない。そのためにも暦は必要なのだ。燕の雛が増えていることで、復興する未来を予測する。

 四編全て、己の役割を全うすべく煩悶し苦しんで一途に生きる男を描く。
 驚くのはディテールの描写で納得させられること。それが緊張感をもたらす。
 わたしの好きな金庸小説では、「大勢の男が山の中で武術の訓練をしていますが、どうして生活しているのですか」「それは訊かない約束です」
 ことが起こればそれはあちこちに波及する。十二国記では、その波及を考えて登場人物が苦悩しているのだ。訊かない約束などなく、それこそ語りたいところ。
 十二国という大きな嘘を成り立たせるのは、ディテールの描写で納得させることなのだ。
posted by たくせん(謫仙) at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

華胥の幽夢

   十二国記 華胥の幽夢(かしょのゆめ)
   小野不由美   講談社   01.9
2008.11.19記

 十二国記シリーズの中編集である。
 いつもの長編とは違うが、それぞれに珠玉の味わいがある。
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 表題の華胥の幽夢は、王が善政を敷こうと試みるが、人間洞察力がないため、却って悪政になってしまう話だ。
 たとえば減税。減税は庶民にとっていいことのようだが、国を維持する費用も事欠き、国が荒れてしまう。
 悪徳高官を一気に辞めさせたが、それに連なる官吏がそろって辞めてしまい、国の機能が麻痺し、仕方なく復職させることになる。悪徳高官を王が認めたことになってしまい、庶民に怨嗟の声が起こる。
 犯罪は厳罰だが、それが高じて、些細なことでも死罪にするようになり、暴君と同じことになる。
 王は「華胥の夢」を信じてその路線を進むが、どうやらそれは、その路線を進む先の「理想の国」ではなく、「こうなって欲しいと思う国」で、現実はますます理想から乖離していく。
 結局滅びることになる。

 新興の戴国の台麒(麒麟)はまだこどもであった。南の漣国に使いにいくが、その漣の王は普通の農民であった。仕事は農業、王はお役目。仕事は自分で選び、王は天に命じられてする。そして自分の生活費は農作業で稼ぎ、公務は国の税で行うという人だった。農作業をしているときに、台麒と初対面の会話をする。その廉麟(漣の麒麟)は台麒のお供にまで自ら給仕する美少女だった。
 そして、台麒は何もできないような自分が仕事をしていることを悟る。
 このような話が五編。

 このように国により全く事情が異なる。いままで紹介した長編の諸国も、国や王のありようがあっと驚くほど違う。それでいながら全体が統一されている。わたしは、この全体が整合性を持っていることを高く評価する。
posted by たくせん(謫仙) at 09:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

黄昏の岸 暁の天

  十二国記シリーズ  黄昏(たそがれ)の岸 暁の天(そら)
小野不由美   講談社
2009.1.14 記
   
 この本はこのシリーズの初め、「月の影 影の海」の次に読んだ。だが、紹介文も書かないままだった。再読してみると、今までに紹介した物語の後に来る話であった。
 再読して、その宗教問答の深さに気が付く。
 それは唐突として出てきたわけではない。シリーズ全体にその哲学が流れている。普通シリーズものだと、その回だけの設定でもっともらしくなるが、別な回では別な哲学で矛盾することが多い。長くなると人格まで変わったりすることもある。
 このシリーズは一貫している。そこに作者の力量が伺えるのだ。
 載の国に新王がたち、幼い泰麒が泰王に従った。だが二人とも行方不明となる。そこからこの物語が始まる。

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 戴の女将軍李斎が慶の国に援助を求めて駆け込んだ。利き腕の右手を失い命も危うい状態であった。
 李斎の話で、戴の様子が判った。
 泰王が登極して半年後、地方に反乱が起こり、泰王が親征し行方不明となる。その知らせに衝撃を受けた泰麒は突然姿を消した。だが白雉が鳴かないので、王は生存している。
 そして前泰王の時代に、現泰王の同僚であった阿選が偽王となる。王と麒麟がいない戴は荒れていく。そして阿選はそれに輪をかける人物だった。不穏な動きがあると、捜索などせず、その村を全滅してしまう。そうして民が減っていき国は荒れていった。もともと戴は北の国、一冬毎に村が減って行く。
 国を救うには王と麒麟の帰還が必要であった。そのために残された臣には手段が無かった。それで李斎は慶の陽子に助けを求めたのであった。
 だが、景王陽子が軍を起こせば、慶が滅ぶ。それがこの世界の理(ことわり)である。しかも慶も建国したばかりで余力はない。
 陽子は、各国に呼びかけた。雁の延王と延麒、範の氾王と氾麟、漣の廉麟が駆けつけて、戴の泰麒を探すことになる。範の鴻溶鏡と漣の呉鋼環蛇などを使って、なんとか探し出す。
 その途中で、陽子たちは前例のないことをやろうとするとき、蓬山の璧霞玄君玉葉に判断を仰ぎに行く。
 この世は天が定めた。世界は天の定めた理を持つ。その窓口が玄君であった。

 李斎の言葉 …は省略
「…玄君を介して天の意向を問う、ということですか」
「では、天はあるのですか」
「では、天はどうして戴をお見捨てになったのです?」
「…天の神々がおられるなら、なぜもっと早く戴を…助けてはくださらないのですか」
「…だから、わたしは罪を承知で景王をお訪ねしたのです」
 陽子や李斎たちは雲海を越えて行く。四日で蓬山に着いた。
 そして蓬山に行くと、玄君は知っていた。
「…ならば戴で何が起こったか、それだってご存じだったはずだ」
 そんな力があるのなら、次の王を定めるのに、なぜ二ヶ月もの、死に直面する苦労して蓬山に昇山させるのか。天意を諮るためなら、雲海を越えて来ればいいのではないか。事前に決まっているのなら、昇山の必要もないはず。現に陽子は昇山していない。昇山の途中で死んだ者たちは、なんのために死ぬ必要があるのか?

 陽子は言った。いま分かったことがあると。
「もしも天があるなら、それは無謬ではない。実在しない天は過ちを犯さないが、もしも実在するなら、過ちを犯すであろう」
「だが天が実在しないなら、天が人を救うことなどあるはずがない。天に人を救うことができるのであるならば、必ず過ちを犯す」
「人は自らを救うしかない、ということなんだ」

 玄君は泰麒を救う方法を教え、「天にも理があり、これを動かすことはできない。是非を問うても始まらない…」と諭す。

 この問答、まさに宗教問答ではないか。おそらくヘブライクリスト教の教徒はこれを認めないだろう。だが仏教徒ならよく判るのではないか。

 そこまでして、泰麒を探し出したが、泰麒は無力であった。李斎はいつの間にか戴を救うのではなく、泰麒を救うことが目的になってしまっていて、それが自分を救うことであることを知る。
 泰麒を救うため、また蓬山に行くが玄君でも救えないため、西王母にすがることになる。
 玄君は美人なのに、この西王母は凡庸な顔立ちだった。
 西王母と李斎の会話。
泰麒は「…もはやなんの働きもできぬ」
「それでも−必要なのです」
「なんのために?」
「戴が救われるために」
「なぜ、お前は戴の救済を願う」
 李斎は言葉につまる。親族をはじめ友人知人はほとんど死に絶えた。
 この根本的な問題は、誰も答えようがない。答えがないのだ。

 泰麒が回復した後、李斎と泰麒は皆に感謝しながら、ひっそりと戴へ向かう。

 読み返すだけの価値のある本だった。
posted by たくせん(謫仙) at 09:10| Comment(5) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

図南の翼

小野不由美   講談社
2008.10.15 記

 十二国記の何作目に当たるのだろうか。四百二十頁あるので少し厚いが一冊で完結。
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 大陸の北西の国「恭」では王が斃れてから二十七年が経っていた。この世界の律では、王がいない国は治安が乱れ、災厄が続き、妖魔が徘徊する。そして年ごとに酷くなってくる。首都も例外ではない。首都の豪商を父に持つ十二歳の女の子珠晶は、常に護衛が従い、鉄格子で妖魔が入れないようにしてある家に住む。王が立てば解決するものをと思い、言うが相手にされない。
 ある日家出をした。黄海(と呼ばれる島)にある蓬山に行き、麒麟に天意を訊くため。
 この世界の律では麒麟が王を決める。そのため王になろうとするものは、苦難の旅をして昇山する。
 黄海に渡るまでも大変な旅だが、そこから先、蓬山に至る一ヶ月半の旅は地獄を行くような苦難の旅だった。大勢の人が旅立った。珠晶は幸い優れた案内人であり護衛である人を雇うことができた。しかし、案内人を雇わない人もいる。
 妖魔に襲われ次々と死者が出る。珠晶はそれを悼むが、当の案内人は、「今回の旅は犠牲者が少ない。だから王になる人物がこの中にいるのではないか」と思っていた。そして珠晶の可能性が大きいと。
 珠晶は多くの危機を忍耐力と機知で乗り越える。案内人に教わったことの意味を悟り、置き去りにされた人たちを助けに行き、大人の集団を見事に指揮して切り抜けたりする。
 蓬山に近づくと、麒麟が迎えに来た。そして珠晶が王だと判る。

「−だったら、あたしが生まれたときに、どうして来ないの、この大馬鹿者っ」

 恭国に供王が即位した。

 この話、矛盾がない。このようなプロットを決めると、当然このようなストーリーになる。もちろん別なストーリーでもよいが、このストーリーは自然で無理がない。災難の数々。案内人の非情な決断。珠晶の心情。人々の狡さと無力さ。
 珠晶は自分を強運の持ち主と自覚しているが、案内人の教えの答えばかりでなくその意味を悟り、機転を利かして危機を回避し、努力を惜しまず運に頼らない。それが運を招く。

 乗る動物は馬ばかりでなく、騎獣がいる。?虞(すうぐ)・駮(はく)・孟極(もうきょく)など、動物名で固有名詞ではない。このネーミングがいいではないか。読むのは大変だけど。
posted by たくせん(謫仙) at 09:04| Comment(4) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする